病に伏せた彼女。
レンが狩りを休んでいた日。
暖かな春の日差しが心地良い昼下がりのことだった。
「レン。今日は大掃除をしましょうね」
「大掃除ですか?」
「そうよ。外が暖かくなってきたし、そろそろ冬物とかは倉庫に入れないと」
「あー……言われてみれば確かに」
ちなみにロイはいない。
彼は騎士を連れて森に向かい、日課の狩りに勤しんでいるはずだ。
では、どうしてレンだけ休みなのかと言うと、特に大きな理由はなかった。ただ単に、そういう日程だったからというだけの話である。
「俺は何をしたらいいですか?」
「先に自分のお部屋を掃除して……その後はそうね、土間に倉庫に入れる予定の物を置いてあるから、それを倉庫の前に運んでくれる? お母さんは入れ替わりで必要な物を屋敷の中に運ぶから」
「りょーかいしました」
「それと、レンのベッドにある冬用のものとかもまとめて変えておくわね」
「え? そのくらい自分で出来ますよ?」
「知ってるわ。でも、全部のお部屋の寝具を入れ替えちゃうから、まとめてやっちゃった方が楽なの。ほら、あとでお洗濯もするでしょ?」
それなら素直に甘えてしまおう。
代わりに、思い荷物や倉庫に運ぶ荷物とかを自分がやればいいだけのこと。
頷いたレンは早速、自室へ向かった。
窓から壁から床に至るまで、掃き掃除や拭き掃除を交え、丁寧に一冬の汚れを拭い取っていく。天井などは、木の魔剣で根っこを生やして無理やり足場にした。
掃除に要したのは約一時間で、終わった後は気持ちいい汗が額を伝った。
レンはそれから、ミレイユと話していたように屋敷の土間へ向かう。
土間にはミレイユが言ったように運ぶ荷物が用意されており、意外にも山のように並べられてある。
それらをレンは、少しずつ運び出していく。
「――――この溶けた箱、なんだったかしら?」
運び出していると、倉庫から不意にミレイユの声聞こえてくることもあった。
「そうだわ。コレはレンが――――しちゃって、あの人が教えるからっていう――――」
「母さんーッ! どうかしましたかーッ!」
気になったレンが倉庫の中を入り口から覗けば、ミレイユはその奥で何かを片手に独り言を口にしていた。
しかし、手にした何かは見えない。
倉庫の奥は薄暗く、小さな窓から差し込む僅かな光りしかなかった。
「なんでもないわー! 気にしないで!」
返事を聞いたレンは「はーい」とすぐに答え、荷物の運搬に戻る。
それをしばらくつづけていたら、倉庫の中にいたミレイユがたくさんの寝具を抱えて外に出てきた。
レンは手伝うと言ったが、彼女は「軽いから平気よ」と言って笑う。
そのミレイユは、レンとすれ違い屋敷の中へ入った。
まずは二階へ向かい夫婦の寝室のベッドを整え、交換する寝具を廊下に置いて、今度はレンの部屋に足を踏み入れる。
ここでも寝具を交換して、彼女は一緒に持ってきた木箱を取り出す。
この木箱は表面の塗料が溶けて蓋が塞がっている。
でもミレイユはそれを、レンが普段使ってる机の傍にある棚に置いた。
「ついでだからレンの部屋に置いてきたって、後で
呟いた彼女はすぐにレンの部屋を出て、今度は客間へと向かった。
でも、ここで気が付く。
客間のベッド用の寝具がややカビており、これでは使えないという事実にため息を漏らした。
「……こっちはもう一度洗わなきゃ」
仕方なく、客間のベッドは整えられないまま後にした。
「あ、終わりましたか?」
土間に向かい、外に出ればレンが荷物を運び終えたところだった。
彼に寝具を交換し終えたことを告げてから、ミレイユは寝具すべてを洗濯するために屋敷の裏手へ向かう。
裏手には井戸があるため、そこで洗濯をするからだ。
一方で、ついでに倉庫を整理することにしたレンだったのだが……。
「――――え?」
森を抜け、畑道に差し掛かったある一段の姿に気が付いた。
そういえば、ここ最近は来てなかったな。
冬が明けて最初の来訪が、きっと今日だったのだろう。
「相変わらずフットワークが軽すぎる」
畑道を馬で進む騎士たちの隊列も見慣れたものだ。
ただ、自室の窓からその様子を眺めていたレンが不意に小首を傾げる。
