自然を司るシシ。

 行く手を遮っていた植物が、いずれも下へ向けて伸びていく。自然の道だけが残され、さらに奥へ通じる道へと繋がった。

 それを見て、レンとラグナが示し合わせたように走り出す。



「随分と冴えているな! レン!」


「別に! 偶然ですよ!」


「ふっ、そうか……!」



 自然の道を構成するのは太い枝や葉にツタ、それにツルなどの頼りない素材だけ。

 走っていると足元の感覚はとても鈍く、そっと足元を覗き見れば吊り橋のように揺れている。



 しかし二人は、そんなことは気にせず懸命に足を動かした。

 進む道は常に揺れ動く。これは二人がこの道を蹴るように走っていたからだけではなく、風の結晶が爆ぜたことで生じた魔力を求め、この道を作った魔物がツタやツルを動かしていたことも影響していた。



 空を飛ぶ魔物たちは様子の変化に驚き、それぞれの鳴き声を発している。

 レンはラグナの前をかけながら、魔物のものではない枝などの邪魔な植物をミスリルの魔剣で絶つ。



 ……さすがに多い!



 枝も葉も、人の手が入っていない環境で育った植物たちによるものだ。主が用いる自然魔法と違う厄介さがあった。

 レンは走りながら、緊張感を強めた。



「レン! もうすぐウィンデアの内部だ!」


「わかってます! もうひと踏ん張りですね!」



 自然の道は途中で消え、また主が生み出した自然の壁がいたるところに現れる。

 現れた外敵レンとラグナを排除せんと動く枝やツタが、



「悪いが、お前たちはあっちだ!」



 ラグナが手にした風の結晶が、今度は二人の後方へ放り投げられた。

 一つ目を砕いたときと同じ鎖が召喚され、二つ目の風の結晶が砕かれたことで二人が進む先に生えた植物たちにも動きが生じた。



 植物の多くは風の結晶が爆ぜたところ……二人の背後へ向けて伸び、移動。

 自然魔法による植物と思われるものも、不意に方向を変えて伸びた。



 複雑に入り組んだ枝も、織物のように幾重にも重なっていたツタやツルだって。

 主が生んだものはどれも自然の植物が生んだそれより遥かに強固。それらが一斉に、レンとラグナを横切っていた。



「すごい勢いだな!」


「ラグナさん! 大丈夫ですか!?」


「このくらい問題ない! だが……くくっ、ある海域を船で渡っていたときのことを思い出す!」



 ラグナが旅をしていたときの経験だ。

 海を渡る船の甲板を襲う、魚の魔物の群れがあった。

 どれも弾丸のように海面から飛び出して、甲板に立つ人間を餌にしようと数多く飛んでいた。

 向かい風が弾丸に変わったような、珍しい体験だったことを彼は覚えている。



 いまの状況が、そのときに酷似していた。



 枝々が、ツルが、動く植物のどれかにぶつかれば、その勢いで二人の皮膚が深く傷つけられただろう。

 だが、縦横無尽に行き交う植物の数々を、皮膚や服に届くより先に彼らは軽い身のこなしによりすべて躱していく。



 手を出せば面倒な戦闘に陥るから、それを避けるべく計画したこの動き。

 岩肌と植物に挟まれた幻想的にも思えるこんな世界も、もうすぐ終わるはず。



 ……もうすぐ!



 もうすぐ、この道を抜けられるはず。

 だが、



『――――』



 レンが微笑みかけたところでの地響きと、それに混じった空間を揺らす音だった。

 二つ目となる風の結晶が砕かれたことで生じた魔力へ、自生する植物をはじめ、この空間を作り出した主は意識を奪われるはずなのに……。



 レンは思わず足を止め、少し遅れて立ち止まったラグナと背を預けあった。

 このときにはもう、弾丸のように動く植物は風の結晶が放つ魔力へ引き寄せられきっていた。



 敵となるのは、残された主。



「ほう」



 ラグナがため息交じりに。

 二人はあと数百メイルも進めば目的の空間にたどり着けたはずなのに、もはや進む先も、彼らが走り抜けてきた道も複雑に絡み合った植物に塞がれていた。

 当たり前だが、主が用いた自然魔法による妨害だった。



「俺たちの計画がバレていたようだ」


「そうみたいですけど……変ですね。俺たちを餌にすることもできると思いますけど、風の結晶の方がよっぽど美味しく思えているはずなんですが」


「俺もそう思うが、事実としてこの状況だ」


「……ええ。わかっています」



 主が侵入者を排除するために猛威を振るうことはレンもわかっていた。

 しかし、その猛威を避けるために必要なのが風の結晶、水の女神の指輪を手に入れるために必要なのが風の宝玉だ。

 レンにとって、主の反応は予想外だった。



「……どうしてなのかわかりませんが、現実逃避はしてられませんね」


「そういうことだ」



 たとえば、巨大な球状の世界。

 矮小な人間が立つのは頼りない足場。



 彼らが立つ場所の下方から姿を見せ、近くの岩場を飛びながらレンたちの近くへ太い枝の足場を設けて現れたのは、青白く光る体毛を誇る美しい魔物だ。

 鹿のようにも見えるが、体格と毛並みの美しさから明らかにそうではないことがわかる。頭にある枝分かれした角は三メイルもありそうなほど大きく、その角に負けじとすらっとした大きな身体。



