4章のエピローグ【前】

 獅子王大祭の賑わいが、一週間もした頃には完全に消えていた。

 帝都を賑わせていた国内外の貴族や両行客、出店も姿を消し、獅子王大祭の準備期間以前の姿が戻っていた。

 帝都に存在する多くの学び舎でも同じだった。各競技に参加した者を讃える会話も減り、授業の課題のことだったり、夏休みのことを話す者の姿ばかりが見られた。



 盛夏の頃、昼休みの屋上で。



「……静かね」


「……静かですねー」



 その場所に二人、レンとリシア。

 レンはベンチに腰を下ろし、リシアは屋上のフェンスに背を預けて。

 この穏やかな学院生活が日常なのか、それとも先日の非日常こそ日常なのか。色々なことを経験しすぎた結果、自分でも似たようなものかと思ってしまう。



「レンは昨日までまだ疲れがー……って言ってたけど、今日はどう?」


「もう本調子です。リシアはどうですか?」


「私も。やっと獅子王大祭がはじまる前と同じくらい元気になったわ」



 戦いによる傷というよりは、魔力の消耗と気力の消耗だった。

 あれから色々なことがあったから、本当に気が休まる時間が戻ったのはつい先日のことで、ようやくこうして静かな時間を過ごせている。



「今日は久しぶりに、獅子聖庁に行ってみる?」


「……そろそろいいかもしれませんね」 



 そろそろ、というのは休むための時間が十分と言うこと。

 たった数時間のことだったのに、ローゼス・カイタスでの時間は濃密すぎた。

 剣魔との戦いが終わってから。

 二人があの後、どこまでも落ちた先でのことだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 二人が落ちる穴の周りも崩壊がはじまっていたから、崩壊する空間に自然魔法で根を張って上へ逃れることは難しかった。

 数えきれないほどの岩石と瓦礫を断ちながらの落下がいつまでつづくのか……。

 いつまでもつづくと思われた時間が終わったのは数秒後。落ちた先に見えた地底湖と、そこに繋がった地下水脈に二人の身体は飛び込んだ。



 落下物はリシアの神聖魔法で防ぎ、水の流れに任せること数分。

 ときに水面に顔を出し、全身を水に沈めることを繰り返して、



「――――ぷはぁっ!?」


「――――けほっ! けほっ!」



 明るくなってきたところでまずはレンが水面の顔を出し、次にリシアが呑み込んだ水を吐きながら息をした。



「レン! 泳げる!?」


「全然大丈夫ですけど、リシアは泳げないとか――――ッ!」


「……勘違いしないで。泳いだ経験がないだけよ!」


「そ、そうでしたか。ひとまず、俺に掴まっていてください!」



 レンも泳いだ経験はない気がしたが、問題はなかった。

 二人が浮上したのはローゼス・カイタスの外、橋が架かっていた峡谷の下を流れる川のどこかだった。

 水の勢いは言うほどでもなく、この辺りは清流の言葉が似合いそう。

 どうやら二人は、外へ通じる水の流れに乗っていたようだ。



「リシア、手を」


「ええ。ありがと」



 浅瀬を歩くレンがリシアに手を貸し、二人で川岸へ歩を進めた。

 リシアはそこでスカートの裾を掴み、川の水を絞った。レンはというと、炎の魔剣を召喚して近くの木を切った。

 生木だからどうかと思ったが、炎の魔剣は関係なしに火を熾す。



 水を絞ってもまだぴたっと肌にひっつくスカートに、リシアは少し居心地が悪そう。



「ふふっ。夏なのに、焚き火をありがたいと思うときがくるなんて」



 少し休憩してから帰ろうと思った。

 だが、



「――――あっちを見て」



 リシアが上を見上げて言った。

 視線の先にはローゼス・カイタスがある山へ通じる橋が見える。目が霞むほどの高さにあるが注目するのはそこではなく、更にその上――――ローゼス・カイタスがあった場所。



 ここからでは角度のせいであまり広く見渡せないが、時の檻が消えている。周辺にいる者たちが驚く声が僅かに聞こえてきた。



「やっぱり、壊れてるわよね」


「じゃないと俺たちは出られなかったでしょうし、だろうなと思ってました。気になるのは、あれからどのくらい時間が経ってるかです」


「あれからって、私たちが時の檻に中に入ってからよね?」


「はい。腕時計を確認しようにも見ての通りでして」



 壊れていて当然だ。

 文字盤のカバーは割れて、針もどこかへいってしまっている。



「エルフェン教に文句の一つでも言いたいけど、それはそれで話が大げさになりそうなのよね」


「ですねー……どうして俺たちだけが巻き込まれたんだ、とかで魔王教との関係を疑われたら面倒そうです。どうするかは、ユリシス様やラディウスに相談した方がいいかもしれません」


「そうね。けど、万が一面倒なことになったら、一緒に逃げちゃいましょうか」


「うわぁ……完全にお尋ね者じゃないですか」



 もちろん二人は冗談で言っていた。ともに笑っていたくらいだ。危険な状況になるとは思っていない。そもそも、二人がローゼス・カイタスの中にいた事実を知る者はいないはず。



 いまここで考えて答えを出すのは無理な気がしたから、再び橋を見上げてみる。

 だが二人は同時に砂利の地面に腰を下ろし、焚き火を眺めだした。



「身体がまったくと言っていいほど動かないので、もう少し休みますか」


「ええ……私ももう、すぐにでも寝たいくらい」



 気が抜けたからなのか、全身の気だるさが尋常じゃなかった。

 リシアの神聖魔法で身体を癒すのもいいが、彼女に不要な負担を強いるのもいかがなものか。レンはリシアの力に頼ることを微塵も考えることなく、とりあえずここで、もうしばらく身体を休めるのがいいと判断。



