長官殿の急なお誘い。

 ユリシスは週明けにでもクラウゼル邸を訪れるという。

 翌日、午前中の休み時間に。



「わわっ!?」



 廊下の曲がり角を進もうとしたレンの肩と、曲がり角の先から現れた学院長クロノアの肩が衝突しかけた。

 彼女が後ろに腰から落ちそうになると、つばが大きな魔女の帽子が宙に浮かぶ。レンは片手に紙の容器に入った飲み物を持ちながら、慌ててもう一方の手を伸ばしてクロノアを支えた。



「す、すみません!」


「っとと……あっ、レン君だったんだ」



 いつの間にかクロノアの帽子は宙に浮かんだまま静止して、クロノアの身体もレンに支えられなくとも帽子と同じく静止していた。

 しかし、レンに手を貸してもらえたことにクロノアは嬉しそう。

 金髪の佳人がレンを見上げて、



「レン君、このあとの授業は普通通り受けるんだよね?」


「もちろん、そのつもりですよ」



 今日は教員側の都合により、午後は軽めのホームルームがあるだけ。

 午前だけで学院が終わる、多くの生徒たちを喜ばせる珍しい日だった。

 周りの生徒の中には、すでに浮足立っていつもより楽しそうにしている声も少なくない。



「じゃあさ、お昼ご飯はボクと一緒に食べない? ゆっくりお話しようよ! よかったらリシアちゃんとフィオナちゃんも誘って!」


「残念ですが、リシアは女の子の友達たちと食堂に行くって言ってましたし、フィオナ様も今朝の授業を終えてすぐ、イグナート家の仕事をしに行きましたよ」



 フィオナはその際、レンにユリシスからの伝言などを告げていた。今度クラウゼル家を訪ねることなどだ。



「うああ……まるでボクだけ暇そうな感じだー……」


「何言ってるんですか。いつもお忙しそうなのに」


「……じゃあじゃあ、たまのゆっくりできる時間に、レン君がボクの話し相手になってくれたりなんかは……」


「はい。俺でよければ全然大丈夫ですよ」

 


 唐突な提案に深い意味はなく、いつものようにじゃれつくクロノアの可愛らしさがだけが際立っていた。



 午前の授業を終え、レンは指示された場所へ手ぶらで向かう。

 彼は校舎の裏手にある庭園に足を踏み入れ、その片隅で待つクロノアの傍へ。噴水の縁に座るクロノアの隣だ。

 彼女は片手で持てる大きさの紙袋をレンに渡した。



「ご飯、ボクの奢りだよ」



 紙袋に入っていたのは、いくつかのサンドイッチ。

 レンはクロノアと同じく噴水の縁に腰を下ろし、クロノアの手から紙袋を受け取った。

 紙袋の印を見れば、大通りにある人気な店の品であることがわかった。

 昼食をとりはじめてすぐ、クロノアがレンに尋ねる。



「最近、剣の訓練はどう?」


「頑張らなきゃなーって、そのことばかり考えてますよ」




 獅子聖庁で剣を振る日々は変わらないが、最近のレンは以前ほど劇的な成長を遂げられてない。剣聖のエドガーが多忙であることもあり、彼と剣を交わす機会に恵まれていないことも影響しているだろう。



