彼の氷を思い返して、新たな自分を想像して。
今日も今日とてごちゃごちゃした工房の中に足を踏み入れたレンは、工房のど真ん中に置かれた丸い木のテーブルを見た。
そこに、ヴェルリッヒが造ったと思しき物が置かれている。
「ヴェルリッヒ、あれが例の完成品かい?」
「おう! 色々考えたんだが、今回はブーツにしてみた! レンの足も今後はそんなでかくならないだろうしな! 少しくらいの微調整は問題ないぜ!」
ユリシスが用意したのは、そのために用いる糸をはじめとした素材だという。それらがヴェルリッヒの下に届いてすぐ、彼は寝る間も惜しんで制作に取り掛かったそうだ。
ブーツにはアスヴァルの角を加工してふんだんに用いている。一見すればわからないが、
レンが重視する動きやすさも忘れられていない。胸を張って説明したヴェルリッヒにそう言われ、レンはブーツを両脚に履いてみた。
「どこも突っかかる感じがないですし、凄く軽いです」
「だろだろぉ? 俺様を見直したか?」
「見直すどころか、腕前を疑ったことはありませんよ」
「お? そうか? ま、好きに使ってくれ。そのブーツなら制服の下に履いててもあんま目立たねぇと思うぞ」
「はい。ズボンが動いて邪魔に感じたら、ブーツを外に出して履けばいいかも」
「そのあたりはレンが使いやすいようにしていいぜ。俺様が後で調整しやすいように作ってあるから、レンも気にせず成長してくれよな」
「あ、ありがとうございます……」
身体の成長に関してはレン本人にもどうしようもないため、気にしようがしまいが結果は変わらない。苦笑したレンに「履いて帰るか?」と言ったヴェルリッヒへ、レンは「そうします」と答えた。
それまで履いていた靴は、ヴェルリッヒがくれた麻袋にしまう。
「ちなみに炎王ノ籠手と違って名前はない。あっちの方が色々と特別だしな。――――んじゃ、もういいか?」
ヴェルリッヒがふらふらしながら言った。
「もう馬鹿みてぇに寝てねぇから、馬鹿みてぇに眠いんだ」
レンはそんなヴェルリッヒに深々と頭を下げてから、
「最高の防具をありがとうございます」
もう一度礼を述べる。
するとヴェルリッヒは、我慢ならず大の字に倒れて寝息を立ててしまった。
ベッドでもなく、煤で汚れたフローリングの上に。
「どうやら、すごく疲れていたらしいね」
「ですね……なので、よいしょ――――っと」
レンはヴェルリッヒを抱き上げてベッドへ運んだ。
丸テーブルに置いてあった鍵を拝借し、工房を出てから鍵を閉める。
「何も考えずに鍵を閉めちゃいましたけど、どうしましょう」
「確かあの辺のガラスが――――ほら、端が割れてるガラスがあるから、あそこから中に投げておけばいいと思うよ。もっとも、ガラスが割れてる時点で防犯も何もないんだけどね」
ユリシスの言葉に何も言い返せなかったレン。
「しかし、胸などを守る防具は要らなかったのかい?」
「そちらはいずれですね。俺の身体がまだ成長途中なところもあるので、大きな箇所は、体格的にもあまり調整が要らなくなったところでって感じです」
それを言えばブーツもそうなのだが、素材の加工など、あくまでもヴェルリッヒの考えとしてはまだ調整が少ない箇所だった。
後の素材はまたいずれどこかで使われるだろう。
(これがあれば、炎の魔剣がもっと使いやすくなったりするのかな)
唐突に頭に浮かんだ疑問は、炎王ノ籠手を手にしてすぐのことを思い出して。
せっかくだからこの連休中に試してみるのもよさそうだ、とレンは明日からの過ごし方を考えた。
◇ ◇ ◇ ◇
昨日考えた通り、レンは次の日に早速試すことにしていた。
最近は狩りにも出かけられていないから、ちょうどいい。連休中は獅子聖庁に行くことくらいしか思いつかなかったこともあったからだ。
「おや、レン様?」
部屋を出て玄関ホールへ向かう最中のレンに声を掛けたのは、同じく早起きの給仕だ。
「まだ夜明け前ですのに、こんな時間からどうされたのですか?」
「最近は町の外に出てなかったので、ちょっと久しぶりに気分転換でもしようと思ったんです。ついでにこの時間しか採れない果実を採ってこようと思って」
「この時間にしか採れない果実……?」
給仕は首を捻るも、レンが急いでいるように見えたので追及は避けて見送った。
屋敷を出たレンは同じ敷地内にある厩舎に向かった。
騎士が使う馬たちの中に、元はイェルククゥの馬だったイオがいる。レンの成長と共に大きくなったイオは、今日も美しい栗毛に艶を浮かべていた。
イオは近づいてきたレンを見て、『ブルゥ』と嘶く。
「久しぶりに一緒に遠出しようか」
『ブルゥ!』
レンを背に乗せたイオは上機嫌に歩きはじめ、屋敷の敷地を出て蹄鉄の音を響かせる。
町の外へ通じる門へたどり着くと、そこに立つ騎士が、
「おや? こんな時間からどこへ行かれるのです?」
「ちょっと森に。久しぶりに気分転換でもしてきます」
「ははっ! それはいい! どうかお気をつけて!」
騎士はレンの言葉を疑うことなく見送った。
イオを走らせてから一時間が過ぎれば、空の端が僅かに明るくなりはじめた。
更に十数分も過ぎたところで、レンはイオをゆっくり進ませる。森の中に足を踏み入れれば、一気に獣道に差し掛かった。
「この奥に開けた場所があるから、そこまで行こっか」
レンは短く嘶いたイオの手綱を引きながら先へ進んだ。
