騎士団長のお礼。
レンがリシアの行動力に唖然としていると、
「けど、ごめんなさい。私たちにもっと力があればよかったのだけど……」
そのリシアが、やや消沈した声色でため息交じりに言った。
どうやら、ギヴェン子爵の件で思うところがあるようだ。
「ギヴェン子爵に直接の抗議はしなかったんですか?」
「お父様ができないって言ってたわ。ただでさえ派閥が違うのに、上位貴族に文句を言うのは難しいんですって」
こればかりはクラウゼル男爵が情けないというよりは、やはり爵位の違いが大きいようだ。
リシアが嘆いたのは、こうした事実によるものだ。
「上位貴族に抗議するには、どうしても寄り親とか友誼のある上位貴族に頼むしかないみたい。……だからクラウゼル家の場合、最低でも中立派の伯爵とかかしら」
「じゃあ――――」
「……もちろんお願いしてあるわ。けど、中立派は他の二派に比べて勢力が弱いから」
爵位が高いだけで文句を付けようものなら、今度は相手の派閥の、更に上位貴族が口を出してくるかもしれない。
そのような面倒ごとを避けたい貴族は、きっといくらでもいるはずだ。
中立派の勢力が弱いということもあって、殊更に。
「中立派の上位貴族も様子見をしてるって感じなんですね」
「そういうこと。はぁ……ほんとにイヤ……同じ帝国の貴族なのに、派閥だとか爵位だとかでこんな気分にさせられるなんて……」
リシアは心から苛立っているようで、レンの前でその感情を隠すことなく吐露した。
「……ほんとにごめんなさい。貴族の馬鹿げた争いに貴方たちの村まで巻き込んでしまって、領主の娘として謝罪するわ」
嘆息を漏らしながら言った彼女の横顔は、妖精と見紛う可憐さを讃えている。
このような場面でも絵になるのは、さすが『攻略できないヒロイン』と呼ばれる聖女だ。
しかし、レンはその抜群の容姿に意識を向けていない。
彼は貴族の面倒くささに辟易していた。
「いえ、今回の件は、お嬢様方が悪いわけではありませんからね」
「だとしても、巻き込んだのは事実だわ。――――そうだ。そろそろ貴方も座ったらどう?」
「あ、では遠慮なく」
というか自宅なのだから遠慮も何もない。
相手が男爵令嬢だから座らなかったのだ。
リシアは対面に座ったレンを見て、満足げに頷く。
「そう言えば、一つ気になったことがあるんですが」
「ええ。どうしたの?」
「爵位とか派閥の違いはあるとしても、聖女のお嬢様が居るのなら、もっと発言力があるのではないか、と思うのですが」
「奇遇ね。私も以前までそう思ってた時期があったわ」
だがそうはならないという。
リシアは今一度深いため息を漏らした。
「聖女と呼ばれる存在は昔から何人も生まれてきたの。でも、七英雄と違って何か成し遂げたわけじゃないでしょ? ……古くから主神エルフェンに祝福された存在と言われてきた聖女でも、魔王を討伐したわけじゃないわ」
「俺には何とも言えないというか……」
「いいのよ、事実なんだから」
彼女が言いたいことはレンにもわかる。
元来、主神エルフェンに祝福されたとされる聖女は畏敬の念を抱かれる存在だ。
しかしこのレオメル帝国においては、更に強く畏敬の念を抱かれる者たちが存在する。
――――それが、七英雄。絶対的なる血統の者たちだ。
その存在もあって、聖女が居ても派閥全体の発言力は目に見えて上がることがない。
また、皇族派だって、元を辿れば開国の祖たる獅子王が関係してくる。
絶対不敗の大国の祖もまた、七英雄と同じく大きな影響力を誇るのだ。
聖女が両者の陰に隠れているとは言わないが、やはり、リシアが言ったように聖女が何かを成し遂げたことがないのは事実。
そのため、レンが思うような強権は得られていない。
「――――そうだわ。今度は私にも聞かせて」
と、リシアがテーブルの上に身を乗り出してレンを見る。
宝石を想起させる彼女の双眸が、じっとレンの顔を見つめていた。
「子爵の誘いを受けるの? 受けないの?」
何かと思っていたレンがケロッとした態度で答える。
「受けないですよ。お嬢様にもお伝えしましたが、俺はこの村から出る気がないので」
「ほんとに? 嘘ついたらクラウゼルまでしょっぴくからね?」
