連休の過ごし方。

 連休最後の二日間。



 まずはリシアが魔導船でエレンディルを発った。帰りは夜になるとのことで、今日も今日とて新技の練習と獅子聖庁での訓練を終えて帰ったレンが、湯を浴び終えて間もなく。開けていた自室の窓の外から、リシアが帰って来たと思しき声が聞こえてきた。



 レンが玄関ホールへ向かってみると、そこには思っていた通り帰って間もないリシアの姿があった。

 彼女はレンを見ると、小走りで彼の傍に駆け寄った。



「ただいま。お土産があるから、後で食べてね」


「ありがとうございます。急なお仕事、お疲れさまでした」


「ううん、平気。それでレンはどうしてた?」


「いつも通りでした。狩りをしたり剣を振ったりって感じですね」



 それを聞いたリシアは「レンらしいわ」と笑った。



「ねねっ」



 リシアの弾んだ声。



「よかったら、明日は久しぶりに町に行かない? お父様が明日は自由にしていいって言ってたの」


「いいですね。最近はゆっくりエレンディルを歩けてませんし」


「うん! 最近は新しいお店もたくさんでてるみたいだから、一緒に息抜きしにいきましょっ!」



 満面の笑みを浮かべたリシアが「楽しみにしてる!」と言って彼の前を去る。

 彼女と入れ替わりにやってきたレザードがレンに尋ねる。彼の後ろには少し遅れてヴァイスも控えていた。



「帰りの魔導船の中で報告を確認した。アシュトン家の村の近況についてだ」



 レザードはジャケットの懐から一通の手紙を取り出してレンに渡す。

 すぐに確認して良さそうな雰囲気を感じ取ったレンは、レザードの前で封を開けた。

 中にある羊皮紙を見れば、村はまた随分と様変わりしているようである。

 わざわざ画家を連れていったのか、村の様子を詳細に描いてくれていた。



「へぇー……村の一部に商人たちの拠点となる施設が……」


「クラウゼル領を経由する商人たちの件だな。そのことなら私も聞いている。村の周辺に街道が整備されたこともあり、随分と賑わいつつあるようだ」



 すると、ヴァイスがにこやかな表情を浮かべて口を開いた。



「少年、あちらに残った騎士たちからも聞いてるぞ。少年の仕送りもあって、以前と比較にならないほど安全な村になったそうだ。町と呼ばれる日もそう遠くないだろうさ」


「俺だけじゃないですよ。皆さんが力を貸してくださったからです」



 レンが照れくさそうに言えば、彼の前にいる二人が笑った。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 翌朝。

 同じ玄関ホールでレンとリシアが合流したのは、朝の九時を過ぎた頃だ。



「レンも訓練とか頑張ってたみたいだし、無理はしないでね」


「大丈夫ですよ。ってか、リシア様こそ大丈夫ですよね?」


「ふふっ、当たり前じゃない」



 二人の傍に護衛はいない。リシアの隣にレンがいて、守られる側のリシアもいまでは立派な剛剣使い。それも剣客級だ。その二人に万が一がある場合は、たとえ屋敷の中にいても同じことだろう。 



