剣の魔物【中】
『陛下ノ……』
はじめて発せられた剣魔の言葉。
『御許ニ――――!』
四つの腕を二対の翼が如く広げ、大股で駆け出す。
瞬く間に二人の眼前へ近づくと、レンが立ちはだかる。
それは、二人が目を疑うような光景だった。深紅の巨剣が通り過ぎた後には赤黒い光の残像が幾重にも残る。剣を振る度になる音が、男女どちらか区別のつかない怨嗟のよう。
これもきっとそうだ。剣魔の巨剣は何らかの魔法により強化されている。
(だったら殺げばいい――――!)
レンは鉄の魔剣を振り上げて星殺ぎを行使。想像していた以上の衝撃でレンの態勢が一瞬で崩れるが、巨剣が纏った赤黒い波動は僅かに消えた。
『グォオオオオオオッ!』
だが、他の三本は違った。効果があったのは一本だけで、しかもごく僅か。剣魔の圧は増す一方で、二振り目すら耐え切れず鉄の魔剣が砕け散る。
ギリッ、と歯を食いしばったレンと、レンに迫る深紅の巨剣を見て飛び込もうとしたリシア。
将の猛威は二人の想像を遥かに上回り、蹂躙した。
『ゴォッ! ガァァアッ!』
巨剣を振る度の威圧的な声。
リシアが本気で使う神聖魔法で、たとえ数年先の自分を借りてきたような感覚があったとしても……。
これでようやく、延命できただけ。
ただ、それだけにしか思えない暴力の波。
レンも諦めてなどいなかった。
しかし、このまま戦っても勝てないことは確信していた。
(……
剛剣技における剣聖の証、かの戦技があれば剣魔にも大きなダメージを与えられるはずなのに。
それがどこまでも遠く、扱える気配がない。
どのような戦技か、どういう力があるか――――すべてを想像してもそうだ。
『ゴォオオオオオオッ!』
「く――――ッ」
考えている間にも迫る巨剣を防ぐも、やはり鉄の魔剣が砕け散る。
彼の視界、黒鉄色の剣身が砕け散る姿を目の当たりにしながら、頬に汗を流し、死に瀕した様々な感情に苛まれながら、レンは歯を食いしばった。
すぐ近くで戦うリシアの心配する顔を見て、賭けに出る。
「――――焼き尽くせ!」
空中が割れて、持ち手を覗かせた炎の魔剣が放つ圧。抜き去ると同時に切り上げれば、かの龍王の炎が剣魔を包み込んだ。
『ッ!?』
レンが森で使っていたときと違う、黄金の炎。
やはり、これなら魔王軍の将が相手でも対抗できる。
「リシア様ッ!」
「ええ!」
炎から逃れようと腕を振る剣魔の巨剣。意識の多くが炎の魔剣に向いていたこともあり、リシアがいま一度懐に入り込む。
剣魔の腰に向けて突き立てる白焉の一撃を遮ろうとする巨剣は、リシアの背後から生じた炎に防がれた。一本の巨剣に放たれた強烈な炎で、剣魔はその一本を弾かれてしまう。しかしそのまま手を伸ばし、白焉を掴み取る。
「すごく痛いわよ、それ!」
水が蒸発するような音が剣魔の手元から白い煙を伴って生じた。
呻き声をあげながら、それでも剣魔の兜の奥で瞳の代わりに魔力が煌めく。巨剣は瞬く間に波動を纏い直した。
一方的にレンとリシアが消耗するだけ。
炎の魔剣で巨剣の力を剥がせたところで、すぐに元通り。
『陛下ノ――――御許ェエエエエッ!』
四本の巨剣を振りながら行使された強力な魔法の数々。
不意に二人の背後の床が崩れ、瓦礫を禍々しい魔力を纏って宙を行き交う。山肌がいたるところで隆起する。さながら、アシュトン家の村にあったツルギ岩のよう。磨き上げられた岩の表面を紅い雷が、巨剣を振る度に二人へ迸ろうとしていた。
「リシア様、俺に考えがあります」
リシアが神聖魔法の壁を生み出そうとしていたのを見て、レンが彼女を止めた。
「私は何をすればいいの?」
「これまでと同じように、神聖魔法で俺を支えてください」
「わかった。その後はどうする?」
「耐えきってから仕掛けます。そのときも俺が命懸けで隙を作りますから、俺に何があっても剣魔を貫くことだけ優先してください」
「……最後の一撃にかけるのね」
リシアの力を温存しなければ二人に未来はない。だからこうするしかなかった。
また、剣魔の攻撃があまりにも多くの方向から襲い掛かってくるから、盾の魔剣も向いていない。
「絶対に、支えきってみせるから」
はじめて頼られた気がした。あのレンが、まさか自分にそんな言葉を口にするとは思ってみもなかった。
