騎士家の嫡男として。

 ミレイユは認めざるを得なかった。

 昨夜のレンの活躍は無視できないが、親としては森に行くことをまだ制止できる段階だった。そこに騎士としての義務という言葉を出されてしまうと、それができなくなってしまう。



 たとえそれが、まだ嫡男でしかないレンに言われても。



 だが、無理はしないように、と強く言った。

 具体的には、橋を渡ってから歩いて半刻までの距離がレンに許された行動範囲だ。異変を感じたら迷わず村に帰ることと、夕方になるまでに帰ることが併せて約束された。



「まだ残ってるかなー……お、あった!」



 レンはいま、森につづく橋を渡ったところである。

 持ち帰らず残していた二匹のリトルボアの死体を取りに来たのだ。



「ま、まぁ、なかったら問題か」



 死体を村人が運ぶはずないだろうから、無かったとすれば別の魔物が餌にしたというのが有力になろう。

 いまそうなってしまえば、犯人はシーフウルフェンだと想像できる。



「さて――――」



 どうしたもんか。

 腐っていると思うが持ってきてくれ、ミレイユはこう言っていた。肉は腐って食べられないだろうが、骨や毛皮は一応値段がつくからだそう。

 レンが迷っていたのは、どうやって持ち運ぶかという問題のせいだ。



「いや、持てるか」



 よくよく思えば今の自分はそれなりに力がある。

 身体能力UP(小)の恩恵があるのだ。



「……おお! 軽い!」



 横たわっていたリトルボアを労せず両肩に持ち上げることができた。獣臭さが鼻を刺すが、こればかりは我慢するしかない。

 などと顔を歪めていると、



「え――――?」



 リトルボアの胸元から暖かい何かが流れ出てきた。

 レンはそれを流血かと思ったが違う。



 驚くあまりリトルボアの死体を地面に落とすと、死体の胸元から光る粒子のような、オーロラのような何かがレンの腕に向けてゆっくり飛翔していた。

 もしかして……!

 驚いていたレンが革の防具を外して腕輪を見る。




 ――――――


 レン・アシュトン


[ジョブ]アシュトン家・長男


[スキル]     

          ・魔剣召喚(レベル1:0/0)


          ・魔剣召喚術(レベル2:58/1000)

           召喚した魔剣を使用することで熟練度を得る。

          レベル1:魔剣を【一本】召喚することができる。

          レベル2:魔剣召喚中に【身体能力UP(小)】の効果を得る。

          レベル3:魔剣を【二本】召喚することができる。

          レベル4:*********************。


[習得済み魔剣]

         ・木の魔剣   (レベル1:2/100)

          自然魔法(小)程度の攻撃を可能とする。

          レベルの上昇に伴って攻撃効果範囲が拡大する。


         ・鉄の魔剣   (開放条件・魔剣召喚術レベル2、

                  木の魔剣レベル2)       


 ――――――




 魔剣召喚術と木の魔剣が熟練度を“2”ずつ取得していた。



「……やっぱり、自分で倒した魔物の魔石じゃないといけなかったんだ」



 こんな形で予想が正しかったと判明しても、素直に喜ぶのは難しい。

 できればロイが元気なときに共に森に出向き、彼に見守られながらリトルボアを倒すことで判明させたかったものだ。



 レンは嘆息の中に僅かな喜びを滲ませて、リトルボアを担ぎ直す。



「……近いうちに木の魔剣も試しておかないと」



 森に行くのだから、持ち得る戦力はすべて試したい。これまで屋敷にいたレンにはできなかったが、今はそれができるのだ。



 だが今日は今から屋敷に帰るから、試すのは明日になるだろう。

 明日からが森に入る本番だと思うと、レンの心もより一層引き締まった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 翌朝はいつもより早く目が覚めた。

 今日から本番だと思って、心と体が興奮状態にあったようだ。



 予定ではあと八日で男爵の増援が到着する。

 それまで頑張ればどうにかなるということをミレイユと再確認したレンは、いつものように朝食をとると、いつものように屋敷を出て、いつもと違い散歩をせずに森へ向かった。



『ツルギ岩を見れば方角がわかるのよ』



 屋敷を出る前にミレイユからいただいた有難い助言である。

 ツルギ岩と言うのは、以前ロイが説明していた剣のように伸びた大岩のこと。

 そのツルギ岩だが、森に入って一時間半も進んだところにある。このことを思い出していたレンの視界を、



「見づらいな」



 森に立ち込める朝霧が遮った。

 あと数十分もすれば晴れるだろうけど、前世でも森に足を踏み入れる経験をした記憶がないレンにとって、どこから手を付けるべきか迷うには十分な条件がそろっていた。



 だが幸いにも、するべきことはわかっている。



「いずれにせよ、ここから三十分以内の範囲で魔物を狩るだけだ」



 意を決して森に足を踏み入れる。

 枝々が揺れ、葉が擦れ合う音が耳に届いた。他に聞こえるのは鳥のさえずりと、まだ近くにある川を流れる水の音だけ。



 数分も歩けば、視界を遮っていた朝霧が微かに晴れはじめた。

 あるいはレンの目が慣れただけかもしれないが、随分と歩きやすくなる。



「うわぁ……」



 地面のぬかるみに足を奪われ、泥が靴の中に入り込んだ。

 不快な感触に頬が引きつってしまう。



「なにこれ……ヒル……?」



 泥を払っていると、いつの間にかヒルと思しき生物がレンの腕を上っていた。こんな森だから居ても違和感はないのだが、やはりこちらも不快な感触が肌を伝う。

 レンはそのヒルを手で払い落す。まだ噛みつかれていなかったようであっさり落ちた。



「これが本当のヒルクライム、、、、、、…………」



 しょうもないことを言い照れくさくなって天を仰いだ。つづけて泥も払い終えると、さっきまでと違い重い足取りで歩き出す。

 疲れたわけではない。こんなときに馬鹿なことを言ってと自嘲していたのだ。


 

