剣の魔物【後】

 剣魔は逃げていたのではなく追いやられていたようだ。

 リシアが放った閃光に押され、彼女が気を失っている間にレンが放った劫火に押されて。



 レンの耳に、奴が立ち上がろうとしている音が聞こえてくる。

 剣魔が衝突した衝撃で神像がまた一つ崩れている。瓦礫を巨剣で防ぎなら膝をつく姿から、まだ戦う意思が窺えた。

 光に貫かれた身体を労わりながら、ゆっくり立ち上がる。



『……レンだけでも、無事でいて』



 森を超え、丘陵でマナイーターと戦ったとき。イェルククゥが無理やり自身の封印を解いたことで、本来の力を取り戻したマナイーターに蹂躙された際のリシアの言葉。



 また、あの状況に陥りかけた。

 強くなると決めたのに、自分のことが情けなくてたまらない。



「リシアは待っててください」



 傲慢にも一人で倒しきるといっているわけではない。目が覚めたばかりのリシアのことが心配だから、彼女を少しでも安ませるための言葉だった。

 また、それとは別に倒しきれればという考えがないわけではない。

 より強く全身を満たす神聖魔法の強さが、彼の心を奮い立たせていた。



 レンは炎の魔剣ではなく、鉄の魔剣を手にした。

 これが一番、剛剣技を使うときも勝手がいいから。



「俺を信じて、そこで待っていてくださいますか?」



 答えなんて決まり切っている。

 ずっとずっと前から、それこそ彼と逃避行をするようになってから、信じていなかったときなんてなかった。

 リシアはレンの背に向けて、



「――――ずっとずっと前から、何もかも信じてるわよ」



 これ以上ない言葉を届け、レンを勇気付けた。

 時の檻は既にかなり弱まっていた。霧も相当薄くなっている。封印が破られるときは限りなく近い。つまり二人が外に出られるときの来訪もそうだった。



「二対一をずるいと思うなよ。これは命をかけた戦いだ」



 レンの脳裏を、これまでの学院生活が駆け巡る。

 やはりと言うべきか、自分が生きる世界はこうしたことが度々起こる。

 常にこうした戦いに身を投じていたいわけではなかったが、残念なことに、こうした戦いをしている自分は自分らしいと思ってしまった。



『陛下……ノ……ッ!』



 腕は一本既になく、甲冑はボロボロになっていた。

 しかし侮ることなかれ。魔王軍の将はレンと同じように執念深く、諦めず戦いに身を投じることだろう。それを証明するかのように剣魔が疾走。これまで以上の神速で駆け抜け、石畳を舞い上げた。死にかけの魔物より獰猛に、巨剣に纏う波動も最後にすべてを振り絞っていた。



 剣と剣がぶつかり合うたびに火花が生じ、雲散した魔力が燦爛たる様相を呈していた。鉄の魔剣はいま、砕ける様子がなかった。



『もし、俺が剣を磨いた果てが剣王だったら……とは考えてしまいますけどね』



 はじめはクラウゼルの屋敷でレザードから。やがてこちらで暮らすようになってからラディウスとも話した。どの機会でもレンは、そうなれたらいいかも――――くらいにしか言葉にすることができなかった。



 どうせ限界が来ると思って、自分で自分を抑えていた。

 ただそうなれたらいい、と消極的にもとれることを口にして予防線を張っていた。



『剛剣の本質は獅子王が戦場いくさばで謳ったように、『星殺ぎ、黒を仰ぐ』だ。剣聖になりたければ、努々忘れることなきよう務めるといい』



 いつだったか、エステルが語っていた。

 巨剣が頬などの皮膚を容易に切りつける。レンは歯を食いしばった。

 極限まで纏い、、の練度を高め、意識せず自由自在に使いこなす。



『ッ――――!?』



 レンがはじめて剣魔を押し返したのは、このときからだった。

 神聖魔法で強化されたこともあるだろう。しかしレン自身、この死闘の中で成長している。

 息を吐く暇のない連撃。鉄の魔剣が黒い魔力を微かに纏っていた。



「もう、どこまでもいくよ。強くなるために」


『ォオ――――ッ!』


「だから、俺は勝つ」



 黒を纏った鉄の魔剣を肩より上に持ち上げて、切っ先を剣魔に向けた構え。

 振り向いたレンと、唖然とした様子で振り向いた剣魔。



「それにいまは、負ける気がしないんだ」


『……ッ』



 彼の口から発せられた言葉に、剣魔の様子が変わった。

 これまで見ていた脆弱――――とは言わずとも、自分の敵ではなかったはずの少年が見せる、強者の覇気。

 目の前の覚醒はただごとではなかった。いくら魔王軍の将だった魔物でもそれは変わらない。



『陛下ノ――――』



 矜持がある。魔王に従うことへの誰にも譲れない意地があった。



『御許ヘ――――ッ!』



 度々口にしていた言葉をまた発し、巨剣すべてに波動を纏わせた。いままでと違い、甲冑の強化に向けていた力もすべて、攻撃のために費やした。ただの魔物にあらず。誇りをもった騎士にすら見える。



 待ち受けるレンもただの少年ではない。



(いくぞ、レン)



