深紅の巨剣。

 さっきリシアが驚いた自然魔法の理由も告げる。魔剣の進化も隠すことなく。

 その説明自体は難しくない。リシアは珍しい力だなと思っても、逆に言えばそのくらいだった。



「だから――――だったのね」



 リシアは昔のことを思い返していた。イェルククゥとの戦いの後、レンと共にクラウゼルへ帰ってからのことだ。

 レンが唐突にリシアに魔石があるかと聞いてきた理由も、すべて腑に落ちた。



「私に魔石があるか聞いたときのことを覚えてる? 私あのとき、すっごく驚いたんだからね」


「すみませんでした。俺も光の魔剣のことがよくわからなかったもので」


「もう……いいわよ。それで光の魔剣? のこともいまはわかるの?」


「いえ、まったく。あれから召喚できてないので、他の魔剣と違って謎しかありません」



 リシアの魔石の力が使われたことはわかっている。

 無理をすればリシアの身体に差し障りがあることだって、言わなくともわかりきっていた。

 


「俺が危険だって言った理由、わかってくれましたか?」


「うん。わかってる」



 レンの力のことを聞けた驚きや喜びに浸るより先に、彼が口を噤んでいた理由に対して……。

 ふっ、と優しく微笑んだリシア。



「レンが隠してた力のこと、それで全部?」


「はい。もう全部話せました」



 話せたことで、レンは心が軽くなったような思いだった。

 クロノアが言っていたように、ずっと秘密でいることは想像以上に大変だったはず。いまでは彼女の助言に感謝するばかりだ。

 リシアが新たに微笑む。レンの秘密を聞けて心が温まるような思いだった。



「教えてくれてありがと、レン」 



 より信頼関係が深まった、そんな感覚だった。

 リシアが微笑みを浮かべたまま、



「やっと教えてくれたと思ってたら、レンってば切なそうな顔をしてるんだもの。そんな辛そうに話さなくてもいいじゃない」


「逆に、光の魔剣のことはリシア様が軽く考えすぎなんですよ」


「レンは更にその逆ね。重く考えすぎ。もっと私を信用して一緒に考えたっていいじゃない」



 頬に喜色を浮かべたリシアの声は、負けじと弾んで嬉しそう。

 いまにも歌いだせそうなくらいだった。



「私のことを心配してくれるのはすごくうれしいけど……私はもっと対等な関係になりたいと思ってるのに」


「対等、ですか」


「そ。子爵令嬢と騎士の子供とか、そういうのは気にしたくないの」



 その意識を変えることが難しいのは今更だった。

 しかし、リシアの頭にある考えが思い浮かぶ。秘密を明かしてくれたことへの喜びが心を急かすように、秘密の共有が彼女の心に変化をもたらした。

 大きく息を吸ったリシアが、意を決した様子で口を開く。



「――――だからお願い。私のことはリシアって呼んで」



 きょとんとしたレンが首を捻る。

 いまのリシアは、レンに名前で呼ぶことを許可した当時に似ていた。



「これまでもリシア様って呼んでるじゃないですか」


「だから、そうじゃないんだってば」


「ええと……?」


「リ・シ・ア。いい加減、私のことは呼び捨てにしてって言ったの」



 言いたいことは理解できたが、唐突だ。

 レンは苦笑しながら疑問を口にする。



「……急すぎるのと、いい加減って何がです?」


「一緒に過ごしてきた期間のこと。それに急なのは――――そうね。いま、すっごく嬉しいからかしら。イェルククゥのときは助けられただけだと思ってたら、私の力も少しは役立ってたんでしょ? 私、それが嬉しくてたまらないの」



 それでもレンの活躍が大部分だった、リシアはそう思いながら「我慢できなくて言っちゃった」と告げた。レンはというといきなりの話に困惑して頬を掻く。



「ふふっ、名前で呼んでくれたら、私の魔石を吸うことは勘弁してあげる。とりあえずはね」


「こ、交換条件にするのはずるくないですか!?」



 もちろん本気で交換条件にしたかったわけではなく、レンにじゃれつくような言葉に過ぎない。

 レンは数十秒にわたって迷い、やがて大きく息を吐いた。

 その仕草をするときのレンが何を考えているのか、リシアは知っていた。彼はいま、心の整理を終えて頷くところなのだ。



「主君のご令嬢を呼び捨てることへの迷いはさておき、急に呼び方を変えると緊張しそうなので、最終的な判断は封印を出てからでいいですか?」


「……わかった。そのくらいなら喜んで妥協する」



 言質を取ったリシアが素直に頷いた。

 駄目ですと一蹴されることも考えていたから、十分な答えだった。



「約束通り、私の魔石の力を試してみるのは最終手段ね」


「え!? ご容赦してくださったんじゃないんですか!?」


「ううん? 私、とりあえずって言ったわ」


「うわぁ……聞き逃した俺も俺ですが、ずるいですね……」



 リシアがくすくすと笑いながら歩きはじめた。

 黙っていても何も変わらないから、歩きながらこの後のことを考えたかった。



 ……周りの様子を確認しながら救助を待つが、一時間経っても二時間経っても時の檻の様子は変わらなかった。

 このまま救助に期待するか、別の何かを試すべきか。

 顔を見合わせた二人の心は決まっていた。



「クロノア様が仰っていたわよね。封印を作り出すための魔法陣と、魔道具が存在するって」


「何か異変がないか、様子を見に行くんですね」


「ええ。ここでじっとしても何も変わらないのなら、できることをしないと。……水と食料もないんだし、ね」



 リシアが明言しなかったその先は、救助に時間がかかり過ぎたら自分たちが死ぬということだった。



「レン、行きましょ!」



 ローゼス・カイタスの中央へ通じる石階段を、久方ぶりに人が歩く。

 誰もが予想していなかっただろう状況下で、レンとリシアの二人だけが、迷うことなく足を動かしはじめた。

 目指すはローゼス・カイタスの中心、石階段を上った先の巨大な神像が並ぶ場所。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 しばらく石階段を進むと、見通しがより良くなっていた。

