夜、魔導船の窓から。

 もうすぐ学び舎が立ち並ぶ区画というところで。



「そこの綺麗なお姉ちゃん」



 出店の店主がフィオナを見て声を掛けた。

 いくら変装していようと、隠し切れない華は何人もの男性の目を奪っていたこともあり、そうして声を掛けられてもおかしくはない。

 フィオナは自分のことだと考えることなくレンとの話に没頭していたのだが、



「ほらそこの! 帝国士官学院生の彼氏と歩いてるお姉ちゃん!」



 フィオナの周りにはレン以外に学院の生徒がいない。

 しかし彼氏とはいったい。そう思いながら、まさか自分のことを色々と勘違いしているのかと思ったフィオナが、先ほどから声を上げている店主に顔を向けた。

 すると、店主はフィオナを見て笑った。



「どうだい? うちの甘いのでも」



 気風の良い女性店主の出店だった。

 店頭では、鉄板で焼くクレープ生地のようなものにシロップやクリームを乗せた菓子が売られている。漂う香りは食欲をそそったけれど、レンとフィオナの二人はもう満腹だった。



「実はもうお腹いっぱいで。――――それと、俺は別に彼氏じゃないですよ」


「あれ? 随分と仲がよさそうだったけど違うのかい」



 申し訳なさそうに笑った店主は「また来てよ!」と威勢よく言った。

 随分と勢いのあるやり取りを交わした後に、二人はまた祭りの雰囲気を楽しみながら帰路に就く。



 道中フィオナは、先ほどの店主の言葉を思い返していた。



「す、少しくらい戸惑ってくださってもよかったのに……」


「フィオナ様? 何か仰いました?」


「う、ううん! 何でもありませんっ!」



 彼氏……店主は最初、レンをフィオナが付き合っている異性だと勘違いしていた。それが勘違いでなければどれだけ幸せなことか、フィオナには想像できなかった。



 それはさておき、勝手に不満な気持ちを抱くのはどうかと思ったが、レンが彼氏という言葉をすぐに否定したことが気になる。気になると言っても不満なわけではないし、レンの人となりからそうするだろうこともわかる。ただ単に、フィオナのちょっとした乙女心の問題だった。



「レン君」


「はい?」



 レンと少しでも距離を詰めるため、フィオナはいままでしたことのない攻めた問いを口にする。



「レン君って、どういう女性が好みなんですか?」


「――――はい?」



 先ほどと同じ返事でも、その言葉に宿る気持ちはまったく違う。

 唖然としたレンは思わず足を止め、フィオナを見て目を点にしていた。それが可愛らしくて、フィオナがくすりと笑いを漏らす。



「ええと……想像していなかった質問でした……」



 先ほどの店主がレンを彼氏と間違えたからこその質問だろうと思った彼は、そういえば考えたことが無かったなと頭を悩ませる。

 気を取り直して歩きはじめた二人。

 レンが隣で悩む姿を、フィオナはじっと興味深そうに見上げていた。



「や、優しい人……とか……」



 あまりにも月並みな返事すぎた。

 一瞬、きょとんとしたフィオナは「大切ですよね」と微笑んだ。



「他に思いつくのは――――あっ」


「っ……思い付いたんですか?」


「はい。我ながらどうかと思いますし、好みとはまた少し違うと思うんですが」



 いつも大人びているレンが、年相応に苦笑しながら頬を掻く。

 頭に浮かんだ言葉は本当に好みではなかったけれど、



「俺がしょっちゅう剣を振ってるので、それを許して下さる方……とか……」



 一瞬思考が止まってしまったフィオナはレンの顔を見上げながら、数秒過ぎたところでまた頬を緩めた。

 口元に手を当てても押さえきれない感情に笑いが漏れる。外見的な好みだったり、別の答えも聞きたかったところではあるが、フィオナはいまの答えに心温まる思いだった。

 ……少なくとも、いまの答えについて自分は大丈夫だろうと思って。



 学生寮に到着した二人が、別れ際に言葉を交わす。



「レン君はこの後、魔導船に乗って会合でしたっけ?」



 実はこの後すぐ、レンはエレンディルに帰ってから身だしなみを整えなければならない。フィオナが言ったように魔導船に乗っての会合、パーティというほどではない集まりがあった。



