剣の魔物【前】

 ようやく魔法陣を脱して振り向いた二人。

 砕け、砂塵舞う石畳の中心を見ながらリシアが。



「封印を守る存在!? それとも――――魔王軍の生き残り!?」



 砕けた石畳の破片が雨のように落ちてくる。



「――――あれは恐らく……」



 レンが目を細めて砂塵の奥を見つめる。

 五メイルかそれ以上もありそうな巨躯と、金の彫金が施された漆黒の甲冑。四本の腕と、片側の肩に纏った布。ネックレスを砕いた巨剣を石畳から抜き去り、レンとリシアが魔法陣の外に逃げる最中に襲ってきた巨剣も掴み取る魔物。

 明らかに、レンとリシアに向かって歩を進めていた。



「――――魔王軍を率いていた将、ですね」



 忘れもしない、学院での出来事。

 実行委員の部屋で見た古い本に描かれていた、魔王軍の将の姿そのものだ。肩に纏った布の色が違うこと以外は図鑑に書いてあった通りだ。巨大な紅玉ルビーを剣身にしたような深紅の巨剣を、四本の腕で余すことなく構える姿に息を呑む。



 襲ってくるであろうことは、いまの状況から察しが付く。

 リシアはふぅと息を吐いてから、仕方なさそうに言う。



「ねぇ、私たちは誰に怒るべきなのかしら」


「とりあえず、エルフェン教は確実ですね。封印の管理がなってません」


「ええ。……けど、抗議するためにはあいつをどうにかしなくちゃ」



 二つ疑問があった。

 まず一つは、先ほどのネックレスが二人の来訪を受けて急に石畳に落ちてしまったこと。もう一つは、やはり自分たちが巻き込まれた理由が不明であること。



(確かめるには、生きてここを出るしかない)



 幸いにも相手の動きがかなり鈍い。

 魔法陣の中に飛び込む胆力は恐れ入るが、そもそも長きにわたりこの封印の中にいたのだ。恐らく封印が弱まったから動き出せるようになっただけで、この空間で動くのは堪えるはず。



(でも、どうして生き残っていたんだ)



 いくら魔王軍の将だろうと、何百年もこの封印の中で生き延びれるだろうか。

 何か特別なことがあって――――そうじゃないと、時の檻に抗えないはず。眉をひそめたレンは、魔物が肩に纏った布を見た。



(確か……薄汚れていても蒼かったはず……)



 いまは灰色だ。

 あの布が特別な力を持っていて、魔物を時の檻の中でも生き永らえさせた。動物が冬眠するかのように、長い時を過ごさせた。だから布が何らかの力を失いつつあったことで、色も消えたのかも――――という予想。

 レンはリシアと情報を共有してから、



「俺たちができることは二つあります。一つは戦ってあいつを倒すこと。もう一つは、逃げながら時間を使って封印が解けるのを待つことです」



 巨躯の魔物が一歩、更に一歩足を動かすたびに石畳が割れる音。砂塵の奥で、二本目の巨剣を手にした姿。



「封印がいつ解けるかわからないけど、外に出られる可能性もあるわね」


「そうです。だから戦いは避けた方がいいはず」



 リシアも頷き同意する。

 二人は踵を返すようにローゼス・カイタスの広場に背を向け、石階段へ向かうため足を動かす。相手は魔王軍の将を務めた魔物。安易に戦うことは選べない。



 ……だが、逃げ道は限りなく少なくなった。

 不意に山肌や地面が砕け散り、抉れた岩石が辺りを円状に取り囲む。紫電が岩石と岩石の間を迸る超常現象に見舞われる。レンが星殺ぎを用いるも、打ち消せないほど強力な魔法によるものだった。

 天球も赤く染まり、その先の封印が歪んで見えた。



 予定していたように二人で逃げるのは、どうみても難しい。

 けれど少しなら、僅かなら隙をついて距離を取れるかもしれない。



(――――やるしかないのか)



 確か奴は、魔王の配下に加わる前まで剣魔と呼ばれていた。

 四本の腕から放たれる剣戟は、いったいどれほどのものなのだろう。



「俺がどうにかしてあいつを引き付けます」



 え? と目を見開いたリシア。

 魔法陣の中央に陣取っていた剣魔が四本の腕を振り回し、レンとリシアを見た。

 後手に回れるだけの余裕はなかった。星殺ぎで打ち消せない魔法を相手が使うのなら、力の差はそれだけでわかる。

 


