空と海の戦い[2]

 訓練場の外にはレオナール英爵の姿があった。



「カイト!」



 レオナール英爵がやってくると、皆が足を止めた。

 彼はとても背が高く、筋肉質ながら一見すれば細身の凛々しい男性だ。一目見るだけでわかるほど、迫力や覇気に満ちている。



「父上! 何か問題が!?」


「この魔導船の上空から魔物が現れた。シンリンクライの群れだ」


「だ……大丈夫なんですか!?」


「ああ。魔導兵器により多くが討伐済みだが、間違いなく何匹かは逃れてこの船にやってくる。それらを私が対処する」



 レオナール英爵もまた、一握りの実力者だ。

 彼はレオナール家の盾術に加え、聖剣技と帝国剣術も剣聖級。



「父上、俺も戦うぜ」



 危ないなどと言っていられない。

 レオナール英爵もそれをわかっていたから頷く。

 すると、ヴェインがカイトの肩を叩いた。



「俺も、じゃないですよ。俺たちも、です」



 ヴェインにセーラ、ネムとシャーロットの四人が頷いた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 レンたちが早速出向いた港は、多くの人で賑わっていた。

 屋台で焼かれる海産と、焦げたソースの香りが皆の食欲を煽っていた。



「姉御姉御! 次はあっちに行こうぜ!」


「うむ! 構わんぞ!」



 先を進む大人たちは、レンとフィオナ以上に興奮していた。

 少し遅れて歩く二人がくすっと笑い、



「フィオナ様に食べ歩きなんてさせちゃって、後でユリシス様に怒られそうです」


「ふふっ、そんなことありませんよ。それに私……昔から、こうしてみたいと思っていたので……」


「えっと、食べ歩きをですか?」


「――――惜しいです。九十点ですね」


「どうして十点足りないんですか?」


「……秘密です!」



 唇にしー! とわざとらしく言いながら指先を押し当てる。

 こんな冬休みもいい。レンも手に持った串焼きを口元に運んで、先を進む大人たちを追った。



 いくつかの屋台を巡ったら、腹がかなり満たされた。



「酒を飲めなかったこと以外は十分だ」



 エステルの嘆き。

 残念なことに、水路の調子が悪くて運搬に支障が生じていたそう。

 海産物はどうにかなるが、酒をはじめとしたいくつかの品が届いていなかったのだ。



 港を外れ、エウペハイム自慢の水路が並ぶ道に出る。

 人混みが減ったところ、橋の水路に身体を預けての小休止中に、



「…………」



 エステルの目が水路に止まり、静かになった。

 すぐに彼女は目を細め、海中の奥深くに注意を凝らす。

 港からほど近く、街の中へ向かうひときわ大きな水の道に面した橋だ。

 彼女はヴェルリッヒに「姉御?」と話しかけられても返事をせず、じっとしていた。



「フィオナ・イグナート」



 唐突に。



「フィオナで大丈夫ですよ。それで……長官殿はどうかなさいましたか?」


「ならば私もエステルでいい。一つ聞かせてくれ」



 レンとヴェルリッヒにはわかった。

 普段のエステルが皆に聞かせることのない、硬くなった声なのだと。



「水路の異変は秋口からだったな」


「は、はい……! お父様が海をはじめ様々な水源を確認していたのですが、原因がわからず、街中のみ魔道具で水の流れを整えている状況です!」


「なるほど。ではすでに多くの調査をしているということか」



 ユリシスが調査しているのだ。穴などあるはずもない。

 だが、



「……くくっ、あの剛腕でも探り切れなかったわけだ」



 エステルが勝気に笑い、声を上げる。

 橋を巡回していた、エウペハイムの騎士を呼びつけた。



「そこの者! 我はエステル・オスロエス・ドレイクである!」



 急な呼び声に関わらず、騎士は疑うことをしなかった。

 エステルの傍にいるフィオナを見て、騙りではないと確信。



「はっ!」



 すぐに駆け寄り、エステルの前で膝を折る騎士。



「どうかなさいましたか?」


「これより帝都を含め、各所へ私の名とともに通達せよ」



 騎士をエステルが命令する場所へ動員。

 帝都から急ぎ増援を仰ぐよう、またエステルの指示に従い、エウペハイムの警備をせよとのお達し。

 急な事態に驚く騎士に、理由を聞く余裕はなかった。

 エステルの覇気に気圧されたこともあって、



「はっ!」



 騎士が立ち去る。