「レザード様の仕事に関係した方がたくさんいらっしゃるんです。一番にユリシス様にお声がけしたんですが、ユリシス様もお忙しかったようで」


「お父様、そのことを残念がられてましたよ」



 ユリシスとレザードは度々顔を合わせているから、優先すべきは普段会えない者たちだ。二人ともそれを知っていたから無理はせず、互いにするべき仕事に勤しんでいた。それ以外にもちょっとした話をしてから、レンがエレンディルへ帰らなければならない時間が訪れる。



 するとそのとき、フィオナは無意識のうちに勇気を出した。

 最初は本当にレンのためを思っただけだったのだが、



「――――レン君、ネクタイが曲がってますよ」



 まだ制服姿だったレンのネクタイが少しだけ曲がっていたことに気が付いて、彼に手を伸ばして軽く整えたフィオナ。すぐに自分が大胆なことをしたことに気が付くも、大きく鼓動する自分の旨に気が付かないふりをして微笑む。



 ふとした瞬間、急に傍に来たフィオナに驚いたレンの頬。



「これで大丈夫でしょうか? その、誰かのネクタイを整えるのってはじめてで……」


「だ、大丈夫だと思います! ありがとうございました!」


「いえいえ。――――それじゃレン君、送ってくれてありがとうございました! それと、気を付けて帰ってくださいねっ!」



 フィオナは逃げるようにレンの前を立ち去って、寮の扉を開けて中に飛び込んだ。

 数人、彼女の様子に驚く生徒たちがいた。彼女にそれを気にする余裕はなく、いま閉じたばかりの扉を背に胸に手を当てた。



 すぐに早足で女子寮の自室を目指し、そこにも飛び込む。

 洗面台にある大きな鏡の前に立った彼女は、



「……ま、真っ赤ですね」



 大胆なことをしていたことに気が付いた途中から、胸の鼓動はもちろん、肌が上気しないよう懸命に取り繕っていた。自室に戻ったら取り繕う必要はなく、もうどうなったって構わない。



 フィオナは鏡に映る自分の真っ赤な頬と、やや潤んだ双眸。

 両手を合わせて口元と鼻を隠すように手を当てると、



「私、何しちゃってるんですか……っ!?」



 嫌がられてなかったから大丈夫なはずなのだが、色々と考えることはある。

 唐突に、無意識に勇気を振り絞っていた自分に驚くばかりだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 夜、レンとリシアは魔導船の中にいた。

 当初から予定されていた貴族との会合が魔導船の中で、さながら立食パーティのように開かれていた。

 長い長い挨拶回りが終わり、レンがリシアと飲み物を片手に休憩していた頃、



「レン、見て見てっ!」



 リシアが大きな窓の外に広がる夜景を指差した。

 夜景と言っても、この高さからだと空の端がまだ茜色に染まっている。それに加え、地上に臨時で作られた魔導船乗り場の灯りも関係して、頑張ればその様子を視認できた。

 レンはリシアの隣に立って、彼女が指差した方角にある山を見上げた。



「あれがローゼス・カイタスみたいですか」


「うん! あの霧がクロノア様が仰っていた、時の檻のはずよっ!」



 夜だと言うのに、時の檻と思しき霧はそれなりに視認することができた。



「まるで霧が発光してるようにも見えますね」


「神聖魔法に似た性質があるんじゃないかしら? 私の神聖魔法もキラキラしてるから、同じように少し光って見えるのかも」



 レンは「確かに」と首肯する。

 時の女神の力も宿る封印なのだから、それくらいあって不思議じゃない。



(本当に大きな封印だな)



