間章

【SS】七英雄の伝説Ⅲ〈DLC:クラウゼルの変〉

 このお話は一章で触れることができなかった、ゲームでのストーリーの裏側となります。そのため、基本的に一章の範囲内のお話です。

 また、本編の更新予定についても最後に記載しますので、もしよければ最後までお楽しみくださいませ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




『七英雄の伝説I、Ⅱ、Ⅲをクリアした皆様へ、【ストーリー:クラウゼルの変】をお贈りします。ダウンロードを開始してもよろしいですか? ≪はい≫/いいえ』



 ――――

 ――



『ダウンロードが完了しました。起動しますか? ≪はい≫/いいえ』



 ――――



『【七英雄の伝説〈クラウゼルの変〉】を開始します。』




 ◇ ◇ ◇ ◇




 これは、レン・アシュトンが生まれる以前のことだ。



 レオメルが誇る帝立図書館、その最下層には一部の人間しか足を運べぬ場所があった。その場所の名を禁書庫と言い、中には政治的に表に出せない書類や、貴重な魔導書などが保管された特別な場所だ。



 普段はまったく人が寄り付かないこの場所に、数か月ぶりに足を踏み入れた者がいる。

 英雄派に属する貴族にして、法務大臣補佐を務めるギヴェン子爵だ。

 彼は法務大臣補佐の職務の一環としてこの場に足を運び、法務大臣から確認するよう言われた書類を見るためだけに足を運んだ――――はずだった。



「――――これ、は?」



 しかし彼は、興味に負けて禁書庫にある本を何冊か見てしまった。

 目を引いた一冊のタイトルは『冒険家、、、アシュトンの旅、、、、、、、』とある。

 本棚の中にあったそれは妙にすすけており、中にかかれた内容だって読めないだろうと思うほど、ボロボロの本だった。



 でも、興味に負けて目を通した。

 ほとんどのページは黒塗りになっていて文字が読めない。

 タイトルはありふれたそれなのに、何故なのだろう。



 疑問に思うが黒塗りばかりでは読むことはできない。

 ギヴェン子爵が読むのを諦め、本を閉じかけたところで……。



「うん?」



 彼は遂に文字が読めるページにたどり着いた。



 でも、いくつかの地名が連続して書かれているだけで、まるで意味があるように思えなかった。

 ギヴェン子爵はその連続した地名をすべて暗記した。

 これは彼の特技の一つで、目を通した本の内容はすぐに覚えてしまう。



 ……ともあれ、禁書であろうと連続した地名程度にあまり興味はない。

 結局彼は本を閉じ、「つまらん」と呟き棚に戻したのだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 禁書庫で謎の一冊を読んでから数か月後、ギヴェン子爵を取り巻く環境が一変した。

 それまでの法務大臣が政争に負け、失脚してしまったのだ。

 これにより、ギヴェン子爵も法務大臣補佐の職を失くし、彼は帝都を離れて自身の領地に戻ることに決めた。



 英雄派の一人として帝都で戦えないことは悔しかったけど、そのまま帝都に居座ったところで何かできるわけではないと悟り、素直に自身の領地を富ませながら再起を図ろうとしたのだ。