 濃霧が二人の行く手を遮るとまではいかなかった。早朝、森に入ったときのそれと比べても視界が開けていたと言えるくらい。



 つづら折れ状になっている山道は長く、一人で歩いていると心細くなりそう。けれど、二人でいればそんな気持ちにはならなかった。

 話をしながら二人が歩く石階段の端、木々の下に小さな祠があった。

 その痛々しい姿に、二人は足を止め祠の手前で膝を折る。



「……戦いの痕ね」


「落ちてるのは当時の名残りでしょうか」


「うん。そうだと思う」



 石造りの祠はほとんどが崩れていた。

 血痕こそ既に残されていないが、レンは祭壇の下に落ちた古びた剣を見つけた。その近くには聖職者の物と思しき白い杖があった。こんなことをしても気休めにしかならないが、祠の前で膝を折った二人は手を合わせ目を伏せる。



 祈りを捧げてから、再び石階段を歩きはじめた。

 そういえば、とリシアが、



「私たちが歩いてる階段もボロボロね」



 魔王軍も、魔王軍と戦った皆も既に遺体は浄化されて残されていない。

 ただ静かな空間に残された戦争の傷跡は、二人の心に筆舌に尽くしがたい感情を生じさせた。



 やがて、山を抉るようにして設けられたローゼス・カイタスの中心が見えてきた。

 更に十数分歩いた二人は最後の一段を上り終える。眼前の広場はそれまでより視界がはっきりしていた。



 山肌に沿って扇状に並んだ多くの巨大な神像はそのすべてが半壊、あるいは全壊している。広場の端の石畳には、神像の頭部が抉れ込むように落ちて砕けている。中でも一際巨大な神像があった。きっと、主神エルフェンを模したものだ。

 神像の足元には武器や防具に加え、大きな灰色の布が落ちている。すべて瓦礫や埃を被っていた。



「…………」



 悲惨さを前に黙りこくってしまったリシア。

 隣にいたレンが一歩先へ進む。



(あれは――――)



 石畳に広がる眩い魔法陣、石畳に浮かぶ複雑な文様のそれを見て立ち止った。

 複雑な文様ながら、ところどころ光が欠けたように消えていた。明らかな違和感が気になった。



「レン、気が付いた?」


「もちろんです。何か変ですね」



 そして魔法陣の中心に何かが浮いていた。リシアとレンが目を凝らして眺めると、浮いているのは白銀のネックレスだった。あれが封印の中心、時の女神の力が宿った品だろう。

 二人はこの場所に様子を見に来ただけだった。

 だが最初に気が付いたように、魔法陣の一部に違和感があったのは無視できない。



「あれ、壊れてるとかなんでしょうか」


「どうかしら……壊れてるって表現が正しいかはわからないけど……ちょっと変だと思う」


「……ですよね」


「……せっかくだから、一緒に見に行ってみる?」



 魔法陣に足を踏み入れていいのかわからなかったけれど、リシアとレンの二人が魔法陣の前に立つと、中央へ向かう道が現れた。

 魔法陣の下に隠れた石畳が、一つずつ隆起して道になったのだ。



 二人は最後に先へ進むべきか、最後にもう一度逡巡した。

 しかし黙っていても状況が変わらないこともあり、意を決して石畳の道に足を踏み出した。

 石畳の道から足を踏み外さないよう、レンがリシアに手を貸して。



 慎重に歩いた二人が魔法陣の中心に立ったのは、数十秒後のことだった。 

 リシアが目の前のネックレスを見て呟く。



「いざとなったときはこれを壊せば――――」



 白の聖女として随分な言い草だったが、いきなり封印の中に巻き込まれた身としては致し方なかった。

 彼女の呟きを聞いたレンが苦笑する。



「はは……俺たちの力で壊せるかどうかはさておき、最終手段ですね」


「ふふっ――――あ、でも壊さないで魔法陣から避けるとかでいいのかも。きっとすごい魔道具……じゃなくて聖遺物のはずだから、壊すのは気が引けるわ」


「ですがそれ、封印を破る時点で割と同じじゃないですか?」


「……そうかもしれないけど、気持ちの問題よ」



 バカ、とリシアが唇を尖らせてレンを見上げてから間もなくだった。

 二人が見るネックレスが唐突に眩い閃光を放ったと思えば、ネックレスから溢れ出ていた光の粒子が収まった。ネックレスは石畳の上に落ちて、魔法陣の光が勢いを失いはじめる。光は僅かに二人の足元で煌めいていた。

 


「レ、レン!」



 リシアは驚きつつも、レンに満面の笑みを向けた。



「もしかして私たち、これで外に――――っ」



 ……どこかでかたり、と瓦礫が動く音がした。

 いち早くその異変に気が付いたレンが身構える。リシアの笑みに応える前に、反射的に彼女を抱き寄せてネックレスの傍を離れていく。



 刹那、天空から舞い降りた深紅の巨剣。

 白銀のネックレスは、粉々に砕け散っていた。

 魔法陣の外へ駆けて行きながら、



「ッ――――本当、今日はどうなってるんだよ!」



 レンがリシアを連れて魔法陣の外へ向かう途中、もう一本、更につづけてもう一本。極め付きに四本目の巨剣が二人を貫かんと降り注いだ。

 


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