二章・クラウゼルでの日々
フィオナ・イグナート
七英雄の伝説Iでは、物語がクライマックスに近づくにつれて、帝都にて多くの事件が勃発した。
とある貴族が原因不明の死を遂げたと思えば、何かに恐怖を覚えた近衛騎士が第三皇子に牙を剥く。
連れ去られた第三皇子。そして連れ去ったはずの騎士の無残な遺体。
また、派閥を問わず襲われた高名な貴族は後を絶たず、栄華を誇ったレオメル帝都が、僅かな時間で混沌へと落とされた。
ある者はそれを、他国の侵略だと言った。
ある者はそれを、主神の怒りだと咆えた。
が、そうではない。
誰もが予想していなかっただけだ。
これが、たった一人の貴族による企てであることを。
これが、たった一人の貴族による宣戦であることを。
常識では考えられないほどの振る舞いのすべてが、復讐に身を駆られた男の犯行であることを。
主人公たちはまさかと思った。
だが、彼らはそれを確かめるべく帝都を離れ、とある大都市へと足を運ぶ。
――――その大都市を統べる貴族のことを、確かめるために。
しかし、そうなる可能性はもう残されていない。
レン・アシュトンという存在が、イグナート侯爵の未来をも大きく変えていたからだ。
◇ ◇ ◇ ◇
クラウゼルからおよそひと月の大地に、水の都と謳われる風光明媚な大都市があった。
白いレンガで造られた家々が立ち並ぶ街並みはいたるところに水路があり、舟を漕ぐ者の姿も観光客には評判なのだとか。
ほぼ円形の造りは海沿いにあった地形をそのまま利用しており、巨大な港も有名だ。
また、その荘厳且つ高雅な姿は、白い王冠と呼ばれてきた過去がある。
レオメル帝国を統べる皇族も幾度と足を運んだ、由緒正しき場所だ。
――――その大都市の名を、エウペハイムと言う。
先ほど、クラウゼルまでの距離を説明したところであるが、エウペハイムは帝都まで二週間ほどの距離にある。
そのため陸運に限らず、海運においても重要な側面があった。
つまり、エウペハイムを統べる貴族は有能でなければならず、周辺諸国に隙を見せない知恵者でなければいけない。
……だからこそ、
大都市エウペハイム。
現・統治者――――その名を、ユリシス・イグナート。青い艶を浮かべた漆黒の髪の美丈夫であり、齢三十五の若き貴族だ。
「やぁ、エドガー」
その彼は、クラウゼルに出向いていたエドガーを迎えた。
場所はエウペハイムの中心に位置する、小城と呼ぶにふさわしき大豪邸の庭園で。
「ただいま戻りました。主の方は……おかわりないようで」
「もちろんだとも! 今日はいい天気だろう? せっかくだから、英雄派にちょっかいでもだそうかなって思ってたところさ!」
すると、ユリシスは庭園に置かれた一席を見た。
彼はそのままエドガーを伴って席に着くと、エドガーにも座るよう促した。
が、使用人の自分が主人と共に座るなんぞ言語道断。帰宅して間もないというのに、彼はがんとして座ろうとしなかった。
「私と一緒の席は嫌かい?」
「申し訳ありませんが、私は執事ですので」
「つれないなぁ……どれ、だったら私が立つとしようか。それなら対等だし、構わないだろ?」
かと言って、主人を立たせるわけにもいくまい。
結局、エドガーは自分が折れることで同じ席に着く。
「クラウゼルでの話を聞きたいな」
「はい。ではご報告いたしましょう」
エドガーはクラウゼルで起きた出来事をつぶさに語った。
まずはギヴェン子爵が手引きをした文官に触れ、初日の審判から最後の審判まで触れる。つづけて帝都に連れていかれかけたところに触れ、レンとリシアが戻ったことに触れた。
最後には、二人がどう活躍したのかユリシスに語り聞かせたのだ。
「へぇ……それじゃ、本当に凄い少年だったのかい?」
「はい、間違いありません」
「それは、英雄たちの子と比べても?」
「私はそう感じました。きっと主も、レン・アシュトンは金には代えられない価値があるとお思いになるかと」
それを聞いたユリシスは屈託のない笑みを浮かべた。
ついでに、エドガーが例の黒い紙を渡してきたと聞き、その行いを讃える。
「いい話を聞けた。おかげで、陛下に対する苛立ちが少しは収まった気がするよ」
「……主、恐れながら、」
「言わないでくれよ。私だって分かってるんだ。陛下が素材を供与してくれなかったのは皇族のためだ、とね」
わかってはいる。
が、納得できるか別なだけだ。
「あの件は
けどね、と。
「たまに考えてしまうよ。フィオナが命を落としてたら――――私はどうしていただろう、ってね」
「それは……」
