鍛冶師は素材が欲しい。
そうこうしているうちに、鍛冶屋街の片隅にある古びた工房――――ヴェルリッヒの工房にたどり着く。
煤けていまにも壊れてしまいそうな扉に手を伸ばしたエステルが、
「やぁヴェルリッヒ、私が来たぞ」
どん! と勢いよく開け放った。工房の扉から煤が舞う。
工房の中にいたヴェルリッヒは驚くことなくエステルを見た。開け放たれた扉は丈夫な木材を使っているのか、見た目と違いまったく崩れる様子がない。
幼い頃にユリシスが付けた傷の方が目立つくらいだ。
「おう姐御! 待ってたぜ!」
鍛冶師兼、魔導船技師のヴェルリッヒ。
ドワーフらしい小柄な体格に、ずんぐりと筋肉質なシルエット。
ひげをさする彼はエステルにつづき、レンとリシアを見た。
「おん? どうして二人がここにいるんだ?」
「エステル様にお声がけいただいたからです。ちなみに、ここからどうなるのか全然聞いてません」
「んだよそういうことか。なら話は早いな」
何も聞いていないのだから話が早いも何もないが、やはりレンは気にしない。
「話が早い……え、ええと……レン……?」
「気にしないで、こういう感じだと思ってください」
「え、ええ……そうね」
リシアはヴェルリッヒとあまり話をした機会はないが、それでも人となりは理解しているから、困ったように苦笑いを浮かべるに留めた。
豪快さにおいてけぼりにされるのも、彼らの豪快さから嫌いになれない。
「ほいじゃ行くぜ、二人とも」
「うむ。早速エレンディルへ向かい、空へ発つ!」
「……で、どうして空に向かうんですか?」
レンが一応のつもりで問いかけると、ヴェルリッヒの口から楽しそうに弾む声で返事が届く。
「レムリアを修理するのに必要な素材を取りに行く。俺様から姐御に頼んで、貴重な休日を貰ったったわけだ」
レムリアの件はある程度秘匿されているが、さすがにエステルは知っていたようだ。
一方、アスヴァルの素材を用いていることは知らされていない。
「そういうことだ。狩りはいいぞ、レン」
「修理は順調だしな。あとはちらほら素材が必要なとこを埋めとけばどうにかできるぜ。……問題は
「いやあの――――ええ……?」
レムリアはわかる。エレンディルが誇る巨大複合駅、空中庭園に残されていた魔導船だ。数年前からヴェルリッヒが修理に携わってくれており、その素材が必要……それも理解できる。
一番気になっているのは、
「私たちは空で狩りをするのですか?」
リシアが口にした疑問。
「そうだ。我がドレイク家の船で空に向かうぞ」
それ自体はレンもリシアも、元を辿ればレムリアの修理に関係するから是非にと思う。
どのような魔物を狩りに行くのかも聞きたいところだ。
工房を出て、エステルが歩きながら言う。
「半分仕事のようなものだ。最近、レッサーグリフォンの群れが見つかってな。奴らはレオメルが指定する討伐対象の魔物だ。レン、その理由を答えてみよ」
「凶暴だからです。レッサーグリフォンは群れを成すとより一層好戦的になり、自分たちと同じCランク以上の魔物を餌にすることも珍しくありません」
「よろしい。奴らは純粋なグリフォンに似て獅子に似た体躯と鳥の頭を持つ魔物。大きさは馬車の荷台くらいもあろう。Bランクに該当する純血種には大いに劣るとも、膂力に富んでおり危険だ」
多くはレオメルが軍を派遣して討伐する。
時折、冒険者ギルド側で対処することもあるが、多くはなかった。
まだ討伐の命令が下されたわけではないが、エステルの耳にレッサーグリフォンの情報が入り、それを聞いたヴェルリッヒが素材を欲して狩りへ行くことになった。
目撃情報のある地域へ向かうのが、いまからの流れ。
「ちなみに、レッサーグリフォンの素材をどこに使うんですか?」
「純血のグリフォンの素材を加工するのに使う。レッサーグリフォンの素材から生み出す炎でないと、純血種の素材はうまく加工できねーんだ。魔法的な相性ってやつでな」
よくよく思えば、アスヴァルの素材を用いる船にレッサーグリフォン程度の素材は少し格が落ちる。
純血種はまた別格ということもあり、レンは道理でと頷いた。
つづけてエステルが、
「場所は魔導船で三時間の山間だ。我々が近づいたら奴らはすぐに襲い掛かってくるだろう。すでに人的被害も数件発生している。遠慮なく戦っていいぞ」
「私がいても大丈夫なのですか?」
「何が問題になる。言ってみろ、リシア」
「当然、私の実力です」
「それならば心配は不要だ。私はレンとリシアなら単身で処理可能だと思っているし、二人いれば心配は要らん。何より私がいる」
