摩天楼の戦い【前】
予測通りに事が進めば、大時計台周辺が一番危険だ。
大時計台の周辺には噴水を中心に置いた広場があるのだが、そこがいま、いままでにない静けさに包まれていた。
町全体で人払いをできればこの上ない最良だったが、そんなことは不可能の等しい。それをしてしまえば魔王教に勘付かれてもおかしくなくて、当初の計画がまるっきり破綻しても不思議ではなかった。
されど、大時計台の周辺はとんと静かだった。
夕方を過ぎた頃から、その周辺はある名目によって封鎖されている。
『広場の石畳に無視できない陥没が確認されたため、周辺への立ち入りを禁ずる』
安全を確認するから、その間、平民は危ないから離れていなさいということだ。
大時計台周辺には一般人が住まう建物はない。あるのは商業的施設をはじめ、公的施設ばかりだった。避難を命じられた店の店主らには、後で保証金が支払われる。
一般市民が残っていないかどうかについては、ユリシスが手配していた者たちが確認している。
また、別の場所で民に被害がでないようにするためにも、支度は万全であった。
魔王教徒はそれを見てどう思うのか――――
罠? はたまた、これが大時計台の魔石を入れ替える前触れ? ラディウスにもどちらを思うか判断はつかなかったが、断定できることが一つだけ。
奴らはもう、作戦を中止できる段階にないであろう、ということだった。
そんな大時計台傍の広場へ、迷い込もうとしている二人が居た。
ヴェインとセーラ、その二人である。
彼らは今日の二次試験を終えてからすぐ、帝都を離れてエレンディルに足を運んでいた。理由は単純。今日までの頑張りを讃え合うため、また息抜きのためだった。
そろそろ帝都へ帰ろうとしていた二人だったのだが……
「……残念。大時計台広場へは行けないみたい」
大通り沿いの道に立ったセーラがため息を漏らす。
この先に進めば大時計台広場にたどり着くはずなのに、いまは大きな看板が石畳に突き立てられて、看板の隣に見張りの警備兵数人立っていた。
「残念だけど帰ろう。また今度、別の日に行けばいいよ」
「うん……今日見れないのは残念だけど、我慢する」
セーラが諦めたのを見て、警備兵が申し訳なさそうに頭を下げた。
踵を返すように空中庭園へ向かおうとしたヴェインとセーラの二人だったが、二人の耳に、怒号にも似た声と何かが破裂するような音、それに、何らかの魔法を行使したと思しき音が聞こえてきたことで、二人はハッとした様子で足を止めた。
「……ヴェイン」
「ああ、聞こえたよ」
二人の視線が大時計台広場の方角へ向けられた。
すると二人は、看板が突き立てられた石畳を超えて先へ進もうとする。しかしその前に警備兵が立ちはだかった。
「何かあったのかもしれません。我らが確認いたしますので、ご安心を」
「貴女様はリオハルド家のご息女とお見受けいたしました。我らにすべてお任せを。貴女様を危険な目に合わせるわけには参りません」
実際、ヴェインもそう言われて少し迷った。
七英雄の伝説における主人公である彼は勇気があり、正義感に溢れるとは言わずとも、仲間のために命を張れる気持ちのいい少年だ。
だけど、セーラに危険が及ぶと思い足踏みをしてしまう。
「――――だったら、教えなさい」
するとセーラが毅然とした態度で、
「貴方たちが落ち着いてあたしに説明できたのは何故? あれほどの騒ぎなのに、眉一つ動かしてないじゃない」
「不測の事態にも、我らは皆さまを守るため訓練しております」
「あっそ。ならそれはもういいわ。だったら、もう一つだけ教えてもらおうかしら」
セーラの口ぶりからは敵意が感じられた。
誰に対する敵意かと言うと、立ちはだかる警備兵たちに対してである。かと言って、彼らに邪魔立てされたことに対しての敵意ではない。彼女が明確な敵意を抱いてしまったのは、警備兵たちの素性が知れないからだ。
「変よね。警備兵が全員剛剣使いなんて聞いたことないわ」
