フィオナに勉強を教わりながら。

 フィオナはレンがエレンディルで過ごすようになってから、既に以前の比じゃないほど彼の傍にいる。二歳年上として、ただ照れるだけの情けない少女でいることは許されない、そう自分を鼓舞した。



「――――大丈夫。もう平気」



 フィオナは肌色が落ち着いたところでレンに振り向いた。

 彼はいつの間にか席を立ち、この部屋に備え付けられた設備で茶を淹れはじめていた。



「フィオナ様もいかがですか?」


「お願いします。――――ふふっ、レン君が淹れてくれるお茶、すっごく楽しみ」


「はは……今回も舌にあうといいんですが。少し待っててくださいね」



 フィオナは自分も手伝うと言ったのだが、その頃にはもうレンがほとんどの支度を終えていたたため、彼女にできることはなかった。



 数分後、彼女の前に運ばれてきたティーカップからいい香りが漂う。

 当然味もいい。フィオナが淹れるのと違い、不必要な渋みもない見事なもので、また一段と腕を上げたことがフィオナにも一瞬でわかった。

 フィオナもあれから腕を上げたのだが、レンはそれ以上だったらしい。



「そうだ」



 対面の席に戻り、フィオナと同じく茶を飲んでいたレンが言う。

 レンが淹れた茶を幸せそうに飲んでいたフィオナがきょとんとした顔で「どうしたんですか?」とレンに問いかける。



「課題でわからないことがあったんです。もしよければ、フィオナ様に教えていただきたくて……」



 頼られたことで頬を喜色いっぱいに染め上げたフィオナ。

 弾む声で、煌めく笑みを浮かべながら彼女は頷いた。



「はいっ! 私でよければ喜んで!」



 すると、フィオナの胸元でネックレスが揺れた。

 それは彼女が昔、バルドル山脈でしていた破魔のネックレスではない。レンが贈った星瑪瑙のチャームが付いたネックレスだ。

 それを見たレンが照れくさそうに、



「……大事にしていただけていることは本当に嬉しいんですが、ちゃんと加工しなくてよかったんですか?」



 フィオナの胸元を飾る星瑪瑙はほとんど原石の形をしているからだ。

 おおよそ、侯爵令嬢の胸元を飾るにしては少しやぼったい。



「ええ。私はこの形のままがいいんです」



 彼女が嬉しそうに言ったから、それ以上のことを告げるのは無粋だ。

 また、フィオナがレンに頼られたことへの嬉しさを現すかのように話題を戻したので、ネックレスにはそれ以上触れなかった。



「レン君がわからないところってどこですか?」



 フィオナが机の上で身体を僅かに乗り出して、レンに身体を近づけた。



「これです。錬金術の先生にいただいた課題なんですが、どうしてこの薬剤を用いるのかがよくわからなくて」


「ええとですね……それは他の必要素材との計算がちょっと難しいんです。こんな計算式でその薬剤が必要になるんですが――――」



 フィオナがノートにペンを滑らせていく。

 流麗ながら丸みを帯びた字が可愛らしかった。



「どうでしょう?」



 尋ねられたレンは説明を理解しきれず頬を引き攣らせた。

 彼の乾いた笑みを見たフィオナが「あはは……」と申し訳なさそうに笑い席を立つ。レンの理解が追い付かなかったことに苦笑したのではない。フィオナに限ってそんなことはあり得ない。彼女はレンの隣の席へ向かうために席を立ったのだ。