彼女なら本当にやりそうだと思わせられてしまう。
レンは苦笑いを浮かべて「行きませんよ」ともう一度言い、徐々に迫っていたリシアの圧から逃れた。
離れていくリシアは、幾分か溜飲を下げたように見えた。
「そういえば、お風呂はどうだった?」
これまでの話題に嫌気がさしていたリシアが、思い出したように喋った。
「格別の気分でした。途中でお嬢様のことを思い出さなかったら、もう一時間くらいはゆっくりしてたと思います」
「じゃあ、ほしい?」
「あれば便利だとは思いますが……お高いでしょうし」
「お金なんて気にしないで。持ってきた魔道具は古くて動かなくなってたものだったの。それを私のお小遣いで直しただけだから、遠慮しないでいいわ」
「うわぁ……」
「もう! うわぁって何よ!」
「だって……お金の代わりにクラウゼルに来い、って話ですよね?」
うぐっ、とリシアがどもった。
図星を突かれたようだが、すぐに平静を装う。
「さすがにそこまで望んでないわよ。ただ、私がこの村に居るときだけでいいから立ち会ってほしいってだけ」
「ということは、これからもいらっしゃるということですか」
「ダメなの?」
(そりゃ)
本心ではあまり友誼を持ちたくない。
ただ、止める権利はないのが玉に瑕だ。
「男爵様が何度もお許しになるとは思えませんが」
「二度許してくれたんだもの。三回も四回も、十回だって変わらないわ」
物凄い力技な理論を前にレンは恐れ入った。
唖然とすること数秒、こほんと咳払いをして笑みを繕う。
「男爵様が何も仰らないのなら、私からお伝えすることはありません」
というか断れないのが現実だ。
「ふふっ、よかった」
リシアが人懐っこい笑みを浮かべて喜んだ。
………拉致されてクラウゼルに連れて行かれないだけマシなのかもしれない。されど、レンにとって都合の悪い展開には変わりなく、
(わざと負けたい)
レンに思わずこんなことを考えさせても仕方ない展開だった。
「わかってるでしょうけど、わざと負けるのもダメだからね?」
「滅相もない。お嬢様に無礼なことはしませんよ」
「ふぅん……その割には、悪だくみをしてそうな顔をしてたわよ」
「いえ、気のせいです」
ひと時の静寂が訪れる。
暖炉で薪がパチンッ! と弾ける乾いた音がキッチンに響き渡った。
そんな中、レンはふと、今日も立ち会うのだろうかと思いはじめた。
それにはヴァイスの話も聞かねばなるまいと思いだしたところで、ちょうどよく屋敷の外から彼の声が聞こえてきた。
「ヴァイスも貴方のお母様と一緒にリグ婆のところに行ってたの。アシュトン家が注文していた薬草を私たちが持ってきたから、そのついでにね」
なるほど、道理で姿が見えなかったのだ。
そう考えていたらミレイユがキッチンに来て、リシアと親しく会話をはじめたではないか。
その様子を眺めていたレンは、
(二人の仲が深まってるじゃないか……)
この事実を悟り、密かに頭を抱えたのである。
◇ ◇ ◇ ◇
レンは日が沈んだあとでリシアと立ち会った。当然、仕方なく。
二か月で更に成長していたリシアは以前と違う姿を見せたが、それでもレンの圧勝で終わってしまう。
リシア自身もこの結末を予想していたようだ。
それでも悔しさを滲ませ、「明日の朝にもう一度だからね!」と言った姿は健気だった。
「すまんな、少年」
立ち合いを終えてから、屋敷に戻ったリシアと入れ替わりにやって来たヴァイスが謝罪する。
「このくらいなら大丈夫です。それにしても、お嬢様は先日とまるで別人でしたね」
「それは少年のおかげだ。先日の敗北を経験してからというもの、剣の訓練に限らず、勉学に至っても以前に増して努力なさっていてな」
「……それはよかった」
「ご当主様も感謝なさっていた。無論、私もだぞ。――――そこでどうだろうか、何か私にしてほしいことはないか?」
また唐突な。
レンが小首を傾げる。
「と言われましても、男爵様から褒美を頂戴してますし」
「いや、これはあくまでも私個人からだ」
依然としてレンは何も思いつかなかった。
(金をくれって言うのはあれだし)
ここで貧乏騎士らしさをさらけ出すのは違うと思った。
であれば、たとえば剣の稽古をつけてもらうのはどうだろう?