「……このままで、よいのだろうか」



 しかし、ギヴェン子爵は疑問だった。

 彼は屋敷の執務室で、雨が打ち付ける窓から外を見ながらつぶやく。

 灰色の空が、夜に近づくにつれて暗くなっていた。



「いや、いいはずがない」



 彼は派閥内でも特に勢力の拡大に強い意義を覚えており、やがて真の平等を民と分け合うには、必ずや皇族派を衰退させねばならないと考えている。

 だというのに、自分はこんなところで何をしているんだと思った。



「何か……我ら英雄派が勢いづけるきっかけがあれば」



 きっと、同派閥の貴族もそれを悩んでいるはず。

 ただ、悩むだけでそのきっかけを思い付いていないはず。



 大多数と同じく時間を無下に使うのは避けたい。

 特に現状、皇族派筆頭のイグナート侯爵が影響力を高めているとあって、その牙を抜くためにも英雄派は何か行動を起こさなければ。



「失礼いたします。子爵、こちらを」



 ギヴェン子爵に仕事が舞い込んだ。

 領地経営にかかわる報告書が騎士から渡されたことで、彼は机に向かう。

 慣れた仕事を手早くこなし、いつも通りに終わらせてため息を吐くだけ。



 ――――この日も、そうなるはずだった。



「む?」



 が、彼は普段と違い仕事終わりにペンを置かず、報告書に書かれた文字をじっと見つめた。

 記載された地名は普段と変わらず、当たり前の如く地図に記載されている。

 それなのに、じっとその書類を見つめてしまう自分の感情が、その理由がすべて理解できない。

 いつしか資料にかかれた地名を呆然と眺め、それにしか意識が向かなくなった。



「そう……だ」



 こうしていた理由に気が付いたのは、十数分後のことだった。



 しばらく前に帝立図書館にある禁書庫で読んだ、あの本に書かれていたこと。

 意味のない羅列に思えた、連続した地名のことを思いだした。

 どうしていままで気が付かなかったのかというと、それらの地名は歴史の中で何度か領主が変わり、それにより地名が変わった過去があるからだ。



 何となく、古い地名を思い出しながら地図を見ていると、それがようやくわかったのである。



「帝都からバルドル山脈近くへ進み、南下……更に西方へ進み……」



 いつしかギヴェン子爵は席を立ち、本棚にある大きな地図を手に取った。

 それを広げ、彼はバルドル山脈より先にあるクラウゼル男爵領に目を向ける。更に古い地名の情報も載った資料を引っ張ってきて、それを開きながら地図に照らし合わせていく。



「ここからまた西方……か」



 彼は禁書に書かれていた地名を思い出し、胸の鼓動を聞きながら指先を滑らせる。

 ……やがて、彼の指は止まった。

 禁書に書かれていた確認できる限りの地名を思い出し終え、最終的にとある場所に指先を置く。

 分かりやすいようにペンで印もつけた。



 そこは過去に『最果ての森』と呼ばれていた、レオメルでも稀有な辺境だ。

 いまでこそクラウゼル男爵領に属するものの、それ以前は誰の領地でもなく、あくまでもレオメル帝国領という区分けでしかなかった時代もある土地だ。



 気になるのは、何故この地のことが禁書に書かれていたのかだ。

 それも、帝都を発端に徐々に辺境へ向かったその最後として、最果ての森という地が書かれていたのか。



「なぜだ……? アシュトンという冒険家は、どうしてここに向かったのだ」



 普通であればきにならない。

 冒険家なんて、所詮はギルドに属する冒険者に似た存在にすぎないから。

 そんな人物が書いた冒険譚には、特別な興味は抱かない。

 でもこれは、禁書庫にあった本の話だ。

 だからギヴェン子爵は気になって、その冒険家アシュトンとやらの素性が気になってたまらなかった。



「まったくわからんな」



 しかし、情報が少なすぎて考える余地がない。

 最終的には考え過ぎて疲れてしまい、ギヴェン子爵は椅子に座り直して息を吐く。

 机に置いていたベルを鳴らし、確認を終えていた書類を渡すために騎士を呼び出した。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 一年が経ち、ギヴェン子爵の下に寄り親から面倒な手紙が届いた。