 彼は大きく息を吸い、肩より上で構えた鉄の魔剣の切っ先を剣魔に向けた。

 待ち受けるレンと剣魔がすれ違う――――そう見えた光景は次の刹那に一変する。



 ガラン、と甲冑の腕が一本と巨剣が断たれ、石畳に落ちた。あの一瞬のすれ違いで、鉄の魔剣がいとも容易く断ち切った。

 一方で鉄の魔剣は砕けることなく、そのままレンの手元にあった。



「……まだ、力が足りないか」



 彼はいま、心の中に強く思い浮かべてその力を顕現したのである。

 レンがる戦技の中でも、他の追随を許さぬ攻撃を誇った戦技。まさしく剛剣の理不尽そのもので、星殺ぎのように特別な効果はない。剛剣のはじまりから決められている唯一の概念、強くあること。剣聖となった者が見せつけるのは、その絶対的な破壊力。



 即ち、剣聖の証。

 レンにはまだ扱いきれなくとも、その一端を一瞬だけ見せつけた。改めて行使しようとしてもできず、鉄の魔剣が纏っていた黒い魔力も消えてしまったのだが、もう十分だ。

 剣魔の状況を見れば、それが確定的だった。

 


 不死にも思えた剣魔にも、ようやく終わりが訪れようとしていた。



『――――身ヲ、捧ゲン』



 が、満身創痍でありながら、剣魔は二本の腕だけで巨剣を掴み取る。叫びながら石畳に深々と突き立てた。

 砕けた石畳の下から光が漏れ出し、辺り一帯の地がひび割れる。

 ローゼス・カイタスが崩壊しはじめる。レンは足元が崩れ去る寸前にリシアの下へ駆けた。



「リシア! 俺の手をッ!」


「っ……ええ!」



 リシアの手を取り離脱しようとするが、石畳はその下の地形ごと崩壊した。剣魔の最後が放った力でどこまでも深く破壊されていき、二人は遥か下へ落ちていく。



 剣魔は自分がいた場所の床に巨剣を突き立てたまま、膝を付いて二人を見ていた。

 どこまでも落ちていきながら、剣魔はそれでも二人を仕留めようと腕を振り、周囲の岩石を操作。自然魔法で外へ脱することができなかった理由だ。

 更に雷も辺りを舞う中でレンがそれらを殺いでいると、



「私ならもう大丈夫。だから、一緒に戦わせて」


「……本当ですか?」


「ほんとよ。こんなとこで嘘を言ってレンを困らせる気はないわ」



 レンはリシアの顔を見て頷く。



「……わかりました。でも、絶対に無理はしないでください」


「ええ。約束する」



 戦った後のことは考えない。いま必要なのは剣魔との決着のみ。

 本当の本当に最後の鬩ぎ合いに二人が立ち向かおうとすると、 



『アシュ――――トンッ』


「な……お前、いまなんて言った!?」



 レンは名乗っていない。それなのにアシュトンと言いかけた剣魔に二人は驚いた。

 しかし重要なのは剣魔に問いかけることではない。レンはそのことをしかと考えて鉄の魔剣を握る手に力を込めた。



 剣魔が操る瓦礫を足蹴に、落下していきながら距離を詰める。

 もはや剣魔は剣に頼ることなく、膨大な魔力を用いて二人を襲った。それは苦し紛れに過ぎなかった。

 剣魔の下にたどり着いた二人、剣魔が巨腕を振り上げようとすればリシアが防ぐ。

 レンは奴がもう一方の腕を振り上げる寸前に、



「はぁぁあああああああッ!」



 咆哮を発しながら剣魔の胸元を貫けば、甲冑の中から魔石が砕ける音がした。

 剣魔は魔石が砕かれたのにもかかわらず、せめてレンだけでも殺そうと瓦礫を引き寄せる。



「ま、まだ動けるの!」


「みたいです! でももう限界のはずだ!」


「っ――――ええ!」



 いつからか宙に浮いていた巨剣も、魔力で動かしてレンに切っ先を向けた。彼の背に突きさそうと残る腕を伸ばす。

 ……ふと、眩い光に包まれた鉄の魔剣。

 レンは戦いに没頭するあまり気が付いていなかったが、腕輪に光の粒子が舞い込んでいた。



 ・ミスリルの魔剣(レベル4:1900/6500)



 剣魔の魔石を吸い進化に至った。

 その名と姿を変え、レンの手元に戻る。

 地上から降り注ぐ光が剣身を照らす。鉄の魔剣の黒鉄色が、いまでは瑠璃色を思わせる美しい蒼に染まっていた。



「レン! 私と一緒に!」



 魔王軍の将を務めた魔物がいま、少年と少女に敗れる。



「これで終わりだ! 剣魔!」


「これで終わりよ! 剣魔!」




 進化した魔剣を振り上げたレン、白焉を構えたリシア。

 最期、力なく手を伸ばした剣魔の声。



神子ノ、、、末裔、、、ヨ――――』



 剣魔はその甲冑を残すことなく消滅させ、先の言葉は謎のまま。

 ローゼス・カイタスの戦いは、これにより終焉を迎えた。



――――――――――



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