けれど喜ぶのは後だ。浮かれていると死んでしまう。
遂に迫る剣魔の攻撃のすべて――――レンを信じたリシアは一切臆せず、来るべき時に備えて神聖魔法を行使した。
すると、
「はぁぁあああああああッ!」
炎の魔剣を横薙ぎ、生じた炎で瓦礫を灰も残さず焼き尽くす。
小さな破片がレンの頬を掠め、じわりと出血。まばたきする暇もないうちに雷が届くも、炎の魔剣を振り下ろし星殺ぎで防ぐ。
つづく連撃の中。
波動を纏う巨剣を剣魔が四本同時に振り上げ、これまでにないほど魔力を滾らせると……。
『オオオォォオオオオオッ!』
レンの咆哮に応えるかのように、剣魔も声を上げ巨剣を振った。
巨剣が纏う波動がすべて交わると、螺旋を描きながら巨大化する光弾となり放たれた。
刹那の時間に、レンはあれを星殺ぎでは防げないと悟った。
いまの、リシアの手助けがあっても絶対に。
だが、レンは背中に感じる温かさに一瞬振り向いた。
「レン」
リシアが微笑んだ。
彼の言葉を何一つ疑うことなく、信じていた。
「……少し、待っててくださいね」
「ええ。レンも私のことは心配しないで、前だけ見ていて」
防げないと悟ったから、どうしたというのか。
剣聖の技が使えないからと言って、何なのか。
エドガーが……魔法を用いる剛剣使いの特別な戦技を強くイメージして、持ち手を握る手に力を込めたレン。
あれは未完成にもほどがある。訓練で得られた達成感は僅かだった。それでも、いまのレンは普段よりすべてにおいて高まっている。
やれなかったときは二人とも死ぬ。なら、やるしかない。
もはや目と鼻の先まで迫っていた光弾に、レンは炎の魔剣を振り上げて――――。
『――――!?』
この世界で、最も美しい炎だった。
煌々と黄金に輝いた火花がダイヤモンドダストのよう。二人の眼前に生じた黄金の壁は、剣魔が放つすべてを跡形もなく消し去った。
「……ほんと、すごすぎるんだから」
信じていたけれど、驚くかどうかはまた別。
黄金の炎を纏う剣を手に、前へ進みはじめたレンの声。
「リシア様ッ!」
「ええ、行きましょ!」
「はい! ……終わらせるぞ! 剣魔!」
剣魔の足が黄金の炎に封じられた。甲冑は溶解していなかったが、表面の艶は少しずつ消えた。
だが剣魔は上半身を抱くように腕を寄せ、広場を囲む魔力や瓦礫を再び引き寄せる。レンが炎の魔剣を構え、リシアに迫るすべてを焼き尽くすも、絶えず襲い掛かる瓦礫と魔力の結晶。
奴は魔王軍の将を務めた魔物。
一度大技を防げたところで、二度目がない保証はなかった。
背を取ろうとしていたリシアが雷に怯むと、背の憂いが消えた剣魔が四本の巨剣を振り回す。リシアもそうだが、一番の敵はレンだと知ってか、剣魔は冷静に、冷酷にレンを殺すために雄叫びを上げた。
もしもリシアが背中から襲い掛かってきても、まずはレンを殺す。
炎の魔剣が砕け散り、無防備になった。
「く――――ッ」
魔力の消耗に頭痛を催しながら、レンは懸命に魔剣を再召喚。
常に大技を用い、宙を行き交う瓦礫や雷、波動を放つ敵に対してあまりにも力不足だった。
いくつもの天災を、たった一人の少年が受け止めつづけることは無理だった。
「こ、の――――ッ!」
レンはふざけるなよ、と心のうちで苦笑いしていた。
どうして自分とリシアがこんなめに遭うのか、砕かれた神像に文句を言いたかった。でもしなかったのは、諦めていないから。文句を言う暇があったらどう対処すべきか考えたい。
懸命に後退しながら戦うも、既にその動きすら剣魔が上回る。
剣魔はレンが炎を放つより先に、すべての動きを封じ切っていた。
(そんな顔、しないでください)
剣魔の背中越しに見えたリシアの悲痛な表情を見て。
まるで、自分が負けるように思われている。実際にはそうではなくとも、リシアはレンの身を案じつづける。
それを見たレンは、胸を締め付けられる思いだった。
しかも、リシアにあんな表情を浮かべさせているのは自分。
この状況に陥った理由などはさておき、戦いの最中に彼女を心配させているのは参れもなく自分なのだ。
だからこそ、憎い。
俺を完膚なきまでに蹂躙する相手のことが、とても憎い。
そう、レンは鋭い眼光で剣魔を睨む。