 ローゼス・カイタスは古き時代、封印される以前は数多くの巡礼者で賑わった聖域だ。巡礼者は険しい山にある石の階段を上り、その頂上にある開けた場所の神像を参拝する。当時のエルフェン教徒たちは、こうして神への祈りを捧げていたのだとか。

 ローゼス・カイタスはいまでこそ立ち入りが禁じられた場所ではあるが、



「当時は石の階段を、多くの人が歩いていたんでしょうね」


「うん。本にはたくさんの松明に火が燈されていて、聖者が鳴らす鈴の音が響いていたって書いてあったわ」



 聖域と呼ばれていただけあって、それは大層荘厳だったことだろう。

 容易にその光景を想像できたレンは、ローゼス・カイタスをじっと眺めつづけた。

 そうしているうちにも、魔導船は空をゆっくりと泳ぐ。



 窓の外を眺める二人に、一人の男が声を掛けようとしていた。



「お二人とも」



 窓を見ていた二人が会場の方に振り向くと、そこにはレンが昼間に見たままの服装に身を包んだリヒターがいた。

 彼は昼の縁もあり、レザードに招待されてこの魔導船に足を運んでいた。



「レオンハルト様、当家の集いはお楽しみいただけていますか?」


「それはもう。今宵はクラウゼル子爵と懇意の方々とも知り合えた。とてもいい夜を過ごせさせてもらっている」


「そう言っていただけて光栄ですわ」


「――――ところで二人は……ふむ、例の聖域を見ていたのかね」



 二人の傍、レンの隣にやってきたリヒターがグラスを片手に窓の外を見る。

 彼の目にもローゼス・カイタスの封印が映っていた。



「魔導船に乗っているとはいえ、帝都まで一時間もしない場所にある封印――――見事なものだ。時の檻と呼ばれている通り、まさしく人知を超越した力の結晶だ。中に魔王軍が生き残っている可能性は皆無だろう。だからこそ、あの場所にあって許されている」



 リヒターがグラスを呷り、レザードが用意したワインを一口、また一口と嚥下した。



「本当に見事なものだ。あれほどの封印を生み出すのだから、エルフェン教が持つ神秘は小官としても理解が及ばん」


「私とレンはあの封印を近くで見るのがはじめてなのですが、レオンハルト様はいかがでしょう?」


「小官もこれが二度目――――いや、三度目か」



 はじめてレオメルに来たとき、そして二度目は彼が今回レオメルに来る途中に。

 三度目はいま、レンとリシアのすぐ傍でだった。



「近くに降りて拝見したいものだが、時間がないことだけが恨めしい。またレオメルに来るときは、是非、君たちと共に近くへ行ってみたいものだ」



 彼はそう言うと、二人の傍を離れていく。どうやら他の貴族たちと挨拶する途中で声を掛けただけのようだ。

 窓の傍に残る二人はもう挨拶を済ませているから、それなりに自由だった。

 いまからレザードの傍に控えて仕事を手伝ってもいいのだが、レザードがそれは大丈夫と言っていたからいまに至る。後程、魔導船がエレンディルに戻った頃には客人たちを送る仕事が残されているくらいだった。



「……あの封印の中って、どうなってるんでしょうね」


「あら、レンは見てみたいの?」


「時間が止まって、聖なる力が満ちている空間と聞けば気になりませんか?」


「気にならないと言ったら嘘になるけど、中に入っちゃったら大変よ。私たちも一緒に浄化されちゃうかも」


「あー……さすがに興味より命の方が重要なので、止めにしておきましょう」


「ふふっ、それがいいわ」


 

 二人はまたしばらく窓の傍で話をしながら、普段は見られないローゼス・カイタスの封印を眺めたり、獅子王大祭初日のことを話しながら過ごす。

 やがて、またしばらく時間が経ってから。

 皆を乗せた魔導船が、エレンディルへの帰路に就きはじめたことが知らされた。




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