 内容をまとめると、クラウゼル家をどうにかしろ、というものである。

 クラウゼル男爵は爵位に見合わぬ実力のある貴族のため、たとえ中立派であっても、いずれ邪魔な存在になるかもしれないとのことである。



 ギヴェン子爵はため息を吐いて、どう動くべきか考えはじめた。



 ――――結果、選び取った手段はクラウゼル家を嵌めるというものだ。



 長い時間がかかるものの、英雄派が手を出したと疑われることもなく、更にクラウゼル家を英雄派に引き入れることができるかもしれない策だった。

 そのために彼は、時間をかけてとあるエルフと協力関係を築く。



 名を、イェルククゥというエルフの罪人だ。



 縁を持てたのは本当に偶然だった。

 ギヴェン子爵の騎士がその領地を飛び出し、遠くの冒険者ギルドへ足を運んだ。

 そこではギヴェン子爵の手の物であることを隠し、クラウゼル家を貶めるための戦力となる冒険者を探していたのだ。



 しかし、普通ならそう簡単に見つからない。

 簡単に見つかっても、信用に値するのか疑問なくらいだった。



 けど、イェルククゥはギヴェン子爵の騎士と接触した。

 それは偶然にも、その騎士の命を狙ったイェルククゥが興味を抱き、話を聞かせろと言ったから。

 騎士は命惜しさに情けなくも自身の素性を明かしたのだが、これが正解だったのだ。



「子爵殿、私は殺しが好きだ」



 騎士は命を助ける代わりに子爵の下へ連れて行けと脅されて、素直に従いイェルククゥをギヴェン子爵の下へ連れ帰った。

 そこで、イェルククゥがこのように言った。



「幼い頃に虫を踏み潰したとき、何とも言えない快感を覚えた。しかしすぐに興味は薄れ、小さい動物たちを殺すようになった。だが、それもすぐにつまらなくなり、私は同族の子供を手に掛けた」



 はじめて達したとき以上の快感を覚えた、彼はこう言う。

 いつしか自分は「人を殺すために生まれたのだ」と思うようになり、それだけに意義を見出すようになる。

 目的なんてない。ただ殺したいだけ。

 この想いを語ったイェルククゥに対し、ギヴェン子爵はニヤリと笑った。



「貴族に飼われての殺しに価値はあるのか?」


「恐らく、ある。私はそれを経験したことはないが、是非とも楽しませていただきたい。もっとも、報酬は貰うが」


「何が欲しい?」


「金を。後は情報が欲しい」



 イェルククゥは破格の金と情報を求めた。

 その情報は、彼の身体に刻まれた呪いを解く術である。

 悩んだギヴェン子爵は、帝国士官学院の学院長はどうかと提案するが、奴には目を付けられたくない、とイェルククゥは別の情報源を求めた。



「だから安心してくれ。私は子爵が情報を探してくれている限り、また報酬を渡す限り、子爵の下で仕事を請け負おう。その限り、私は裏切らずに働こう」


「……私の部下を脅してここまで来た者を、安易に信用できると思うか?」



 ギヴェン子爵はそう言いながら、言葉と裏腹に笑っていた。



「子爵は信用するさ。私がここで子爵を殺していないことがその証拠だ、とね」


「――――ああ。お前はここで私を殺し、金を奪ってどこかへ立ち去ることもできる強者だろう。だが、しなかった。それはもっと愉快なことを見出したからだ」



 二人は通じ合っていた。

 間違いなく、決定的に。



「英雄派の貴族様が殺し屋を雇うなんて、素敵な喜劇じゃないか」


「すべては必要な犠牲なのだ。レオメルに真の自由をもたらすためには、我ら英雄派が台頭する必要がある。そのためにも、障害になりえる存在は排除せねばならない」


「だったら、私にクラウゼル男爵を暗殺させればいい」


「それは駄目だ。あの男には価値があるから、殺すのは早計だ」



 そう言って、ギヴェン子爵は手を叩いて騎士を呼ぶ。

 やって来たのはイェルククゥに脅され、命惜しさにここまで案内した情けない騎士だ。



「お、お呼び……でしょうか……」


「ああ。仕事だ」



 その騎士は許されたのだと思った。

 仕事だ、そう言われたことに安堵して、ギヴェン子爵の傍に足を運び膝を折る。

 だが、つづきが告げられない。

 どうしたのかと思い、顔を上げたその刹那。



「イェルククゥ、これが最初の仕事だ」



 騎士の視界が揺れ、意識を手放す。

 絶命した彼は見ることはできなかったが、彼は首より上が天井に居たマナイーターに食われ、鮮血を滴らせる間もなく全身を食い尽くされたのだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 やがて、七大英爵家に二人の嫡子が生まれた。

