馬車の中での過ごし方。

 神秘庁の馬車でエウペハイムの貴族街へ向かった。

 この都市の領主はユリシスだが、他の貴族の屋敷もいくつかあった。このエウペハイムに屋敷を構えることは派閥を問わず、貴族たちのステータスであるから。



「……ふわぁ」



 馬車に揺られながら欠伸を漏らす。

 御者によれば、イグナート侯爵邸まで二十分はかかるそう。



 昨日ははじめてのエウペハイムとあって夜更かしをしてしまったから、少し眠い。

 この時間に少しでも休めば収まりがいいだろう。



「……寝よ」



 二十分くらいゆっくりするだけ。

 ユリシスの前で眠い顔を晒さないためにも目を閉じた。



 ――――夢を見ているんだな、こう思ったのはすぐだった。



 瞼を閉じたレンはすぐに寝入ってしまい、ほぼ同時に夢を見ていた。不思議なことに、いつもの夢と違い五感がはっきりとしている夢だった。

 レンはそこで、傍観者として辺りの様子を見せつけられている。



 そこには、数多の騎士たちが動員されていた。

 剣は一級品で当たり前、魔法を扱える者になればそれすらも一級品だった。集まったその戦力がすべてレオメルを世界最強の軍事大国たらしめるものだ。



 魔導兵器もあればこそ、どのような国も戦いを避けるだろう。

 場所は見たこともないが、恐らくイグナート侯爵邸。その門前である。



『これはこれは、主の不在に険吞な』



 現実と違い、冬真っただ中なのか石畳に雪がうっすらと積もっていた。

 老紳士が門前に立ち、数多くの騎士たちを迎える。

 騎士の中には緊張に身体を震わせる者も少なくない。最前線、エドガーを見やる列にはかの獅子聖庁が誇る騎士たちが並ぶも、彼らですら手に汗を握り、エドガーから目をそらさず極限の緊張に陥っている。



