旅人の正体。

 最奥にある部屋が見えたところで、レンはその扉の前に置かれている品をじっと見る。

 見覚えのある大きな鞄だった。



「……」



 にわかには信じがたかったが、レンは閉口したまま歩いた。

 長い廊下を進んだ先で、二人は扉の前で足を止める。



「どうしたレン、さっきから静かじゃないか」


「緊張してるのかもね」


「レンにしては珍しいな。だがそう緊張することはない。そのために私がいる」


「ありがと、助かるよ」



 ラディウスはドアノブを握る前にノックをした。扉の奥から声が届く。



『入っていいぞ』



 レンはラディウスにつづいて部屋の中へ足を踏み入れた。

 真正面の奥にある壁は床から天井にいたるすべてが窓になっていた。風光明媚なエウペハイムを見渡すことができる。



 レンが見た窓の前に巨大な机が一つ置かれている。

 無作法にも机の上に両足を乗せ、椅子の背もたれを僅かに倒した者がいた。



「久しぶりだな、ラディウス。そこにいるのがレン・アシュトンか」



 ローブを着ていない姿ははじめてみたが、声と様子から察するに間違いない。

 ふんぞり返るように、無作法に座っていた男は紛れもなく鞄の旅人だ。レンが前に、リシアと帝都で目の当たりにしたあの人物である。



 ラディウスの銀髪に金を混ぜ込んだような髪。小柄な体格はローブを着ているときと変わらず、いまはシャツのボタンを二つ開けるラフな服装でここにいる。顔立ちは中性的な美少年のそれだった。

 レンとラディウスが机の前に立つ。



「レン、紹介しよう。この男は――――」


「ああいい。俺が自分でする」



 鞄の旅人が立ち上がり、大きな机の周りをぐるりと歩いてレンの傍へ。

 薬草だろうか? 爽やかな香りがレンの鼻孔をくすぐった。



「俺はラグナ。生物学上はシェルガド人だ。あくまでも人種に限った話だがな」


「はじめまして。レン・アシュトンです」


 