「姐御! いざとなったら俺もそれなりに戦えるぜ!」
「そういうことだ。ついでに言えばたかがCランク、欠伸をしながら片手で倒せるとも」
するとヴェルリッヒが笑いながら、
「最高の機会だから、遠慮なく狩ってくれよな!」
ドレイク家の魔導船は、エレンディルに停まっている。
◇ ◇ ◇ ◇
エステルが言った通り、帝都から魔導船で三時間の旅である。
目的地に到着した頃には空が茜色に染まり、地平線の彼方から夜が迫ろうとしていた。
バルドル山脈ほどではないが、切り立って鋭利な山肌だ。木々は一本も生えておらず、まるで巨大な岩のような山だった。そこに、レッサーグリフォンの住処ができあがっていた。山の頂上にできたクレーターの中にあった。
ドレイク家の魔導船は民生の移動用の魔導船と比べて一回り小さいが、その堅牢さは民生用と比較にならない。
魔導船が近づく音を聞いて、レッサーグリフォンが羽ばたいた。
群れに属する個体の数は二十には満たないだろうか。
「あの」
レンがミスリルの魔剣を構えながらエステルに聞く。
「レッサーグリフォンの群れって、急にできるものですか?」
「いや、そうでもない。レオメルでは年に二度もあれば多い方だ。今年は
「氷河渡り……レンは聞いたことある?」
「いえ、初耳です」
話をしている間にも、レッサーグリフォンが魔導船の甲板に立つ皆より高い場所から見下ろしていた。
数匹が翼を大きく広げ、風に乗り滑空した。
「説明するのはやぶさかじゃないが、油断していると怪我をするぞ」
ふっ、と不敵に笑うエステルの前で、レンとリシアが頷いた。
レッサーグリフォンは飛ぶだけが能ではなく、膂力も自慢。翼をはためかせ強風を引き起こせば、口から炎も吐く。
一匹が勢いよく滑空しながらレンに向かう。
炎を吐き、真正面に迎えようとする彼を狙うも、
「――――私には興味がないのかしら?」
リシアの静かな声が、異様なほど強くレッサーグリフォンの脳に響いた。
『グルゥ――――ッ』
そのレッサーグリフォンはうまく飛べなくなっていた。
いつの間にか風切羽が
爪先がない。リシアが手にした白焉が、それすらも断ち切っていた。
「やるじゃないか」
離れたところで、エステルが口笛を交え称賛する。
呆気にとられたレッサーグリフォンはすぐ、レンにより喉笛を貫かれる。
「余裕ですね、リシア」
「ありがと。このくらいの魔物戦うのははじめてだけど、どうにかなるものね」
「はは……あんな戦いをしたあとだと、特にですね」
暗に剣魔のことを示唆し、笑いあうも慢心はしない。
夏の経験が二人をまた数段成長させたのか、もはやレッサーグリフォンたちは伏すのみ。
しかし、このような戦場から得られる経験値もかけがえのないもの。
『クルゥ……』
『ガァッ! ガァッ!』
舐めていた。
相手はたかが小さな人間であると、レッサーグリフォンはそう思っていた。
レッサーグリフォンは一斉に闘気を高め、さらに鋭い視線と動きでレンとリシアを狙いすましていた。
滑空は一段と早く、勢いよく動かす翼が放つ風も勢いを増していた。大口を開けて放たれる炎もますます力強い。
だが、あの炎は魔法の一種。
「あれは俺が」
「ええ、
剛剣使いの中でも、剣豪以上の者が扱える
驚く魔物が足を振り上げ襲い掛かるも、リシアはそれらを最小限の動きで躱す。
鉄の魔剣から進化したミスリルの魔剣が、夕方の陽光を反射する。
瑠璃に似た蒼は鉄の魔剣の黒い名残りを落としている。レッサーグリフォンの鮮血は剣身に弾かれ、血振るいの必要がなかった。
身体能力UP(大)の効果も重なり、レンはリシア以上に余裕がみえる。
それどころかいまのレンは、まったく実力を見せることなく、それに及ばず楽々戦っている。せっかくのミスリルの魔剣の力を披露しようにも、レッサーグリフォンではあまりにも脆弱すぎた。
ミスリルの魔剣の晴れ舞台とは言えない、ちょっとした訓練の場に成り下がる。
だがレンは、いつかその舞台が訪れるかもしれないと思い、気を抜かず剣を振った。
「レン! リシア!」
エステルが戦う二人を見守りながら、
「氷河渡りのことを教えてやろう! このエルフェン大陸の北方、そしてマーテル大陸の北方で十数年に一度だけ起こる現象のことなのだが――――」
特に厳しい冬がくると、通常の氷河と違う氷河が海を漂う。遥か天空を泳ぐ天空大陸が、その海域の空にやってくることで生じる。
夕刻の戦いは、まだはじまったばかり。
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