戦闘を進むヴァイスの表情がこれまでと違って険しく、畑道を進ませる馬もいつもと比べて駆け足気味だ。
何かあったのかと思ったレンは隊列の後ろの方を見る。
「…………寝てるわけじゃなさそうだけど」
そこではリシアが目を伏せ、同乗した女性騎士に背を預けていた。ここからは表情までは覗えないが、気になって止まない。
レンと立ち合うべくこの村まで来る彼女が、ここにきて静かなことが不思議でたまらなかった。
「とりあえず」
出迎えの支度をしないといけない。
倉庫を離れたレンは裏庭に向かい、洗濯をしようとしていたミレイユにリシアたちの来訪を知らせた。
ミレイユは若干驚いたが、彼女もリシアの来訪に慣れている。
「わかったわ。私は用意をしてこなきゃいけないから、レンはお嬢様たちをお迎えしてくれる?」
「はい、わかりました」
「でも客間はベッドがまだだから……でも平気よね。すぐにお休みになられるわけじゃないでしょうし」
「だと思います。では俺はちょっと行ってきますね」
返事を返したレンだけが庭に戻った。
こうしている間にもリシアたちは屋敷に近づいていて、既に屋敷の門前まであと少しのところまでやってきていた。
すると、それを見たレンは眉をひそめた。
眠っているように見えたリシアが、何やら苦しそうにしていたからだ。
その異変に気が付いたレンが、馬を止めたヴァイスに駆け寄った。
「ヴァイス様。母がさっき部屋を用意したばっかりですので、まずはお嬢様を」
「すまない。察してくれて助かる」
だが、レンは不意にミレイユの言葉を思い出す。
確か客間のベッドがまだ用意できていない、とのこと。
それでは都合が悪い。
迎えるのがリシアだから、ということの他にも、具合が悪そうな彼女にはできるだけ清潔な寝具で休んでほしい。
ということは、客間のベッドでは寝られない。
「そのままお嬢様をゆっくり連れて来てください。俺は急いで母に話をしてきます」
「……重ねて申し訳ない」
だから、他の部屋で休んでもらうしかないのだ。
レンはこう言い残して屋敷に戻ると、急いで屋敷の中を駆け巡る。
目当てはミレイユで、彼女とは一階の廊下で鉢合わせた。
慌てていたレンはリシアの体調がすぐれないことを彼女に伝え、客間のベッドが用意できていないことを指摘する。
「それじゃ、私たちの部屋に寝てもらいましょう」
「いえ、母さんと父さんの部屋はまだ少し薬草の匂いが残ってますから、俺の部屋の方がいいと思います。俺なら、後で準備ができてから客間で休みますから」
幸いにも、今日は大掃除をしたばかりなことも考慮した。
「そうね……わかったわ」
代わりにレンが客間で寝ることに決まったところで、ヴァイスと女性騎士がやってくる。
女性騎士の腕には、額に汗を浮かべたリシアが抱かれていた。
レンはヴァイスへと事情を告げ、リシアには自分の部屋を使ってもらうことを伝えた。
「本当にすまない。恩に着る」
「大丈夫です。だから、まずはお嬢様を」
「お着換えも必要でしょう。私がお手伝いしますね」
「……ミレイユ殿にも世話を掛けるな」
「構いませんよ。さぁさ、そうと決まれば男性は下でお待ちくださいな」
レンはヴァイスと顔を見合わせ、レンの部屋に入っていくミレイユを見送った。二人は間もなく軋む廊下を進んで階段を降り、キッチンへと足を運ぶ。
「すみません。応接間がない屋敷なもので」
「ははっ、そう言うな。暖かくて良い屋敷ではないか」
まずはヴァイスを椅子に案内し、口が裂けても上等とは言えない茶を淹れて彼に差し出した。
「いただこう。……それと、お嬢様の様態について伝えておかねばならんか」
「ですね。とはいえ、体調がすぐれないのにクラウゼルを発ったとは思えませんが」
「もちろんだとも。お嬢様が体調を崩されたのは三日ほど前のことでな――――」
ヴァイス曰く、身体に宿った魔力が多い子供がよくなる病なのだとか。
だが、必ずなるわけではなく、あくまでも確立でしかない。
一度罹ってしまえば終生免疫に似た現象が残るそうで、同じ病に罹ることはないそうだ。
「三日前は来訪予定だった別の村の近くに居たのだが、お嬢様のご体調を優先して、この村へ急行した次第なのだ」
「もしかして、リグ婆ですか?」
