酒場の女傑と学院長。

 木々の隙間から聞こえてきた魔物たちの声。

 考えごとに耽っていたレンの傍、ついさっき地面に置いた麻袋の中にある果実から漂う甘い香りを嗅ぎつけたようだ。



 しかし、現れた魔物の興味はもう果実に向いていない。

 柔らかい肉レンとイオに意識が向くのは避けられなかった。



「そっちから襲ってこない限り、俺は手を出さないよ」



 現れた魔物たちはレンの言葉を意にも介さず一斉に襲い掛かった。魔物はトカゲのような姿をしており、茶色の鱗が全身を覆っている。Eランクに位置付けられている、知性が低くあまり強くない魔物たちだった。



『キィイイイッ!』


『キッ!』



 だが、Eランクの魔物にしては珍しく魔法を使う。魔法を駆使して、自分たちが駆け抜けやすいように地形を僅かに隆起させ、レンが動きづらくなるよう土くれで辺りを囲む。

 それを見たレンがため息交じりに、



「だから、俺は見逃すつもりなんだってば」



 レンは炎の魔剣を振り、脅かすための炎を放つ。

 だがその際、彼はどうせなら星殺ぎで魔物の魔法を打ち消し、驚かせてしまってもいいかもと考えてた。

 ……それが影響したのか、



『グェッ!?』



 迫りくる一匹が駆け抜ける隆起した土の道が、放たれた火花程度の炎に触れてただの土に戻った。魔物はその影響で転んでしまう。

 だが、ほんの一部だった。

 魔法で隆起した土の道は基本的にそのまま保たれ、一匹の足元だけが軽く崩れたに過ぎない。



 思わずきょとんとしてしまったレンが、そんな強い炎を使ってなかったはずなのにと瞬きを繰り返す。

 確かに魔法の効力を失ったように見えたのだが……

 けれど、見間違いではない。変形した地面は微かな炎に触れて崩れ去った。



「……いまの炎」



 妙な炎に驚いたからか、魔物たちは慌てて逃げ出していた。

 レンは炎の魔剣を見下ろし、先ほどの炎が生んだ光景を思い返す。

 見間違いなどでは到底なかった。明らかに、確実に微かな炎が相手の魔法に対して何らかの影響を与えていた。



 炎全体ではなかった。あくまでもレンが放った炎のごく一部だけが特別な力を発揮して、相手の魔法を崩したように思える。

 その性質はまさしく星殺ぎに他ならない。

 


『お見せしましょうッ! 魔法を扱える者の剛剣をッ!』



 エドガーの言葉がもう一度思い返される。

 まるで彼が放った氷の刃が如く、レンの炎も剛剣の強さを帯びていたのだ。

 事実を思い返していたレンの身体に、魔力を多く使った際に覚える衝撃が少しだけ駆け巡る。



 あんな僅かな効果でまだ実用的ではないにもかかわらず、炎の魔剣の力に星殺ぎが少し混じるだけで、随分な消耗だった。

 しかしレンは自然と頬を緩め、しばらくぶりの充足を得ていた。



「……あんなでも、久しぶりに成長したって感じがする」



 剣聖への道が険しいと考えていたところで、また新たな刺激を得られたと思って。

 剛剣技を学びはじめた当初のような感触を得たことに、喜ばざるを得ない。



 先ほどの成果は偶然の産物と言えるだろうが、レンがたゆまぬ努力をつづけて剛剣技の練度を上げ、纏いの練度がそれに倣って上がったことによるものだ。

 自分だけオリジナルの戦技というにはまだ程遠く、しかも微かな炎の一部のみがその効力を発揮するなんて、使い道はさっぱりだ。

 けれど喜びは計り知れない。まずは一歩、レンはその大切さを知っていた。



「イオ! さっきの見た!?」



 喜びのあまりイオに話しかけるも、



『ブルゥ』



 イオはレンに顔を向けず、地面に生えた草を食みながら雑に返事をした。

 まさか、先ほどの戦いの最中もずっとそうしていたのだろうか。



「……相変わらず、すっごく肝が据わってる」



 先ほどの技を再現できないかと思ったレンは、襲い掛かってくる魔物に何度も試した。途中、どうしても逃げない獰猛な魔物のことは何度か討伐したのだが、最初のような効果を再現することはできなかった。



(練習しなくちゃな)



 初日から無理をしてはと思ったレンは頃合いを見計らい、イオに乗ってエレンディルへの帰路に就いた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 眠気覚ましに朝から湯を浴びたリシアが屋敷の中を歩いていた。

 今朝はまだレンを見ていない。彼に挨拶をする前に湯を浴びれば身だしなみも整えられてちょうどいいと思っていたのだが、湯を浴びて髪を乾かし終えたいまも彼の姿が見えなかった。