 ラグナをその身長だけで測ってはならない。

 彼は自分をシェルガド人だと言った。即ちそれは、通常の人と異なる人種のことである。主に天空大陸に住まう者たちのことだ。

 寿命が極端に長く、若い時間が通常の人より遥かに長いというシェルガド人。

 なので、ラグナもその例に洩れていない。



「この生意気な第三皇子の紹介だから会うことにした。そうでなければ時間が惜しい。どこへなりとも行って、ロマンと叡智を探したい」


「お時間をいただきありがとうございました。今回はお尋ねしたいことがありまして」


「ロマンの探し方か?」


「違います」



 それはそれで気になるが、まずは別のことから。

 いきなり尋ねてもどうかと思ったのだが、隣に立つラディウスの顔を見れば、気にするなと言うかのように頷いた。

 レンにしては珍しく、遠慮することなく問いかける。



「……本題と違う話からで申し訳ないんですが、夏にシェルガド人の方と話す機会がありました。シェルガド人は見た目に相反して年齢が高いこともあると聞いたのですが」


「俺がどうなのか気になったのか。なるほど、悪くない興味だ」



 小柄なシェルガド人が端麗な顔に不敵な笑みを浮かべていた。



「俺はもうすぐ三十になる。よろしくな」



 レンはやはりと頷き、「よろしくお願いします」と繰り返した。

 ラグナが軽く欠伸をして、



「好きに座れ。茶が飲みたければ自分で淹れてくれよ」



 もう一度机の周りを歩いたラグナが、二人がやってきたときと同じく尊大に座り直した。

 レンとラディウスは、机から少し離れたところに置かれたソファに座る。目の前のテーブルの上には紙がうずたかく積まれた山があった。

 一瞥すれば、小難しい文章やら図が雑多に記されている。

 二人にはまったくわからない内容ばかりだった。



「で、二人とも」



 ラグナの涼しげな流し目が届く。



「手紙によると、俺に聞きたいことがあるって話だったな。つまらないことなら答えないぞ」



 ラグナは先ほどまでの挨拶には興味がなさそうだ。

 レンが話しはじめるまで暇だったようで、もうすでに机に置いてある本を開きながら話していた。

 あとは好きに話してくれ、そう言っているように見えた。



「すまない、昔からああいう男なのだ」


「俺が頼んだ方なんだから気にしてないよ。ってか、ラディウスに勉強を教えてた頃からなの?」



 頷いたラディウス。



「だが頭がいい」


「そりゃラディウスの先生だし、アーネヴェルデ商会を一緒に立ち上げた人だしわかってるけど」


「もっとも、アーネヴェルデ商会の経営権などはもう、ほぼすべて私の手元にあるのだがな。ラグナはすぐに興味を失ってしまったのだ」


「へぇー……とりあえず、お茶を淹れるよ」


「大丈夫か? ラグナは茶にうるさ――――ああいや、レンなら問題ないか」


「ありがと。ラディウスのお墨付きってことで三人分用意するから、ちょっと待ってて」



 立ち上がったレンは部屋の片隅に置いてあった魔道具を見た。

 茶を淹れるために湯を沸かすものと、他にはレンにとっても見慣れたごく普通の茶器が揃えられている。



 レンは魔道具を操作して湯を沸かし、慣れた手つきで茶を用意していく。

 机にいるラグナは、徐々に香り立つ湯気に鼻を利かせた。



「上手いじゃないか」


「まだ飲んでないのにわかるんですか?」


「俺くらいになるとわかる。茶はいい。淹れる者によって味が変わるのは、本に似ている気がしないか? 書き手の違いと少し似ている」


「わかるようなわからないような……とりあえず、どうぞ」



 掴みは十分か。

 ラグナはティーカップに口を付けて一言。



「美味いじゃないか」



 レンは胸を撫で下ろした。

 一見すればただの生意気な……敢えて言うなら見目麗しいクソガキでしかないラグナだが、その実態が違うから普通の接し方ではいられない。



 大胆にもラディウスに対しても同じ態度なのだから、レンも考える必要があった。

 レンは次にラディウスへ茶を届け、自分はティーカップを片手に窓の前に立つ。



「レンと呼ばせてもらう。俺に何が聞きたい」



 ラグナが椅子に座ったまま、顔だけレンに向けた。



「神聖魔法のことを教えてください」



 ラグナが一瞬で興味を失ったようにため息を吐いた。

 けれど、美味い茶を淹れてもらったからか機嫌が悪くなることはなかった。



「そんなの、教科書を読めばいくらでも記載があるだろうに」


「そうかもしれませんが、専門家の方に聞いてみたかったんです」



 今度はレンがラグナに振り向き、二人の目が合った。

 ここでようやく本題。

 夏の騒動を経て、秋になる頃にラディウスをと話した専門家と話す貴重な機会がやってくる。



「神聖魔法って、身体強化やアンデッドに対する特効以外に、何か特別な力を使うことってできるんですか?」


「ああ……? 頭がいいとラディウスから聞いていたが、要領を得ない質問だな」


「すみません。俺が世話になっているクラウゼル家に、同い年の女の子がいるんです」


「噂には聞いている。白の聖女のことか」


「はい。剣の訓練は俺が付き合うことができるんですが、神聖魔法に関してはあまりいい訓練ができていないんです。なので俺も学んで、リシア――――お嬢様の力になりたくて」



 はじめから用意していた偽の理由をすらすらと語るにつれて、ラグナはレンを珍しい生き物を見るように眺める。

 一瞬で興味を失ったさっきと違い、話してくれそうな様子に見えた。

 


「殊勝だな」


「変ですか?」


「いいや、俺には到底できない考えなだけだ。俺ならその時間で遺跡を巡ろうと思うのだが……生き方はそれぞれか。まぁ、悪くないさ」



 ラグナが小さくも笑みを浮かべていた。

 離れたところのソファから、ラディウスの「レンはそういう男なのだ」という声が届いた。

 

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