 それから一年が経ち、更に二人の嫡子が誕生する。



 これには英雄派の貴族に留まらず、レオメルの臣民の多くが喜びの声を上げた。彼ら臣民にとっては貴族の派閥争いは関係なく、勇者と縁深い英爵家の後継ぎの誕生に歓喜したのだ。



 だが、同時に特別な存在がクラウゼル家に誕生した。

 後に名を轟かす聖女・リシアである。

 英爵家が立てつづけにもうけた嫡子による影響は、英雄派を大きく活気立たせた。

 けれど同時に、聖女・リシアの誕生によりそちらにも意識が向いたのだ。



 ――――ギヴェン子爵がとある発見をしたのは、この頃のことだ。



「イェルククゥ。確認だが、昨年の襲撃で失敗した村を預かる騎士の名は、何と言った?」


「うん? 確かロイ・アシュトンと言ったが、それがどうかしたのか?」



 ある日の夕暮れ、執務室で語り合っていた二人。

 一方のギヴェン子爵の手元には、彼が先日まで帝都で調べてきた、とある情報が所狭しと記載された羊皮紙が握られていた。



「冒険家・アシュトン……お前は恐らく、歴史から消されたのだな」



 その羊皮紙を握ったまま、ギヴェン子爵は愉しげに笑った。

 彼の言葉はイェルククゥの耳には届かなかった。

 しかし、ギヴェン子爵が笑っているのは見て取れる。



「楽しそうだが、いいのか? 面倒な聖女様の件が残されているというのに」


「構わんさ。幸い私は、予定になかった切り札を手に入れることができたからな」


「切り札……?」


「気にするな。だがお前には今日から、アシュトン家が預かる村を落とすべく、更に尽力してもらいたい」


「あの村にそんな価値があるとでも? 私には辺境の村以外の言葉は見当たらんのだが」


「大多数が――――いや、私以外の人間は皆そう思うだろうさ。しかし、私は違う。私にとってのアシュトン家は、金銀財宝よりも価値のある存在だ」



 イェルククゥは首を傾げ説明を求めたが、ギヴェン子爵は語ろうとしなかった。

 私だけが知っていればいい、ただこう口にするばかりである。



「まぁいいさ。いずれにせよ、あの村を預かる騎士はそれなりにできる。ただのDランクでは、以前同様討伐されるのがおちだぞ」


「なら、ユニークモンスターならどうだ。Dランクの範疇であれば使役できるのではないか?」


「できる……が、」


「手間暇と金が掛かるのなら今まで以上に金を出す。だから、どうにかしてあの村を潰せ。だが、殺すのは現当主と夫人だけだ。先日誕生したとかいう息子だけは、何としても生かして連れてこい」



 何度考えても、イェルククゥにはギヴェン子爵の目的が理解できなかった。

 だが、雇い主はそれが正解だと思っているようだし、金についても約束された。

 それに今日までも封印を解くための情報収集に尽力してくれているし、眉唾はいくつもあったが、それでも試せる情報はいくつも提供してもらっている。



 だからイェルククゥも、ギヴェン子爵を信用して何も聞かない。

 二人の関係は以前と変わらず、ただの仕事仲間でしかなかったから。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 すべてが順調だった。

 結果が決まっている審判の支度も滞りなく進んだし、時間はかかったが、イェルククゥがシーフウルフェンを使役することに成功していた。



 やがて、その計画が実行に移された。



 アシュトン家の村は予定通り大火に見舞われ、ほとんどの村人が命を落とした。

 村を預かる騎士であるロイも命を落とし、薬師のリグ婆も命を落とした。ロイの妻にしてレンの母であるミレイユだって、重傷を負って意識が戻っていない。



 ただ、レン・アシュトンの確保には失敗した。

 この報告は、ヴァイスと戦って逃げおおせたイェルククゥから届いたものだ。



「子爵、よろしいのですか?」



 クラウゼルにある宿屋にて、ギヴェン子爵が余裕を失わずに言う。



「生きているのなら問題ない。それに、イェルククゥの報告によれば、奴らは間もなくこのクラウゼルに帰還するのだ。審判が終わり次第、レン・アシュトンとミレイユ・アシュトンの二人を我が領地へ連れて行けばいいのだ」