「――――死ぬことなんて、もうずっと前から恐れてない」
盾の魔剣を召喚し、それを携えた片腕を伸ばす。
魔力の盾を幾重にも重ね、後退を止めて前に突きだした。もう一方の手には、召喚し直した炎の魔剣。
この戦いの中、消耗や戦い方の観点から避けていた二本同時召喚。
『オォォォオオオオオオオッ!』
「目の前の俺を、簡単に殺せると思ったか――――剣魔」
『……!?』
明らかな弱者に対し、恐れを抱くという矛盾に駆られる。
されど剣魔は、レンの身体を切り裂くことだけを考えて巨剣を振るった。一振りで何層もの魔力の盾を砕き、二振り目には盾の魔剣ごと、レンの首元から胸、そして腹に目掛けて一文字。
(生きてる。十分だ)
実際どれほどの重傷か想像もつかない。痛みに頬を歪めたレンの身体に向けての三振り目は、彼がコマのように身体を旋回して躱す。
残された四振り目、最後の巨剣。
残る力をすべてつぎ込んだと言ってもいいほどの炎で受け止めて――――。
鍔迫り合いに入った巨剣を黄金の炎で溶かしきる。レンはその勢いのまま、剣魔の肩口へ向けて炎の魔剣を振り下ろした。
「あああああああああああああぁぁあああああッ!」
痛みに喘いだのか、咆哮なのか自分でもわからなかった。
明らかなのは、相手の腕を一本奪ってやったこと。切り口から溢れ出た剣魔のエネルギーが、辺りの空気を黒く汚す。
石畳に腰をつき不敵に笑うレンを見下ろした剣魔が、巨剣を振り上げた。
「お願い……だから」
悲痛な声を上げたリシアが見る先、出血で目が霞みながらもレンはまだ一矢報いようとしていた。
リシアも剣魔を止めるべく飛び込むも、彼女ほどの腕があっても対抗できないのが剣魔だ。前衛のレンがいなければこうも儚い。
リシアが少し離れたところで這いつくばりながらレンを見る。彼も彼女を見ていた。どれほど深々と腹を切り裂かれているのか、出血の限りを尽くした姿から想像もつかない。常人であれば死を待つだけの深手だろう。神聖魔法の名残りで延命しているに過ぎないはず。
「……もう、やめて」
リシアが砂利を握りしめながら、涙を流しながら叫ぶ。
レンに巨剣が振り下ろされる光景を、目の当たりにしながら。
「……私の大切な人を――――それ以上傷つけないでっ!」
光――――だった。
白銀の光を纏う、ガラスに似た翼がリシアの背中から現れる。
何事かと思うより先に感じる神秘に、レンは言葉を失った。
大きく広げられた翼は、やはりガラスが並んだようなそれ。
翼が放つ光の粒子が剣魔に届いて、その甲冑を溶かしていた。いくつもの閃光が放たれる。剣魔はレンを殺すより先に閃光の対処に気を取られ、巨剣を振って受け止めた。
『グ、オォオオ……!?』
けれど弾けず、閃光は剣魔の身体を貫いた。
代わりにレンの身体は閃光に触れるだけでたちまち治り、致死性の傷が最初からなかったかのように消えていく。
心なしか活力も取り戻しつつあった。
『……オォ……ッ……』
リシアの攻撃は止まらなかった。
驚くレンは一つ冷静に、ある事実を視界に収めた。
何か、変だ。
あまりにも不可思議な状況に、レンはリシアの顔を見た。
「リシア……様?」
リシアはいつからか、両手で頭を抱えながら身体を丸めていた。彼女の意思とは別のように、翼から閃光が放たれつづけた。
◇ ◇ ◇ ◇
白い空間にいた。
リシアはその白い空間の中で、母の胎内にいる赤ん坊のように丸まって漂う。
どこからか、鈴の音が聞こえてきた気がした。レンとリシアがこの封印の中に迷い込む前にも耳にした、あの音色だ。
「…………」
漂う自分は、どこへ向かっているのだろう。
わけもわからず、だけど抵抗できない。大好きなレンの気配が遠くなっているような気がして、彼女はそれが怖かった。
「…………」
何も声に出せない。辺りを見渡そうにも体勢すら変えられない。
途中から、リシアは誰かに呼ばれているような気すらしはじめた。誰かはわからないが、自分を何処かへ連れて行こうとしている。女性の声であるような気がしていた。
「…………」
イヤだ、と言えなかった。
言いたかったのに、何一つ抗えなかったから。
――――いつしか、考えることもできなくなりつつあった。
怖いと思っていても、何もできなかった。