警備兵たちは平静を装った。
眉一つ動かすことなく、耳を傾けつづけた。
「見事な胆力だわ。……けど、リオハルド家の娘を舐めないことね。あたしは剛剣使いとだって数えきれないくらい剣を交わしてきた。貴方たちの振る舞いの端々から、同じ気配を感じるわ」
「……セーラ。どうして剛剣使いがここに?」
「さぁ。であたしもわからないわ。……でも、無視はできない。
それこそ、セーラが警備兵たちに敵意を抱いた最たる理由だ。
セーラは過去、同派閥に属していたギヴェン子爵の件でリシアに負い目がある。次、同じようなことがあれば、絶対に手を貸すと決めていた。
たとえばそれが父に止められても、絶対に……と。
「答えなさい! 皇族派がクラウゼルの地で何をしているの! それにさっきの音、ただ事じゃないわ!」
「……」
「答えないつもりなら、自分で確かめる。――――ヴェイン、貴方はここで待っていて」
「馬鹿なことを言うなよ。セーラの大切な友達のためなら、俺だって黙ってなんかいられない」
そうして、二人は前へ進んだ。
看板を通り過ぎようとした、その刹那だった。
「それ以上進むことは許容できません」
警備兵の――――否、獅子聖庁の騎士の声が変わった。
「貴女様がクラウゼル家のご令嬢と懇意であること、我らも聞き及んでおります。されど、此度は我らにお任せを」
「なら、詳しく話して」
「……明日にでも、リオハルド家に連絡が届くでしょう」
「では駄目ね。この道を突っ切ればリシアの屋敷まですぐだわ。あたしはこのまま、あの子の様子も確認しに行く」
獅子聖庁の騎士たちもセーラの扱いに困っていた。
相手は七大英爵家がリオハルド家、その息女とあってあまり無理なことを言っても派閥同士のいさかいとなろう。
ここでラディウスたちの邪魔をすることは、何よりも避けねばならない。
――――それは、彼女たちがすれ違う直前だった。
獅子聖庁の騎士が口にした言葉がセーラの耳に届く寸前、大時計台広場の方から一際大きな破裂音と、いくつもの火柱が上がっていた。
「っ……ヴェイン!」
そこで物陰から現れた不審な者の姿があった。その者はセーラの背後を狙いすまして闇夜に紛れて駆けたのだが――――
「賊を生け捕れッ! 殺さなければ、手足程度なら断っても構わんッ!」
獅子聖庁の騎士たちの狙いが、瞬時にそちらへ向けられた。
この際、彼らは同じく闇夜を掛け、ヴェインとセーラを追っていく者たちの姿を確認した。
「かはっ……!?」
魔王教の者と思しきそれが、あっさり捕縛された。
腕を振り、暗器を放とうしたところでその腕が断たれ、倒れたところを瞬時に縛り上げられたのである。
急なことに驚き、でも剣を抜き既に臨戦態勢にあったヴェインとセーラ。
二人は驚嘆と緊張を全身に帯びながら、
「……この先で、何があるの?」
「申し上げられません。私から申し上げられることは、疾く早くこの場を離脱していただきたいということだけで――――ッ」
そこへ、新たな魔王教徒たちが十数人ほど現れる。
獅子聖庁の騎士たちは、ヴェインとセーラを守らんと立ちはだかる。そこへ同時に、二人を守るようにリオハルド家の者が数人現れた。白銀の外套に身を包んだ騎士たちだ。レンが過去に思い返した、陰から守る者たちだろう。これなら、魔王教徒が十数人現れたところで関係ない。
魔王教徒が幾人か、ヴェインたちを守る者たちに攻撃しようとしたところで――――。
「頼めるか」
「ああ、大丈夫」
皆の背後から声がしたと思えば、ヴェインとセーラを守る者たちと、迫りくる魔王教徒たちの間にレンが現れた。
ヴェインもセーラも、レンの姿を見てハッとした。
以前、エレンディル外の森で会ったことのある少年だったからだ。
「危ないわ!」
「逃げろ! そこにいたら――――ッ」
二人が慌てた声でレンに声を掛ける。
……二人はおかしいと思った。この事態の最中、ひどく落ち着いた様子で獅子聖庁の騎士たちを観察できたことも、その騎士たちがレンを助けようと動かなかったことも。
