主が使う魔法の中で。
空を浮遊する天空大陸。
レンが遠くの空に目を凝らしていた。
「世界第二位の強国、シェルガドが統治する大陸。俺のように長寿なシェルガド人が住まう、もっとも天に近い国がある大陸さ」
「……本当に空に浮かんでいたなんて」
「天空大陸の存在を疑っていたのか?」
「疑っていたわけではないですけど、こう、自分の目で見るまで信じられないことってあるじゃないですか」
ラグナが昨年の旧市街で見つかった品と、天空大陸に伝わる昔話について触れる。
「だがレンにとって、天空大陸が何の縁もないわけではないだろう?」
「セシル・アシュトンのことですか?」
「そうとも。かの御仁は間違いなく、シェルガドを襲った不死鳥を討伐した男だ。それが公のものとなれば、レンも英雄の末裔と呼ばれるかもしれないだろうに」
「別に、柄じゃないですよ」
間髪入れず、本心を。
すぐに否定されたラグナはつづきを待った。
「それにまだ俺のご先祖様っていう証拠はないですし。同じ家名だっただけかも」
無粋なことを言いたいわけではない。しかしそんなレンだから好ましいのか、ラグナの声は普段より弾んでいた。
「なぁレン、我が友よ」
「どうしたんです。急に改まって」
「そういう気分だっただけだ。――――例の聖遺物、見つかるといいな」
「……ですねー」
こんな野営も、たまには悪くないのかもしれない。
空の色は一段と夜に近づいている。
焚火の明かりが数分前よりずっと鮮明に周囲を照らしていた。
「あの」
焚火を囲みながら、レンが何の気なしに考えたことがある。
「ウィンデアって、水の女神だけいるみたいな扱いですけど、どうしてですか? 名前には水と風が眠る場所って付いてるのに、バランスが悪いような気が」
「風を司る女神が関係していないことは不思議かもしれないが、理由がある」
水の女神と風の女神は仲のいい姉妹なのだとラグナは言う。
ウィンデアと同じような場所がマーテル大陸にも存在しており、連動するようにここからの風が流れつくそう。
そちらでは、ウィンデアと違い風の女神の力が強かった。
「へぇー……そんな場所が」
「このウィンデアに似た山だが少し違うところだ。悪くない場所だった」
「その口ぶりだと、行ったことがあるんですね」
「昔、マーテル大陸を探索していた頃のついでにな。途中までだが登ったことがある」
「どうして頂上までいかなかったんです?」
「あそこは風が強すぎた。年中いつだって強風……嵐だなあれは。地形のみを囲むように強烈な嵐が吹き荒れているせいで登れなかった」
ウィンデアの知識を深められた気がしたレンは、「そうだったんですね」と声に出した。
岩肌から離れた空を、巨大な鳥のような魔物が飛びながら鳴き声を上げていた。
エレンディルを発ってから数日後の朝には、午前中のうちに探索を終えて力業で下山し、深夜にはエレンディルに到着している予定だった。
その日も、朝早くから活動をはじめ、
「まるで植物の城だ」
先を進むラグナが見つけたのは、何種類もの植物が生み出した天然の要塞。
岩々を覆い、より強固に絡み合った植物たちは硬く、普通に剣で切ろうとしても難しい。
レンなら造作もなく断てるのだが……。
そもそも、それらの仕掛けはこのあたりに生息する強大な植物型の魔物が仕組んだもので、下手を打つとやってきた生物はすべて餌にされるだけ。行く手を遮っていた太いツルがすべて、とある魔物が張り巡らせた罠。
レンはまずその空間を避けるように抜け、植物がより複雑に入り組んだ――――もはや道とは言えない隙間を縫うように進むこと、およそ二時間。
岩々と植物の奥に潜む、ほぼ珠のような形の空洞。
空洞では緑色の風が不規則に重なり合い、何かを守るように吹いていた。
レンとラグナは太い枝を足場に立っていた。
「ラグナさん、あれを見てください」
レンが指さしたのは、緑色の風が不規則に重なり合っているなにかだ。
それはこの空洞の中心に浮かんでおり、太い枝の道でかろうじて近づける。
「何者かが風の魔法を行使しているのか?」
「いえ。恐らく、
迷いのない言葉にラグナが一瞬驚いていたが、彼はすぐに理解した。
「風の宝玉……確かにそんなものはあるが、まさかここに隠されていたとは」
風の結晶が長い年月を経て、濃密な魔力を蓄えたとても貴重な宝石。
水の女神の指輪を手に入れるために必要となる、もう一つの重要な品だ。
「研究の資料としても手に入れておきたいところだ。しかし、周りの風が面倒だな」
一番楽なのは風の宝玉を囲む風を取り除くこと。
幸いなことに、あれらの風は風の宝玉が放つ魔法でもあるから、ここではレンがどうとでもできた。
「俺が取ってきます」
ミスリルの魔剣を構え、強風の中心へ向かって歩を進める。
風の宝玉の周囲に漂う風は人の身体を容易に切り刻めるほど鋭く、下手に手を出すことはできない。
しかしレンは怖気ず、風が肌に触れる限界まで近づいた。
そこでミスリルの魔剣を握る手に軽く力を込める。
迷いはない。落ち着いて振るだけ。
「――――っ!」
冷静に横に薙ぎ、剣圧によって魔法の風を殺いだ。
空洞に吹く風はもう、人を傷つけることのない風である。