「何とか時間を稼ぎますから逃げてください! 攻撃が届かない、少しでも離れたところに――――ッ!」



 剣魔が歩き出そうとした寸前、レンが踏み込んだ。

 砂塵の先、巨躯の剣士を止めるために。



「魔王教どころか、魔王軍の将と戦うとは思わなかったな!」



 五メイルを超す巨躯へ、レンが鉄の魔剣を振る。鋭い剣閃は音を置き去りに、刃のように鋭い風を纏っていた。



『オォォオオオオオオオ――――ッ』



 唸るような鳴き声を放ちながら深紅の巨剣を振り下ろした剣魔。下から受け止めたレンが「ぐっ!」と呻いた。押しつぶされる可能性が彼の脳裏をよぎると同時に、全身が神聖魔法で漲るのを感じた。



(――――これは)



 驚くより、剣を振る。

 剣魔を見上げ、膂力の限りを尽くした。



「はぁああッ!」


『――――ッ!?』



 レンは深紅の巨剣を押し返す。

 更に一本の巨剣が振り下ろされる直前、それは弾かれた。



「逃げてくださいって言ったはずなんですがッ!」


「私は頷いてないわよ! レンを置いて自分だけ逃げるくらいなら、死んだほうがましっ!」



 白焉で深紅の巨剣をはじいたリシアの、迷いがない声だった。

 一瞬生じた剣魔の隙を見逃さず、レンが足元に踏み込み鉄の魔剣を振る。切り裂くなど不可能。鉄の魔剣は傷一つ作れず弾かれた。

 手元に迸った痺れに眉を顰め、舌打ちをしたレン。



「さすが、魔王軍の将……!」



 あれほどの硬さははじめてだ。どうすれば傷を付けられるか想像もつかないが、幸いなのは、剣魔が目覚めたてなことと封印で弱っていること。レンはそれを突けないかと思いながら剣を振る。



 けれど、途中から違和感に気が付いた。

 剣を交わすたびに、剣魔が放つ圧が増していた。



「レン! 来るわ!」



 肉薄する。鉄の魔剣が剣魔が手にした深紅の巨剣に。

 最初に比べて剣魔の力が増している。決して勘違いではなかった。剣圧そのものも魔法の一種なのか、砂塵を伴い視界を奪いながら猛威を振るった。



「ぐっ……!」



 幾本もの巨剣が振り回されるたび、肌を切り裂く旋風が舞い上がった。巨剣の深紅に負けじと赤い鮮血がレンの頬ににじむ。

 レンは、惑うことも怖気ることもない。



「このくらい――――どうってことない!」



 レンは迫る巨剣の一本を軽い身のこなしで躱し、二本目は巨剣の腹を足蹴に駆け上がる。横に薙がれた三本目は盾の魔剣で僅かに弾いた。

 残る一本、四本目の巨剣。

 レンが鉄の魔剣を振り下ろす速度が、剣魔が巨剣を振り上げる速度に勝った。だが剣と剣がぶつかりあうと、力の差に圧倒される。



「っ……」


「レン!?」



 幼い頃、父のロイと訓練していたときのように、情けなく。

 後から振り上げられた巨剣がレンを身体ごと弾く。弾き飛ばされた身体は途中でリシアに抱き着かれ、彼女に庇われながら壊れかけの魔法陣の中へ戻った。

 手の甲に出来た擦り傷から血が流れる。



「封印が弱まるにつれて、強くなってるみたいね」



 口を開いたリシアがレンの怪我を癒しながら言った。

 二人が戻った魔法陣の光は、既に弱々しいそれだった。



「俺が弾き飛ばされたときの剣魔の様子、すごかったですか?」


「……ええ。獅子聖庁でもみたことないくらい。剣の振りも膂力もそうよ」



 踏み込みは巨躯に見合わぬ疾さを誇る。

 脅威を視認したリシアは眩い光の壁を何層にも生み出す。深紅の巨剣が振り下ろされると、まるでただのガラスのように砕け散った。所詮は多少時間を稼ぐためのものだ。



「後のことを考えてる余裕はなさそうね」



 光の壁が砕けつづけることを恐れず。

 彼女の足元から生じた魔法陣がレンを巻き込み、二人の膝や腰、肩まで幾重にも重なった。数年先の自分たちの力を召喚したと言われても信じてしまいそうな、さっきまでと別格の力を感じる。



