いい頃合いに届いた贈り物。
「な、なんで!? どこに行っちゃうの!?」
レンの返事に焦りを募らせたリシアが、慌てた声を発した。
彼女は木箱を抱えたままのレンに詰め寄ると、彼の腕をひしっと掴み、逃すまいと半泣きの瞳で彼を見上げる。
「それは……あまりにもお世話になりっぱなしなので……」
「そんなの気にしなくていいんだってばっ! だから引っ越しなんて止めて、これからもそのお部屋で暮らしてよっ!」
「駄目です。俺はあくまでもアシュトン家の者で、リシア様たちに仕える身ですから」
「っ……関係ないわ! だからお願い……戻ってよ……っ!」
リシアの瞳から涙が零れ落ちた。
まずい、とレンが焦りを募らせる。
いつしか周りには様子を伺う給仕や騎士の姿が散見されるし、しかも話しかけようとせずこちらを見守るのが何とも憎い。
仕方ない、そう思ったレンは特に近くにいた給仕に声を掛けた。
「すみません。旧館への行き方を教えてください」
尋ねられた給仕はぽん、と手を叩いた。
頬には喜色が浮かんでいる。
「あ、だと思っていましたよ」
「あれ? なんでわかったんですか?」
「レン様のご年齢や、今日までの振る舞いを拝見しての予想でございます。ご当主様が旧館の管理を考えてたことも存じ上げておりましたので、恐らくは……と」
そう言われると、わかりやすかったかもしれない。
苦笑したレンのことを、リシアが涙を拭い唖然としながら見上げていた。
「……ど、どういうこと? レンは村に帰ろうとしてたんじゃないの?」
「いえ、実はですね、」
レンがリシアに説明するのは、引っ越すことになった経緯の詳細だ。
まず、最初に抱いた悩みをきっかけに、少なくとも村の復興が終わるまではクラウゼルに住むことにした話をする。
つづけて、レザードに仕事を任されたことを告げた。
最後には諸々の問題があり、一人では家を借りられなかったという話を口にした。
「……色々と初耳なのだけれど」
別にレンは最初から嘘はついていなかったのだが、リシアの様子に驚くあまり、答えを口にするのが遅れていた。
これに申し訳なさを覚える中、そのレンをリシアはじとっとした目つきで見つめた。
「すみません。まだ不安定な状況だったので、もう少し間をおいてからお伝えするつもりだったんです」
「……へぇ、そう」
黙りこくったリシアは、何も言わずにレンの手を引いた。
それを見て、先ほどの給仕が言う。
「レン様、私はこれで」
「あの! 旧館への行き方はッ!?」
尋ねるも給仕は何も言わず、微笑みを浮かべて手を振った。
レンはレンで、リシアに手を引かれるままに廊下を進んでいく。
いつしか笑みを浮かべて見送る騎士や給仕たちが見えなくなったところで、レンは通ったことのない廊下に居た。
先を見れば、古びた扉がある。
(あ、これってもしかして)
黙っているけど、リシアが案内をしてくれているらしい。
それを証明するかのように、彼女はレンの手を引きながら古びた扉を開ける。
奥に広がっていたのは外へも通じる渡り廊下で、二人は朝日を浴びながらそこを進んだ。
「リシア様、この先にあるのが旧館ですか?」
「…………」
尋ねるもリシアは答えようとせず、黙ってレンを先へと誘う。
こうしていたら、元々はここが正門だったのだろうと思しき場所を通過して、長い渡り廊下の奥にたどり着く。
そこには、旧館の扉が鎮座していた。
リシアがその扉に手をかざすと、扉は勝手に開かれる。扉自体が魔道具なようだ。
(おお……すごい)
豪奢な内部は見事なものだが、扉を開けるや否や埃っぽさが極まった。
……これは掃除のしがいがありそうだ。
やはり、引っ越すのは掃除が済んでからにした方がいい。
が、内装はレザードに聞いていた通り上等だった。
「ここ、座って」
不意にリシアの手が離れ、彼女は玄関ホールに置かれた木製の椅子を指さした。
その椅子は丸テーブルを囲んでもう一脚置かれていて、リシアはそのもう一脚の埃を手で払いのけてから腰を下ろす。