「ねぇ、レンがどこにいるかわかる?」



 屋敷の中を歩くリシアが給仕に声を掛けた。

 もう初夏と言ってもよさそうな時期の日差しは、まだ夜明けからあまり時間が経っていないとあって窓から少しだけ差し込んでいる。



「レン様でしたら、夜明け前に屋敷を発たれましたよ」


「……どうしたのかしら。獅子聖庁にでも行ったの?」


「いえ。何でも、あの時間に行かないと手に入らない果実がある……とのことでして……」



 給仕もあまりよくわかっていないらしく、リシアと共に小首を捻った。

 そうしていると、玄関ホールの扉が開かれる音がした。



『レン殿、お帰りなさいませ』


『おや? それが例の目的の品ですか?』


『って感じです。思い立ったらどうしても食べたくなっちゃって』



 レンが騎士と話をする声が聞こえてきたと思えば、彼はリシアと給仕がいた廊下に姿を見せた。



「あ、リシア様」



 そう言ったレンは手に大きいとは言い切れない、決して小さくない麻袋を手にしていた。締まり切っていない口の部分から、紅い何かが見え隠れする。

 髪にまだ微かな湿り気を残したリシアは、軽い足取りで彼の傍へ駆け寄った。



「どこに行ってきたの?」


「この果物のことを思い出しちゃいまして。どうしても食べてみたくなったので、夜明け前に出発して採ってきたんです」



 と、レンが自慢げに笑みを浮かべて麻袋を披露する。

 中にある果実を見て、リシアが驚いた。



朝焼けの実、、、、、?」


「はい。リシア様もご存じかと思いますが、早朝の数十分だけ紅くなる実です。その時間以外に収穫しても美味しくないらしいので、朝から行ってきたんです」



 しかも人間の手で栽培する方法がまだ確立されていないため、森でよく争奪戦になる。レンは穴場を知っていたので、そこへ行き屋敷の皆分まで収穫してきたのだ。

 これにはリシアも嬉しそうに微笑んで、レンが笑う様子を見て心温まる思いにさせられた。

 給仕はいつの間にか席を外していたため、二人だけで話をつづけた。



「疲れたでしょ?」


「イオに乗って行ったのでそこまでではありませんよ。魔物と戦うこともあったので、まったくとは言い切れないんですが」


「それじゃ、お風呂でゆっくりしてきて。朝焼けの実はどうする? 取り敢えずキッチンに置いておく?」


「ですね。料理長さんに、屋敷の皆でいただけるよう頼むつもりです」



 話をしながら歩き出した二人は、例によって取り留めのない話を交えながら朝の会話を楽しむ。

 すると、リシアがレンと別れる直前で思い出す。



(魔物と戦ったってことは、あの不思議な剣を使ったのかしら)



 レンがそうした剣を持っていることは、リシアも知っている。

 イェルククゥの下を脱してからはじまった逃避行の際、何度も間近で目の当たりにしたからだ。



「リシア様、俺はいまからキッチンに行ってきますが――――」


「う、うん! いってらっしゃい!」



 レンの前で少しぼーっとしていたことに気が付いて、リシアは慌てて返事をした。

 一瞬、その様子にレンはどうしたのだろうと思いかけたが、すぐにリシアが普段通りに振る舞いはじめたのを見て彼女の傍を離れる。

 廊下に残ったリシアは、



「……ほんと、どういう力なのかしら」



 興味の根源にあるのは不思議な力への興味というより、他でもないレンの力だからだろう。

 リシアは窓の外を見ながら呟いて、朝日を見上げた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 当初、レンは連休の多くをあの技の練習に費やすことに迷いがあった。

 新たな技も大切だが、これまで地道に重ねてきた訓練のことも忘れることなく、獅子聖庁に通うべきかもと思ったのである。

 だが最終的に、はじめてあの炎を放ったときの感覚を忘れないうちに練習することにした。



 結果がどうだったかというと、あまり芳しくはない。

 新技をたかが数日で完璧なものにできるはずがなかった。



「……疲れた」



 朝日が昇っていく様子を、森の中で大の字に倒れたまま見上げたレン。

 最初からわかっていたことだが、魔力の消耗が激しすぎる。こんなにもくらくらするのは久しぶりだ。

 体力には大いに自信があるものの、魔力は別。

 獅子聖庁での訓練で纏いを用いた際に比べ、魔力の消費量が多いが故の状況だった。



「……帰ろ」



 イオに乗ってエレンディルへ帰ると、町に着いた頃には少しだけ体力が回復していた。



 町に着いたレンは冒険者ギルドに足を運ぶ。練習中に襲い掛かってきた魔物を何匹も狩っていたこともあり、冒険者ギルドに寄って狩った魔物を査定に出すためだ。

 査定を待っていたレンの耳に、ある女性の声が届いた。



「レンではないか!」



 査定が終わってからカウンターを離れたレンは、同施設内にある食事処となっている場所に向かって歩いた。朝から豪勢な食事と共に酒を呷るエステルの上機嫌な表情と、隣に座るクロノアの苦笑。