「レンはもう行ける?」



 私服姿のリシアがレンに尋ねた。

 彼女のスカート姿はもはや似合っているとしか言いようがない。上半身に纏った白いブラウスの清楚さもまた、彼女の魅力を際立たせていた。

 もちろん、艶やかな髪は白金の羽の髪飾りがあしらわれている。



「逆に早く出発したいくらいです」


「もう、レンったら。お腹が空いてるんでしょ?」


「もちろんです。朝ごはんも外で食べる予定だったので、いつ倒れてしまうかわかりません」


「はいはい。それじゃ行きましょうか。――――お父様、それじゃ行ってきます」


「気をつけてな。レン、世話を掛けるがリシアを頼む」



 レンは素直にお任せくださいとも言えず、苦笑だけを返す。

 リシアはというと不満そうにしていたけれど、レンの様子を見て笑い、彼の手を強引に引っ張って屋敷の外に出る。



 外に出ると、六月も半ばの陽光が眩しい。

 夏までもうすぐの燦燦と降り注ぐ陽光に対し、二人は思わず目を細めた。



 屋敷を出てすぐ、リシアはレンを引っ張っていた手を放す。

 私服姿の彼女の腰には、今日も今日とて剣が添えられていた。白焉と言う、リシアのトレードマークとも言える名剣だ。

 一方、レンは鉄の魔剣を腰に携えている。鞘はいつの日か、ヴェルリッヒに作ってもらった特注品だ。魔剣はレンの体格の成長にあわせてある程度大きさを変えてきたため、いずれは新たな鞘を作る必要があるかもしれない。



「……?」



 リシアがレンの視線に気が付いた。



「私の剣が気になるの?」


「私服で剣を携えるお姿もリシア様は絵になるなー、と思ってました」


「ふふっ、褒めても何もないわよ?」


「とんでもない。褒美を期待してるわけではありませんよ」



 二人はそうして笑い、屋敷の門を開けてその敷地の外に出る。

 エレンディルにあるクラウゼル邸は、クラウゼルにあった屋敷と違い大通りに面した目立つ屋敷だ。二人がその屋敷から出てくるとよく目立つ。



 だが、二人は学院に通うためほぼ毎日共に屋敷を出る。

 近くで暮らすエレンディルの民にとっては、もう見慣れた光景だった。

 二人は時折、大通り沿いの店を開けて間もない店主から声をかけられることがあれば、出店を用意する大人に話しかけられることもあった。



 そんな二人が向かったのは、大通り沿いのカフェだ。



 生垣を背にした白い丸テーブルの席に向かい、メニューを数分ほど眺めてから好みのセットを注文した。リシアは暖かい茶と、サラダやパンのセットを。レンも同じように暖かい茶と、リシアよりボリュームのある食事のセットを選んだ。



「リシア様、念のためにお尋ねしたいんですが」


「ええ、なーに?」


「そのお姿でも、いざとなったら剣を抜かれるんですよね?」


「当たり前じゃない。そのために用意してるんだもの。それにレンだって一緒でしょ? 私服なのに剣を腰に携えてるのは一緒よ」


「いやまぁ、俺の場合はリシア様の護衛も兼ねてますし」



 取り留めのない話を交わすこと数分、二人が頼んだ食事が運ばれてくる。

 フォークを手に食事をはじめた二人は腹を満たし終えると、食後の暖かい茶を楽しみながら話をつづける。



「エレンディルの様子も変わってきたわね」


「前にレザード様に聞いたんですが、宿の予約もほぼ埋まってるそうですよ」



 このエレンディルでも、いたるところで獅子王大祭の準備が進んでいる。帝都まですぐのエレンディルも宿泊客はもちろん、魔導船でやってきた客たちで賑わうからだ。いくつかの競技はエレンディルでも開催されるとのことだから、それも影響しているのだろう。



 道行く人の中には気が早くも国外から来たと思しき人も多くいた。その中には獣のような姿をした人や爬虫類を想起させる者、はたまた、翼を生やした人などといった、異人と呼ばれる者も散見する。

 数年に一度の祭りの支度をする民の様子は、実行委員を楽しむレンたちに似ていた。



「そういえば、もうすぐ武闘大会の代表が決まるんだったかしら」



 リシアがティーカップを片手に言った。



「この前、セーラが言ってたの。武闘の選考会は最後の生徒たちで勝ち点を競い合うでしょ? セーラとヴェインの二人は十分勝ち点があるから、ほとんど決定してるみたい」


「でしょうねー……英爵家の方たちもですが、ヴェインも十分戦えますし」



 二人は口が裂けても言わないし、わざわざ考えて選考会に参加する生徒たちを下げるようなことは一度もしたことがない。だが二人の力を知る第三者が現実的に考えれば、レンとリシアなら容易に全体の均衡を崩せたことは想像がつく。