残されたのは宙に浮く碧玉。風の宝玉。
これで新たな魔剣でも手に入ったらと一瞬思ったレンだが、これが魔石ではないからかその気配はなかった。風の宝玉を素直に手に取り、ラグナの傍へ戻る。
「剛剣が魔法使いの天敵と呼ばれる所以、見事だった」
「ありがとうございます。じゃあ、またさっきの場所に戻りますか」
「二時間かけてな」
「……先は長いですね」
レンもラグナも、足取りは重くなっていなかった。
とある魔物が張り巡らせた自然魔法の罠。
さっきまでと違いまだ歩きやすく、道と言える空間に戻ってから。
「レンに斬ってもらってもよかったのだが、やめておこう」
周囲の様子が、蜘蛛の巣のように張り巡らされた植物の数々。水の女神の指輪がある場所へ向かうためのギミックで、先へ進むためにするべきことがある。
二人は周りを見渡した。
鋭利な剣が幾重にも重ねられたような山、ウィンデアの全貌だ。
いま二人がいるのは開けた空間だ。風の宝玉があった珠のような空洞と違い、より上下に高さがあった。
見上げれば、古くから生きる樹木が伸ばした太い枝が道のように伸びている。
それらの道は立体的につながり、どこかへ通じていた。
新緑に覆われたツルは二人がいる場所よりずっと高いところからかなり下まで伸びているものもあって、僅かに吹き付ける風で揺れる。
ウィンデアの特徴ともいえる鋭い岩々の間を縫うように作られた、大自然の道。
二人がどうにか進めそうな道を選んで前進。
やがて二人は天然の通路に立ち、巨大な峡谷に掛かるつり橋のようなものの上で足を止めた。
見上げればそれはもう高く、左右を見れば数十メイルは宙が広がる。
この道のわずかな隙間からは下を見ることだってできたのだが、見えるのは雲海のような低い雲と、近くを飛んでいる魔物の姿ばかりだった。
「この先に、風と水の魔力がどこよりも吸い込まれていく空間がある」
ラグナが腕時計のような魔道具を見て言った。
彼が言ったこの道の先こそ、レンが知る水の女神の指輪がある場所だ。
そこでレンは、考えるそぶりを見せてから口を開く。
「風の結晶を使いましょう」
「あれを? それなりに貴重な品だがどうするんだ?」
「そりゃ、ウィンデアの植物の多くは、水と風の魔力に引き寄せられるように群生してますから」
「……ふむ。風の結晶があったところと同じような状況を作り出すということだな」
池で飼われる魚に餌を投げ込むように、風の結晶をどこかちょうどよさそうなところへ放り投げる。周辺にある自然の道を作り出した魔物の意識、またこの地に生きる植物が本能に従いそちらへ身体を向け、道が開けるはず。
風の結晶はそのために集めた。
貴重な品だから換金すればかなりのものだが、ここが使いどころだ。
仮に魔法やそのほかの道具で植物を燃やそうにも、すぐに復活してしまうし、先へ進む道が開かれることはない。
逆に水の女神の指輪へ向かうのが困難になる。
また、この地の自然に悪影響を与えることも好ましくなかった。
「風の結晶は強い衝撃を与えると破裂する。殺傷力はないが勢いのある風を放つ際、ため込んだ自然の魔力も一緒に解き放つわけだ。その隙を狙って進む――――これで間違いないな?」
「ありません。道が開けたら急いで進みましょう」
「帰りはどうする?」
「帰りの分も風の結晶を残せるようにします」
「では、残せなかった場合は?」
性格の悪い問いかけなどではなく、絶対に必要な話し合い。
レンはラグナの問いに笑って、
「そのときは、この辺りの
主、周辺の大自然を支配する強大な魔物。
レンたちがここにいても手を出してこない理由は、普段はおとなしく好戦的な魔物ではないから。けれどひとたび自分の領域を荒らす外敵が現れれば、たちまち猛威を振るうだろう。
このウィンデアにおける、唯一の強敵……無理やり戦おうとしない限り戦う必要のないそれ。
二人が歩く周辺にある植物の多くを、自然魔法で生み出した魔物。
「構わない。その計画で行こう」
「自分で言っておきながらあれですけど、いいんですか?」
「危険がない旅などつまらないさ。もっとも、自殺願望はないが」
「……さすが、ラグナさんらしいですね」
ラグナはレンを見上げて勝気に笑って、
「じっとしていては日が暮れるか」
指をパチンと鳴らすと、彼が背負った巨大な鞄が風の結晶を一つ吐き出した。
右手で受け取ったラグナが色香を漂わせる流し目をレンに向け、次の瞬間、
「行ってこい!」
風の結晶が彼の手から離れた。
勢いよく放り投げられた風の結晶は下へ下へ……何もない宙へ落ちていく。
高所の強風に煽られて、岩肌を離れ魔物も飛ぶ空のほうへ。
そのまま見えなくなってしまうことはなかった。ラグナが再び指をパチンと鳴らしてすぐ、風の結晶の近くに小さな光芒が生じ、そこから白銀の鎖が現れて風の結晶を貫く。
ガラスが割れるような、冬場の水たまりに張った氷を踏み砕くような。
そんな、高い音がレンの耳にも届いた。
すると――――つづいて。
ずずず、ずずずという。
何かが動くような音がレンの周囲で鳴っていた。
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