盛夏の夜、精鋭と共に。
すぐ七月になった。
成すべきことが多かったから、あっという間だった。
――――帝国士官学院の二次試験が終わったその日、夕方になってから。
リシアと共に屋敷へ帰ったレンはその顔に、時が進むにつれて緊張感を帯びつつあった。それを見たリシアが、深くため息を吐く。
でも、何も言わなかった。
言いたいことは山ほどあったのに、そのすべてが口から出てこない。
「……こういうとき、貴族でなければ一緒に行けたのかしら」
広間のソファに座ってそう呟いたリシアに対し、レンが「どうしたんですか?」と問いかける。リシアは「力不足を実感しただけよ」と言い、テーブルに置かれたカップを口に運ぶ。注がれていたのはレンが淹れて間もない茶だ。それを飲むと少しだけ気分が落ち着いた
「あ、そういえば」
「なーに?」
「試験の際、
「……」
久しぶりの呼び方を聞き、リシアがきょとんとした。
すぐ傍に座ったレンの顔を見ながらまばたきを繰り返し、レンが首を捻ったのを見てほおを緩ませる。
「きっと、お嬢様の友人は申し込みをするのが早かったのよ。だから私たちと違う教室で受験してたんじゃないかしら」
レンはその返事を聞いて理解した。
「……何となく、以前のようにお呼びしてみたくなっただけです」
「ふふっ。ちょっとだけ新鮮な気分だった。けど、レンも緊張するんだって思ったら嬉しくなっちゃった。……あ、でも前にも似たようなことがあったかしら?」
「き、緊張ですか?」
「ええ。緊張してるんでしょ?」
リシアはそれでも猶、明確な単語は口にしなかった。自分の言葉がレンの負担になることを嫌って、心の中に留めておいた。
それから数十分が過ぎた頃だ。
クラウゼル家の屋敷へと、二人の客が訪れた。
給仕がひどく緊張しながら案内したのは、フィオナ・イグナートである。彼女に控えるようにエドガーもいる。
「フィオナ様、お久しぶりです」
「こちらこそお久しぶりです。また、お会いできて嬉しいです」
と、リシアとフィオナが言葉を交わした。
今回、フィオナがこの屋敷に足を運んだのは彼女を守るため。戦いの舞台となる大時計台が近くにあっても、彼女がここに来た方が良い理由が一つだけ。
レンが参戦することにより、助力をする者の存在がある。
ユリシスとレザードの間では何か話がなされていたのだろう。レンはそのように予想した。
いまさっき笑みを浮かべて答えたフィオナに、リシアは以前のように見惚れかけた。彼女は忙しなく
「……っとと」
レンは壁にある時計を見て、次に窓の外を見た。
その後でフィオナと挨拶を交わしてから、
「申し訳ありません。少しだけ席を外します」
いつもより若干硬い声で言い、二人の傍を後にした。その際、彼はエドガーと目配せを交わして彼を伴い広間を出た。
残されたフィオナとリシアの二人は、向かい合ってソファに座った。
「夏服、とてもお似合いです」
フィオナは今日、制服姿だった。
夏の制服がフィオナに似合いすぎていて、とても眩しい。
しかし、称賛の言葉を受けたフィオナは「う、ううん! リシア様の方がお似合いになると思います!」と、決して気遣いでも機嫌取りでもない、本心からの言葉を口にした。
実際、リシアも大層似合いそうなものである。
聖女の彼女が学院の制服に身を包んだ際、フィオナと同じく異性を虜にすることは間違いなかった。
が、そんなことはいま関係ない。
二人はそんな取り留めのない話を交えた後に、切なげな表情を交わす。
「……何もさせていただけないことが、これほど辛いなんて思ったことはありません」
フィオナが言い、
「私もです。彼に憧れて、レンのようになろうと頑張った……なのに、まだ隣に立てないことが悔しくてたまりません」
リシアが同調した。
二人とも、今宵何があるのかは重々承知の上。
実のところフィオナも、大時計台で何が起こるのか父から聞いていなかった。今日はレザードに招待されたという体で、ユリシスから遊んできなさいと言われただけなのだ。
もう、急すぎて何が何だかわからない。
だけど彼女も、クラウゼル家の屋敷にたどり着くその前に気が付いた。リシアが気が付いたのと同時のことであった。今宵、レンはユリシスたちが考えていた作戦に同行し、戦う。聡明な二人に気が付けないはずもなかった。
ユリシスが普段より雑な話運びだったのも、諸々が済み次第すべて知らせるつもりだからだと思われた。
そこに口出しはできない。
二人が同年代より遥かに強いことは事実だが、戦力は足りている。この場の二人にできることはなく、守られるだけの存在だった。
二人が言葉を交わして数分後、レンとエドガーが広間へ戻ってきた。
レンの姿が先ほどとまったく違う。まさにこれから戦いに行くと言わんばかりの身支度を終えた姿だった。
「すみません! エドガーさんからユニークモンスターの情報を聞いたので、ちょっといまから狩りに行ってきます!」