 ……それはさておき、二人は獅子王大祭で催される武闘大会に強い興味はないため、ここでも参加しなかったことへの後悔はなかった。



「この後はどうする? レンは行きたいところはある?」


「ノートを買いに行きたいのと、久しぶりに本屋も行きたいと思ってました。けど、リシア様が行きたいところを優先していただいて大丈夫ですよ」


「じゃあ、私の行きたいところがレンと同じだったら大丈夫ね」


「……本当にそうだったら、都合がいいかもしれませんね」



 リシアが笑った。テーブルの上で肘をついて立てた手を重ね合わせながら、楽しそうに顔を斜めに寝かせた。



「決まりね。少し休憩したら先に本屋から行きましょう」



 リシアが朗笑を浮かべた。



 また少し休んでから店を出た二人は、屋敷を出たときと同じように石畳を歩いて本屋へ歩を進める。

 とりとめのない話を交えながら、賑わう街の様子を傍目に休日を楽しんでいた。

 すると、レンがふと声に出す。



「――――あれ?」


「どうしたの?」


「珍しい同級生の姿を見かけました」


「ええと、珍しい同級生……?」



 レンの視線の先を見たリシアは、その同級生が誰なのか気が付いた。

 七大英爵家が一つ、アルティア家のご令嬢がエレンディルの大通りを作業着を着た大人たちと歩いていた。

 ネムも二人の姿に気が付いて、小走りで駆け寄ってくる。



「やぁやぁ! おはよ、二人とも!」



 レンはネムと先日初めて言葉を交わしたのだが、リシアは入学以来、何度か言葉を交わしたことがあった。セーラとネムが度々話しているとあって、挟まれるように交友を深めていた。



「リシアちゃんとレン君はどうしてここに?」


「私たちは町を見て回ろうと思って。ネムは?」


「こっちはいまから大時計台に行くところだよ」



 ネム曰く、昨年の騒動以後何度か様子を見に来ているとのこと。

 これまではアルティア家の使用人兼技術者たちが様子を見に来ていたのだが、今回はネムがその仕事を担っているようだ。

 話を聞いたレンとリシアが頭を下げて感謝すれば、ネムは「いいのいいの!」と笑う。



「もとはと言えばうちのご先祖様が作ったんだしさ、ちゃんと管理しなくっちゃ!」


「……ネムってやっぱりすごかったのね」


「うん? 何が何が?」


「もうあんなに大きな施設件魔道具を管理できるんだもの」


「当たり前だよー。ネムは一歳の頃から魔道具をいじくってたんだしね。ご先祖様以上の発明をするっていう目標もあるし!」



 彼女たちの話を聞くレンはおもむろに一歩距離を取った。

 自分が邪魔にならないよう気を遣うとともに、彼は思いだしたように、



「すみません。俺は騎士の方に伝えてくることがあるので、少し離れますね」



 町中に立つ騎士の存在を示唆し、リシアの傍を十数メイルほど離れた。

 このくらいの距離なら、彼がほんの一瞬で駆け付けられる。

 するとネムは、おもむろにリシアに顔を寄せた。



「すっごく気になってることがあるんだけど、聞いてもいいかな?」


「ええ、何かしら」



 リシアは軽い態度でいて、尋ねられることも大したことじゃないだろうと思っていた。

 だが、それは誤りで、彼女は安易に答えたことを後悔することになる。



「……デート?」



 おおよそ、令嬢の口から出るとは思えない軽い言葉が七大英爵家の一つ、アルティア家の令嬢の口から告げられたのである。

 尋ねられたリシアはいまの言葉を反芻した。デート? 目の前のネムが自分に尋ねてきたのなら、その相手は間違いなくさっきまでリシアの傍にいた人物のはずだ。ゆっくりと十数秒かけて咀嚼したリシアは、わかりきっていた答えに至る。