すると、すぐにレンの言葉通り開けた場所が現れた。広さは一般的な民家が一つ入るくらいのそれで、広すぎず狭すぎない。
レンはそこでイオを自由にすると、朝焼けの空を眺めた。
「さてと」
そう呟いたレンは近くの木に実る果実を観察する。
それまで青々としていた果実は、朝焼けが広がるにつれて真っ赤に染まっていく。その頃合いを見計らって収穫すると、持ち運んだ麻袋の中にしまった。
けれど果実はレンにとっておまけで、本当の目的は他にある。
これは森に来るならとついでに思いだしたもので、屋敷の皆への土産にもいいと考えて収穫しただけ。
完成していたブーツを既に履いていたレンは、炎王ノ籠手を腕に嵌めて紐を結ぶ。
「――――出ろ」
自分を鼓舞する意味でわざを声に出す。
こうして顕現したのは、いたるところに深紅の紋様が施された黄銅色の剣だ。炎王ノ籠手がなかった頃は、召喚しようとするとその反動が大きすぎて召喚できなかった炎の魔剣だった。
アスヴァルの素材を用いた装備を追加することで、また新たな変化が訪れるかも――――そう思ったレンは、その効果を試すためにあんな時間に屋敷を飛び出したのだ。
彼の予想の結果だが、
「イオ、やっぱりだ。反動がまったくないよ」
『ブルゥッ』
話しかけられたイオは興味がないのか返事をするだけでレンに顔を向けない。足元の草を食べながら尻尾を一度だけ振った。
……それにしても、以前より召喚しやすくなっていることがわかる。
想像通りの結果に喜んだレンは、炎の魔剣を軽く振った。すると、大時計台で披露したような黄金ではない、真っ赤な炎が僅かに彼の前を薄っすらと波打ち、すぐに消えた。
次に炎が出ないように意識して振れば、炎が勝手に波打つことなく剣の残像だけが微かに残った。
(この魔剣を思い通りに扱えて、早く剣聖になれたら言うことはないんだけど)
レンほどの才能と努力を以てしても、剛剣技の剣聖にたどり着くことは至難を極める。
ただ、日々の訓練が成長への近道であることは間違いない。それはレンのいままでが証明できるだろう。
だがレンは、もっと他にも色々なことを考える必要があるとも思った。
エドガーの前で剣豪級であることを示した戦いを思い返す。
あのときはじめて星殺ぎを用いて自分の強さを証明したのだが、いつ思い返してもあのときのエドガーは苛烈の一言だった。
確かあれは、ユリシスとラディウスたちがレンに秘密で大時計台の件を進めようとしていたときのことだ。
『お見せしましょうッ! 魔法を扱える者の剛剣をッ!』
レンはエドガーと賭けをした。
賭けに勝ったら、エドガーがレンをユリシスたちの下へ連れていくというものだった。
当時、エドガーはその言葉通り魔法を扱う者の剛剣技を披露してみせた。
手にした二本の剣とは別に放たれた氷の刃は、一つ一つが纏いを会得した者の剣そのもの。あのときのレンが食らってしまえば、一撃で膝を付いただろう代物だった。
『――――見くびるなよ、剣聖』
レンはそう言って、一歩も引くことなく剣を振った。
最初はエドガーが放った氷の刃に対し、纏いを駆使した剣戟で応戦した。だが、数が多すぎるし氷の刃が
よく数本の攻撃に耐えた――――皆がそう思ったところで、
『ッ……』
獅子聖庁で培ったすべてを使って、必ずやこの賭けに勝ってみせる。
レンの強い意志が生んだ覇気により、彼が手にした訓練用の剣がブレた。彼は皆が見る前で新たな領域に足を踏み入れて、衝動に従い剣を振った。
『はぁ……はぁ……』
耐えきった――――否、ねじ伏せた。
レンの剣は、氷の刃が彼の下に届く直前ですべて消し去った。氷の刃は星殺ぎの力により、魔法としての力を失ったのだ。魔法の氷は解けてしまい、レンの眼前でただの水に変わった。
『ば……馬鹿な……こ、こんなにも早く剣豪になられた……ですと……?』
エドガーが驚きの声を漏らす。
『どう、です……? ちゃんと、耐えきってみせましたよ……ッ!』
『耐えきったどころではございません……ッ! 何ということでしょう……やはり貴方様は、私が思う以上の才をお持ちだったのですか……!?』
騎士たちが呆然としてしまう中、レンは賭けに勝った。
あの日の感覚はレンもまだ覚えている。化けたと自覚できるほどの高ぶりに全身を任せたことは忘れられない瞬間だ。
レンは炎の魔剣を手にしていない方の手のひらを見て、じっと黙る。
たった一度の鬩ぎあいだったけれど、エドガーの強さは本物だった。
星殺ぎはどんな魔法でも必ず打ち消せるわけじゃない。もしエドガーが本気で戦っていれば結果は違ったかもしれないのだ。
しかし、レンが思うのは他のこと。
「俺も――――」
自分もあの領域にたどり着かなくてはならない。強くなると誓ったのだから、絶対に。
剣聖になるため、立ち塞がる扉を開けるためにも。
日々の訓練に限らず、いまの自分にできることは全部試しておきたい。
……そう思ってしまうのは、時期尚早だろうかと迷った。
いまはまだ地道に訓練をする段階で、エドガーのような強さに憧れを抱くのはまだ早いのかもと思う自分もいる。
しかし、レンの頭からエドガーが口にした『魔法を扱える者の剛剣』の言葉が消えなかった。
あのとき全身を駆け巡った成長の実感に、再び震えたい。
今後の自分を思い描きながら炎の魔剣を見下ろすと、唐突に近くから魔物の声が聞こえてきた。
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