漆黒の神殿。
だからレンは、自分も頑張らなければと思った。
彼自身、ユリシスの言葉を受けて帝国士官学院に対して思うところはあったものの、彼はひとまず剣のことを優先している。
受験勉強のために我慢を強いられたリシアのためにも、全力を尽くさなければ。
今回の滞在はとりあえず五日間、今後どうするかは剛剣技に触れてからになるが、得られる限りを得て帰りたかった。
「……頑張ろ」
レンはそう言って、このレストランの店員を呼ぶ。
帝都の美食に舌鼓を打ち、午後のために英気を養った。
やがてレンは、地図も持たずに帝都を歩いた。
レストランの近くにあった駅へ足を運び、そこで規定の料金を支払い切符を買う。駅構内に足を踏み入れ、時刻表も見ずに魔導列車を待った。
数分と経たずにやってきた魔導列車は、レトロな蒸気機関車を想起させるその外観を、白く塗ったもの。レンはその魔導列車に乗り込むと、路線図も見ずに移動した。
はじめて尽くしの移動は、元から知る情報のおかげで何一つ苦労しなかった。
彼は他の帝都民と同じかそれ以上に慣れた様子で、帝都の官庁街が広がる区画へ向かったのである。
魔導列車に乗っておよそ二十分の距離で、切符は500Gだった。
――――レンが到着した駅の改札を通って外に出れば、大きな噴水がよく目立つ広場に出る。
約束していたエドガーは、その噴水の前に立っていた。
「レン様」
彼はレンが近づいたところで頭を下げた。
「お久しぶりでございます。先日はご挨拶ができず申し訳ありません。主の手前、私が口を開くわけにもいかなかったのです」
「こちらこそ、お久しぶりです。前日のことは気にしないでください」
久しぶりというものの、実のところ二人がこうして言葉を交わすのがはじめてだった。
一年半ほど前、ギヴェン子爵の騒動が勃発した際にクラウゼルに居たエドガーだが、当時彼とレンは、言葉を交わすことが無かった。レンはギヴェン子爵の前で一度目を覚ましただけで、次に起きたときにエドガーはもういなかったからだ。
そのためエドガーは、この日を心待ちにしていた。
「先日は当家にご連絡いただきありがとうございました。レン様からのご連絡は主も大変喜ばれておいででした」
連絡と言うのは、レンがユリシスから受け取った紹介状について。
あの紹介状には獅子聖庁への立ち入りを許可する旨だけが書かれていたため、どのように足を運べばいいのか、レンは判断できなかった。
詳しく聞くため連絡を取ったところ、当日はエドガーが案内すると返事があり、今日に至る。
「ではレン様、どうぞこちらへ」
彼はそう言い、レンを先導して歩きだす。
馬車に乗るわけではなく、静かな官庁街をゆっくりと。
(この辺りに来ると、身なりのいい人が多いな)
周辺には、重要な機関に勤める者が多く歩いていた。
皆、高給取りだろうことは容易に想像できる。中には貴族と思しき者も普通に歩いていて、クラウゼルでは確実に見られない光景だった。
歓談を交えながら歩くこと、十数分。
特徴的且つ大きな建物がいくつも並ぶ場所を抜けたところに、獅子聖庁はあった。それは、レンの村がすっぽり収まりそうなほど大きな、神殿を思わせる建物だ。
獅子聖庁の外観は漆黒一色で、一見すれば強い圧がある。
(ここに入るなんて)
一応、と言っては何だが七英雄の伝説にも獅子聖庁は存在する。
だが、プレイヤーが足を踏み入れることは叶わなかった。
(剛剣技は一応、敵専用だったし)
そうはいうものの、この獅子聖庁が別に悪の根城と言うわけではない。言ってしまえば獅子王に関連した重要施設と言うだけだ。
英雄派に属する者だって、足を運ぶ機会はいくらでもある。
特に文官ともなれば殊更だった。
「レン殿、よろしいですか?」
エドガーの声に反応が遅れ、レンが謝罪の言葉を口にする。
「……すみません。圧倒されてました」
「無理もないでしょう。この場所はレオメルでも指折りの特殊な場所です。獅子王にかかわる機関とあって、許可のない者は貴族でも足を踏み入れられませんから」
レンに許可が下りた理由は、偏にユリシスの権力故だろう。
エドガー曰く、かの剛腕は獅子聖庁にも顔が利くらしく、許可を出すことに何ら問題がなかったという。
「では、早速参りましょう」
エドガーが獅子聖庁の入口へ向かった。