 レンはそれを一因と考えたこともないが、事実、影響はあった。

 サンドイッチを頬張りながら、努力をつづけるしかないとレンは空を見上げながら考える。

 それにしても、美味しいサンドイッチだった。

 剣士ではないが、クロノアという魔法使いの強さも気になったレンが言う。



「クロノアさんはどうやって魔法の腕を磨いたんですか?」



 分野は違えど、努力の仕方や強くなるまでの敬意を参考にしたかった。



「ボク? 僕はたくさん魔法を使ったり、たくさん勉強したかな」


「それだけですか? すごい修行の日々を過ごしたりなんかは――――」



 クロノアは自身の過去を誇るようなことは言わず、むしろレンにとってそれ以上はないという、努力の成果を語る。

 そこに驕りや嘘はない。



「頑張って勉強して、頑張って魔法を練習すること……そういうのをずっとずっと繰り返してたら、いまのボクになれたってだけだよ」


「――――さすが、世界最高の魔法使いの一人ですね」


「こらこら。お姉さんを茶化したらダメなんだよ、レン君」



 クロノアは照れくさそうに笑いながら、一つのサンドイッチを両手に持って口元に運ぶ。

 顔の下はほとんどサンドイッチで隠れていた。



「そういえば今朝、エステルがレン君たちを誘おうかなって話してたよ」


「誘う?」



 なんのことかさっぱりわからない。

 きっとエステルが非番だからなのだろう。剣の訓練だろうか。



「訓練とか食事とか、そんな感じでしょうか」


「ボクも学院に向かう途中だったから、あまり聞けてないんだ。軽めの遠出をするから、レン君とリシアちゃんを連れて行こうか考えてるって言ってたかな」


「おー……よくわかりませんが、今朝聞いたばっかりなんですね」


「そそ。エステルが今日と明日は非番みたい。それでエステルが、とりあえずエレンディルに行ってくるってなっちゃったから」



 ここから予想できるのは、レンとリシアをどこかへ連れて行くためにエレンディルへ行ったということ。保護者のレザードに話をしに行ったのかもしれない。




 ◇ ◇ ◇ ◇




「お二人とも」



 午後の短いホームルームが終わり、学院を出たレンとリシアに声を掛けたのは若く凛々しい背の高い女性、二人と顔見知りの剛剣使いで、普段はエステルの傍によくいる騎士だ。

 漆黒の甲冑はさすがに目立つからか、私服姿でここにいた。

 二人が話しかけられたのは、駅へ向かう途中でのことだった。



「こんなところで珍しいですね。どうしたんですか?」


「長官がお呼びなのだが、時間はあるかな? 可能ならヴェルリッヒ殿の工房へ来てくれと仰っていた」



 レンはリシアと目配せを交わしてから頷いた。

 リシアにはレンから、エステルが何か誘ってくるかもと伝えていたから、特に異存もなく。

 二人に伝言を告げた女性は「では」、と言ってこの場を後にする。



「行きましょ、レン」



 秋の風で、リシアのスカートが僅かに舞う。

 枯れ葉が何枚か、周りの石畳の上で乾いた音を立てて転がっていった。



「クロノア様が仰っていた、私たちを何かにお誘いくださることかしら?」


「だと思います。俺たちも午後から暇でしたし、直接聞いてみますか」


「ええ。珍しいところにお呼びくださったし、気になるわ」


「そういやリシアって、ヴェルリッヒさんの工房に行ったことありましたっけ」



 リシアはううん、と言って首を横に振る。

 エレンディルで暮らすようになって間もない頃は、一度足を運ぶ機会が訪れる予定だった。

 だが、工事現場の事件で消え、フィオナと再会を果たす結果になった。



「だから楽しみ。どういう工房なのかしら」


「……それはもう、とんでもない工房ですよ」



 主に雑多とした中の雰囲気などがだ。



 学院が立ち並ぶ区画から徒歩で移動することしばらく。

 鍛冶屋街の入り口にエステルがいた。



「来てくれたか」



 彼女は二人を見てニカッと笑う。



「ヴェルリッヒさんの工房でお待ちになってると思ってたんですが」


「まぁレンが言う通りなのだが、どうせならここで待てばいいかと思い、偉そうに仁王立ちしていたわけだ」



 彼女はそう言い、二人を連れて鍛冶屋街を歩きはじめる。

 レンとリシアが一歩後ろを歩いた。



「このあと、二人は暇か?」


「一応そんな感じですが、どうしてです?」



 するとエステルは満足げに「うむ!」と力強く頷く。



「では、このままついてこい! 近頃、より一層鍛錬に張り切っている二人に新たな経験をさせてやりたくてな!」


「エ、エステル様? 私とレンはどこへ行くのですか?」


「空だ! 風が気持ちいいぞ!」



 もう、何もわからない。

 レンとリシアが同時に首を捻った。

 しかし、エステルが大股で歩きつづけているから彼女を追う。



「今日の昼、クロノアさんからエステル様に誘われるかもって聞いてました!」


「おお! 説明が省けて助かる!」


「いやいやいや! それ以外は全然聞けてませんからね!?」


「安心したまえ。私は朝からエレンディルに行き、クラウゼル子爵から直接許可を得てきた。私がいれば何も恐れることはないぞ」



 昼にレンが予想した通りのことをエステルがしていた。

 しかし論点はそこではなく、



「俺もリシアも、別に恐れてるとかじゃないですよ」


「む? では何故、先ほどのように問いかけてきた?」


「そりゃ、どこに行くのかわからず、お返事も空だ、だけだと俺もリシアも困惑しちゃいますし」


「ううむ……一理あるかもしれん。私が勢いに任せすぎたか」



 一理どころか百理あるのだが、レンは何も言わなかった。

 リシアも掘り下げようとしていない。豪快なエステルに圧されるだけだ。



 ――――――――――



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