「また、強くなってませんか」


「ふふっ。私だって頑張ってるもの。当然よ」



 薄く残る時の檻の魔法陣が、リシアに反応して瞬く。

 神聖魔法の真価。眩い閃光は、時の檻の輝きにも勝っていた。後先を考えてなどいられない。いまできる最大限の神聖魔法を行使しなければ。



 ……光の壁が崩れていく。深紅の巨剣を振り下ろした勢いで石畳まで抉れ、割れる。圧倒的な膂力は石畳を容易に粉々にし、更に砂塵を舞わせた。



「もう少しだけ準備させて」


「前は任せてください。リシア様に、指一本触れさせません」


「ええ。信じてる」



 リシアの頼みがなくとも守るつもりだ。

 頷いたレンがリシアの隣、すぐに前に出られるように。



「……ねぇ、レン」



 リシアが口を開き、レンの顔を見上げた。



「こんなことになるなら、帝都のお祭りに参加していたかったって思う? あっちにいれば、戦うのは武闘大会に参加した同年代ばっかりだったし、今頃私たちが決勝で戦ってたかも」


「いえ、別に後悔はしてません」


「ふふっ、レンならそう言うと思ってた」


「とはいえ、祭りの名前の最後に『裏』ってつけたいところですけどね」



 二人が顔を見合わせて笑う。

 帝都で行われている巨大な催し事の裏側で、こんなことになってるなんて誰が想像するだろう。

 自嘲したレンは、表舞台の裏側で死闘を演じるその前に、



「これも俺たちらしいのかもしれませんね」


「そうかも。表舞台を離れて戦おうとしてるのは、確かに私たちらしいわ」



 この後の激戦を前に、ゆっくり言葉を交わす。

 これが最後の時間になるかもとは思っていたわけじゃない。これが二人にとって落ち着く術だっただけ。



「……今更ですが、やっぱり避難してくれませんか?」


「バカ。ほんとに今更だし、無理なことはレンもわかってるでしょ」



 リシアはレンの言葉に苦笑して、白焉びゃくえんを握る手に力を込めた。

 彼女の象徴ともいえる名剣を握る手は決して震えることなく、隣に立つレンを見上げて微笑む姿からも恐れは見えない。

 彼女は周囲に舞う砂嵐の先に理不尽を見ながら、



「それとも、隣に立つ相手が私では不満なのかしら?」



 迫りくる砂嵐に対し、レンが鉄の魔剣を一閃。

 魔法の一つだった強風がそれによって雲散したところで、リシアはレンの一歩前に出て振り向いた。猶も可憐に、そして美しい笑みを浮かべていた彼女がレンに手を伸ばす。

 彼女の指先から生じた光の波が、レンの身体を包み込んでいく。



「どう?」と彼女が声に出さず瞳で挑発的に告げる。


「こんな状況なのに、リシア様はいつも通りですね」


「死んでしまうとしても、隣にレンがいてくれるなら十分よ。ただ、死ぬのが何十年か早くなるだけだわ」


「――――そう、ですか」



 レンはリシアの手を取った。

 一際強い閃光が二人を包みこんでいき、互いの身体に力が漲った。



「怪我をしても怒らないでくださいよ」


「くどいわよ。聖女の手を取ったのだからレンも覚悟なさい」



 数多の神像は風化して、はたまた魔王の側近の手により多くが砕けている。リシアはレンの傍で微笑んでいた。

 疑うはずもない。彼といれば大丈夫――――その気持ちだけ。



「昔と違って強くなった私の神聖魔法、楽しみにしてて。もしかしたら、レンの魔剣も切れ味がちょっと良くなってるかも」



 最後の一枚、光の壁が砕け散った。

 迫るは幾本もの巨剣、深紅の絶望。



 レンが息を吸って踏み込み、雄々しく吼える。



「はぁぁああああああッ!」



 さっきはなかった、そして見せつけられなかった力で巨剣を弾く。

 微かな一瞬の隙が生じて――――



「レンは強いでしょ」



 彼の強さを凛と誇ったリシアが剣魔の懐から、地面を蹴って剣魔の首元へ。



「でも、忘れてない? ここには白の聖女わたしもいるんだから――――!」



 相手が強大な存在だろうと、少しずつ傷をつければいい。

 剣魔は回避を試みるも、黒光りする甲冑の肩が神聖魔法の力を帯びた白焉に貫かれ、漆黒の煙が漏れ出した。揺らいだ巨躯を支えるように剣魔が半歩後退。甲冑の黒が僅かに艶を失う。



「レン! このまま――――」


「はいッ! もう一度――――」



 しかし、希望を抱きはじめた剛剣使いたちが立ち止った。

 剣魔の巨剣が四本、剣身と同じ深紅の波動を纏う。見ているだけでわかる。暴力を極めた魔力の波。

 順調に思えたことが勘違いだったと言わんばかりの、力の塊だった。



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