 住民たちは何事かとにわかに騒ぎだすも、エステルは気にせず海中に視線を戻す。

 レンが硬い声音で話しかける。



「何かあったんですね」


「どちらかというと、いまからだがな」



 エステルはレンに答えながら背負っていた剣――――黒威を抜いた。



 すると、間もなく。

 眼前にあるエウペハイムでもっとも大きな水路の海面が、膨らんだ風船のように隆起。唐突に数メイル程度の波が生じ、橋へ近づいていた。

 波に黒威の剣圧を見舞おうとしていたエステルだが、



「――――凍りなさい」



 フィオナの落ち着いた声のもと、波は一瞬で凍り付いたのだ。

 昔、バルドル山脈でレンを守った氷の影は残されていない。エステルですら驚嘆するほどの強力な氷魔法が、押し寄せる水を容易に防いだ。



「見事だ。賞賛に値する」



 エステルはそう言って、凍った波を黒威の一振りで砕く。

 砕けた氷は剣圧により海中へ吹き飛ばされた。



「町を守る魔道具の力を超えてきたわけではないか。どうやら水中の魔力が何らかの影響を受けて波を作り出しただけのように見える。波の大きさから明らかだ」



 ユリシスの行いに間違いはない。

 獅子聖庁長官は、そう言い切ったのだった。



「イグナート侯爵らと合流せねばな」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 空を飛ぶ魔物の群れが、これまで以上に猛威を振るっていた。

 レオナール家の魔導船はいくつもの魔道兵器が搭載されているから、それでも対処しきれていたのだが、予想通り、何匹か甲板に近づく。



「我が家の船を狙うとは、愚かしい」



 レオナール英爵が甲板に立ち、どしんと大盾を構えた。

 彼が構えた盾から魔力で生み出された壁が広がり、ここにいる英爵家の子供たちも、そして魔導船に迫る敵の攻撃もあますことなく防ぎきる。



 まるで、翡翠を薄く伸ばしたような光る壁だ。

 半透明だから、迫りくる魔物たちが驚く様子も容易に見て取れる。



「さすがレオナール英爵ね!」



 シャーロットが矢を放った。

 ヴェインとの模擬戦で使った以上の魔力により生み出された、強力な矢だ。

 レオナール英爵が生み出した盾は味方の攻撃のみ通し、空を飛ぶ魔物たちにだけ強力な攻撃が何度も届く。



 ギィ! ギャア! と耳を刺す鳴き声を聞きながら、



「私たちも行くわよ!」



 別方向から迫る魔物に対し、セーラの号令により皆が武器を振るう。

 特にヴェインの攻撃がすさまじく、手にした剣で迫る魔物の身体を容易に切り裂く。群れを成すシンリンクライという異常に対し、少年少女は十分に戦えた。

 父に負けじと、手にした大盾で皆を守りながら力をふるうカイトが雄々しく、



「いきなり襲ってきやがって! アイリアをどうにかしようとしてんのか!?」



 魔物に聞いても答えが返ってくるはずもない。

 戦う相手はシンリンクライ。Cランクの中では下位相当でも、強敵だ。それが何匹もやってくる戦いが容易なはずもない。



 けれど、彼らは強かった。

 汗を流して、苦労しながらも懸命に――――学生のそれとかけ離れた実力によって。

 すでに何匹ものシンリンクライが海中に落ちている。

 そこでヴェインが、



(……なんだ、いまの)



 彼だけが気が付いた。

 海の底から、何かに睨みつけられたような圧に一瞬、身が震えた。

 念のために海を見る。天気が悪いことも影響して、あまりよく見えなかった。先ほどの気配も消えてしまっている。



「ヴェイン! 来るわ!」


「あ、ああ……!」



 セーラに呼びかけられ、意識を戻す。

 新たなシンリンクライを甲板で倒すと、また一匹、海中に落ちていった。



「やるじゃない、ヴェイン君!」


「シャーロット先輩こそ!」



 協力して戦うこと、さらに数分。

 シンリンクライはとうとう最後の一匹が落ちていき……



「他愛もない」



 息をついたレオナール英爵がつづけて、



「皆、さすがだ! これなら魔王教が襲って来ようと何も恐れることはないな!」 



 英爵の声をもって戦闘は終了。

 岬を改造して設けられた港から、軍艦が近づいてきている。

 魔導船乗り場に到着するまで、まだ時間はかかるが、ここまでくれば安全な着陸まであと少しだった。

 この魔導船も引きつづき、徐々に徐々に高度を落としていく。



(……まただ)