「こっちの計算式からやってみましょう。まずは――――」



 フィオナがレンの隣でノートにペンを滑らせていく。

 今度は先ほどよりも丁寧に、且つ別の視点からレンに教えはじめた。

 フィオナはノートにかかる自らの髪を手櫛で耳にかけ、そっとレンの横顔を覗き込む。

 彼が真面目にノートを見る顔を眺め、頬が赤くなりかけた。



「――――っていう感じです」



 説明を終えたフィオナがレンに顔を向けた。

 二人が物理的に近くにいるからなのか、彼女の髪からふわっと花の香りが広がった。

 神秘的にすら見えるフィオナの笑みは、春の日差しよりも煌めいている。レンはその笑みを見て、すぐに礼を述べる。



「ありがとうございます! やっと理解できました!」


「ふふっ、よかったです」



 するとフィオナは席を立ち、甘い香りを残して元の席へ戻る。

 そのままレンの隣に座っていたかったくらいだが、そうしているとまた頬が赤くなってしまいそうだったから、いまはあれくらいの時間で限界だ。

 ただ、胸が早鐘を打ってしまうことだけは、どうしようもなかった。



 ――――課題をこなす時間が一時間、二時間と過ぎ去っていく。



 少し休憩がしたくて立ち上がったレンが、開いた窓の傍へ向かう。

 そこで風を浴びていると、この部屋を掃除した頃のことを思い出した。本棚に並べた、気になる一冊のことを。



 レンはすぐに壁際の本棚へ歩を進め、先日自分が並べた本を手に取った。

 表紙に『魔王軍の魔物たち』と書かれた一冊を、自分の席に戻って開いた。



(知らない魔物ばっかりだ)



 迫力に満ちた挿絵がいくつも描かれていたが、名前から姿まではじめてみる魔物ばかりだ。

 そのほとんどが現代には生き残っていない。勇者ルインのパーティをはじめ、各国の抵抗で息絶えてしまっていると記載がある。



 中には魔大陸と呼ばれる、魔王城がある地域に棲むとされている魔物の情報もあった。

 ページをめくるレンの指先が、あるページで止まった。

 戦場と思しき荒野を歩く魔物に目を奪われる。



「おおー……すごい」



 すると彼の声を聞いたフィオナが、



「それって図鑑ですか?」


「ですね。前にクロノアさんと一緒に掃除をしたときから気になってたんです」



 返事を聞いたフィオナは席を立ち、レンが座る席の後ろに回ってきた。

 彼に「私も見てもいいですか?」と聞けば、彼は「もちろんです」と返事をする。



「この魔物、魔王が討伐されるまで魔王軍を率いる将の一人だったみたいです」



 五メイルもある巨大な甲冑は漆黒に金の飾りが施されており、そのみてくれから漂う禍々しさが絵からも伝わってくる。四本の腕、それと同じ数だけの巨剣を背に、一方の肩に纏った薄汚、、、、、、、、、、れた蒼い布、、、、、

 甲冑の中に肉の身体はなく、代わりに濃密な魔力が満たしている。

 魔石はその魔力の中に浮かんでいるそうだ。



「あまりにも情報が少なすぎることから、ランク付けはされてないみたいですね」



 レンがそう言えば、本を覗き込むフィオナが一文を読み上げる。



「……魔王に従うようになってから更に強くなった魔物である。魔王以外に従ったことはなくて、それ以前は剣魔って呼ばれてた――――ですって」



 つづく一文はレンが読み上げる。

 さすが魔王軍の将と言ったところなのか、その性質もあまり耳にしたことがないものだった。



「分類は龍種みたいですね。見た目からどこが龍なのって感じですが、魔石の傍に龍種と同じような器官があるそうです」



 所詮は分類だ。ただでさえ数が少ない魔物であればそうした区分けも難しいだろうから、あくまでも身体の仕組みからそう判断したのだろう。



 他の特徴として生命力があげられていた。アンデッドではなく龍種のため、どれだけの生命力を誇るかはレンもアスヴァルとの戦いで良く理解していた。

 そんな魔物が当時は複数体いたと書いてあるのだから、魔王軍の猛威は計り知れない。

 だが、七英雄は魔大陸でそのうちの一体と戦って、勝利を収めたという。



(七英雄くらいになれば当然か)



 彼らは魔王も討伐したのだから、当たり前と言えば当たり前である。

 レンはその後すぐに本を閉じ、本棚に戻した。



「そう言えばレン君って、次の連休はどう過ごされるんですか?」



 獅子王大祭の代表選考などで忙しない日々をもう少し過ごしたら、来週は丸々学院がない。今年だけ特別というわけでなく、よくある連休だった。



「特に予定はないですね。リシア様もほぼ毎日クラウゼル家の仕事があるみたいです」


「あはは……実は私もです。お父様が帝都に来るから仕事が詰まってて――――あっ、そうでした! 実はお父様からレン君に手紙を預かってたんです!」



 本当ならレンを誘って何処かへ行きたかったけれど、それは叶わない。

 フィオナはそれを残念に思いながら鞄から封筒を取り出し、レンに渡した。

 あのユリシスからと聞いたレンはすぐに封を開けて中を確認する。手紙には、『来週、一緒に鍛冶屋街へ行こう』という旨が書かれていた。



 何の用事だろうと思ったレンは、



(新しい防具のことかな)



