村を去る騎士団。

「こら。お嬢様の名を知っていたのは感心だが、呼び捨てにしてはならんぞ」


「す、すみません……でも……」



 戸惑うレンは腕を組んだ。騎士団長ヴァイスの前で無作法と知りながら、我慢ならず考えはじめてしまった。



(なんでだ!? クラウゼル家はこんな辺境の男爵じゃないぞ!?)



 ゲーム時代の知識を思い出す。クラウゼル家と言えば、帝都近くの領地に屋敷を構える古くからの名家だ。



 だからレンは寄親が男爵と聞いても落ち着いていた。

 いま思えば、そこでロイに男爵の家名を聞かなかったことは過ちだったのだろう。

 けれど言い訳をするなら、寄親の男爵が聖女の生家でないことは確実と思い、気にも留めていなかったのだ。



「ヴァイス様!」



 レンは慌てた声で尋ねる。



「クラウゼル家の領地って、もっと帝都の近くではありませんでしたか!?」


「なんだ、急に慌ててどうした?」


「すみません! 俺にはすごく大事なことなんです!」


「よ、よくわからんが……感心したぞ。君はよく勉強しているようだな。確かに、クラウゼル家の領地は帝都の近くにもある」



 レンはつづきを急かすようにまばたきを繰り返す。



「昨年、帝都の近くにも領地を賜ったのだ。クラウゼル家に『白の聖女』を持つお嬢様が誕生したことの祝いに加え、ご当主様が領地を富ませたことへの褒美として、皇帝陛下が格別のご厚意をくださってな」



 もっとも、領地と言っても町程度の大きさしかないそうだが。



「…………な、なるほど」



 つまり、レンが避けるべきキャラクターの筆頭だったリシア・クラウゼルは、アシュトン家の寄親である男爵の令嬢である。

 これは想定外も想定外の事態だ。



(ゲームではそんな情報はなかった……。け、けど大丈夫。まだ最悪な話ってわけでもないはず……)



 レンはまだ子供で、リシア・クラウゼルとは会ってすらいない。

 それなら大丈夫。レンはこう思った。



(そもそも、俺が彼女を殺さなければいいだけの話だろ。別に知り合ったところで、俺がこの村から出ないで暮らせばそれで済むんだ)


「いずれ、君もご当主様とお嬢様の下へご挨拶に出向くことになろう」


「――――え?」


「ロイ殿から聞いておらんか? 古くから、爵位が騎士であろうとも、次期当主は寄親の家族へ顔見せをするしきたりがある。君が大きくなった暁には、お二方に挨拶に行くこともあろうさ」



 レンとしてはそれも避けたいところだったが、拒否はできなさそうだ。



(でも大丈夫……挨拶するだけだし……)



 ひとまず今は棚上げしたかった。いつか、その時が来たら考えたい。



「――――ところで、ヴァイス様は男爵様の騎士団の団長をなさっていると聞いたのですが」



 話題を変えるべく口を開いたのも、心を落ち着かせるためだ。



「む、それがどうかしたのか?」


「急に申し訳ありません。騎士団長様ほどのお方が遠く離れた村までいらっしゃるなんて、普通ではないような気がして……」


「その通りだ。無論、私としても長期にわたり屋敷を開けるのは本意ではない――――のだが、さっきも言ったように、此度の一件はご当主様も強く懸念なさっておいででな」



 そのため、ヴァイスのような重鎮も屋敷を出た。

 騒ぎの原因である魔物を見つけた場合、即時討伐もできるように。



「それに、Dランクの魔物になれば私の部下の手にも余る」


「なるほど……確かに……」


「ん? 確かに?」


「い、いえ、何でもありません」



 レンが意味深な言葉を呟いたのは、七英雄の伝説における魔物の格付けを思い出したからだ。



 魔物たちのランクは、基本的に世界中にまたがる中立組織“ギルド”が決めている。その評価基準は様々だが、主に人々に対してどの程度の脅威となるかが大きく影響する。



 ランクはSが最上位で、Gが最下位だ。

 中でもDランクともなれば、七英雄の伝説では最序盤のボスと同じランクになる。



(多分だけど、父さんの方がヴァイス様の部下よりは強い……はず)