だけど、すぐにわかった。
あの日言葉を交わした少年が――――圧倒的な実力者だったということに。
「容赦はしない」
鉄の魔剣を前方へ勢いよく振り下ろしたレン。
それにより生じた衝撃波が扇状に広がって、迫る魔王教徒を怯ませた。
すぐに鉄の魔剣を構え直し、鋭く疾く踏み込んだレンが、あっという間に数人を昏睡させてしまう。ある者はみぞおちを、ある者は首筋を強打されて。
レンの強さを目の当たりにしたヴェインとセーラは、唖然していた。
嘘……とか、いまの力は……とか、口々に驚きの言葉を呟いてしまう。
「な、なんだこのガキ……かはぁっ」
「ッ――――!?」
「ぐほぁッ!」
悉くが、抵抗らしい抵抗もできずねじ伏せられていく。
獅子聖庁で剣を振るときと違い、いまのレンはただ、文字通り蹂躙の限りを尽くしていたのである。
やがて一人残らず倒されたところで、
「本当に、化け物じみた強さだな」
馬に乗って現れたラディウスが、レンの傍に降り立った。
「俺のことは良いから、早く調べた方が良いよ」
「わかっているとも」
唐突に現れたラディウスのことを、ヴェインはまだ知らない。しかしセーラはその顔をみたことがあったから、急に皇族が現れたことに気が動転してしまっていた。
「……ここにいる者たちでは足りん。もっとだ」
倒れた魔王教徒の刻印に手をかざし、その手をぼんやりと蒼く光らせた後で、ラディウスが改めて馬に乗った。
傍にはレンが乗ってきた馬もおり、彼もまた馬に乗った。
「――――そこの者、セーラ・リオハルドであるな?」
「え、あ……はっ! はい!」
セーラは慌てて臣下の礼をとり、馬上のラディウスに頭を下げた。もちろん彼女の隣にいるヴェインもだ。
「この先へ行くことは許さん。クラウゼル家を案じているのだろうが、それも不要だ。私が皇族の名において約束しよう」
そう言われてしまえば、セーラに口出しはできない。
相手は皇族派というよりは、まさしく皇族であるためだ。
いくらリシアのことが心配で、彼女を案じていようとここより先はセーラが個人で口出ししてよい領域にはもうなかった。
ラディウスはセーラが納得したのを見て、レンと目配せを交わす。
大時計台広場へ向かう際、レンとヴェインの視線が一瞬、交錯した。
「セーラ、彼はこの前の」
「うん。わかってる。……馬鹿馬鹿しいくらい強くて、もう何が何だかわからないわ」
「だね……俺もだよ」
二人はそのように言葉を交わしてから、リオハルド家の私兵に促されてこの場を後にした。
セーラは最後まで後ろ髪を引かれるような思いに駆られたが、あの第三皇子が関係しているとあって、ただの派閥争いとは思えない。
それもあって、最後はリシアを案ずる気持ちを抑えながら帰路に就いた。
リオハルド家の私兵によって、半ば強引に。
◇ ◇ ◇ ◇
戦火による影響は、意外にも大時計台広場の近くでないとわからない。
特別な魔道具を設置することで、その破壊力や音、それに炎の影響が周辺に広がらないよう管理されていたからだ。
しかし、それでも獅子聖庁の騎士たちには驚きだった。
魔王教がこれほどの戦火を以て、人目に付くことを恐れず攻め入ったことに対してである。
「奴らめ、どこに忍び込んでいた」
「旅人や冒険者に紛れてか、はたまた積み込まれた荷に紛れてか――――いずれにせよ、我らが成すべきことは変わらん」
彼らは皆、決して動揺していなかった。
なぜなら皆が獅子聖庁の騎士。騎士の中の騎士であり、一握りの精鋭のみで構成された者たちだからだ。
「な、なんだ……コイツら……ッ!」
「聞いてないぞッ! どうなってるッ!?」
「警備は薄かったはずじゃ……ッ」
漆黒のローブに身を包んだ者たちが慌てふためく。想定外の強者が集まっていたことに、魔王教徒らの間に動揺が走っていた。
「有象無象が群れたところで、結果は変わらん。獅子王の地に攻め入ったこと、ようやく後悔したようだな」
