一章のエピローグ【前】:大団円のその前に。
レンが目を覚ましたとき、最初に感じたのは眩しさだった。
次に柔らかいベッドの感触に気が付き、全身に奔る、僅かな痛みに気が付く。
「ッ……ァ……」
呻くと、すぐ傍から声が発せられた。
「まだ寝ていなさい。傷が癒えてないだろう?」
声がした方向に目を向けると、窓辺に立つ男性の姿があった。
レンはその男性と会ったことがないのに、彼の品のある佇まいから誰なのかわかった。
「男爵様、ですか?」
クラウゼル男爵は微笑みで応え、ベッドの傍にある椅子に座った。
「レザード・クラウゼルだ。君さえよければ、私のことはレザードと読んでくれて構わない。――――さて、君には何度礼を言ったらいいかわからないな」
「とんでもありません。でも……ここは……」
「私の屋敷だ。君は一か月の間、そのベッドで眠っていたのだぞ」
「い、一か月ですか!?」
「そうとも。あの日、君がリシアと共にこの町にやってきてから、一か月が過ぎたのだ」
起きて早々、聞きたいことは山ほどあった。
中でもリシアのことが脳裏に浮かんで離れない。
それを知ってか、レザードは笑って言う。
「娘は無事だ。君のおかげでね」
「……良かったです」
「見たまえ。君の足元で眠っているだろ?」
身体が痛まない程度に顔を向けると、ベッドの足元にリシアの姿があった。
彼女は丸椅子に座り、ベッドに上半身を預けて寝入っている。
窓から差し込む暖かな陽光を浴びた姿は、逃避行をしていたときと違い血色がよく、髪も絹を思わせる艶を取り戻していた。
「毎日だ。リシアは毎日、君の看病をしていてね」
「……申し訳ありません」
「いいや、謝る必要はない。リシアがしたくしていることだし、私としても君への恩義に報いるべきだと思っている」
それから、レンは多くのことを聞いた。
レンの家族がもうすぐこのクラウゼルに来ることや、村の住民もけが人は多いが死者はいなかったということ。レンの村は復興中で、全面的にクラウゼル家が協力していること。
――――そして。
「すべて君のおかげということだ。私が
「えっと……どういうことですか?」
「君も聞いていると思うが、シーフウルフェンの素材は貴重な薬の材料だ」
(あれ、でも)
イェルククゥに連れ去られてから間もなく、レンはそれが正史での話かどうか確信は持てなかったけど、まるで別の時間軸の話を夢で見た。
思えば、そこでもシーフウルフェンは討伐されている。
それとどうして事情が違うのか、疑問の思って間もなく、
「薬の材料になる部位はいくつかの内臓なのだが、そのどれかが欠けてもいけないのだ。それ故、シーフウルフェンの素材から作られる薬は貴重なのだが……君が討伐したシーフウルフェンの内臓は、傷一つない完ぺきな状態だったからな」
レザードはレンを讃えるべく、その過程でレンの疑問に答えを告げた。
あの夢の中では、騎士たちが重傷を負いながらシーフウルフェンを討伐した。
ロイという犠牲の上で、それでも大きな負担を強いられての戦いだった。それとは違い、レンはシーフウルフェンの頭を内部から貫き討伐した。
だからこそ、薬として用いることが可能だった。
こういうことなのかもしれない。
「ところで、どうしてその薬のおかげなんですか?」
「先日協力してくれた者の主は、家族のためにその薬が欲しかったのだ。だから私はそのお方に素材を売った。その代償と言ってはなんだが、売却金と以外にも、いざとなったら
「……ということは、すごい大貴族なんですね」
「そうだな。
(そんな大貴族に協力してもらってたのか)
「っとと、その侯爵から君に預かっているものがある。……正しくは、侯爵付きの執事からだが」
レザードは話しながら懐に手を入れ、トランプ程度の大きさの黒い紙を取り出す。
彼はそれを、ベッド横にある小さな机の上に置いた。
その黒い紙の表面に施された紋章を見て、レンは密かに考える。
(……なーんか見覚えある紋章なんだけど)
だが思い出せない。
妙に派手な紋章に小首を傾げた。
「確かエドガーと言ったか。その彼曰く、屋敷への招待状代わりだそうだ」
「俺――――私にですか?」
「ああ。なんでも侯爵は君に会いたいらしい。……その侯爵は皇族派の貴族だからあまり勧めたくないが、相手が侯爵となれば、断ることは無理に等しくてな」
「田舎騎士の倅がお会いするような方ではないと思いますが……」