「これ、どうやって帰ればいいんでしょうね」


「ええと………どこかに階段とかはないのかしら」


「こんな峡谷の底にですか?」


「……自分で言っておきながら、なさそうな気がしてきた」


「ということは、山登りですね」


「ま、またなのね……」



 先のことを考えると気が滅入る。

 けれども、生き残れたこと以上の喜びはなかった。

 


 ――――十数分後には、フィオナとクロノアが二人の下へ駆けつけた。



 フィオナは午後からレンとリシアと武闘大会を観戦する予定だったこともあり、空中庭園で待っていた。ローゼス・カイタスに異変が生じた連絡を受けて、クロノアと共に駆け付けたのだ。

 二人のことはクロノアが探し、気配が渓谷の底にあったから知ることができた。

 


『――――お二人とも、まずは安全な場所に参りましょう』



 状況はわからずとも、フィオナは川岸にいた二人が騒動に関係していることだけは一瞬でわかった。

 結局、どこが安全かと言うとユリシスの傍だった。どういう意味かは、様々な要因から。

 帝都へ帰る途中、レンとリシアはクロノアからあることを聞いた。



『聞けば聞くほど妙だね……。多分だけど外にいた人たちには、急に封印がなくなったように見えたんじゃないかな。二人が封印の中に閉じ込めらた理由はわからないけど……』


『クロノアさん、それって――――』


『うん。二人だけ時間が経過しない空間に閉じ込められてたんだよ』 



 時計を見たレンとリシアは唖然とした。

 聖歌隊の歌を聞いてから、それこそ二時間も経っていなかった 

 つまり、外にいた者たちが時の檻の崩壊に気が付いたのは、時の檻の中の戦いが終わってから。

 レンとリシアが何をしていたのかなどは、知る由もなかったのだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 二人は近しい者たちにだけ何があったのか告げた。時の檻の真相を知るのはクラウゼル家の面々と、イグナート家の面々、それにクロノアとラディウスだけ。



 あの日、二人がした話にはラディウスによりかん口令が敷かれた。

 後のことは一度自分に任せてくれ――――彼とユリシスは力強く、そして憤り交じりの声で言った。



 屋上でゆっくりしていた二人の耳に、鐘の音が聞こえてきた。

 いつもなら午後一の授業開始を知らせる鐘の音だが、今日は午後の授業がない。二人に限った話ではなく、今日は学院が午後から休校だった。獅子王大祭準備期間との兼ね合いで、教員たちの仕事があったからだ。



「帰りましょうか」


「ですね」



 屋上を離れた二人。

 校内へ戻る扉を開けるとき、扉が軋むような音を上げた。



 校内では二人と同じで帰り支度に勤しむ生徒や、帰る前に友人との会話を楽しむ生徒たちで賑わっていた。

 二人を見かけたカイトが声を掛ける。リシアは軽く距離を取って、二人の邪魔をしないように気遣った。



「よぉアシュトン! いまから飯でもどうだ?」


「すみません。俺はもう帰るつもりだったんです」


「おぉ~……じゃあまた誘わせてもらうぜ!」



 踵を返そうとしたカイトが、慌ててレンに振り向いた。



「最近あんま会えないんで言えなかったが、獅子王大祭のときはありがとな! おかげで最後まで楽しい時間だったぜ!」


「ですけど、準決勝と決勝は行われなかったんですよね」


「ま、それだけが心残りだけどな。でも仕方ないって。あのローゼス・カイタスの封印が解けたってんで大騒ぎだったし、それどころじゃなかっただろ。六日目と七日目はそのせいでなかったようなもんだ」



 レンが「確かに」と苦笑しながら頬を掻き、あさっての方向を見た。

 その先にリシアがいて、彼女もレンと同じように苦笑していた。



「すごかったらしいぜ。ローゼス・カイタスの中の様子」


「何がすごかったんです?」


「そりゃもう戦いの痕だ。伝承に残されてた神像の広場は跡形もなくて、ずっと地下までつづくでっかい穴があったんだとよ。当時はきっと、とんでもない戦いがあったんだぜ」


「……ええ。そうかもしれませんね」


「いまではエルフェン教が調査中だとよ。どうして急に封印が解けたのか、まだ何もわかってないんだとさ」



 カイトが語ったすべてが、あの後のローゼス・カイタスについて。巻き込まれた二人の話は限られた者しか知らないから、このくらいしか話が進んでいなかった。

 話し終えたカイトは「じゃあな!」と言って何処かへ行ってしまった。



「レン」



 とととっ、と軽い足取りで近くに戻ったリシア。

 彼女は少し迷ってから、先ほど同じように苦笑しながら、



「もしも私たちがやったんだって言ったら、どういう反応だったと思う?」


「レオナール先輩だったら、楽しそうに『馬鹿言うな』って笑い飛ばしてくれますよ」


「ふふっ――――そうかも」



 そう言えば、あの件の事後処理周りはラディウスとユリシスに任せている。

 ラディウスが何かあれば話に来ると言ってから、もう何日も経っていた。



(意外と、俺たちに知らせるようなことは何もないのかな)



 ラディウスは獅子王大祭六日目、レンとリシアが時の檻の中に入った日以降、レンに顔を見せていない。時の檻の件でそれはもう忙しいと言うことだけ、ミレイが学院に来たときに言っていた。



 校舎を出て、校門を出る。

 いつも通り駅に向かい、エレンディルへ帰るだけの予定だったのだが――――。

 校門の外、二人が少し歩いたところに現れたラディウス。

 彼は驚いたレンとリシアを見て、 



「――――すまないが、いまから時間を貰えるか?」



 久しぶりに顔を見せたと思えば、ラディウスは唐突にそう言った。



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