隠し事は許されない。
魔導船の中でつづけられていた会合、集った皆の耳へ届く声。
「皆様、もうすぐ空中庭園でございます」
クラウゼル家の使用人の声だった。
次に此度の主催を務めたレザードが来場客に感謝する声が会場に響き渡った。
更に数分も経てば魔導船が下降をはじめ、空中庭園に停泊した。一人、また一人と魔導船を降りていく貴族たちの中には、あのリヒター・レオンハルトもいた。
その全員を見送ってから、レザードがようやく息を吐く。
「これで今日の仕事は終わりだな」
レザードがレンとリシアに手伝ってくれたことへの感謝を告げる。
この後は、彼らも屋敷への帰路に就くはずだった。けれどレザードの提案で予定が変わる。
「私たちだけで、ゆっくり軽めの食事でもどうだ? せっかくの魔導船だ。まだ料理もあるからいただいてから帰ろうじゃないか」
「ええ。喜んで」
「わかりました。ご一緒させてください」
その提案を聞いた二人は快諾し、テーブルに付いて夜食を楽しむ。
ここから見えるエレンディルの夜景は、相変わらず美しかった。昨年、大きな騒動があった大時計台も普段より多くの灯りで目立っている。
気が知れた者たちだけでの食事が、今日の疲れを癒していた。
「二人とも、今晩はゆっくり休めそうか?」
「ええ。でもすっごく疲れちゃったので、寝坊しないか心配です」
「俺もです……本番までの方が忙しかったはずなのに、不思議と今日の方が疲れた気がします」
「そういうものさ。何事も本番が一番疲れてしまう」
「まぁ、やっぱりお父様もそうだったのですね」
先の立食パーティと違い、ちゃんと席に着いて皆のペースで。
運ばれてきた料理を周りの目を気にすることなく、いつも屋敷でしているようにゆっくり楽しむ。
「そう言えばお父様、私たちずっとローゼス・カイタスの話をしてたんです」
「ああ、あれは本当に凄まじい封印だ。私は何度か仕事で見たことがあったが、リシアとレンははじめてだったか」
レザードは魔導船に乗り度々エレンディルを離れることがあったため、その際に空から封印を見ていたという。
といっても二、三回しかない。
ローゼス・カイタスは魔導船に乗ってしまいさえすればそう遠くなかったものの、場所自体は辺鄙なところにある。古い街道はあるが、事実、ローゼス・カイタスの近くへ行く以外にはあまり使われていない街道である。そこは周囲に谷や山、湖などが点在する自然豊かな場所にあった。魔導船の経路的にも、滅多に通らない場所だったのだ。
「最近も賑わっているようだが、六日目は賑わうだろう」
「ローゼス・カイタス周辺がですか?」
リシアがレザードの言葉にまばたきを繰り返しながら尋ねた。
すると「ああ」と頷いたレザードが理由を語る。
「エルフェン教の聖歌隊が行くそうだ。戦地で亡くなったすべての魂へ、主神エルフェンの救済があらんことを――――そう願うためにな」
「聖歌隊の歌……私も少し気になります」
「せっかくだ。二人で聞きに行ってみてもいいかもしれん」
リシアはレンと顔を見合わせた。
レザードが言うには聖歌隊がローゼス・カイタスの近くへ行くのは獅子王大祭六日目の午前中とのこと。その頃には、実行委員の仕事も今日以上に落ち着いている。
だが、当日余裕があって、更に機会があれば――――程度の話に過ぎなかった。
軽めに夜食を終えてから。
三人は魔導船の外で警備をしていたヴァイスと合流して、空中庭園の地上階へ向かおうとした。
その直前、レンは先ほどまで乗っていた魔導船が停泊した場所の上層、普段は開いていないドックの扉を見上げて、
「ヴェルリッヒさん、こんな時間にも修理をしてるんですね」
あのドックには、ヴェルリッヒがずっと前に建造した魔導船・レムリアがある。
昔いた皇族の扱いが悪くて半壊していたものを、アスヴァルの角を加工して以前以上の逸品に仕上げる計画だ。
レンがドックの入り口を見上げていると、そこからヴェルリッヒが顔を出す。どうやらレンがいることに気が付いたようだ。彼はここから数十メイルも高い場所から、高さに恐れをなすことなくレンを見下ろす。
「おうおう! こっちの仕事は順調だぜ!」
「ありがとうございます! でも、危ないから身体を乗り出さないでください!」
「あーん? 別にこのくらいどうってことねぇが……仕方ねぇなー!」
ヴェルリッヒはそう言うと、もう一度笑ってドックの中へ戻っていく。
「相変わらず元気そうね、ヴェルリッヒ殿」
今度こそ、屋敷への帰路に。
ヴァイスも含めて四人、ここにいた皆が今度こそ空中庭園の中へ歩を進め、地上階へ向かう。
(実行委員の仕事も順調で、よく見えなかったけどローゼス・カイタスも見れた)
とてもいい日だったと思いながら、レンはうんと背筋を伸ばす。
きっと今晩は倒れるように眠れるはずだ。湯を浴びるまでこの体力が持つかだけ心配なところだ。
何せ、浴槽の中で眠ってしまったらとんでもない話だ。
「レン、お風呂で眠ったらダメよ?」
「……どうして俺が考えていたことを?」
「いつも言ってるけど、レンのことだからわかるに決まってるでしょ」