 すぐにそう理解して、この場で返事を認めることにした。



「すみません。お返事を頼んでもいいですか?」


「ええ、お任せください」



 ユリシスが指定したのは来週の夕方で、帝都で落ち合うことになっている。

 ――――その日を楽しみに思いはじめたレンは、とりあえず残る課題に取り掛かった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 約束通り、夕方の帝都で。

 レンは連休のある日、ユリシスと会っていた。



「護衛はいいんですか?」


「傍に君がいるしね――――ってのは半分冗談で、どこかに隠れてると思うよ。きっとね」



 半分冗談の冗談部分だが、レンの実力を疑ってのことではない。



「いまの言葉をきちんと説明すると、君がいれば護衛が隠れてなくても大丈夫って意味なんだけど、通じてるかい?」


「……色々と勘弁してください」



 レンを苦笑させたユリシスは勝ち誇った様子でくすりと笑む。



「実行委員の仕事はどうだい?」


「さっきも話しましたけど楽しいですよ。最初は何もしないつもりだったので、こうして実行委員として祭りに携われてよかったって思ってます」


「それは何より。しかし……ふふっ、話を聞いていると、私も実行委員を務めた当時のことを思い返すよ」


「――――え」


「おや? え、とは何だい?」


「すみません……ユリシス様も実行委員をしたことがあったのかと、驚いてしまいました」



 二人は――――と言うか主にユリシスなのだが、彼は自身の身分を気にすることなく、レン一人を連れて鍛冶屋街を歩く。獅子王大祭が近づくにつれて生じる賑わいが、最近はより一層増している気がした。



「弁論の大会とかには出場したりしなかったんですか?」


「ははっ! 一度出たら興味がなくなってしまってね! 実行委員がどんなものかとやってみたら、そっちの方が楽しかったよ!」


「へぇー……ちなみにどう楽しかったんです?」


「それはもう、同年代の貴族たちの様子さ。ああ、彼らは興奮したらこう動くんだな~って眺めていたら、快楽に似た感情を抱いたことを覚えているよ」


「――――うっわぁ」



 レンは引いた様子でユリシスを見た。ユリシスはレンの遠慮ない視線が嬉しかったのか、唇を吊り上げて目じりを下げた。

 ユリシスは更にレンをいじくるような言葉を口にする。



「いまは君のそんな顔を見るのが一番楽しくてね」



 この男の余裕が消えるときはあるのだろうか。

 隣を歩くレンは声に出すことなく考えた。



「ところで、今日私が君を呼んだ理由はわかってるかい?」


「アスヴァルの角で作る防具のことですよね?」


「正解だ。そろそろ完成するって話だったから、先週のうちに君に連絡しておいたのさ」


「だと思ってました。でもヴェルリッヒさん、前に話してからこんなに早く新しい品を作ってたんですね」


「私もそれは考えたよ。ヴェルリッヒの下に素材を届けて一、二週間程度なのに、随分と早いような気がしてならない」



 話を聞いたレンは楽しみになって、頬を緩めた。

 いつも大人っぽく振る舞うレンが見せたどこか年相応な姿を覗き見たユリシスは、数多の貴族を泣かせたその強みを一切窺わせぬ、穏やかな表情を浮かべていた。

 


 また少し歩いてヴェルリッヒの工房に到着すると、



「お、待ってたぜ」



 来訪者の気配に気が付いたヴェルリッヒが工房の中から姿を見せ、満面の笑みで二人を迎えた。



――――――――――



 書籍版1巻への感想など、いつもありがとうございます。

 つづく2巻は数万文字の加筆もあって、1巻より分厚くなりました。またいずれ別の情報を告知させていただければと思いますので、今後ともweb版ともどもよろしくお願いいたします。

 

 

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