空の伝説。

「小官は君の話を楽しみにしていた。どうだ、クラウゼルでのことから聞かせてくれないか?」



 レザードとユリシスの二人はレンの目配せにすぐに頷き、レンに任せた。帝都大闘技場で繰り広げられる武闘大会を見ながら、その歓声を聞きながら、リヒターはレンの話にも耳を傾けた。



「シーフウルフェンという魔物が村の近くに現れたことがあって――――」



 語るべきは本当にはじめの戦いから。

 何があってリシアとの逃避行に至ったのかを。



「君はそのエルフと一人で戦い、聖女殿をかばいながら窮地を脱したのか?」


「いえ、リシア様のお力添えがあったから成し遂げられたんです。……それに、運が良かったのだと思います。幸い、エルフが連れてた馬も言うことを聞いてくれたので、どうにか逃げることができました」


「レオンハルト殿、その馬はいまレンの相棒となっていますよ。このユリシスはまだこの目で見たことはないのですが」


「ほう、それは小官としても興味深い。魔物の血を引く馬は仕える主君を選ぶと言うが、君は自身の器により馬を魅了したのだな」


「のんびりしてる子なので、俺の傍でゆっくりしたかっただけなのかもしれません」



 リヒターは冗談交じりのレンに笑って、つづきを聞くたびに目を輝かせた。

 逃避行中の話が落ち着いたところで、会場付きの給仕が現れて、彼らに茶を淹れてから立ち去った。

 しばらく話していたことで乾いた喉を濡らしたレン。



「レオンハルト様はこういう話がお好きなんですね」


「愛していると言ってもいい。天空大陸には英雄譚を好む者が多くてな」


「それは、民族性によるものでしょうか?」


「うむ。こればかりは小官に限った話ではない」



 先ほど混血と言ったリヒターの母はマーテル大陸南部の生まれで、彼曰くその国はとても情熱的な人が多いという。肌の色もその影響なのだとか。だがそれは別にして、そもそもシェルガド皇国の民が英雄譚を好む傾向にあるそうだ。



「理由は我が国を救った英雄の存在だ」



 話すリヒターが上機嫌だったため、レンは「よければお聞かせください」と相手を立てるように言う。

 リヒターはやはり気をよくして語る。



「遥か昔、天空大陸には不死鳥と呼ばれる、守り神のような存在がいた」



 不死鳥は寿命が来ると灰になり、幼鳥の姿で蘇る。それを数えきれないほど繰り返すうちに、永遠に生きると思われていた不死鳥は叡智を失ってしまった。不死鳥に襲われ、数えきれない人々が息絶えてしまったそう。



「そんな不死鳥に眠りをもたらした英雄がいる」



 英雄はどこからともなく現れて、天空大陸に住まうシェルガド人に不死鳥がどこにいるか尋ねた。不死鳥が住まう天空大陸の中心へ向かった英雄は激戦を繰り広げた。不死鳥の無尽蔵と思われた再生力は英雄と戦うにつれて弱まり、遂に巨大な不死鳥の喉笛が英雄の剣に貫かれる。



「英雄は天空大陸の人々に寄り添った。犠牲となった者たちに祈りを捧げ、天空大陸の復興に尽力した。その振る舞いに深く感謝した当時の皇帝は、英雄に『礼をしたい』と言ったそうだ」



 英雄には天空大陸における富も名声も、すべてを得る資格があった。

 だが、英雄はそのどちらも望むことなく、天空大陸の人々を驚かせたという。



「英雄が望んだのは、不死鳥の喉から流れる血だった。それを小瓶一本分貰えればそれでいい――――彼はそう答えた」


「……不死鳥の血、ですか?」


「すごい力があったらしい。不死鳥が持っていた生命力を得られるとか言われていたが、実際はどうだか。いずれにせよ、凄まじい宝物だろう」



 いまでは確かめる術がなく、確かなことは一つもなかった。

 


「英雄はまた少し天空大陸で過ごすと、いつの日か人知れず天空大陸を去ったとされている。最後まで名乗ることなく、ただ静かに――――な」


「……すごい人だったんですね。いったいどれほど強い方だったんでしょう」


「さて。小官も気になっているが、不死鳥の血との効果と同じで確かめる術は残されていない」



 不死鳥の亡骸は当時の皇帝により丁重に葬られ、その地に新たな都ができた。

 歴代の皇帝は天空大陸を救った英雄に倣い、強くあることが求められた。現皇帝もその例に洩れず、剣王序列第四位に君臨、、、、、、、、、、する強者である、、、、、、、



(うちのご先祖様も強かったっぽいけど、天空大陸の英雄もすごそう)