あまりにも馬鹿馬鹿しくて、つい笑いがこみ上げてしまう嘘だった。
レンなりに一生懸命考えたのだろうが、どうも脇が甘すぎる。
フィオナを送りだしたユリシスの雑な話運びにも、どことなく似ている。レンもユリシスも、どこか似ている節があるのだろうか。
「……もう」
「レ、レン君ったら……」
レンにはこういうところがあった。
肝心な時は頭がキレるのに、こういうときに限って下手を打つ。それがレンらしいと言えばレンらしかったし、彼の優しさ自体は間違いのないそれだ。
仕方なく笑った二人の美姫は、嘘であると指摘することもしなかった。
優しくて可愛らしい嘘に、素直に騙されることにした。
「――――では」
レンはそう言い残し、屋敷を出ようとした。
すると、リシアとフィオナが「待って!」と同時に口を開く。
「あ、あの……」
まずリシアが何か言いたげに、でも踏ん切りがつかない様子だった。
「……その」
次にフィオナが。
足を止めたレンが二人を見てどうしたのかと疑問に思う。でもその後すぐに、レンを止めた二人が口にするべき言葉を定めた。
「いってらっしゃい。怪我なんかして帰ってきたら、承知しないんだから」
「どうか、お気をつけて。無茶をしたら私も怒っちゃいますからね」
決して安易に送り出そうとしたわけではない。
彼女たちの心にはいくつもの迷いがあったわけで、レンに伝えるべき言葉にだってしばらく迷っていた。
だがそれでも、信じられる。
彼女たちにとって、レンは命の恩人だ。
そんなレンの強さと言葉を、彼女たちは誰よりも信じていた。
「はい! では、ちょっとだけ行ってきます!」
レンはそんな彼女たちの可憐な笑みに見送られ、一人この屋敷を発った。
屋敷に残った二人は急いで窓に駆け寄って、そこからレンが見えなくなるまで見送った。レンが見えなくなってから、二人は同じように深く息をつく。ほぼ同時に、レンの無事だって祈っていた。
するとその際、エドガーが数分席を外した。
彼が広間に戻った際、二人はまだレンのことを考えていた。そこへ彼が何かを持ってきたことにより、二人の意識がそちらへ向けられる。
「エドガー? その手にあるのは何ですか?」
「ご覧の通り、参考書でございます」
エドガーは片手に分厚い参考書を何冊も持っていた。なのに体幹が微塵もぶれることなく歩いてきたことには恐れ入る。
して、それをどうするのかと言うと、彼はテーブルの上にそれらを置いた。
リシアの試験勉強に必要な参考書をはじめ、フィオナの中間試験に必要な参考書が積み重なる。
「私が知るレン様はいかなるときも努力を忘れないお方です。剣を振れないのなら、振らなくてもできる訓練を。それすらも叶わぬなら、想像の中ですら剣を振るお方なのです」
エドガーは二人に、ただ悔しがるだけでは駄目だと言いたかった。
二人はすぐにその意図を汲み、気持ちを改める。彼女たちは互いの顔を見て、反省した様子で頷き合った。
が、それでも考えることがある。
「あの……エドガー?」
「ええ……その……」
「はい? どうなさいましたか?」
「私もリシア様も、エドガーが言ったことは理解しています。時間を有効に使うべきということ、心打たれる思いでした」
「でも、レンが頑張ってるときに、私たちがただ勉強しているだけでいいのかしら……」
言い換えれば、レンが魔王教を相手に戦っている際に自分たちは勉強に勤しむ。
まるでレンにすべて丸投げしたような――――言い方は悪いが実際それであることもあって、二人は少し迷った。
実態は違えど幾分か気になってしまう。
「それでしたらお気になさらず。現地のみならず、こちらで出来るような仕事にも十分な人員を割いております。ですので、お二方にはこちらの言葉を」
エドガーが言うには、まず彼女たちの両親からの言葉がある。
彼女たちは互いに重要な試験が待ち受けているのだから、それを頑張ることが仕事であると。そして、それがレンを心配させずに屋敷でできることなのだと。
だから、できることをするのがいい――――そういうことであると。
「……フィオナ様」
「……リシア様」
リシアとフィオナは、もう何度目かわからないが顔を見合わせた。
そして再びの苦笑を浮かべた後に、参考書が置かれたテーブルへ向かった。そこにはソファと違って木製の椅子があり、二人はその椅子に腰を下ろす。
それでも落ち着ききれず窓の外に目を度々見てしまうのは、二人にとってどうしようもないことだった。
◇ ◇ ◇ ◇
ユリシスはエレンディルに居ない。
いま、彼は帝都に居ていざとなったときに大きな動きをみせられるよう、別行動をとっていたのである。
レンが屋敷を出てどこへ向かったのかと言うと、町外れの廃屋だ。
その廃屋はエドガーに指示されて足を運んだ場所で、中に入ると真っ暗だ。廃屋のはずなのに、埃っぽい感覚はなかった。
この廃屋の奥には、秘密の地下室への道が隠されている。