獅子聖庁の入り口は扉がなく、中には太い柱が奥へ奥へと通じる解放感溢れる空間が広がる。その柱や石畳は御影石のように黒い素材を磨いたもので、また一段と迫力がある。
エドガーは入口に立つ数人の騎士に会釈をして、さっさと中へ向かってしまった。
遅れたレンは自分もいいのかと思いながら、入り口を守る騎士を見た。
(――――なんか、違うな)
というのは、獅子聖庁の入り口に立つ騎士の姿だ。
ここにいる騎士たちは、町を巡回する騎士はもちろん、正騎士とも違った黒い鎧に身を包んでいた。
腰に携えた剣もそうだ。他の騎士と違い、獅子聖庁の前に立つ騎士たちは長剣か、背に巨剣を背負っている。
「どうぞ、お進みください」
レンが様子を伺っていたことに気が付いて、一人の騎士が淡々とした声で言った。
「あ、ありがとうございます」
レンはすぐに礼を言って歩き出し、エドガーの傍に向かった。
◇ ◇ ◇ ◇
二人が開放感溢れる中に足を踏み入れてすぐ、外にいた騎士たちは密かにレンの背を見送ってから言葉を交わす。
「――――先ほどの少年、見事なものだな」
一人の騎士がそう言えば、応じる声がいくつも挙がった。
「いいものを見た。身体に一本、
「
陰ながら見定められていた事実にレンは気が付くことなく、獅子聖庁に足音を響かせながらエドガーを追っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
彼らがそんな話をしていることなどつゆ知らず、レンは黒い石畳を進んでいた。
エドガーと共に歩く音が、この中に反響している。
時折すれ違う文官と会釈を交わし、外に居た騎士と同じ鎧に身を包んだ騎士とすれ違うも、声に出して挨拶を交わすことはなかった。
「エドガーさん」
「ええ、なんでしょう?」
「獅子聖庁にいる騎士たちが黒を好んで使っている理由って、何かあるんですか?」
「それでしたら、獅子王の影響にございます。獅子王は黒を好まれたお方ですので」
「――――道理で」
ついでに獅子聖庁内部が静かな理由を聞いた。
それは特に理由らしい理由がなく、この空間の厳かな雰囲気によるものだろう、と。
この静けさは、暗黙の了解がもたらしたもののようだ。
「獅子聖庁に重厚な門や、厳重に管理された出入口がないのはどうしてですか?」
「理由は二つございます。一つ目ですが、実は見えないところに警備のための魔道具が数多く配備されているからです。そしてもう一つ……門がない大きな理由ですが、」
二人はなおも足音を響かせながら、
「獅子聖庁を守る騎士は剛剣使いしかおりません。等級は
「っ――――け、剣客級ですか!?」
「ええ。ご存じかと思いますが、剛剣技は聖剣技のような高名な流派と比べても、その等級は一つ多く計算されるのが常です。事実上、獅子聖庁に居る騎士は、他の流派における剣豪級以上に限られるのです」
もっとも、とエドガーが間違いのないように話をつづける。
「剛剣技の剣聖が他流派の剣王に値するのかと言うと、それは話が別ですが」
「はは……さすがにそうですよね」
剣王は別格だ。
世界に五人しかいない最強は話が違う。
話を聞くレンは声に出さず思い返す。
剣技を修める者の等級の最上位は流派を問わず、世界に五人だけ存在する剣王だ。その下には剣聖で、次に剣豪、剣客、上級剣士、最後に剣士とつづく。
(メイダスとカイは聖剣技の剣豪級だった)
クラウゼルの冒険者ギルドで知り合い、バルドル山脈で対峙した魔王教徒の二人のことだ。エドガーの話によると、獅子聖庁の騎士はあの二人に匹敵するか、勝る者しか存在しない。
当たり前と言えば当たり前に思えた。
ここは大国レオメルが誇る帝都の中で、更に開国の祖・獅子王にかかわる重要な施設なのだから、相応に強い騎士が詰めていて然るべきだろう。
ただレンはそれにしても、考えさせられてしまう。
この獅子聖庁に足を運んだことで、色々なことが脳裏をよぎっていた。
(やっぱりすごいな)
辺りに居る騎士が全員、剛剣技以外の流派では剣豪級となる。
知らなかった情報に彼は驚き、されど当然のことなのだろうと強く納得しながら、溢れ出る剛剣技への興味が更に増す一方だった。
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