最初の戦い。
ヴァイス一行が村を去った日の夜、ロイはレンを屋敷の庭先に呼び出した。
「覚えておくんだぞ、レン」
力ある魔物は餌がある場所を目指す傾向にある。それが自分より弱い魔物か、家畜をはじめとした動物かは問わない。
森から帰って間もないロイがレンにこう言い聞かせた。
なお、魔物と動物の違いは体内に魔石を宿しているかどうかである、と最後に添えられる。
その話を聞いたレンの前には、ロイが持ち帰ったリトルボアの亡骸が雑多に並べられていた。
(この辺りはリトルボアの数が多いのかな)
「というわけで、今日から多めに狩ってくる」
「餌を減らすためですね」
「そうだ。だから少しでもこの付近に近寄らないよう、俺が餌になる生物を減らしておくことにした」
ひとまず、増援が到着する二十日後までつづけるとロイは言う。
「しかし厄介な魔物が現れたもんだ……」
ロイが懐を漁り、ヴァイスから受け取った羊皮紙を開いて眺めた。
どんな魔物が書かれているのか気になったレンがつま先立ちになって覗き込むと、ロイはレンの頭を抑え込んでそれを制する。
「見る必要はないだろ」
「えぇー……いいじゃないですか」
「駄目だ。下手に興味を持たれてもよくないしな」
図星を突かれたレンが「うぐっ」と唸った。
とは言え秘密で討伐をしに行くわけではないのだし、羊皮紙を見るくらい許してほしいものだった。
「それにしてもどうだ! 今日の戦果はすごいだろ!」
ロイは魔物の亡骸を指さして、嬉々とした様子で言った。
確かにすごい量だ。いつもの倍ほどはある。
だがロイがすべて一人で狩ったということ以上に、彼が一人で魔物を担いで帰って来たことの方がレンには衝撃的だった。
◇ ◇ ◇ ◇
その日を境に、ロイの生活は普段の比じゃない慌ただしさに変った。
彼はいつもより早く起きて、いつもより遅くに帰宅する。そんな日々が一日、そして一週間と経ち、彼の顔にも疲れが目立ちはじめる。
「……あなた。一日だけでも休んだ方がいいんじゃない?」
夜の食卓でミレイユが提案するも、ロイは受け入れなかった。
ロイはあと十三日だけ我慢すればいいと言って笑ったのだ。
(こんなことになるのなら、森に入って魔物を戦う訓練もしてもらえばよかった)
悔やんでも仕方ないが、レンはどうしてもそう思ってしまった。
――――そして、ヴァイスが帰ってから十日目。
この日もいつものように夜の帳が下りはじめた。
茜色の空が暗闇に浸食されだして、あと数十分もすれば完全に夜になるといった頃合いのことだった。
「母さん」
レンは父が帰らないことを不審に思い、キッチンを訪ねてミレイユに声を掛けた。
「父さんがまだ帰って来てません。さすがに遅すぎませんか?」
「そうね……今日はいつもより頑張ってるのかしら……」
一度はそう言ったミレイユだったが、彼女もすぐに不安になった。
「でも心配ね。私がちょっと様子を見てくるわ」
「それなら俺が行きますよ」
「駄目よ。もう夜も遅いんだから危ないわ」
「でも、俺は母さんより戦えます」
「それでも駄目よ。子供だけ行かせる親がいるもんですか」
普段と違い有無を言わさぬ声色で言ったミレイユに対し、レンは猶も納得しきれていなかった。危ないのはミレイユも同じだ。それが夜なら特に。
「――――だったら、俺と一緒に行きましょう」
咄嗟に思い付いたのは折衷案だった。
「母さんが一人で行くのなら、俺は隠れてでも付いていきますよ。ならいっそのこと、一緒にいた方が安全だと思いませんか?」
「はぁ……レンったら。どうしてそう悪知恵が働くのかしら」
ミレイユはレンを窘めるだけの話術を持ち合わせていなかった。
それこそ、無理やりにでも置いていくことも考えたが、レンが言ったように、隠れて付いて来てしまう方が危険だと思い、レンが同行することに対して頷いてしまった。
「わかったわ。でも、森の入り口までよ」
彼女はそう言うとレンに訓練用の装備を身に付けるように言う。念のために料理に使うナイフも持つように言われ、素直に従ったレンは素早く身支度を整えた。
同じように、ミレイユも普段着ない防具に身を包む。
しかし彼女用のものではないのか、サイズが合っていない。恐らくロイのものなのだろう。
(夜に外出するなんて、レンになってからはじめてだな)
キッチンにある土間から外に出ると、涼しい風が頬を撫でた。この辺りは涼しい気候だから、初夏であっても過ごしやすいのだ。
「レン、手を貸して」
二人は手を繋ぎ歩きはじめた。
風に乗って届く草や花、土の香りが鼻孔をくすぐる。