 全員が息を付こうとしていた中、ヴェインだけが違った。

 彼はまた海を見下ろし、眉を顰める。

 隣にやってきたシャーロットが「ヴェイン君?」と話しかけた。



「どうしたの?」


「……」


「ヴェイン君?」



 ヴェインは海から視線を反らさず、意識を常に海の中へ向けていた。

 少しずつ魔導船乗り場が近づいているというのに、彼はより警戒して、より全身に力を込めていたように見えた。



「まだ、終わってないんだ!」



 勇者ルインの血を引く少年が、はっきりと。

 彼が手にした剣は、リオハルド英爵により授けられたもの。セーラの体格ではうまく扱えず、ヴェインが手にすることになった名剣である。



 ヴェインはほぼ無意識に駆け出した。心の奥底から呼び起こされた勇気と、いまの彼にとっては正体不明の使命感によって。



 七英雄の子たちはヴェインを追う。

 甲板の先端、どこよりも海を見渡せる場所に立って、



「いる……何かが来る!」



 ヴェインだけがそれに気が付いたことに誰もが驚いたが、信じてもいた。

 彼の言葉が証明づけられる。



 あたりの海が大きく揺らいで、不規則な波が生じていた。

 まるで海中で巨大な風船が膨らんだかのよう。いたるところで海面が揺らぎ、巨大な水柱が魔導船の行く手を遮った。



「ッ……まだ残っていたか!」



 水柱は直径、数十メイルもありそう。

 それほど巨大な水の柱が、高度をかなり下げた魔導船より高い場所に届いていた。



 次にレオナール英爵たちも、海の中にいる、水柱を作り出した敵の姿を視認する。



 ――――巨神の使いワダツミ

 その巨躯は全長三十メイルもあろうか。

 蛇のような体格で、全身を覆う青白い鱗は宝石のように美しい。身体のいたるところにある青々としたヒレが首元や腰を飾っている。



 まるで、羽衣で着飾った女性のように美しい魔物だ。



『ォォォオオオオオオオ――――』 



 水柱が周辺の海から何本も生じた。

 それらから放たれる、小さい小さい水の粒。

 すべてが巨神の使いワダツミの魔力を秘めた攻撃で、どれもこれも、強力な銃弾のような殺傷力を秘めていた。



 水の粒が、風のように魔導船へと迫る。

 迫る。迫る――――魔導船を墜落させんとして。

 しかし、墜ちなかった。



「レオナールを嘗めたか! 魔大陸の魔物よ!」



 レオナール英爵が先ほどよりも強大な力により、この船ごと守護する障壁を張った。

 魔力の壁が、迫りくる水の魔法をすべて弾いていた。一粒一粒が魔力の壁に衝突するたび、耳を劈く破裂音が響いていた。



 シチュエーションはまったく違っていた。

 レンが見たことのある七英雄の伝説の世界では、ここで現れることはなかった。

 しかし、戦いがはじまってからは、



『魔大陸の魔物がどうした! そうだろ、ヴェイン!』


『はい! 絶対に倒さないと!』


『ちょっと二人とも! 無茶したら……あーもう! シャロ! ネムと援護して! あたしたちが前を張るから!』


『わかってるわよ。心配しないで行ってきなさい!』



 重なる。

 ここでの掛け合いと、七英雄の伝説の掛け合いが。

 違いといえば戦場と、レオナール英爵がいることくらい。

 緊迫感も、敵の強さも変わらなかった。



 海中を泳ぎながら攻撃をつづける巨神の使いワダツミ

 このまま海中から攻撃していては、英爵家の船を落とすことなどできやしない。

 それを悟ってか、敵はさらに強大な魔法を行使する。



 レオナール家の魔導船の周囲ごと包み込む、球状にできた水の結界だ。

 空を飛ぶ魔導船がそのまま前進すれば、水魔法により作り上げられた空間に衝突する。

 