「だが、無下にはできまい。君が討伐したシーフウルフェンから作った薬で、
是が非でも会いたい。礼を言いたい。
そう言う事情だったのかとレンは頷いた。
そして、話に出た侯爵が先日の審判に対し、
(回りくどいのは、派閥が違うからかな)
建前とやらが必要だったのだろう。
皇族派として英雄派に手を出すことが可能となる、決定的な理由が。
いくら侯爵の家族が助かったと言っても、皇族派とも違う貴族派が顔を出したとあらば、表立って力を貸すのが難しかったことは想像に難くない。
クラウゼル男爵が中立派なこともあり、互いに動きづらいこともあっただろう。
そのため、皇族派として動きやすい情報が欲しかった。
(俺がリシア様と得た、諸々の情報がそれだったってことか)
その代わりに、動けるようになったら全力で力を貸す。
レザードが取り付けた、条件付きで力を貸すということはそのためだ。
「ああ、それと言葉遣いはあまり気にしないでいい。私と娘の恩人に対し、その程度のことで眉をしかめたりはしないさ。君が話しやすいようにしてくれ」
レンが俺という一人称を言い直したことに対し、レザードはあまりかしこまらなくていいと言った。
その彼がつづけて言う。
「最後にギヴェン子爵だが……奴は死んだ」
レンは目を見開いて驚いた。
「あの後、当日中に再審の場が用意され、私は君とリシアのおかげで無罪となった。代わりにギヴェン子爵にいくつかの容疑がかけられ、奴の領で最初の審判が開かれることになったのだが……。奴はその夜、隠していた毒を用いて自害した」
「……本当に自殺でしょうか」
「奴の寄り親などから圧があったのだろう。あるいはすべてを諦め、捕まるくらいなら、と思ったのかもしれん」
まるでトカゲのしっぽ切りだ。
ここでも貴族の黒い一面を見た気がして、気分が悪くなる。
「更に言えば、奴の屋敷は何者かの手により火を付けられた。そこから得られたはずの多くの資料も、その影響で灰となってしまった。……特に此度の件の動機などを調べたかったのだが、残された情報は奴の騎士の証言のみだ」
レンはここで、ギヴェン子爵がどうしてアシュトン家まで狙ったのかということを聞いた。
ギヴェン子爵の騎士曰く、アシュトン家はギヴェン子爵にとって重要な存在であったとのことだが、これだけでは何も分からない。
いろいろなことを予想してみたけど、やはりはっきりしない。
目を覚まして間もないことも影響して、レンは思うように考えられなかった。
「だが、手を貸してくれた侯爵のおかげで、しばらくはクラウゼルに手を出す者はいないだろう。皇族派はもちろん、英雄派はその侯爵様が圧をかけてくださっているからな」
それでもこれ以降、私も精力的に動かなければ。
レザードはこう言い添え、レンの傍を離れる。
「さて、起きてすぐに長話もなんだ。私はそろそろ行くが、お腹が空いていたら食事を運ばせよう。どうかな?」
「す、すみません……お言葉に甘えてもよろしいでしょうか……」
「そうかしこまらないでくれ。私としては、この屋敷を君の家と思って寛いでほしいのだ。せめて傷が癒えるまで、私の屋敷で世話をさせてくれよ」
言われてみれば、村に帰る予定がまったく立っていない。
この様子では傷が消えるまでまだ掛かるし、世話になることは決定事項だ。
レンはレザードが去ってから、ふぅ、と息を吐いて呟きを漏らす。
「……こんな形でクラウゼル家の屋敷に来るなんてな」
つい最近まで苦しい逃避行をして、その前までボロい我が家に居た。
この屋敷はそれまでと違って豪奢で、隙間風なんてあり得ない立派な屋敷だ。
逆に、この環境に慣れてしまうのが些か怖い感覚もある。
「いいや。後で考えよ」
世話になるしかないのだから、開き直るほかない。
そう思い、レンは痛みを感じながら身体を起こした。
寝ていてもつまらないから、無理にならない範囲で部屋を見る。
足元で眠るリシアの穏やかな寝顔を見て、心が安らいだ。
次にベッド横の小さな机に手を伸ばし、例の黒い紙を手に取った。
「んー……」
やはり見覚えがある紋章だ。
「七英雄の伝説のどっかで……多分Ⅰだと思うんだけど……」
などと呟いていると、リシアがゆっくり目を開く。
「……レン?」
何度もまばたきを繰り返した彼女は身体を起こし、ベッドに上がる。そのまま四つん這いになってレンの傍までやってきて、睫毛を数えられそうなほど顔を近づけた。
すると、しばしの沈黙。