リシアは美しく澄んだ声で、「気を付けてね」と人差し指を立てつづけて言った。
◇ ◇ ◇ ◇
――――翌朝、自室で目を覚ましたレンは首を捻った。
何か夢を見た気がするのだが、その夢を思い出せない。そんなことは日常茶飯事だったのに、今日はどうしてか心にしこりが残ったような思いだった。
「んー……何だろ、これ」
よくわからないまま時計を見ると、時間はいつも起きるより少し早かった。身支度を整えて部屋を出て少し歩けば、レンはリシアを見かけた。
(どうしたんだろ)
そのリシアも、何か合点がいかない様子というか……何か考え事をしているように見える。
朝の挨拶がてら、レンは彼女に近づいて声を掛ける。
「リシア様、どうかしたんですか?」
「ううん……何でもないの。別に大したことじゃないから」
その言い方が気になったレンは、笑いを交えて冗談を言う。
本当に大した意味のない、笑い話として。
「まさか俺みたいに妙な夢を見たとかじゃないですよね」
「――――え? レンもなの?」
冗談のはずだったのに、少し事情が変わった。
思わず「え?」と目を点にしたレンと、驚いたリシアの距離が詰まる。無意識のうちに、普段より半歩近くでお互いの顔を見た。
「どういう夢か思い出せますか?」
リシアが間髪入れず首を横に振った。
「わからないの。なのに気になっちゃってるから、自分が変だなーって……」
「俺も何か夢を見た気はするんですが、全く思いだせないんです。なのにその夢がずっと気になってる――――みたいな感じです」
だが、それだけだ。
変なこともあるものだ、くらいにしか思えない。
そもそも夢なんてこんなものだろうし、普通に考えればここから深堀りすることの方がどうかしていた。
レンとリシアは互いを見ながら苦笑した。
◇ ◇ ◇ ◇
二日目は初日に比べて仕事が少なく、本部でゆっくりできる時間の方が長かった。
各会場から届く報告を見るに、帝国士官学院の生徒は各競技で順調に勝ち進み、無事に名門の名を轟かせているようだ。
特に武闘大会は、代表生徒全員が勝ち進んでいる。
二日目を終え、三日目に入ってもそれは変わらない。四日目にもなれば相当の猛者しか残っていないにもかかわらず、それでも変わらなかった。
ラディウスは馬車の中でそれらの情報を整理しながら、前日までと同じで本部へ向かう最中だった。
大国の皇族が乗るに相応しい、豪奢な内装の馬車だった。ラディウスの隣にはミレイが、対面にはエステルが座っている。
開け放たれた馬車の窓から夏の暑さを孕んだ風が舞いこむ。それでもラディウスは魔道具による涼しさに頼らず、涼しい顔を浮かべて書類を眺めていた。
やがて本部がある広場の前にたどり着いても、それは変わらない。
「殿下、私は外で待ってますニャ」
「すまないな」
いつもならミレイが馬車を降りてラディウスがつづいたはず。それなのに今日のラディウスはそうするわけでもなく、ミレイだけが馬車を後にした。
彼の対面に座るエステルは「おや?」と口に出す。
「どうされたのですか? 殿下は別のご用事でも?」
「ああ。ここでな」
「ここで――――馬車の中でございますか」
ラディウスが頷き、彼はそれまで目を通していた書類を隣に置いた。すると彼は窓を閉じ、指を鳴らして魔道具を動かす。馬車の中に熱がこもることを嫌い、内部に設置した魔道具から涼しい風を生んだ。
もう一つ、二人の耳をきんと刺す音が鳴り響く。エステルはそれが何の音か知っていた。
「音を封じ込められたようですが……どうなさったのですか?」
昔、レンとリシアがイェルククゥに連れ去られたときも似た魔道具が使われた。設置された空間の中で生じる音を管理するもので、今回は一切の音が外に漏れださないように使われる。
エステルは神妙な面持ちを浮かべ、ラディウスを見た。
「何をしている」
――――と、ラディウスの声。
「何をしている、とは?」
「もうわかっていよう。この私がこうまでお膳立てしてやったのだ。エステルはもはや、私に多くを悟られていることを理解しているはずだ」
口を噤んだエステルを前にラディウスが語る。
一切の迷いがない、堂々とした声音で。
「連休中は忙しかったようだな、エステル。だがそれも当然だ。久方ぶりに帝都全域で開かれる獅子王大祭にあたって、獅子聖庁でも警備の折衝つづきだったろう」
「……いえ、そのようなことは」
「謙遜するな。エステルが忙しかったことはよく理解している。どこまでも、な」
慌てて否定したエステルは眼前の少年から漂う覇気を見た。
真っすぐ、ただ目を合わせているだけなのに、彼を見ているとすべてを口にしてしまいそうになる。
たとえそれが、皇帝の密命に関係していても。
「いいだろう。次はもう少し言い方を変えよう」
ラディウスが猶もエステルを見ながら、
「連休中、エレンディルで何をしていた?」
エステルは眉一つ動かすことなく、ラディウスの言葉に首を捻ってみせた。
微塵も違和感を抱かせない、そんな普段通りの仕草である。
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