虫たちの鳴き声も仰々しかった。至る所から聞こえてくる大合唱は、できれば平時に聞きたいものだとレンを考えさせる。
(みんな、もう家に帰ってるんだろうな)
早朝には畑仕事をしている村民の姿が一人もない。
ただでさえ真っ暗な畑道を歩いていたから、心細く感じてしまうほどの静けさだ。
「転ばないように気をつけてね」
ミレイユがそう言って松明を揺らした。
いま、灯りらしい灯りといえばこの松明だけだ。満天の星から注がれる光や民家の
灯りは僅かにしか届かなくて、足元を照らすほどではない。
ほんの数メートルしか先が見えず、油断すればあっさり足元を奪われそう。
「あっ――――」
「……母さん。俺に言っておきながら、自分が転びそうになるのは勘弁してください」
「あ、あははっ……ごめんなさいね」
転びかけたミレイユはレンに強く手を握られていたことに気が付き、いつの間にこんなに成長していたんだろう、と思った。
その横で、レンは近づきつつある光景を見て声を漏らす。
「…………あれは」
屋敷を出てから三十分ほど歩いたところで、左右に松明が置かれた道が見えてきたのだ。
「森への入り口よ。あそこの川が村と森を隔てているの」
松明に挟まれた道は木製の橋だった。
見た目は決して職人の技が垣間見えるような橋ではないが、太い丸太で組まれた外観から頑丈であることがわかる。
橋の長さから、川幅はそれほどではないと察しが付く。
(水の流れは速そうだな)
せせらぎと言うには大きすぎる水の音を聞いたレンはそう予想した。
「あの人ったらどこに――――あら? あれってもしかして……っ!」
橋と川の様子を確認していたレンの隣で、ミレイユが橋の先にいた何かに気が付いた。
レンも倣ってその先に目を向けると、橋を渡った先の木に、人らしき何かが背を預けて座っているのが見える。
それがロイであることに、二人はすぐに気が付いた。
「あの人ったら、どうしてあんなところで休んでるのかしら」
すると、ミレイユは駆け足で橋を渡りはじめた。ロイが居るなら大丈夫と思って橋を進むことにしたのだろう。
(……変だ)
同じくレンも歩きはじめたのだが、違和感が頭の中を蠢いて離れない。二人が来たというのにロイがほとんど反応しなかったことが不思議でたまらなかったのだ。
彼が見せた反応と言えば、僅かに頭を揺らしてこちらに首を向けただけだ。
頭を上げてこちらに目を向けることもなく、大きく不規則な呼吸をして肩を上下させている。
「あなた! 心配したの――――よ――――」
ミレイユが絶句する。
やはり、何かあったのだ。
レンは急いで橋を渡りきると、そのままの足でロイの傍に駆け寄った。
「ッ――――と、父さんッ!?」
まさか、と思った。
朝、いつも通り元気に狩りに出たロイが身体中から血を流し、地面を赤銅色の鮮血で濡らしていたなんて。
「ミレ…………ユ…………レ……ン……」
「喋らないでッ! 急いで屋敷に連れて行くからじっとしてッ!」
「駄……目……だ……」
震える腕が伸ばされる。
乾きかけの鮮血に濡れたその腕がレンの肩を掴んだ。
「…………行、け……ッ」
「父さん……!?」
「俺の……血の、匂いで……魔物、が…………ッ」
たどたどしく言ったロイはそれっきり、ぱたっと動かなくなってしまった。でも、レンが胸元に触れるとまだ鼓動が感じられる。
大丈夫。まだ死んでいない。
そうと決まれば、一秒でも早くこの場を離れなければ。
「母さん! 急いで父さんを!」
「え、ええッ!」
と言って、橋を戻ろうとしたところで異変が生じた。
辺りの木々の合間から、興奮した鼻息が聞こえはじめてきたのだ。
それを受けてレンはロイの言葉を思い出す。
(血の匂いで魔物が――――ッ)
奴らは寄って来たのだ。
怪我をしたロイの血の匂いを嗅ぎ、彼を食うべくやって来た。
『ブルゥッ!』
『ハッ、ハッ――――ッ!』
『ブルゥァッ!』
現れたのは三匹のリトルボアである。
大型犬ほどの体躯を覆う毛皮は泥に汚れている。それは分厚くて鎧のように堅牢だった。口元から覗く牙は鋭利で、噛みつかれたら無傷では済まされないことがわかる。
『ァアアアアッ!』
戦うか逃げるか、レンがそれを迷う暇もない一瞬のことだ。
一匹のリトルボアがレン目掛けて突進を仕掛けた。
「くっ――――母さんッ! 父さんを連れて下がって!」
「レンッ!?」
「いいから、早くッ!」
もう戦うしかない。
ロイの様態も鑑みて、一秒たりとも迷うことは許されなかった。
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