五感も消えて、意識も遠のきはじめた。
このままだと自分はどうなってしまうのか、それも考えられなくなってしまいかけたのだが、
「…………?」
身体を抱く腕に、自分のではない腕を重ねられた気がした。
『――――ア様』
白い空間に響き渡った声が、漂いつづけていたリシアを繋ぎとめた。
もう何もかも、目を開けないからわからないはずだったのに……リシアは自分を呼ぶ声を理解できた。
消えていたはずの五感も、消えかけていたはずの意識も戻る。瞼を開けられそうな感覚も訪れた。
『――――シア様!』
また、鮮明に聞こえてきた声。
……彼の下に帰りたい。この何もわからない状況下で、リシアはそのことだけははっきり考えられた。
だけど、自分をどこかへ連れて行こうとする気配も消えていない。
怖くて怖くて、
「…………ン」
抗うように、
「…………レン」
彼の名を呼ぶ。瞼も開けて、辺りを見た。
これまでリシアを呼んでいた何かは見えないが、辺りを満たす輝きは
けれど抗って、レンの声にだけ応えた。
「レン!」
白い世界にひびが入った。
私はレンの傍を離れる気はない――――と強く心に思った。
すると、胸の中にあるはずの魔石が強く痛んだ。両手で押さえつけるも変わらず、リシアは痛みに頬を歪める。
何か、強い力によって命令されているようにも思えた。
「……やめて」
相変わらず何もわからないが、怖い。
自分が傍にいたいのは、よくわからない光なんかじゃない。
「レンの傍……なの……っ!」
魔石に訴えかける強制力は増す一方だった。
けれど――――その強制力を上回る、まるでリシアを自分のものだと言わんばかりの。
そんな、別の強制力がリシアの魔石の痛みを払った。
リシアを襲う不快感が一瞬で消え去った。
彼女を襲う強制力は、突如として現れた別の強制力を嫌った。すると不思議なことに、最初の強制力はリシアを完全に拒絶する。
リシアは代わりの強制力――――いや、彼の存在に包み込まれる思いだった。
『――――リシアッ!』
その声が響き渡ると同時に、白い世界は粉々に砕け散った。
◇ ◇ ◇ ◇
「……レン?」
リシアの背に翼はなく、いつもの姿に戻っていた。
目覚めたリシアが目の当たりにしたのは、自分を膝に抱いたレンが見下ろす姿だ。
さっきまで必死に呼びかけていた彼の頬に安堵が見える。手を伸ばした彼は、リシアの頬にその手を当てて微笑んだ。
「戦いの途中で寝るのはまずいですよ――――リシア」
「……レン、私の名前……」
「本当ならここを出てからの予定でしたが、あまりにもリシアが起きなかったので」
「あ、あははっ……もう。私が起きなかったからって、いきなり名前で呼ぶのはズルいじゃない」
「急に寝たリシアが悪いんですよ。申し訳ありませんが、異論は聞けません」
リシアは頬にあるレンの手に自分の手を重ねた。
彼の傷が治っていたことを知らずに神聖魔法を使うと、何故か決死の覚悟で使っていたさっきより効果があった。
「あのね、レン」
レンが「はい」と頷く。
「……勝手に人の魔石に命令しないでよ。ばか」
「してないですけど……何があったんですか? さっきのすごい攻撃もそうですけど……」
「どっちもわからない。けど、レンが私の魔石に命令したみたい」
「ですから、俺は別にリシア様に命令してませんって! というか、魔石に命令ってなんですか!?」
「ふふっ、私もよくわかってないの」
さっきまでの妙な強制力は一切なかったし、リシアは何となく、今後もそうなることはないだろうと思った。レンといれば間違いなくそうならないと思える。胸に秘めた魔石もそう言っているような感じがした。
いまあるのは、レンに神聖魔法を使うといつも以上に効果がある事実だ。魔石そのものが、彼にだけ力を尽くしているような感覚だった。
「剣魔は?」
「まだいます。リシア様の閃光と俺の炎で――――あっちに」
剣魔は神像の下にいた。
閃光と炎に追いやられ、そこで身構えていた。レンはリシアを座らせると、一人で立ち上がって歩きはじめる。
この戦いを、終わらせるために。
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