 騎士の中から一人、前に出る。



『エドガー殿、帝都へご同行を』


『ふむ、何故です?』


『……殿下が攫われた事件のこと、おわかりのはずだ」


『ふふっ、当家との関係を気にしておいでのようだ』


『ッ――――ご冗談を言う場ではないこと、貴方ほどの方が理解してないとは思えませんが!』



 ふぅ、と息を吐いた老紳士がジャケットを脱ぎ捨てる。

 冬にもかかわらず、彼は気にすることなく白いシャツにサスペンダー姿に変わる。

 さらにシャツを腕まくりして、白い息を吐いた。



『申し訳ありませんが、従えません』



 騎士たちが一斉に剣を抜いた。

 総勢数百の騎士たちがすぐさま臨戦態勢をとる。

 冬の空を見上げるエドガーの表情は、寂しそうだった。

 彼は次に振り向いて、イグナート侯爵邸を見る。手元が震え、指先が震え、口元と目元が揺れるのに抗えない。



 屋敷にはもう人っ子一人いない。鍵も先ほどエドガーが閉じてしまった。

 再び開けるときが来ないことを知っていようと、鍵は大切にしまい込んでいる。

 エドガーが振り向いた際、彼の頬に伝う涙を騎士たちが見た。



『最後に忠告いたします。皆さまが退いてくだされば、私も剣を振るいません』


『それができないこともご存じのはず』


『では、戦うしかないのですか?』


『エドガー殿がそれを望むなら。我らは貴方を拘束し、その屋敷を検めねばなりません』


『……それは困りましたね』



 エドガーの涙が石畳に降り積もる雪に滴った。

 しかし雪はすぐに涙の痕を消す。エドガーはそれをみて自嘲していた。



『屋敷は私の魂そのものだ。私がイグナート家に仕えた証はそっとしておいていただきたい。たとえ貴方たちに理由があろうと、私も譲れないのですよ』



 もう、剣を交わすしかない。

 両者の間につづく言葉はなくとも確定的だった。



 騎士たちが後手に回らぬよう踏み出した、その瞬間だった。

 老紳士の姿が消えた。彼の靴があった場所にだけ、雪が降り積もっていない。

 辺りの風に乗る雪が、一瞬不規則に揺れた。



『……え?』



 最前列にいた騎士の胸から鮮血が舞い散る間もなく、二本の銀剣が身体を貫いていた。



 それから、一気に景色が変わった。

 エドガーはイグナート侯爵邸の戦いで大怪我を追うも逃げおおせ、ユリシスが用意していた隠れ家にいた。



 イグナート家の給仕が重傷のエドガーを看病し、彼は命を拾っていた。

 代わりに片目を失い眼帯を身に着け、左腕は義手になっている。

 しかしそれらを気にすることなく、エドガーは淡々と、いま聞くべきことを給仕に問う。



『どれほどの時間が経ちましたか?』


『……とても、長い時間が』


『では、教えてください。私が眠っていた間に何があったのかを』



 ユリシスはバルドル山脈で命を落とし、レオメルには新たな英雄が生まれていた。

 その事実を知ったエドガーは自分だけ生き永らえたことを恥と思い、涙した。



『……エドガー様は、エドガー様ができることをなさるべきです』



 給仕が涙を流しながら言った。



『私に出来ることなどありません。執事の身でありながら、主とフィオナ様のために働けなかった。それなのに何をしろと仰るのですか?』


『……それは、私たち給仕にもわかりません。ですがエドガー様が自害しても、主はお迎えくださいませんよ』



 あのユリシスであれば、きっとそう。

 イグナート家の者たちをよく知る二人は顔を見合わせ、再び静かに涙した。



 エドガーは当初、目的のないさすらい人となった。すでにイグナート家はこのレオメルに存在せず、日々、主とフィオナのことを思う日々を送った。

 しかし彼は、レオメル国外のある町の片隅にて、



『……まだまだ調べなければならないことが、いくつも隠されているようですね』



 町の賑わいに溶け込むように。



『この老躯、最後の仕事です。主の元へ逝く前に、成すべきことを成しましょう』



 その呟きの真意はわからないが、レンが見せつけられる光景の中でエドガーは色々な所へ行った。

 巡り巡る長い時間を、レンは一瞬に凝縮された時間で見せつけられつづける。



 やがて、エドガーは久しぶりにレオメルへ戻った。



 彼のことをレオメルの騎士が見つける。その情報を受けて、獅子聖庁の騎士をはじめとした戦力が彼の潜伏先へ派遣されていた。



 当然、エドガーも気が付いて逃げた。

 しかし片目を失い、義手となった彼は思うように戦うことができず、以前のように逃げ切ることが難しかった。



 町のスラムに逃げ込むと、彼は薄汚れた家の外壁に背を預けた。

 ある存在を追って旅をはじめた彼はその際、



『これだけ頑張ったのであれば、主も私を迎えてくださいましょう』



 死を覚悟して目を伏せた。



『……主、フィオナ様、不肖の執事がもうすぐ参ります。どうかまたお傍においてくださいますよう」



 慌ただしい足音が近づいてくる。

 彼は最期の瞬間を待っていた。



『……え?』



 やってきたはずの騎士たちが、唐突に一人残らず地べたに伏す。

 血は流れていない。全員が何かで首や腹を強打され、意識を手放しただけだった。

 予想することのなかった光景を目の当たりにしたエドガーは、近くに立つ薄汚れたローブに身を包んだ誰かを視界に収めた。



『――――貴方がエドガー殿ですね』


『――――貴方はおおよそ、騎士には見えませんね』


『そうですね。むしろ騎士の敵……いえ、レオメルの敵ですので』



 現れたのは、ローブに身を隠した者。

 その人物がフードを外して顔を見せる。



 まだ少年だった。中性的に整った顔立ちの少年だ。少年はエドガーの前にやってくると、エドガーを背負って歩き出す。

 エドガーが驚きを拭いきれない間のことだった。



『貴方を探していました。貴方なら、俺が追っている情報をいくつか持っていると思ったんです』


『……わかりませんな。どうしてそちらも?』


『そんなの、俺にも目的があるからに決まってるじゃないですか』



 そう言うと、少年は勢いよく石畳を蹴って家々の屋根を駆け巡る。

 まるで空を飛ぶように疾く、軽やかな足さばきにエドガーが「ふむ」と呟く。

 先に逝った主たちの元へ向かうのは、まだ早かったらしい。



『若いお方、名前をお聞かせください』



 この町を脱しようとする際に。

 エドガーはどうしてか自分を探し、自分を助けた少年の名を尋ねた。

 尋ねられた少年は足を止めずに口を開き、



『俺はレン・アシュトン。白の聖女と学院長の命を奪った――――大罪人です』



 少年の名乗りを聞いたエドガーは、あまりの事実に言葉を失った。




 ◇ ◇ ◇ ◇




「――――ン殿、レン・アシュトン殿」



 レンの肩が揺らされて、彼を起こそうと試みる業者の声に目が覚める。

 さっきまで、長い長い時間を凝縮した夢を見ていた。



 ……いまのは。


 

 あれは、別の世界線での記憶なのだろうか。

 そこでレン・アシュトンとエドガーが何らかの縁を持ち、行動を共にするようになった――――わかることはそのくらい。

 何故あんな夢を見たのか、見せられたのか一切わからない。

 たとえるなら昔、イェルククゥに攫われた際にも見た夢のようなものだった。



 ぼうっとしていたレンは目を擦ってから、わけがわからないまま御者を見た。



「すみません。少し寝ちゃってました」


「いえ、こちらこそ申し訳ありません。もうそろそろ目的のお屋敷だったもので」



 レンを乗せる馬車がイグナート侯爵邸から、徒歩で十分は離れたところで停まっていた。

 これ以上馬車が進もうとしていないのは、騎士が道を封鎖していたからだ。

 騎士たちに聞けば、地下の水道に違和感が生じたという。いまは緊急で状況を確認しているようだ。



「しばらくの間、この先へは徒歩でしか行けないご様子で……」


「なら、歩いて行きますよ。この辺りなら騎士もたくさんいますから」



 レンは自らの手で馬車の扉を開けると、とんっ、と軽く石畳に足をついた。

 馬車の前方で手綱を引く御者に軽く頭を下げ、自分の足で歩き出す。



 ……おー、ほんとだ。



 その先、十数メイルのところで道が封鎖されている。

 騎士たちの傍を歩けば、一人がレンに声を掛けた。



「そこの君、どこへ行くんだい?」


「この先にある、イグナート侯爵のお屋敷に参ります」


「……こ、侯爵閣下のお屋敷に?」



 簡素な言葉で話が終わるも、騎士は呆気に取られていた。

 騎士たちの所属はレオメルという国そのものでも、彼らにとってユリシスは直接の上司も同然。無視できない驚きである。



 レンが嘘をついているとは思わなかった。

 騎士たちは、近くにある神秘庁の馬車からレンが出て来たのを目の当たりにしている。



 騎士の静止がなかったから、レンは迷わず先へ進んだ。

 数分歩くとイグナート侯爵邸が見えてきた。リシアも驚いた、大きな大きな屋敷の門構えが。こう真正面に迎えて歩くと、イグナート侯爵邸は小国の城ほどもありそうな規模なことがわかる。



 レンはでっか、と一度声に出すことなく呟く。

 彼は次に改めて、



「……でっか」



 繰り返すように、二度目はわざわざ声に出して驚いた。

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