 それならDランクの魔物を討伐できるのかと言うと、それはわからない。

 七英雄の伝説では四人パーティで戦っていたから、ロイが一人で勝てるか確信が持てなかった。

 こうなると知っていたら、もっと早いうちに訓練をはじめておくべきだったのかもしれない。



 悔やんだレンが思わずつぶやく。



「今日の訓練はなさそうだな……」



 と、何の気なしに口にした。



「訓練と言うのは、ロイ殿としているという訓練のことか?」


「えっと……」


「ああ、奥方殿から聞いたのだ。毎日午後になると、狩りを終えたロイ殿と訓練をしているのだろう?」



 レンは「はい」と頷いて答える。



「うぅむ……中止と言うのは、我らが急にやってきたからであろうな」


「い、いえいえ! そういうわけでは――――」


「――――よし」



 慌てて言い繕いかけたレンの横で、ヴァイスがポン、と手を叩いた。



「急にどうされたんですか?」


「なに。狩りの手伝いもせず、跡取り殿の訓練までつぶしたとあらばこのヴァイス、ご当主様に面目が経たぬ」


「……もしかして、俺に稽古をつけてくださるのですか?」



 ヴァイスはすぐに頷いた。

 下って湧いたような話はレンを喜ばせる。

 別に普段の訓練に不満があったわけはないのだが、男爵家が誇る騎士団長が稽古をつけてくれるとなれば喜ばないはずがない。



「よければ訓練用の剣を借りたいのだが」


「はい! 普段、父さ――――父上が使ってる木剣が倉庫にあります!」


「ではそれをお借りしよう。君の装備も倉庫にあるのなら、このまま支度をしてはじめようと思うのだが」



 レンは今更ながら一人称を「私」に変えた。

 その必死な姿にヴァイスは微笑を浮かべ、倉庫まで案内すると言ったレンの後ろを歩く。




 ――――十数分後、訓練がはじまる直前になって。



「ヴァイス様。拝見してもよろしいでしょうか?」



 そこへヴァイスの部下が一人やってきて尋ねた。ヴァイスは律儀にレンの承諾を得てから許可をする。



「準備運動がてら、いつもしてる訓練のように打ち込んで来なさい」


(……よし)


 木の魔剣を構えたレンは軽い柔軟をしてからそれを構えた。

 身体が軽い。今日は特に調子がいい日のようだ。



「いきます――――ッ!」



 レンは待ち構えるヴァイスに向けて踏み込む。いつもロイにするように、遠慮のない踏み込みで風のように距離を詰めた。



「な――――ッ」


「む――――ッ」



 ヴァイスの部下が驚嘆の声を漏らす。

 そして、ヴァイスもまた驚き眉を吊り上げていた。



「はぁぁぁああああッ!」



 そのヴァイスはつづけてレンの剣戟を受け止め、



「ほう……膂力、そして剣筋も申し分ない……ッ!」



 頬を緩めて称賛の言葉を口にした。

 予定になかった訓練はつづく。

 終わったのは夕方になる直前で、教えていたヴァイスも徐々に熱の入った様子で稽古をつけたのである。




◇ ◇ ◇ ◇




 ――――レンは今日、この訓練で学ぶことができた。

 自分より遥か格上だと思っていた父よりも更に強く、惚れ惚れする剣技を誇る者が存在するということを。



 そして……。



「また学べたぞ……大きな収穫だ……っ!」



 いつもと違う訓練を倒れるまでつづけたレンは夕方、自室のベッドの上で目の当たりにした。



 ・魔剣召喚術(レベル2:56/1000)



 熟練度が一気に“10”も増えていたの見て、また一つ理解するに至った。

 この熟練度という概念は、相手が強い方が上がりやすいのだろう。いつもの五倍も上がったことには驚きを隠しきれなかったが、それほどまでにヴァイスが強いということの証明である。



 このことを知ったレンはベッドの上で筋肉痛と戦いながら、隠し切れない喜びに頬を綻ばせた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 翌朝、日が昇って間もなく。