 レンはそう声に出さず呟くと、リヒターに促されて自分の話を再開した。

 話を聞き終えたリヒターはそれはもう満足げだった。話を聞く最中もそうだったし、終わってからは話題の劇を見終えた客のように余韻に浸っていた。



「いい話だ。君が紡ぐこれからの英雄譚も聞かせてほしい。そのためにも、クラウゼル家とアシュトン家とは、今後とも友でありたいものだ」


「レオンハルト殿、それでは先日、我がクラウゼル家にいただいた話を――――?」


「ああ、また新たに投資させてもらいたい。小官は彼のような子が生まれたクラウゼル領に改めて強い好感を抱いた。そこにかの剛腕もかかわっているのなら、今後はより一層深くつながりたいと考えている」



 レザードの問いに迷うことなく答えたリヒター。

 彼は判断力に富んだ気持ちのいい男だった。細かなことはいずれということにされたが、話は順調に進む。



「帰国する前にいくつか取りまとめさせてもらいたい。急かすようで悪いが、小官は過去の経験から、後悔のない判断をすることを心がけているのでな」



 切なげな苦笑いを浮かべたリヒターとユリシスの視線が重なった。



「イグナート侯爵はお覚えだったか」


「それはもう。天空大陸を統べるシェルガド皇国にて勃発した、大公家の跡目争いは有名ですから」


「……耳が痛い話だ。我がレオンハルト家もその騒動に関係していた。穏便に済ませるよう大公家に告げたのだが、結果はあの様だ」


「おや? もしや、あの影響で騎士をお辞めに?」



 頷いたリヒターを見て、合点がいった様子でつづけたユリシス。

 リヒターはぽつり、またぽつりと言葉を漏らす。内心ではレンが多くのことを語ってくれたことへの礼として、またユリシスへもこの場を設けてくれたことへの礼として。



「騎士として国に仕えていたというのに、その義務を果たせずに国を騒がせてしまった。小官はそれ以来、自分が騎士でいることを許せなかった」



 自責の念に駆られた様子のリヒターがレンを見る。



「……レオンハルト様は――――」



 急な話の内容がわからず、レンはどう答えていいか迷った。

 しかし、リヒターがそれを「すまなかった」と謝罪した。



「昔、我が国の大公家で、多くの貴族を巻き込んだ跡目争いが勃発した」



 大公家には二人の兄弟がいた。

 兄が抱く思想は危険である、弟はそう窘めていた。兄はシェルガドが積極的に紛争地などに介入し、ところによって自分たちの利権を確保すべきという、領地拡大主義だった。弟はそれをいまの時代に合っていないと言い、兄と対立したそうだ。



「跡目争いはどう決着したのですか」


「決着など存在しない。結局、二人とも亡くなった。遠縁が跡を継ぐか話し合われるも、大公家ごと取り壊しになったのだ」



 はじめに弟が兄に従う下級貴族に狙われて命を落とし、命を落とした彼の妻と一人娘は密かにどこかへ身を晦ました。それを知り、リヒターを含む第三者は彼女たちを保護するために探したが、見つけられなかった。

 一方、兄の方は弟を慕っていた貴族の暴走で暗殺された。



 跡目争いは大公家という権力と影響力に富んだ家での騒動だったため、当時、天空大陸中が大騒ぎになったことは言うまでもない。

 血で血を洗う騒動は、誰も幸せにならない最後を迎えた。



「小官は騎士でいる資格を失った。……それから、自らの無力さを自覚した日々を過ごしていると、義父が小官の元を訪ねた。義父はマーテル大陸で商人をしていてな。騎士ではない別の立場から祖国に尽くすのはどうか、と提案をもらった。小官の親類にも商会を持つ貴族がいたから、少し試してみようという気持ちになってな」



 騎士としての自分に誇りを抱いていたこともあり、はじめは騎士をやめて商人をすることに思うところもあった。けれど、騎士として成すべきことをしなかった自分はもう騎士ではない。どこまでいってもその考えが拭いきれず、リヒターは逃げるように義父に弟子入りした。

 文官になることも一時は考えたが、義父の支えが強かったという。



 幸いにも、リヒターには商人としての才があった。

 騎士時代に培った人間関係も生かし、天空大陸のみならず、各国に名を轟かす商会を作り出すことができた。

 