「っ~~!?」



 頬から耳たぶ、首筋に至るすべてをほぼ一瞬で上気させたリシアが素早くまばたきを繰り返す。

 ネムから半歩距離を取り、おもむろに腕組みをして先ほどのレンのように明後日の方向を向いたところで、リシアは今更ながら冷静を装った。

 さぁ――――っと絹のような髪を手で靡かせて、



「よくわからないことを聞かないでくれる?」



 強がってみせたのだ。

 力を振り絞った強がりは、アルティア家の令嬢に破られる。



「じゃあ違うんだね」


「ち、違ったらダメなの!? ネムにとって何か問題でも!?」


「ないよー? でも休日に二人で仲良く遊んでるとか、二人の距離間から見てもそんな感じがしちゃっただけ。レン君はイグナート家のご令嬢とも仲がいいでしょー? だからどういう状況なのかなーって気になっちゃった」


「…………」


「ご、ごめんって! そんな可愛い顔で睨まないでよ!」



 リシアは瞳にうっすらと涙を浮かべ、真っ赤な顔でネムを睨んでいた。

 羞恥心が限界に至りかけていたリシアは、いつネムの頬を摘まんでひっぱるかわからない。



「お詫びにネムが恋愛指南をしてあげるから、もう睨まないでくれたりしない?」



 ふと、ネムの言葉に落ち着きを取り戻したリシア。

 彼女はとある情報を思い出し、ネムの痛いところを突く。



「何言ってるの? 恋愛経験がなくて、異性とは友達みたいに接したことしかないって前に言ってたじゃない」


「あっ! 言っちゃったね!? 年頃の女の子に言っちゃいけないことを言っちゃったね!?」


「それを言うなら、さっきまでの自分の言動を顧みなさいね」


「それはそれだってば。でも聞いてみてよ、もしかしたらリシアちゃんにとっても、有用な情報かもしれないよ!」



 ネムは楽しそうな声で、どこから得たのかわからない知識を口にする。

 魔道具のことであればさぞ有用な知識を与えてくれそうな彼女の口から語られるのは、意外とリシアが理解できる言葉だった。



「いい? まずは言葉遣いだよ」


「言葉遣いって、いまの私とレンの?」


「そう! 互いの距離感はすごく大事だけど、二人くらいならもっと砕けていいはず! だからレン君に敬語をやめてもらうとか、リシアちゃんの呼び方を変えてもらうとかね!」


「言葉遣いはもう少し砕けていいって前に言ったことがあるけど、自分は騎士の倅だから駄目って言われたわ。それに、いまだって名前呼びよ?」


「でもレン君、リシアちゃんのことは様って付けて呼んでるよ?」


「……それじゃ、リシアって呼び捨てにしてもらうってこと――――よね」


「そうそう! ヴェイン君とセーラちゃんみたいにね!」



 ネムは力強く親指を立てて肯定の意を示す。

 あのレンが「リシア」と自分を呼ぶ姿を想像すると、リシアは両手で自分の頬を覆って身じろいでしまう。



「でもさ、名前を呼び捨てにしてもらうのと、敬語をやめてもらうのってどっちが難しいかさっぱりだよね~」


「そ、そうよ! どっちも大変じゃない!」



 というか、とリシアが、



「いまのってどこから得た情報なの?」


「何を隠そう、恋愛小説だよ」


「……そういうことだろうと思ってたわ」


「でも、良い情報だったでしょ?」



 リシアは否定することができず、照れくさそうに「ええ」と頷く。

 問題となるのはどちらもレンが頷く可能性が限りなく低いことだが、どうにかして実践できないものかとリシアは頭を悩ませた。


 

 すると、ネムが時計を見てもう行く時間だと言った。

 それを聞いたリシアの下へ、帰るタイミングを見計らっていたレンが戻った。肌を上気させたリシアを見たレンは「?」と首を捻るも、リシアは何も答えない。

 また、ネムも何があったのか語らず笑うだけで、



「じゃあね、二人とも! また学院で!」



 二人の前を立ち去ってしまったので、レンは今度こそ何があったのか知る機会を失してしまった。



「熱があるとか……じゃないですよね?」


「…………」


「リシア様?」



 すると、



「……鈍感」



 リシアはほんの少しだけ不満そうに言う。

 一言こうして口にするくらい許してほしかった。だからなのか、リシアはすぐ可愛らしくはにかんでみせた。

 


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