戸惑いはじめたレンが何か言おうとすると、リシアの瞳から大粒の涙が溢れ出た。
「……私、逃げろって言ったわ」
イェルククゥとの戦いの最後、彼女は残る力を振り絞ってレンに言った。
「すみません。リシア様を置いて逃げる気にはなれませんでした」
「……バカなの? 私はあんなに迷惑をかけたのに、命を懸けるなんてどうかしてるわ」
「どうもしてませんよ。俺はいつも本気です」
「……その本気がバカって言ってるのよ。バカ」
命の恩人に言うべき言葉ではないが、止められなかった。
やがて彼女はレンの身体に残った痛みを鑑みて、そっと静かに彼の胸に顔を寄せた。
やあて、彼女は小刻みに肩を震わせる。
「ごめんなさい。全部全部……私が悪いの」
「運が悪かっただけですよ。それに、お互いに助かったんだから、もういいじゃないですか」
こういうときは背中に手をまわしてあげるべきだろうか。
レンは胸元で泣きつづけるリシアを見て苦笑するも、結局は彼女の背に手をまわし、優しくさすった。
すると、彼女は更に体重を預け、レンが目を覚ましたことを全身で再確認する。
――――何分くらいそうしていただろう。
泣きはらしたリシアは顔を上げ、レンの隣でぺたっと座る。
大人びた彼女にしては珍しい、年相応の可愛らしい姿だった。
「リシア様はもう大丈夫なんですか?」
「……うん」
「安心しました。あの戦いで憔悴しきっていたので、本当に心配し……て……」
そうだ、あの戦いだ。
(最後の力はなんだったんだ?)
いま、腕輪はない。
シーフウルフェンから得た報酬で偽造していたが、どうやらレンの身体が限界だったからか、勝手に消えていた。
腕輪がないことを確認していたレンを見て、リシアは無くしたものだと勘違いしてしまう。
「う、腕輪は私があげるから!」
「いえいえ、別にないならないで……」
「私があげるの! いい!?」
あの腕輪はあくまでも偽物だから、貰っても使わないからもったいない。
いずれ、新たな腕輪を手に入れたとでも言って偽造するとして、いまはリシアを納得させなければ。
「そ、それなら短剣がいいです! 前みたく、火を起こせるとちょうどいいので……っ!」
あの短剣は先日の戦いでリシアに貸したけど、どうやら無くしてしまっているようだ。
火を起こす重要さはあの逃避行で学んでいたから、本心で欲しいと思っていた。
「わかったわ! レンに似合う短剣を探しておくからっ!」
上機嫌に言ったリシアの傍で、レンはあの不思議な魔剣が気になって仕方なかった。
(確か、リシア様の胸の近く……)
そこに偶然落ちたレンの手元で、腕輪が光った。
あれはまるで、魔石を吸ったときのような反応だった。
「……な、なーに? 急に私のことをじっと見て」
不躾な目を向けていたことに気が付き、レンはばつの悪そうな顔を浮かべる。
「すみません。何でもないんです」
「そう? それにしては情熱的な視線だったけど……私がどうかした?」
どうせ与太話だ。
言い訳するわけではないが、話がそれるだろうと思ったレンは、あり得ないと思いながらも笑った。
「大したことじゃないんですけど、リシア様って身体の中に魔石があるのかなーって」
笑い飛ばされるのが落ち。あるいはリシアに呆れられる。
レンとしては話題が変わるならどちらでもよかったのだが……。
「っ……ふ、ふぇ!?」
想定外の反応をされてしまったのである。
「な、なななな、
リシアは両腕で上半身を抱き、
顔だって真っ赤に染まり、レンを見る目が羞恥に染まり若干の警戒心がある。
「……あれぇ?」
「あれぇ、じゃないのっ! どうして私の身体に魔石があることを知ってるのよっ! お、お父様から聞いたの!?」
「いえ、俺もこの状況がよくわかってません」
「そ、そうよね……聖女の身体のことなんて、お父様も教えたりしないはずだもの!」
「ということは、本当にあるんですか?」
「もうっ! だからあるって言ってるのっ!」
それもきっと、胸と胸の間。
彼女が隠した上半身のその中心にあるはずだ。
「教えて! 誰から聞いたの!?」
と聞かれても、本当に適当を言っただけなのだ。
「……すみません。なんとなく、冗談のつもりで言っただけなんです」
すると、リシアはすぐに理解を示す。
「そうだったのね……はぁ、驚いて損しちゃった」
「どうやら重要な秘密みたいですが、そんなあっさりしていいんですか?」
「いいわよ。レンが嘘を吐くとは思わないもの」
全幅の信頼を置いているような発言だ。