 水の球の中を魔導船が飛べるだけの余裕はあるが……この水の結界はとても分厚い。どれほどの分厚さかと言うと、魔導船を囲む水の中を巨神の使いワダツミが容易に泳げるほど。

 水柱を伸ばした巨神の使いワダツミが、そこを泳いで水の結界に身を投じた。



「おいおいおい……! なんてことしてくるんだよ、あの魔物!」



 カイトが焦った声を上げる。

 すると、レオナール英爵が冷静に、

 


「奴が作り出した水の守りをどうにかしなくては、撃退することも難しいか」


「父上、それって」


「力技でいくか、あるいは……」



 彼らが互いを見て、



「アイリアの、聖なる力」


「そうだ。あれならば――――」



 アイリアには強力な破魔の力が宿っている。

 巨神の使いワダツミの攻撃をすべて防ぐだけでなく、敵が作り出した水の守りすら破壊することができるかも。



 だが、敵はアイリアを狙っていることも想像がつく。

 それなのにアイリアを手に出撃することは、愚かかもしれない。

 若干の迷いが生じたところで、



『――――』



 水の結界の内側から伸びた水の塊が、うねりながら伸びてくる。

 それらが魔導船に叩きつけられようとしていた際、球状に作られた水の結界の中を泳ぐ巨神の使いワダツミが、身体を弓なりにそらす。

 二本の角の先端が眩く光ると、



「カイト! 迷ってる暇はない!」



 レオナール英爵が大きな声で呼びかけて、カイトを走らせる。

 すると、レオナール英爵が再び大盾を構え、すぅ――――っと息を吸った。

 これまで以上に巨大で分厚い魔力の壁が、甲板の先端付近で生じる。

 巨神の使いワダツミが咆哮を上げながら口を開き、



『ォォオオオオオオオ!』



 強力なブレスを放った。

 水魔法のブレスはただの水によるものではなく、たとえるなら、青々とした海のような色の炎が放たれるようなものだった。

 それが、水の中から放たれて、水の表面を超えて魔導船へ迫っている。



 特筆すべきは破壊力。

 まるで散弾銃のように広がりながら爆風をもたらし、鋭利な刃で切り裂くような風ももたらす。



 だが、レオナール英爵が生み出した魔力の壁がそれらを防ぎ切る。

 レオナール英爵はかなりの消耗により汗をかいていたが、隙を狙って放たれた強力な魔道兵器の破壊力により、水の結界が少しだけ揺らいだ。



 カイトが戻ったのは、その数秒後。

 彼が手にしたアイリアがどうしてか、うっすらと光を放っていた。



「父上!」


「来い! カイト!」



 カイトは甲板の前方に立つ父の傍に駆け寄り、手にしたアイリアを構えた。

 水の中を泳ぎ、様子をうかがう巨神の使いワダツミの様子が一変。両目が不気味に深紅の光を放ち、再びブレスの構えに。

 次にブレスが放たれたとき、



「これは魔王の攻撃すら防いだ盾だ――――!」



 どしんとアイリアの下部を甲板に立てると、白銀に煌めくオーラがあたりに広がっていく。

 魔王をも手こずらせた最強の盾が、数百年ぶりにその威を示す。



『――――ッ!?』



 ブレスが白銀の障壁に触れると、すぐさま雲散。

 雲散した際に生じた光が空を漂い、風に乗り、水の結界に守られた巨神の使いワダツミにも届いた。



 電撃が駆け巡るような音が響き渡って、水の結界を不規則に揺らした。

 再びのブレスが放たれようとした瞬間、



「もう一度言うぞ」



 アイリアを手にしたカイトは、多大な魔力の消耗を感じていたものの、ここでも勝気に誇りを抱いて、



「これは、魔王から勇者ルインを守った盾だ!」



 再び障壁を展開。

 今度は障壁を押し付けるように前へ前へ押し出し、ブレスを弾くどころか、水の中にいる巨神の使いワダツミへ直接届けるように……

 カイトが生み出した障壁はブレスを防いですぐ、光の風と化して水の結界を襲った。



『ゴォ――――オォ――――』



 水が弾けると、宙に残された巨神の使いワダツミが重力に従い海中へ落ちる。

 奴の深紅に輝いていた瞳は、その色を薄くしていた。