「だからこそなのだろう。小官には君が、東に昇る朝日以上に輝いて見える。あるいは小官ができなかったことを成し遂げている君の姿に、憧れているのかもしれん」



 リヒターがレンに言った。

 いまのはきっと、彼の本心だ。レンに強く惹かれ、レンの英雄譚を聞くうちに心躍らせた大きな理由であろう。



「当時は、いまは亡き前イグナート侯爵にも世話になった」


「ですねぇ……身を晦ました女性は元々、我が国の帝城勤めの給仕でしたから。万が一にも互いの国で小さくも緊張が生じれば面倒――――失礼、厄介でしたろうし」



 あまり重い話をつづけてもと思って、ユリシスが一度咳払い。

 せっかくの獅子王大祭だ。武闘大会の様子も楽しもう、とそちらに皆の意識を向けさせる。



「あちらを。レオナール家の少年が戦いますよ」



 それを聞いて、レンも会場の方に意識を向けた。

 いままさに審判の合図ではじまったカイトと別の学校の生徒の戦いは、旺盛に吼えたカイトが終始圧倒した。相手の選手は何もできなかったと言っていいほど、力の差を見せつけていた。



 ――――観戦を楽しんでいる者たちへ、英爵家の人間がその力を立てつづけに披露する。

 つづけて現れたのはセーラ・リオハルドだ。彼女は幼い頃から磨きつづけた流麗な剣をもって相手を翻弄し、カイトと同じく危なげない戦いぶりで勝利を収めた。

 観客の中には英爵家の者が見せた若き強さに心躍り、見惚れた者も少なくなかった。



「おや」



 ユリシスがおもむろに時計を見て、レンを拘束しすぎていたことに気が付く。何時まで話をするか予定は組んでいなかったが、レンをあまりにも長時間拘束することは避けたいと思っていたため、



「すまないね。随分と長く時間を貰ってしまった」


「……もうこんな時間か」



 するとリヒターが残念そうに言い、レンとレザードを見た。



「お二人とも、よければ早めの夕食をともにしないか? 夕方にはイグナート侯爵に帝都を案内していただくのだが、よければ二人も是非ご一緒してほしい」



 その誘いにレザードは深々と頭を下げ、申し訳なさそうな声音で言う。



「お誘いいただき光栄なのですが、いくつかお誘いを頂戴しておりまして……」


「……で、あろうな。いま話題のクラウゼル子爵、難しいとは思っていたがやはりそうであったか」



 レンは夕方からの仕事からレザードに同行する予定だった。

 しかしこの様子では、レンだけでもリヒターの誘いに応じた方がよさそうである。それをレザードも思ったのか、レンと顔を見合わせた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 レンだけでもと思い、誘われた夕食の席に彼だけが向かった夕食、その帰り道。

 彼はまだ空が暗くなりきっていない頃に帝都を歩いていた。



「すみません。送りまでお世話になってしまって……」



 フィオナが申し訳なさそうに言う。

 彼女がここにいる理由は、さっきまでの夕食の席にフィオナも呼ばれていたから。

 レンは彼女を連れて大通りを歩きながら、駅に向かう途中で「気にしないでください」と言って笑った。



「こちらの方がいつもお世話になってますって」


「……もう、ほんとに優しいんですから」



 薄暮に残された夕焼けの赤に横顔を照らされながら、フィオナは首をこてんと寝かした。



「――――ふふっ」



 フィオナが嬉しそうに笑う。

 こうしてレンと共に歩ける時間は、彼女にとって予想外に嬉しい時間だった。獅子王大祭期間中に、彼とこうして二人で祭りを見ながら帰れるなんて思っても見なかったからだ。



 しかもこの後は、フィオナが寮に帰るまで祭りを楽しめる。

 だがフィオナはその容姿もそうだし、立場も相まってよく目立つ。そこで彼女はすでに制服を着替え、眼鏡と帽子で少し普段と違う服装に身を包んでいた。夏らしい半袖のセーターが、彼女に良く似合っている。



 道中、いくつもの出店を見て回った。

 フィオナはそれを楽しみ、時に氷菓子などを買って二人で食べることに喜びを見出す。

 ……この時間がずっとつづいてくれたらいいのに。

 そう、強く考えてしまう。



 歩く途中、一際人で混み合う通りがあった。

 無意識のうちにレンの服の裾を摘まんでしまっていたことに、



「ご、ごめんなさい……っ!」


「いえいえ。はぐれると大変ですから」



 フィオナはすぐに謝ってから、バルドル山脈でのことを想起した。

 吊り橋を抜けるその直前、あのときもレンのコートの裾を摘まんでいたことを思い返し、何となく嬉しくなった。

 だけど、思いを寄せる相手との関係性は当時と比べてもあまり進んでいない。すぐ傍で暮らせるようになったことは喜ばしいが、逆に言えばそれくらいだった。




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