でも実際、先日までの逃避行でリシアはレンを信じ切っている。
命を預けていたのだから、当然と言えば当然だった。
「知りませんでした。聖女って身体に魔石を宿してるんですね」
「ううん。聖女として生まれた者の中でも、力のある聖女だけが体内に魔石を宿してるの。でも、内緒だからね? 知ってるのは聖女の家族か、神殿の高位神官だけなんだから」
秘密にしている理由は単純で、聖女を保護するためなのだとか。
本来魔石は、魔物しかもっていない物質である。
それを聖女も体内に宿しているとなれば、聖女を悪しき存在と思う者が現れてもおかしくないだろうから、だそう。
(ということは、あの名前が分からない魔剣は……)
リシアの魔石から力を得て顕現した。
こう思うのが筋だろう。
でも、体内に宿しているはずの魔石からなぜ力を? それに、どうして魔剣の名前は「?」だったんだ? あんなに強かったのも不思議だ。
いろいろと謎が浮かんでくるが、まずはこの事実だけ。
「約束します。絶対に口外しません」
強くはっきり約束したレンを見て、リシアは満足げに頷いた。
すると彼女は、ベッドから立ち上がる。
「倉庫を見てくるわ。いい短剣がないか探してくる!」
間もなく背を向けて歩き出した彼女へと、
「リシア様! ついでに一つ教えてください!」
「うん? なーに?」
「この紙に書かれた紋章についてです! 家名を思い出せなくて……ッ!」
レンの疑問にリシアは困ったように笑った。
相手は上位貴族。
それも、皇族派であることはレンも知っている。
派閥争いに巻き込まれたリシアとしては、助力を得たと言っても思うところはあるらしい。
「……それはね、」
彼女はため息交じりに答える。
「皇族派が誇る大貴族、
言い終えたリシアは、「また来るわね」と言ってこの部屋を後にする。
一方で、レンは唖然としていた。
イグナート、この言葉を何度も反芻する。
「そうだ……イグナートだ……ッ!」
覚えがあるどころじゃない。
何故なら、イグナート侯爵というのは七英雄の伝説Ⅰにおける最後の敵。ラスボスだ。
「う、うぉおおお……どうしてこうなった……」
痛みに喘いでる場合じゃない。頭を抱えずにはいられなかった。
――――イグナート侯爵。
彼は帝国が誇る海運を一挙に担う剛腕で、その智謀を諸国に名を轟かす存在。
一時は軍務関連にも籍を置いたことのある、文武両道の大人物だ。
そんな彼はとある事をきっかけに皇帝に反旗を翻し、魔王復活を企む者たちに与した。
そして何年もの年月をかけて、レオメル帝国ごと崩壊させようとした男。
先日目の当たりにした、バルドル山脈で戦う相手の一人である。
(確か邪魔する貴族は派閥を問わず暗殺して、次期皇帝の呼び声高かった天才こと、
思い出せば思い出すほど、かかわりたくない貴族である。
だが、レンには若干落ち着ける要素があった。
それは、イグナート侯爵が皇帝に反旗を翻したきっかけにある。
イグナート侯爵は死ぬ前、その理由を明らかにするのだが……。
「……娘を助けてくれなかったから、か」
病に伏した侯爵令嬢には薬が必要だった。
それにはいくつもの貴重な素材が必要で、中でも、シーフウルフェンの素材が欠けていた。
イグナート侯爵はどれほど探してもそれを見つけられなかったが、皇族は万が一のために持っていたのだとか。
だが皇帝は、供出することを拒否した。
素材は皇族に万が一が会ったときのための備蓄だから、皇帝の判断は間違えてなかったはず。
しかし侯爵令嬢は命を落とし、イグナート侯爵は皇帝を恨んだ。
すべてはこれがきっかけで、イグナート侯爵は魔王復活を企む者たちに魂を売った。
「確か二周目プレイでギルドに行っても、クエストがなかったんだよな」
もしかしたら侯爵令嬢を救えるかも、と思ったプレイヤーは数多くいた。
しかし、侯爵令嬢は主人公たちが幼い頃に亡くなっており、助けるためのイベントは用意されていなかったのである。
……その令嬢が、生きている。
命の恩人は、レンだった。
「俺が恩人だとしてもなぁー……関わりたくなさすぎて困る……」
まさかの貴族に気に入られたものだ。
レンは何とも言えない気分に陥り、ベッドに倒れ込む。
思い出したように腕輪を召喚して眺めてみたが、「?」としか書かれていない魔剣はすでに消えていた。
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