「私はクーデターを起こしてたかもしれないな。次期皇帝と謳われる第三皇子を暗殺し、レオメルの滅亡を願ったかもしれない。――――ごめんごめん、そんな顔をしないでくれよ」
エドガーはその話を聞きながら、緊張に頬を歪めていた。
語られる言葉のすべてが剣呑すぎて、常識であれば叶わないと知っていても、だ。
しかし、それはあくまでも常識での話。
目の前の席に座るユリシスは、それができる存在であるとエドガーは知っていた。
「……ですが、幸いでした。お嬢様の体質は、シーフウルフェンの素材がなくば、抑えられませんでしたからな」
ユリシスは神妙な面持ちで頷く。
すべてが、レン・アシュトンのおかげであると心に刻みながら。
「というわけだから、クラウゼル家とは仲良くしたいところだね」
「おや、アシュトン家ではないのですか?」
「正確にはどちらもだけど、ほら、貴族って面倒じゃないか。私がここでアシュトン家に手を出してしまえば、例の愚かな子爵と同じってわけさ」
「これは失礼致しました」
ユリシスが「いいよ」と陽気な声で言った。
「働きかけますか?」
エドガーの問いかけの真意は、クラウゼル家を派閥に引き入れるか否か、というものだ。
「クラウゼル男爵は寄り親が居らず、中立派の中でも
「やめてくれよ。そんな品のない振る舞いは英雄派と一緒だ。ただでさえクラウゼル男爵は皇族派寄りと思われかけてるんだし、下手なことは避けないと、恩を仇で返すことになるよ」
苦笑いを浮かべて肩をすくめたユリシス。
すると、二人の下に「お父様?」という声が届く。
間もなく、花の香りを連れて一人の令嬢が姿を見せた。
「エドガー! 帰ってたんですね!」
現れたのは、黒曜石を思わせる漆黒に、紫水晶を溶かし入れたような髪を揺らす令嬢だ。
腰まで伸びたその髪を春風に靡かせ、陽光を頬に受けて歩く姿は、妖精や天使と見紛う可憐さを漂わせている。
雪を欺く白い肌。目鼻立ちが整った容貌が、彼女を年齢以上に大人びて見せる。
その年齢はレンとリシアの二歳上。
あくまでも、神秘的な可憐さが早熟に見せつけているだけだ。
「おかえりなさい。クラウゼルはどうでしたか?」
凛と誇らしげな
「良き旅でありました。ですが、フィオナ様、」
フィオナとは、先ほどユリシスが口にした令嬢のこと。
その令嬢に対し、エドガーは勘気を恐れず進言する。
「前々から申し上げているように、我ら下々の者へそのような口調はおやめください」
「ふふっ、エドガーも知ってるはずですよ。私、お母様の影響でずっとこんな話し方なの。だから、そう言われても直せません」
「ですが」
「諦めてくださいね。だってもう、直しようがないんだから」
微笑みかけて言ったフィオナは、軽やかな言い方に相反して、奥底に決して折れない強い意志を感じさせる。
「お父様。私もクラウゼルへと出向き、レン・アシュトン殿へ感謝を伝えたく存じます」
「私もそうしたいんだけどね。ただ、クラウゼル男爵からは待ってくれって言われてるんだ。派閥も違うし、うちが侯爵だからどうしてもって感じでね」
「で、では、手紙ならどうでしょうか……?」
「いい案だと思うけど、今回はクラウゼル男爵の意向を尊重するべきだ」
「……そう、ですよね」
フィオナは残念そうに俯いてしまう。
レンに命を救われたフィオナには、その主君であるクラウゼル家に迷惑をかけることは避けたいという思いがあった。
でも、いつか必ず感謝の言葉を伝えたい。
フィオナは空を仰ぎ見て、主神エルフェンに早くその日が来るよう祈りを捧げた。
――――――――
本日より、一章と同じく毎日更新で進行して参りますので、是非、皆様の一日にこの作品を加えていただけますと幸いです……!
また、一つだけご連絡がございます。
『諸事情により、レンとリシアの年齢を三歳ほど引きあげさせていただきたく存じます』
予定では、レンがロイから剣を教わり出した頃を更に遅らせて整合性をとります。
いずれこのカクヨム内でも少しずつ調整していく予定ですが、現状はこうした事情の元、二人の年齢が三歳高くなったという形でご覧くださいませ。
調整後の例:レンがイェルククゥを倒した際の年齢は十一歳で、リシアは夏が誕生日のため十歳。
その他は特に変更点、調整箇所はございません。
急な変更で申し訳ないのですが、二章も楽しんでいただけますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
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