 前足で一度強く岩を叩けば、緑色の魔力に染まった風が水の波紋のように広がった。



『――――』



 人が解せない言葉を話す魔物、古き地の蒼鹿あおしし

 数百年も前からこのウィンデアの一部を自らの領域としてきた存在にして、一帯の主。



 凶暴で邪悪な魔物ではなく、守り神のような存在として知られていた。

 ウィンデアの生態系を守る魔物としての一面もあり、人に姿を見せることは稀。



 しかし、自分の領域を荒らすものには容赦しない。

 強力な自然魔法を用い、数多の外敵をねじ伏せてきた。先ほど前足を振り上げたのは威嚇。あるいは早く立ち去れという意思表示。



 そうは言うが、



「申し訳ないのだが、俺たちはこの先に用がある」



 こうなってしまっては戦闘も止む無し。先手を打った鞄の旅人。

 対する魔物へ手をかざし、宙に生み出した鎖で二本の角を縛り上げるも、



『ッ――――!』



 鎖は瞬時に何らかの力に断たれ、かき消される。

 敵の早すぎる対処にラグナが苦笑い。



「片手間に対処できる相手ではないか」


「俺がどうにかします」


「ああ。しかし、あれを討伐してはウィンデアの生態系に影響がある。撃退でお願いしたい」


「それかあいつの縄張りを去るくらいですけど、こっちは選択肢にないですしね」



 古き地の蒼鹿が太い枝を蹴って飛ぶ。

 レンたちが立つ頼りない道に身体を乗せると、この道がこれまで以上に大きく揺れた。



 すぐさま角をレンたちに向けた古き地の蒼鹿。

 角に迸る風の魔力が濃すぎたからか、角の周りの景色がボヤけていた。

 レンは何も言わずにラグナの前に立つと、



「距離を取りながら奥へ進みましょう」


「できるのか?」


「どうにかします。それで、目的の品を見つけたらさっさと帰ればいいだけです」


「構わない。つまり最後までレンがどうにかしてくれるわけだな」


「そりゃ――――俺はそのためにいますから!」



 レンが勢いよく前に踏み込めば、古き地の蒼鹿もまた前進した。

 二本の巨大な角がレンのような少年に衝突すればひとたまりもないが、そこはレン。剣聖となった剛剣使いに恐れはなく、古き地の蒼鹿から目をそらさない。



 揺らぐ足元の感覚は無視して、数秒と経たぬうちに接敵。

 レンは大樹の魔剣で古き地の蒼鹿の角を弾いた。



『ッ――――!?』



 驚く魔物を前に、



「ラグナさん! いまのうちに!」


「ああ!」



 脳にまで届いた剛剣の圧で、古き地の蒼鹿の身体がふらついていた。

 道を塞いでいた植物に、古き地の蒼鹿がふらついた際に隙間が生じる。

 巨大な体躯を誇った古き地の蒼鹿の真横を通り抜けるように、この隙に乗じてラグナが駆け抜ける。



 ギロッ、と鋭い目線がラグナに向けられていたが、



「お前の相手は俺だ!」



 レンの圧がそれ以上を許さず、意識を戻させた。



 上から下から、左右から。

 これら以外にも思いつくほぼすべての方角から迫る自然魔法の力を目の当たりにして、レンは一度大きく呼吸した。



 逆に、敵の魔法を利用する。それまで立っていた道を脱し、宙に伸びていたツタやツル、枝などを掴み、ときに足場としながら古き地の蒼鹿をおびき寄せた。

 古き地の蒼鹿は彼に誘われて身を動かし、角を構え直す。



 今度は先ほどと違い、角に纏わせた力がより鋭い風に代わっている。

 魔法的な力もあってなのか、レンには角の周囲の光景がブレ、空間がゆがんでいるように見えた。

 はじめに滾らせた魔力の濃度を、さらに高めていた。

 角が周囲の物体を引き寄せるような風の流れ。

 


 ……それはまずいかも!



 乾いた笑みを浮かべたレンが大樹の魔剣を消し、ミスリルの魔剣を召喚。

 さすがにあの風に触れたら大けがを負ってしまいそう。


 不意に、緑の閃光が。

 風の力を全身にも迸らせた古き地の蒼鹿が過ぎ去った後に残されたその光が、レンの眼前へと。

 身体が吹き飛ばされてしまいそうになる強風に耐えたレンが、



「ごめん……すぐに帰るから――――!」



 緑の閃光に襲われるより先に、ミスリルの魔剣を横に薙ぐ。



 魔法に対する特効、星殺ぎ。

 周囲の風や緑の閃光がただの魔力に代わって消え、残されたのは風のように早い身のこなしで近づく古き地の蒼鹿の姿だけ。自然魔法で生み出されていた植物の多くも無くなって、レンは手でつかめる場所も枝などの足場も失った。



 それでも、気にするほどではない。

 戦いが劣勢になることは決してなかった。



『シュウ――――ッ!』



 鼻息荒く角を突き出した古き地の蒼鹿が、これまでより敵意を込めた視線を送る。

 風よりも早い突進だろうと、レンはその角をミスリルの魔剣で鍔迫り合いに似た態勢で押さえつけ……

 彼は剛剣の力を両手に色濃く纏い、



『!?』



 驚く古き地の蒼鹿と目が合った。

 目が合ったままレンは古き地の蒼鹿を横に押し出すように力を入れ、突進を避けきってみせた。




 古き地の蒼鹿は重力に従って下へ落ちていったのだが、すぐに改めて自然魔法を用いて足場を生み出し、レンを見上げた。

 今度は、主の瞳が緑色の宝石のように光っていた。



「レン! そのままこっちにこい!」



 レンは元々の足場へ戻り、駆け抜ける。先を進むラグナにあっという間に追いついた。

 背中に古き地の蒼鹿の鳴き声を受け、一度も振り向くことなく前へ。

 目的地へ向かうにつれ、レンの心のうちで水の魔剣が何か語り掛けよてこようとしている気がした。


 

 そうしている間にも、二人の背に度々迫った自然魔法。

 レンが星殺ぎで消し去りながら、この道を進んで――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る