 ヴァイスをはじめとした一行は朝食を終えると、すぐさま男爵の下に戻るための帰り支度をはじめる。



 彼らはやがて、外が完全に明るくなったところで馬に乗った。



「ロイ殿。急な訪問だったにもかかわらず、格別の歓迎をしていただいたことに感謝する」


「いえ、教えてくださって助かりました」


「だがくれぐれも用心してほしい。ロイ殿には騎士としてこの村を守る義務、、、、、、、、はあろうが、そのロイ殿が斃れては元も子もない」


「わかっています。アシュトン家の義務を守り、この身も守りましょう」


「そうしてくれ。ご当主様がアシュトン家に望むのはまさにそのことだからな。――――さて、我らはそろそろ帰るとしよう」



 ヴァイスは最後に礼を言い、部下に命じて馬を走らせた。

 その後姿を、レンをはじめとしたアシュトン家の一行は見送った。失礼のないよう、一行の姿が見えなくなるまで、数分に渡り屋敷の外で見送ったのである。





 ――――それからというもの、村を出た一行は男爵の屋敷を目指して馬を走らせた。



 丘を越え、森を抜け、ときには浅い川も進んだ。

 しばらく経って日が傾いてしまったが、この辺りにはアシュトン家が住まう村以外に人里は存在していない。



 そのため一行は、夜に備えるべく野営の支度に取り掛かっていた。



「ヴァイス様」



 その最中、ヴァイスの部下が口を開いた。



「どうしたんだ?」


「大したことではないのですが、昨日はアシュトン家のご子息に稽古をつけていらっしゃったとか」


「お、私も聞いておりますぞ!」


「ロイ殿自慢のご子息はいかがでしたか?」



 つづけて何人かの部下も口を開き、会話に混ざってきた。

 しかしあまり期待はしている様子はなかった。

 いくらロイが剣を教えてると言っても、ロイが実践派であることは皆も承知の上だったから。



「惜しむらくは、専門的な剣術の師がいないことですな」


「普段はロイ殿が教えてるとのことですが、ロイ殿はあまり教えるのが得意ではないでしょうし」



 部下たちの言葉に、ヴァイスは「ん?」と首をかしげて言う。



「勘違いしているようだが、あの少年は強いぞ」



 思いがけぬ言葉を聞き、ヴァイスの部下たちが呆気にとられる。

 だが、ヴァイスとレンの訓練を見た部下だけは違った。



「ははっ。すごい少年だったぞ、彼は」



 その部下はレンの姿を思い出しながら、声を弾ませて言った。



「ほ、本当なのか?」


「嘘をついてどうする。ヴァイス様、あの少年は逸材だったのではありませんか?」


「うむ。まだ粗削りだが、確かに逸材だった。それにあの少年は頭が良い。私が教えたことをあっという間に吸収してしまうし、諦めることを知らぬ努力家だった」



 はじめてだった。

 このヴァイスという男がこれほど誰かを褒める姿なんて、彼の部下たちは今まで見たことがなかった。

 それこそ、聖女リシアに対してもそうである。



「正直、我らがクラウゼル騎士、、、、、、、、、、団に欲しい、、、、と思ったくらいだ、、、、、、、、


「ほ、欲しい……!?」


「団長!? まだ七歳の少年ですよ!?」


「何を言うか。お主らではその七歳の少年に勝てんぞ。何せあの少年、お嬢様に勝る実力の持ち主なのだからな」



 馬鹿な、と思った。

 あり得ない、とも思った。



 ヴァイスの部下たちは一斉にその思いを共有したが、与太話と一蹴することはできなかった。自分たちが敬愛して、実力を疑ったことのない騎士ヴァイスがそう言ったからだ。



「……だが、連れ帰るのは難しいだろうな」



 あの村で戦えるのはロイしかいない。

 いずれはレンだけになることも想像できる。だからこそ、クラウゼル家に連れて行くことは難しい。



 ――――考えていたヴァイスは、ここで本題へと話を戻す。



「が、あの少年がいたとしても、増援は急がせるべきだろう」



 部下たちが神妙な面持ちで頷いた。



「Gランクのリトルボアであれば、何匹現れようがお前たちが後れを取ることはなかろう。そしてFランクが相手でも、五匹程度なら一人で同時に対処できるはずだ」


「はっ!」


「しかしランクがEになれば話は変わる。そしてDランクにもなれば、お前が五人以上居ても危険な魔物だ。故にロイ殿一人では満足な戦力ではない。此度の魔物はそのDランクだからな」


「――――ですが団長」


「む、どうした?」


「思い出したのですがロイ殿は以前、単独でDランクの魔物を討伐していたはずでは」


「うむ。奥方殿が子を宿す以前のことだったな」



 であれば今回も大丈夫だろう、部下はこう言いたかったのだ。

 しかしヴァイスの表情は依然として晴れない。それどころか表情は一層暗くなった。

 野営のために用意された焚き火がその顔を照らす。



「それでも楽観視はできん。残念だが、アレはただのDランクではないからな」



 先ほど疑問を口にした部下はハッとした様子で頷いた。



「失念しておりました。奴は異質な力を持っているユニークモンスター、、、、、、、、、でしたね」


「だから急がねばあるまい。一日でも早く、領内に戦力を送り届けねばならん」



 ヴァイスはアシュトン家の屋敷がある方角の空を見上げ、目を閉じる。

 彼は祈りを捧げたのだ。男爵が派遣した騎士が村々に到着する前に、新たな犠牲者が生まれないよう。

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