 ギヴェン子爵に尋ねていた騎士は、その理由が気になって堪らなかった。

 しかし、何度尋ねてもギヴェン子爵は教えてくれる様子がなく、ただ勝利を確信していることしか騎士には伝わっていなかった。



「そろそろ行くとしよう」



 これまで朝食を採っていたギヴェン子爵が立ち上がり、外套に袖を通して部屋を出る。

 付き従う騎士と共に宿を出て、外で待っていた別の騎士らと共に大通りに向かった。



 ――――その一団は、真っすぐ神殿に向かった。



 クラウゼルの民から敵意に満ちた視線を送られるも、まったく意に介することなく馬を降り、微かに笑いながら神殿に足を踏み入れる。

 一足先に神殿を訪れていたクラウゼル男爵に睨まれたが、これも気にならなかった。



「普段は奴の傍にいるという騎士、ヴァイスと言ったな。何故居ない」


「お忘れですか? イェルククゥが戦い、敗走させられた騎士でございますので、まだクラウゼルに戻っていないのではないかと」


「ああ、そうだったな」



 さして興味もなさそうに言ったギヴェン子爵の脳裏には、もはや勝利を収めた後のことしか思い浮かばない。

 彼にはレン・アシュトンを確保してから、すぐに忙しくなるという確信があった。

 やがて輝かしい未来を想像していたところへ、審判を担当する文官が現れて口を開く。



「お集まりの皆様。静粛に」



 文官は皆の注目を自分に集め、今日の日の審判がなぜ開かれるのか、クラウゼル男爵は何が問題でこの場に立たされることになったのか、などを口にした。

 形式的な説明が長々となされてから、午前の取り組みがはじまった。



 ギヴェン子爵はこの取り組みに対し、熱意や意欲をもって対応することができなかった。

 どうせ、結果ありきの審判なのだ。

 これが必要な段取りだから仕方なく足を運んだだけで、そうでなければ、こんな田舎まで足を運ぶ気すらなかったほどだ。



 ……しかし、彼は午後から気持ちを改める。

 思っていたよりも早く帰ったヴァイスやリシアが、レンのことも連れて神殿に足を踏み入れたからだ。



「レン・アシュトンは内気で弱気な性格だと聞いていたが、意外と芯は強いのだろうか」



 こう思ったのは、レンは憔悴しきっておりながらも、リシアに連れ添われてここに足を運ぶ力を残していたからである。

 父を亡くし、他にも大切な人や生まれ故郷を無くしたというのに、ああして歩けるだけで称賛に値した。



「確かあの少年は、剣より本を読む方が好きなんだったな」


「そのように聞いております。以前、冒険者を装って部下を派遣したところ、父が施す訓練についていけず、泣いていたとか」


「騎士の子だというのに、情けない話だ」


「しかし、根性はあるそうですよ。倒れても倒れても立ち向かい、涙を流しながらも父と剣を交わしていたらしく」



 ギヴェン子爵が眺める先で、レンはリシアに寄り添われている。

 それがまるで、姉弟のように見えた。



「なんだっていいさ。私の予定に変わりはない」



 確信していた勝利は決して揺るがない。

 こんな審判、さっさと終わってしまえばいい、と思って止まない。

 だが幸いなことに、午前ほど暇には感じなかった。同じ神殿内に座ったレンを見ると、彼を連れ帰ってからの未来に想いを馳せられたからだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 抜かりはないと確信していた。