「うむ。リグ婆殿が居る方が安全と判断した」
しかし、とヴァイスがつづける。
「あの病は前兆らしいが前兆なく、体調の変化に気が付かない方が多いのだ。お嬢様が罹る可能性はあったが、まさかそれが、遠出の最中であるとは」
「……さすがに、現状ではクラウゼルまで帰れませんしね」
「そうなのだ……。病そのものは命にかかわるものではないが、高熱と頭痛に苛まれ、免疫力が低下する。合併症により命を落とす可能性はあるから、しばし安静にしなければならんのだ」
せめてもの僥倖はレンの村が近かったこと。
この村にリグ婆という、薬師のスキル持ちがいたことだ。
「二週間から三週間もすれば良くなろう。だから申し訳ないのだが……」
「大丈夫ですよ。お嬢様が良くなるまでゆっくりしていってください」
「……本当にすまない。無論、私をはじめとした騎士に手伝えることは何でも言ってくれ。狩りでも大工仕事でも、できることならいくらでも手を貸そう」
正直、どちらも手伝ってほしいところだ。
何も頼まない方がヴァイスたちも気をもむだろうから、失礼にならない程度に手伝いをしてもらおうと思った。
ここ最近はリトルボアの数が妙に多いから、ちょうどいいだろう。
(そういえば)
話が一段落したところで、レンは先日の話を思い出す。
「この前、またギヴェン子爵の騎士たちがこの村に来てましたよ」
「む……またか」
「しかも今度は俺に、帝立士官学院への入学を援助するって言ってました。なんでも、特待クラスへの入学に口添えをしてるとかって」
それを聞いたヴァイスは驚いた。
しかしすぐに頷いて、深く深く溜息を漏らす。
「少年ほどの逸材ならばありうる話だな。そこに法務大臣補佐の経験があるギヴェン子爵が加われば、虚言とも言えん。――――私も、少年の活躍を祈らせてもらおう」
「え?」
「む? え、とはなんだ?」
「まるで承諾した雰囲気になってますが、アシュトン家は断りましたよ」
「なっ――――何故だ!?」
ヴァイスがドンッ! と大きな音を立ててテーブルを叩いだ。
古いテーブルだから勘弁願いたいものだが、ヴァイスはレンにそれを言わせる間もなく身を乗り出す。
「栄光ある将来が約束されたも同然なのに、どうじて断ってしまったのだッ!?」
「そりゃ、みんなこの村が好きですし、ずっとクラウゼル家に仕えてきましたから」
ロイが言い、自分もそう思った言葉を口にする。
ここにはレン自身の悲劇的な未来を回避したいという願いもあるが、口にした言葉もまた真実である。
その思いを聞いたヴァイスは唖然とし、すとん、と椅子に座り直した。
「約束しよう」
彼はどうしてか不意に神妙な面持ちでレンを見て言う。
「此度の遠出を最後に、お嬢様をこの村に連れてくることはしない」
「――――え?」
「お嬢様ご自身の願いの他に、私はお嬢様が少年から良き刺激を受けることに期待していた。だがすべては甘えだったのだ。アシュトン家の厚意に甘え、少年に甘えた。……それらを今回で最後とする」
レンには都合が良い言葉だったが、急になぜ? と思ってしまう。
戸惑いつづけるレンは黙って耳を傾けた。
「これ以上迷惑をかけるわけにはいかん。たとえ男爵家の令嬢と言えど、お嬢様も此度の一件を理由にすれば納得しよう。ご当主様へも私から伝えておく」
「あ、あの、急にどうされたんですか?」
「……先ほどのような忠義を示されたというのに、こちらだけ甘えているわけにもいくまい」
どうやらヴァイスは権力をひけらかすことは好まず、レンたちの意思を尊重するようだ。
レンを無理にクラウゼルに連れて行こうとしなかったこともそうだろう。
そして今回、アシュトン家の振る舞いを知り、甘えるのもこれまでと決断した。
だけど――――。
(……ちょっと寂しい気もするな)
自分でそれを思うのはどうかと思ったが、リシアの人となりは嫌いじゃない。
彼女と接していた際、楽しさを見出していなかったと言えば嘘になる気もした。
……だからだろうか?
今回で最後と思うと、名残惜しい気がしてしまったのだ。
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