 水の結界はここで、ようやくただの海水に戻る。



「皆、何かにつかまるんだ!」



 レオナール英爵の指示に従い、誰もが落ちてくる海水に備えた。

 とんでもない量の海水だったが、皆が魔法や戦技を用いて海水を弾き、そして魔導船から落ちないよう近くの手すりなどに掴まる。

 水浸しになった皆が、ようやく落ち着きを取り戻した。



「やった………ぞ!」


「カ、カイト先輩!」



 消耗しすぎて倒れかけたカイトをヴェインが支える。

 彼らは達成感に満ちた笑みを交わし、この偉業を称えあおうとした。



 しかし、まだ。

 敵はまだ、最後の一撃を放とうとしていた。

 本来ならここで戦闘は終わり、どこかへ巨神の使いワダツミが逃げてしまうだけだったはずなのに。戦場が違うからか、はたまた別の要因からか、海中に落ちつつあった巨神の使いワダツミが、



『ォ――――ォオオオオオオオオオオオオオオッ!』



 このとき、誰よりも早く動いたのはヴェインだった。

 彼は脳裏にレンのことを思い浮かべて、レンのように強くなりたい……そう強く願いながら体を動かした。



「……俺だって」



 ただ、守られているだけの存在ではいたくない。



『けど、俺は誰が相手でも負けるつもりはないよ。守りたい存在ができた頃から、ずっとね』



 獅子王大祭、武闘大会の初戦がはじまる前だった。

 ヴェインは彼を勇気づけてくれたレンの強さを頭に浮かべ、この何かを得られそうな感覚を――――



「俺だって、いままでと同じじゃいられない……ッ!」



 落下しつつある巨神の使いワダツミが、とうとうブレスを放った。

 甲板の先端近くに立つヴェインが名剣を振り上げると、そこ目掛けて周りの海面から生じた幾本もの水柱が、水の腕と化して襲い掛かった。



 カイトもレオナール英爵も、障壁を展開しようと思った。

 しかし、ヴェインが手にした剣が放つじわっと鈍い閃光を見て、唖然とした。

 ほかの誰でもなく、同じく戦闘で疲れていたセーラが自然とほほ笑んだ。



「……あのときと同じね、ヴェイン」



 閃光を纏ったヴェインの剣が、



「はぁぁあああああああ!」



 迫る水の腕を弾き、迫るブレスを空へと反らした。



 これは覚醒ではない。

 バルドル山脈でユリシスを止めた七英雄の伝説と違い、ささやかなものだ。復活しようとしていたアスヴァルに対し、相手が弱すぎる。



 昔、セーラを助けたときと同じように、身体の奥底に眠る勇者ルインの力が、僅かながら発動しただけなのだ。

 しかし、紛れもなくそれは勇者の力の一端だ。

 ヴェインは勇者として覚醒するまで、かなり近いところにたどり着いていた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 もう昼を過ぎていた。

 レンは旧市街を少し進んだ先……海岸線沿いの洞窟まで十分もない場所にある岬の上で、ユリシスたちと合流した。

 町の騎士を幾人か連れて、馬に乗ってここまでやってきた。



「ユリシス様!」



 ユリシスはエドガーとその他の部下を連れ、このあたりで水場の調査をしていた。



「おや? 君、どうしてここに?」



 この付近でもっとも安全なのはエステルの傍だから、フィオナには町に残ってもらった。

 エウペハイムで何があったのかを聞いて、ユリシスの目の色が変わる。



「水路の異変と関係があるかもしれない、とエステル様が」



 ユリシスも一時は軍部に籍を置いていたことはあっても、実際の指示はやはりエステルに軍配が上がる。

 相手は獅子聖庁の長官で、レオメル最強の騎士。

 町でエステルが指示してくれていることに、ユリシスは心から感謝していた。



「主、では早速」


「ああ。すぐに戻るとしよう」



 一緒にレンも戻らなければ。

 早くエウペハイムに戻りたいと急かす気持ちに従って、レンは馬の手綱を引いた。


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