 面倒な皇族派の横やりが入る様子もなく、悲願を果たせると思った。

 イェルククゥがヴァイスと戦って敗走したと聞いた際は驚いたが、生きているのなら上々であるとも思っていた。



「クラウゼル家は終わりだ。レン・アシュトンも私のものとなり、これからのレオメルは大きく変わる。――――すべては、私の手によって」



 ギヴェン子爵は宿の部屋で今日の審判を思い返した。



 もちろん言うまでもない。予定通りの流れだ。

 手回し済みの文官はクラウゼル男爵の反論に対し、その有能さを感じて止まなかったようだけど、結果は変わらない。

 罪が認められたクラウゼル男爵は、数日の間に帝都は移送される運びとなっている。



「誰かいないか。今日は機嫌がいい。酒の相手をしてもらいたい」



 彼が騎士に酒の伴をさせた経験は今まで一度もない。

 イェルククゥが相手をすることはあったが、それくらいだ。



「――――誰もいないのか?」



 幾分か大きな声で呼び、手も叩いて騎士を呼び出す。

 しかし、何の音沙汰もなかった。

 が、怪訝に思ったギヴェン子爵が腰を下ろしていたソファから立ち上がり、部屋を出ようとしたところで、



 ギィ……という軋む音を上げて扉が開いた。



「遅かったな」


「…………」



 なんだ、いるじゃないか。

 ギヴェン子爵は訪れた騎士の顔は見ず、代わりに傍にある窓の外を見た。



「こっちだ。夜景も眺めての酒も一興だぞ」



 クラウゼルの夜景は決して悪くない。

 街並みが帝都の民にも評判と言う意味が良くわかる。

 残念に思ったのは、いままさに雨が降りはじめたことで、雨が窓ガラスに打ち付けるせいで夜景があまり見えなくなった。



 気に入らないが、天気は仕方ない。

 そう、諦めたところで――――。



 天をつんざく雷鳴が響き渡り、客室の灯りがふっ……と消えた。



「魔道具の様子を見ろ。魔石か何かが外れたようだ」


「…………」


「わかったなら、早くやれ」



 ギヴェン子爵が騎士に指示を出すも、灯りは一向に付く気配がない。

 それどころか、背後にいたはずの騎士が動く様子も感じられなかった。

 そもそも呼び声に応じるまで時間が掛かったこともあって、上機嫌だったギヴェン子爵もとうとう怒りに駆られる。



「先ほどから何を黙って――――」



 声を荒げ、立ち上がろうとしたその刹那、だった。

 真っ暗闇の客間の中を、天空を駆けた雷光が一瞬だけ照らしたのである。



 ギヴェン子爵は、こうして目の当たりにした。



 窓ガラスの内側に移った、燕尾服み身を包んだ老紳士を。

 その老紳士のシャツが、真っ赤に染まっていたのを。



「か――――はァッ!?」



 一瞬、胸に奔った衝撃の後で熱を感じた。

 ヌルっと粘着質で、人肌の液体が喉を逆流する。

 瞼が重くなっていく中、彼は腹を貫く氷柱を見た。……また、ソファから床に崩れ落ちた際、自分を見下ろす冷酷な瞳に身体が震えた。



「きさ……ま……は……ッ」


「エドガーと申します。しかしながら、お見知り置きいただく必要はございません。当家としても、貴方はついでに手に掛けた程度ですので」



 かひゅ、かひゅ、と口元から息が抜けていく。

 徐々に痛みを感じはじめたギヴェン子爵は、身体が冷たくなっていくのを感じた。



「ギヴェン子爵、貴方が死ぬのは本当に偶然なのですよ」



 エドガーは言った。

 主のイグナート侯爵は一人娘を亡くして以来、レオメルを憎み、恨んでいると。

 その彼がレオメルを滅ぼすべく、まずは目障りな英雄派に手を出そうとしていたところ、ギヴェン子爵の不穏な動きを察知したのだ、と。



「ですが、お忘れなきよう。これは貴方のような小物を狙ってのことではなく、主が英雄派を調べていた際、ついでに貴方の情報が目に入ったにすぎません」


「こ……の……っ……」