レンが木箱を床に置いて椅子に座れば、対面のリシアはじとっと目を細めていた。
玄関ホールの天井を覆ったステンドグラスから降りる陽光が、彼女の端正な顔を照らす。
「ぜーんぶよ、ぜんぶ」
まだ涙の痕が残るリシアが、それはもう不満そうに口にしはじめた。
「私、何も聞いてなかったもの。……そりゃ、レンから見れば、まだ未熟な小娘にすぎないのは自覚してるわ。けど、ちょっとくらい信用してくれてもいいじゃない」
「す、すみません。すべて隠そうとしていたわけではなくて……ッ!」
リシアはわがままを言いたいわけではなかった。
ただ単に、自分が知らないところでレンが行動していて、何の相談もなかったことが悲しかったにすぎない。
だから彼女は、自分の言動にも情けなさを覚えていた。
面倒なことを言いたいわけではなく、迷惑を掛けたいわけでもない。
なのに、現にそんな言動をしていることが、更に彼女の心を傷めつける。
(どうしよう)
レンは自分ではそう思わないが、この件は誰かが悪いわけではないはずなのだ。
だが、レンはリシアにいつもの調子を取り戻してほしい。
そのきっかけを、どうにかして作れないかと考えていたところへ、
――――コン、コン。
いつも客間をノックするのと同じように、旧館の扉がノックされた。
誰かと思ったレンが席を立ち、扉に向かう。
「こちらに運んだ方がよいのかと思って参りました。こちら、レン様へのお届け物でございます」
扉の外に立っていたのはさきほどの給仕だった。
彼女は旧館の椅子に座りむすっとしたリシアを見て、仕方なそうに微笑む。
つづけて、レンを見て応援の眼差しを送った。
「俺に? えっと、ありがとうございます」
届け物と言われても、何のことか気が付けなかった。
だがレンはその届け物を手に、リシアが待つテーブルへ戻る。
「あのお店で何か買ったの?」
木箱に刻印されたマークを見て、リシアが何かに気が付いたらしい。
一方でレンも、あの店という言葉を聞いて気が付いた。
「はい。気になるものがあったので」
木箱の封に手を掛けて、手早くその蓋を開く。
中にあったのは、想像通りの白い服。
リシアへの返礼に購入した、清楚なワンピースが一着だ。
「よければ、受け取ってください」
「……私?」
「見ての通り、俺が着るような服じゃありませんよ」
何度目かわからないが、リシアがまたきょとんとしてしまった。
そのリシアへ、レンは受け取ったばかりの白いワンピースを差し出した。
それを広げて見たリシアは、小さな声で「可愛い」と呟く。
「はじめて仕事をした日の帰りに買ったんです」
いわば初任給で最初に購入したとも言える。
あの日は目当ての財布を買うのも忘れてしまったから、名実ともに最初の買い物だ。
「リシア様に服を送っていただいたので、そのお返しに俺も――――と思って」
それを聞いて、リシアは一瞬だけ肩を揺らした。
すると彼女はワンピースをぎゅっと抱きしめ、顔の下半分を埋めた。
「気に入らなかったら、また別の品を――――」「やだ。もう返さない」「――――気に入っていただけたのなら、幸いです」
リシアは徐々に上気していく頬を覗かせながら、今度は煌めいた瞳でレンを見上げて口を開く。
ワンピースを抱きしめた両腕にも、一層熱が込められた。
「……ズルい」
「すみません。物で許してもらうつもりじゃなかったんですが」
「違うっ! そうじゃないのっ! 色々急すぎて……それじゃ、心の準備も出来ないから……っ!」
言い方はどこか不満そうだけど、声色はその限りではない。
むしろ、機嫌がよさそうに見えてくる。
そのことに気が付いたレンがほっと胸を撫で下ろし、唇の端をふっ、と緩ませていると、
「……別に、機嫌が直ったわけじゃないんだからね」
リシアは隠しきれない喜色を孕んだ声で言ったのだ。
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