そうと決まったところで頼もうと決めたが、
「野営の知識などを教えるというのはどうだろう?」
予想していなかった提案にレンが驚く。
「野営の知識ですか? 私は別に遠出することはありませんよ?」
「かもしれん。が、覚えて損のない知識だぞ。たとえば
(なるほど、言われてみれば確かに)
「恐らくロイ殿が教えてくれたと思うが、ロイ殿はまだしばらく安静にしている必要がある。故に私が代わりにと思ったのだが、どうだ?」
必要性を理解したレンの返事は早い。
考えてみれば、森で狩りをするときも役立ちそうな知識であった。
「是非。俺に野営の知識を教えてください」
深々と頷き、頭を垂れて教えを乞った。
ヴァイスはそれを見て「頭は下げないでくれ。これは私からの礼なのだからな」と言い、レンに頭を上げさせた。
すると、ヴァイスは雪が降りだした空を見上げて腕を組む。
「少年、リトルボアの毛皮はとってあるか?」
「ありますよ。毎日のように狩ってるので、売る分以外にも余裕があります」
「それならばよい。では、早速今宵にでも教えよう」
「――――え?」
ニカッと白い歯を見せ人の良い笑みを向けたヴァイス。
彼に対し、レンは呆気にとられた返事をする。
「もう夜も更けてきましたが」
「夜の方が覚えることは多いぞ」
「いえ、そうではなくてですね。いまから出発したら帰宅時間は――――」
「もちろん、明日の朝だ」
「……つまるところ、森の中で一夜を過ごすということですね」
ヴァイスが「うむ」と言って頷く。
「当然、無理にとは言わん。ちょうどいいかと思っての提案だから、それこそ、少年の都合がいい日に改めてとした方がよければ……」
「い、いえいえ! 驚いただけですので、正直、ご提案していただけて助かってます!」
実際、夜はやることがないから助かるのだ。
それに、教えてもらえるのなら早い方がいい。
相手があのヴァイスで、更に多忙な彼に教えを乞える機会なんて、貴重な時間以外のなにものでもない。
(是非とも教わりたいところだけど)
レンには一つ、気になることがあった。
「お嬢様のお傍になくてもいいんですか?」
「それなら心配は要らない。お嬢様の専属護衛を務める者らが屋敷に残るからな」
昼間にヴァイスがリシアの傍を離れていたのも、そうした理由からである。
「あれ、ヴァイス様がその護衛役ではないんですね」
「勘違いされることが多いのだが、私はお嬢様の護衛ではない。あくまでもご当主様の護衛であり、騎士団のまとめ役だ。だからお嬢様が遠出をなさる際、私が居ないことの方が多いのだぞ」
ということは、ヴァイスが同行していても、そのヴァイスが居なくても問題ないと判断できるだけの戦力を連れているはず。
どうやら、レンの村に来るときは自分も居た方がいいとの判断のようだった。
なら、心置きなく教えを乞える。
「ではお言葉に甘えて、今晩からでも是非」
レンがそう言うと、ヴァイスはすぐに「任せてくれ」と返事をした。
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