息を切らさず、ただ事務的に処理していく。
一人、また一人と魔王教徒たちが意識を刈り取られ、石畳に組み伏せられていく。
「殿下だ! 殿下がいらしたぞッ!」
そこへ遂にラディウスが登場した。
彼はレンを連れたまま、馬に乗って大時計台広場を駆けていく。二人が向かうのは大時計台、その入り口だ。
すでに入り口付近は破壊された形跡があり、中に忍び込まれていることがわかる。
「殿下の道を邪魔させてはならぬッ!」
「獅子王の名のもとにッ! 蹴散らせェエエッ!」
より一層の覇気を纏い、剛剣を用いる獅子聖庁の騎士たちが咆えた。
一切の邪魔は存在していない。レンとラディウスの先には、ただ一筋の道が大時計台の入口へつづくのみ。
「レン、この後の話だが若干面倒だ!」
馬に乗って駆けながらだった。
「大時計台の中だが、昇降機なんてものは存在しない!」
「は、はぁ!? それってまさか、この馬鹿みたいに高い大時計台の屋上まで、階段を駆け上がれってこと!?」
「そのまさかだ! だが案ずることはない! 私は今日まで、城内で体力づくりに励んできた!」
「ッ~~それだけでどうにかなるかよ!」
しかし、もうやめられない。
ここにきて作戦を止めるなんてことはできず、二人は遂に大時計台に足を踏み入れた。
馬を下り、中に入ったその先は、遥か頭上に広がった梁が最上層へ向けて、幾層にも重なり荘厳な景色を生み出していた。時に巨大な歯車や小さな歯車が合わさる区画や、複雑な文様が施された壁がいくつもあった。
外に居た騎士も何人か、予定通り二人の後につづいていた。
四方を囲む階段をのぼりながら、レンは後ろにいるラディウスを見た。
「……明日からは、更に体力を付けようと思ったところだ」
「ああ、それがいい」
額に大粒の汗を浮かべながら、文官寄りの強みを持つラディウスが懸命に階段を駆け上がる。
五分、十分と時間が過ぎていくもまだまだ先は遠い。
「ぬっ……」
足を踏み外したラディウスが、後ろに転げ落ちそうになったところで、
「――――あれだけの覚悟を見せたんだ」
レンの手が、ラディウスの腕を掴んで止めた。
「足、引っ張るなよ」
強い言葉でも、見え隠れするはレンの本気である。同じく本気でこの場に来て、今日まで作戦を考えつづけてきたラディウスには痛い言葉だった。
故に尊大などと思うどころか、檄を送られたことに感謝していた。
キッと目を細めたラディウスが、次の瞬間には「舐めるな」と言って身体をいじめぬく。
「言ってろ。屋上でレンが下手を打ったら、同じ言葉を口にしてやる」
「はいはい……そうならないように祈ってるよ」
先は長い。
でも、今度のラディウスは一度も足を止めることなく、この大時計台の階段を踏破したのであった。
◇ ◇ ◇ ◇
魔王教の刻印から情報を得るためなら、外にいる者たちからでも十分。
それは正解であって、間違いでもあった。
ラディウスにはある確信があって、自分自身、こうして苦労しながら屋上へ足を運ぶ必要があると考えていた。
「……この先にいるはずだ」
それは、此度の騒動の
盗賊団を動かし、この大時計台を襲うことに決めた、ボスとも言える存在が、間違いなくここにきているはず。
「ここで待っててもいいよ」
「馬鹿を言うな。何のためにここまで来たと思ってる」
屋上への扉は巨大な歯車の床の、その先に鎮座していた。この歯車の床は動くものではなくて、あくまでもそうした意匠である。
周囲で動く歯車は、いまも一定のリズムで音を奏でていた。
「俺が先に行く」
レンが屋上の庭園へ広がる扉を開けた。
ぶわっ、と夏の生暖かい風が二人に吹き付ける。
漆黒の天球は満天の星を臨み、よく整備されたこの庭園から見上げれば、まさに天を眺める特等席といったところ。
その特等席に、招かれざる客が十数人いた。
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