「そして私は此の程、道すがら貴方を刺しただけなのです」



 視界が霞み、エドガーの声が遠くなっていく。

 もう、自分は死ぬ。

 自覚してしまったギヴェン子爵は、その言葉に恐怖を抱いて命乞いを試みるも、その声がまったく出てこない。



「ただ私個人としては、貴方のことは好きになれません。しかし気高い聖女様のお姿と、父を亡くしても気丈に振る舞うあの少年の姿には尊さを覚えました」



 すると、エドガーはギヴェン子爵に背を向けた。

 彼は燕尾服の懐から数枚の羊皮紙を客室に放り投げ、手元に付着した血液を拭いながらこの宿を去ってしまう。

 ……残されたギヴェン子爵は、その後ろ姿が見えなくなった頃には息絶えていた。



 ――――翌朝、宿の惨劇を聞いたクラウゼル男爵はひどく驚いた。



 ギヴェン子爵が殺されていたこともそうだが、その周囲に彼の不正を明らかにする資料が何枚も落ちていたからだ。

 最初は当然、クラウゼル男爵の関与が疑われた。

 しかし同時進行でギヴェン子爵の不正も調べられ、審判のために足を運んだ文官が汲みしていたことも明らかとなり、晴れて冤罪だったと公に知らされる。



 英雄派の貴族も余計なことは言うまいと、それ以上手を出してくることはなかったのだ。

 しかし暗殺者が判明することはなく、それから数年の間、クラウゼルの町では夜に出歩く者が少なくなったのだった。


 


 ◇ ◇ ◇ ◇




 クラウゼル男爵がギヴェン子爵と事を構えた件は、そのギヴェン子爵が何者かに暗殺されたことまでを含め、「クラウゼルの変」と呼ばれるようになる。



 それ以降、クラウゼル家の屋敷には幼い見習い騎士が住むようになった。

 剣の腕は褒められたものではないが、勤勉で努力家で、ヴァイスに何度打倒されても立ち向かう心の強さがあるそうだ。

 ……その少年はまだ目を覚まさぬ母のため、必死になって働いているのだとか。



 ――――また、同じく生活環境が変わった者がいる。

 イェルククゥと言う名のエルフだ。



「子爵、悪くない時間だったぞ」



 彼はそう言って、慣れ親しんだギヴェン子爵領を後にした。

 平原を馬に乗って進みながら、今後のことについて考える。



「クロノア・ハイランドはまずいが、故郷に戻り情報を得ることも叶わん」



 また一から情報を探さなければいけない、そういうことだった。

 骨まで侵食した呪いを解くのは、やはり容易ではないらしい。



「くくくっ……まぁいいさ」



 彼は手綱を引いて馬を走らせた。

 頬を撫でる風と、平原の香りが悪くない。

 血の臭いが混じっていれば尚いい、それを考えてニタァッと笑っていたら、もうギヴェン子爵との思い出は忘れていた。



「呪いを解く方法は、殺しを楽しみながら探せばいい。ああ、そうすればいいだけのことだろう? ――――なぁ、イェルククゥ」



 そう自分に言い聞かせたイェルククゥは、この四年後に命を落とす。



 当然、そんな予想をしたこともない。

 七英雄の末裔に敗北し、帝国士官学院が学院長、クロノア・ハイランドに命を奪われる――――そんな日が訪れることを、知る由なんてなかったのだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 最後までご覧いただきありがとうございます。

 早速ですが、本編二章の更新予定についてお知らせします。


 更新再開予定ですが、【クリスマス頃】です!

 

 活動ノートなどでお伝えしていた日より、若干遅くなってしまい申し訳ありません。その分楽しんでいただけるよう、一章に負けないボリュームで用意しておりますので、更新を再開した暁には、是非お楽しみいただけますと幸いです。


 また、近々告知できる情報も増えるかと思いますので、その際も是非ご覧いただけますと嬉しいです!

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