古びたフローリングに手を当ててすぐ、そこに隠されていた地下への階段が現れた。霧のように、一部のフローリングが消えたのだ。
(声がする)
地下から男たちの声が聞こえてきた。
レンは階段を下りて、その地下へと向かった。下りた先にあった木の扉を開ければ、中には見知った顔がいくつも揃っていた。
「――――レン殿?」
そう口にしたのは、獅子聖庁で度々剣を交わした身体の大きな男だ。
他にも、レンが幾度と獅子聖庁で剣を交わした剛剣使いが顔を揃えている。皆、獅子聖庁での姿ではなく、冒険者と見紛う姿に身を包んでいた。
「ど、どうしてレン殿がここに?」
「ああ……いったい何故」
剛剣使いたちは疑問を声にしたが、瞬く間にその声が止んだ。
彼らは文武両道の騎士たちだ。すぐにレンが来たことの意味を察して、地下室の最奥にある椅子に座ったラディウスに顔を向けた。
「私が呼んだ。レンは今宵、我が背を預かる戦友となる」
皆が呆気にとられ、でもすぐに納得もできた。
レンの強さを身を以て体感していた彼らにとって、レンの実力を疑う必要はない。当初聞いていた護衛のエドガーに劣る剣であろうと、心の奥底に宿した力はまさに獅子のそれであるからだ。
「レン殿が居るのなら頼もしい」
「左様。我らで事足りたとしても、強者はいくら居ても困ることがない」
「千の騎士を得たも同然だ。何と喜ばしいことか」
騎士たちは口々にレンの到来を歓迎し、ラディウスへ近づくレンとすれ違うたびにそれらの声を投げかけた。
レンもその声に応じながら歩き、やがてラディウスの傍にたどり着くと、
「ラディウス」
そう、レンが口にした。
獅子聖庁の騎士たちはレンがラディウスを呼び捨てにしたことに目を見開き、しかし呼び捨てられたラディウスが「なんだ」と軽く返したことで様子を窺う。
「ここにいる人たちが、今日の戦力?」
「そうだ。まさか不服と言うわけではあるまいな」
「まさか。俺は驚いてただけだよ。でもこれが自然だなって思った。投入される戦力が剛剣使い揃いと聞いたら、相手の方が可哀そうに思えてくる」
レンが化け物じみた速度で成長しているだけで、獅子聖庁の騎士たちもまた一握りの戦力であることに変わりはない。彼らは皆、物心ついたころから努力をつづけてきた秀才、あるいは天才のみで構成されており、その平均的な実力は近衛騎士にも勝る。
個人戦力はさることながら、彼らが隊を成せばどれほど強いか――――言うまでもない。
(――――ほんと、壮観だよ)
ゲームでは敵ばかりだった剛剣使いが、いまは味方として集まった。
あれほど苦労させられた強者がこれほど集った事実に、レンは身が震える思いだった。
レンはそれから作戦の確認や騎士たちとの打ち合わせなどに勤しみ、十分、二十分と時間が過ぎていった。
外はもう真っ暗で、夜の帳が降りている。
また少し時間が過ぎた頃、ラディウスが腕時計を見てから席を立つ。すぐ隣にレンが立ち、騎士たちを注目させた。
「紳士諸君、そろそろ時間だ」
ざっ、と皆が姿勢を正す音が地下室に響いた。
彼らの目が一様に力強いそれへと変化する。見慣れていたはずの彼らに対し、レンはその力強さと一糸乱れぬ統率に息を呑んだ。
これが、獅子聖庁の騎士たちが戦地に向かう顔なのか、と。
そして騎士たちが道を開けた。レンとラディウスが通るための道だった。次に騎士たちが抜剣し、それを胸の前に構えた。
ラディウスはレンと共にその道を歩きながら、皆に問いかける。
「そなたらに問う。今宵、そなたらは何を成す」
『獅子王の裁きを』
「そなたらに問う。今宵、そなたらは何を成す」
『剛剣の裁きを』
「ならば蹂躙せよ。その拝領の剣により、国祖・獅子王の怒りを成せ」
七大英爵家でも持ちえない、レオメルが誇る特別な戦力。
獅子聖庁の騎士たちは、時としてこのように皇族の命により特務に身を投じることがある。その際は、ラディウスが言うように力を示すだろう。
まったく乱れぬ問答の後、彼らは地下室を脱し廃屋の外にて。
ここから、本格的に作戦が始動となるその直前に。
「レン」
皆が立ち止ったところでだった。
「そなたにも問おう。今宵、そなたは何を成す」
レンはその問いに対し、返答するまで数秒の時間を要した。
獅子聖庁の騎士たちを前に、それに獅子王の末裔を前にしてこのようなことを口にして良いかと迷った。
しかし、昂る心に従った。
この日にかける思いはレンも情熱に満ち溢れ、必ずや成し遂げるという決意に満ち満ちている。
レンは空を見上げてラディウスと、騎士たちに告げる。
「――――一切の敵をねじ伏せる、そんな獅子になるよ」
聞く者によっては、それを不遜と吐き捨てる者もいよう。
だが、誰もそうしなかった。不遜と言うどころか、誰もがレンの姿とその声から漂う凄みに気圧されていたのである。
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