 ――――十数分過ぎた頃、朝霧は完全に晴れていた。

 同じ頃、レンは離れた木々の傍にある草むらが揺れるのを見た。風で揺れたにしては局所的な揺れ方だったから、無視できなかった。



 双眸を細めて凝らしてみる。

 そうしていたら不意に草むらが大きく揺れ、泥まみれのリトルボアが飛び出してくる。



『ブルゥッ!』


「っ……また急な……!」



 野生の獣は警戒心が強いと言うが、このリトルボアはそうじゃない。そもそも魔物だから獣と同一視すべきではないのだろうが、だとしてもこんな風に襲い掛かってくるとはレンも思っていなかった。



 昨夜と違い、一匹でも勇猛果敢に迫るとは。



「えっと……」



 小さな少年が現れたとあらば、それは食欲が疼くだろう。

 しかしレンが餌になるわけがない。むしろ昨夜の経験もあり、迫るリトルボアに対して一切怖じ気ることなく木の魔剣を振り上げて――――。



『ブウァッ!?』



 脳天へと、鋭いひと振りを見舞った。

 リトルボアが横たわっても、レンは少しの間警戒をつづけた。

 だが、十数秒経っても動かないのを確認すると、距離を詰めてしゃがみ込む。完全に息絶えたことがわかり、はぁ、と一度ため息をついた。



「初日の戦いがあっけなくおわってしまった」



 そう言うと、リトルボアの身体を肩に担いだ。

 すると、昨日のようにリトルボアの胸元から暖かい何かが溢れ出た。すぐに腕輪を確認してみると、魔剣召喚術と木の魔剣の熟練度が“1”ずつ増えている。



「そういや、使えなくなってるって言ってたっけ」



 と言うのは昨日のことだが、リトルボアを持ち帰ったレンはそれをミレイユに渡した。そのミレイユはリトルボアを解体するや否や、「魔石が空になっていたのよ」と言ったのだ。



 魔石と言うのは、持ち主だった魔物が成長するにつれて育つ魔力の結晶だ。

 その魔力が消えてしまうと白が混じった半透明に変わってしまい、売り物としての価値がゼロになってしまう。

 ミレイユは不思議ねーと言っていたが……。



「今日からは気にしなくてもいいんだ」



 なぜなら、魔石はレンが貰うことにしているからだ。

 リトルボアの魔石は大した値が付かないらしく、ミレイユもそれで構わないと言っていた。代わりに、ロイに似て魔石を好きになったことを嘆いていたくらいだ。



「…………で」



 どうしたらいいだろうか。昨日のことを思い出すのはいいが、狩ったリトルボアを担いだまま戦うわけにはいかない。

 ここに置いていくのも忌避感があった。



「橋まで運ぶしかないか」



 狩るたびに毎回運ぶのは面倒だったけど、レンには他にどうするべきか思いつかなかった。あっけない戦いの後で踵を返すのは足が重かったが、対案がないなら我慢せざるを得ない。



 こうして歩きはじめると、



「うわぁ…………」



 動きづらいところを狙いすますかのように、二頭のリトルボアが姿を見せた。

 担いでいたリトルボアを下ろせばそれで済むだけの話なのに、どうにもリトルボアは本能に忠実すぎるらしく、完全に隙を付いたとでも思っているようだ。



「別にいいけどさ」



 レンは担いでいたリトルボアを、今現れたリトルボアに投げつける。

 一瞬、二頭のリトルボアが同時に怯んだ。

 その刹那を狙って距離を詰めたレンは、やはり軽々と一頭の頭を叩き絶命させた。二頭目はようやく危機感を抱いた様子で後ずさり、情けなくも逃走にかかる。



 遠距離を攻撃できる術でもあれば追撃を仕掛けるのだが……と考えたレンが思い出す。



「――――あるじゃん」



 そういえば、試すつもりだった。



 木の魔剣に付随している――――というより、恐らく本命の力であろう、自然魔法(小)の存在を思い出したのだ。



 とはいえ魔法なんて使ったことがない。

 どうすればいいのだろう、迷ったレンはゲーム時代に目の当たりにした自然魔法を思い出す。



 エルフが用いていた、木の根やツタを用いて相手を拘束するあの魔法を。

 しかし、発動する様子はない。

 何か発動条件があるのかと思い、木の魔剣をリトルボアの背に向けて振ってみると。



『ブォッ!?』



 振り下ろした木の魔剣から緑色に光る粒子が舞い、それがやがて地面にたどり着く。

 すると地を這う木の根が地中から生まれ、走り去ろうとしていたリトルボアを容易に縛り上げたのだ。



「おお!」



 リトルボアに止めを刺すべく近づいてみると、既に絶命する寸前であった。その全身を縛る木の根に触れれば、レンが思う以上にきつく縛り上げられてることが分かる。



「…………すごいじゃん」



 レンはそう言うと、必要以上に苦しめないために木の魔剣を振り上げる。

 勢いよくリトルボアの頭蓋に向けて振り下ろすと、絶命したのを確認してから、三頭をまとめて担ぎ上げた。



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