「エステル様、それにクロノアさんまでどうしてここに?」


「……ボクは仕事で、クラウゼル子爵と少し話をしてきたんだ。そしたら帰りに大通りでエステルに掴まっちゃって」


「そういうわけだ。同じく仕事終わり、、、、、の私は偶然クロノアを見かけ、ここに引っ張ってきた」


「お、おお……なるほど……」



 つまりクロノアは被害者ということになろうか。

 呼びつけられてこのまま立ち去るのもと思い、彼は彼女たちの対面に腰を下ろした。



「レン、好きに頼んでいいぞ」


「わかりました。では遠慮なく」



 いくつか適当に食べ物を注文したレンは、それらが届く前に眼前の二人を見た。

 クロノアは以前同様、清楚な服装を着こなしている。

 一方のエステルだが、一言で言えばカッコよかった。白いシャツに黒いパンツを着こなした彼女は、椅子の背にいつものコートを掛けている。

 彼女が大きな木のジョッキを呷る姿は、とても豪快だった。



「しかしレン、連休中に朝から何をしているのだ?」


「色々あって森に行ってたんです」


「ほう、狩りか?」


「……みたいな感じですかね。それと、剣聖になるために色々考えてる状況でしょうか」



 エステルは再び酒を呷ってから、大きなステーキを勢いよく頬張った。

 言葉にすると荒々しく見えてしまいそうなものだが、その実、彼女は豪快な動きの中にも気品を忘れていなかった。ナイフをステーキに滑らせる姿は特にそうだ。


 

「ふっふっふ、足掻けよ若者。剣聖になるにはそうするしかない」



 するとクロノアが「ねぇねぇ」とエステルに語り掛ける。



「エステルはいつ剣聖になったんだっけ?」


「ん? もうずっと前になるが、それがどうした?」


「そのときの感覚をレン君に教えてあげたら、きっと参考になるんじゃないかな?」


「……何だクロノア、急にまっとうなことを言うじゃないか。まるで教育者のようだぞ」


「まるで、じゃなくてボクはちゃんとした教育者だけどね」



 エステルは切り分けたステーキをもう一枚食べてから言う。

 もう酒を何杯も呷っていたのに、酔いが回っている様子は微塵も窺えない。



「私が剣聖になったのは、一介の将官時代のことだ」



 その頃から獅子聖庁に所属していた彼女はある任務中、死にかけたことがあったという。様々な要因と予期せぬ事態が重なって、少数精鋭で任務にあたっていたことも相まって厳しい状況に陥った。



「数人の部下を連れていた私は、部下だけでも生きて帰そうと死力を尽くした」



 決死の覚悟が実り、どうにか部下を死なすことなく任務を完遂した。それができた理由こそ、彼女が剣聖の領域に到達したことにある。



「命懸けで一心不乱に戦った私は扉を開いた。剣聖の領域の前に立ちはだかる扉をな」


「そんなに土壇場でだったんですね」


「ああ。私の場合、先へ進むために生死を分かつ際の危機感を要したのだろう。命を賭した場での生への渇望が、私の奥底にある何かを呼び覚ましたのだ」



 エステルはもっとも、とつづける。

 話に聞いたことがあるレンの過去を交えた。



「レンは命懸けを経験したことがあるそうだな。なら、要するのは危機感ではないのかもしれん」


「やっぱり訓練でしょうか」


「それもそうだが、レンに必要なのは他のきっかけだろう。いまのレンは当時の私より強く思える。そう急がず、できることから試していけ」


「わっ! エステルにしては珍しくちゃんとしたことを言ってるっ!」


「茶化すな。もとはと言えば、クロノアが私にレンを導くよう言ったのだぞ」



 剣聖の話が落ち着いたところで、レンは届いた朝食を楽しみながら問いかける。

 前の席に座る二人の仲の良さについて気になっていた。



「お二人は仲がいいんですね」


「うん。ボクとエステルは何度か一緒にお仕事をしたこともあるからね」


「互いにそれなりの実力者同士、何度かな」



 道理でと頷いたレンはつづけて二人との会話を楽しんだ。

 エステルは何杯目かわからないくらい酒をお代わりしていたが、帰るときにもまったく酔っていなかったし、飲み足りないと口にしていたからとんでもない。

 だが、



「これで我慢しよう。夫にも飲み過ぎは駄目だと言われてるからな」



 意外な言葉を口にしていた。

 あれほどの量で我慢できているのかという疑問を抱いたレンとクロノアの二人は、その言葉を飲み込んだのである。


 

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