聖女との時間も忘れずに。

 帝都大通りにある、カフェのテラス席。

 


「ごめん、遅くなった」



 やや息を切らしてやってきたレンが、生垣に囲まれた一席に座る少年に謝罪した。

 一足先に座っていたのは、彼の親友であるラディウスだ。



「気にするな。見事に三分前じゃないか。それに一人でも案外楽しく過ごせていたし、謝ることはない」



 レンはそれが気遣いの言葉だろうと思っていた。

 けれど、彼がラディウスの対面に腰を下ろしてから、



「休日の大通りを眺めているのも悪くない」


「へぇ、どうして?」


「雰囲気を楽しめているということだ。最近は特に臣民のことを意識する機会が多くてな」


「それは前からじゃなかったっけ?」


「前々からだが、最近はいろいろ、、、、あって特にということだ」



 いつものような、取り留めのない雑談から二人の会話がはじまった。

 よくある休日をこうして、年相応の少年同士で楽しむ。時折、生垣の隙間から見える大通りを眺めながら茶を嗜んだ。



「……ふわぁ」



 凛々しい顔立ちの第三皇子が見せた、ちょっとした隙がレンの興味を誘う。



「珍しいじゃん。ラディウスが外で眠そうにしてるなんて」


「今朝は早起きだったからな。野暮用があって、戦神の神殿に行ってきたのだ」


「ラディウスがあの神殿に?」



 レンはまだ足を運んだことがない。しかし、どのような場所なのか剣王を目指す彼はよくわかっている。

 ラディウスがあそこに行くなんて珍しい。

 興味を抱いたレンと、彼が何を考えているのか理解しているラディウスの視線が重なった。



「野暮用だ」


「お、おお……そっか」



 これ以上教えてくれる様子はなさそうだから、レンは素直に身を引いた。

 ケーキを頬張ったレンが甘さに頬を緩めた。



「ああそれと、石板を見てきた。いつかレンの名が刻まれるのを期待してな」


「っ……けほっ! けほっ!」


「そんなに驚くことか。忙しないぞ」



 あまりにも唐突な言葉にレンがむせてしまい、何度か咳をしてからラディウスを見る。驚いた表情である。

 


「いきなり何を言ってるのさ!」


「どうした、剣王になると決心したのではなかったか?」



 レンは決意したことをすでに話していたため、ラディウスが首をひねって口にした。

 


「……してるけど、いきなりだからびっくりしただけだよ」


「ふむ、臆したわけではないようだな」


「――――そりゃね」



 そう言ったレンの瞳には、確かな決意が見える。

 ラディウスもその決意を疑っているわけではなく、茶化しただけだ。

 決意は揺るがず、いまなら言葉にできる。



「なるよ、絶対に」


「ああ。楽しみにしてるとも」



 カフェで過ごす時間は終わり、二人は席を立つ。

 ラディウスは簡単にではあるが変装しており、人混みで溢れかえった大通りではバレることがなさそう。

 護衛はというと、手を打っているそうだ。

 彼がそういうのならば、レンも気にすることなく隣を歩く。



 カフェを出て、目的もなく大通りを歩いていた。



「ラディウス」


「ああ、どうした?」


「前に相談したこと、今年中に相手の方を紹介してほしい」


「神聖魔法や神子についてのことだな」


「そ。エウペハイムにいるっていう人のこと」



 ローゼス・カイタスの騒動の後、レンはラディウスに相談していた。

 剣魔との戦いの際、リシアの身体に訪れた異変……

 言葉にしてみるのなら、たとえば天使化。彼女の背から現れた輝く翼と、彼女が無意識に放った聖なる力の数々が忘れられない。



「それでさ、紹介してくれるのってどんな人?」


「私の教師だった者だ。前に話した、私と共にアーネヴェルデ商会を立ち上げた者だぞ」



 頼りがいがありそうな人物だと、レンは心の底から喜んだ。



 レンは日が沈んで間もない、薄明の頃にラディウスと別れた。

 これから他に用事があるらしく、獅子聖庁が誇る長官エステルが直々に迎えに来たので、レンは城まで送る必要がなかった。



 ……秋になってからというもの、日が傾くのが随分と早くなった。

 ときにその空を見上げて、レンは帝都を歩く。向かったのは、通い慣れた帝国士官学院の前だった。



「レン!」



 校門の前に立っていたリシアの声。

 以前と変わらない、銀に紫水晶アメジストを溶かし入れたような髪を揺らす彼女は、その可憐さでいまも異性を魅惑してやまない。

 レンに向ける笑みは他と違い、瞳がきらきら輝いていた。

 彼女の隣には、英爵家が一つリオハルド家の令嬢、セーラ・リオハルドが立っている。



「すみません。お待たせしました」


「ううん。私たちもさっき終わったところだから」



 リシアとセーラの二人は今日、学院で補習を受けていた。

 当然だが成績が悪いからではなく、ただ単に必要だと思って受けていたにすぎない。

 レンはそれでも必要としていなかったから、ラディウスと会っていた。



「相変わらず仲がいいわね、二人は」



 七英雄の伝説においてはメインヒロインの座についていた彼女も、目立つ容姿をしていた。

 想い人こと、七英雄の伝説の主人公ヴェインとの仲はどうなることか。



「セーラったら、今更なーに?」


「しみじみそう思っただけよ。それで、レンはどうして補習を受けなかったの? リシアが受けてるのに珍しいわね」


「ああ、俺はラディウスとの約束があったんです」



 なので他に理由はない。

 たとえ先の試験でレンが満点を取っていたとしても、いまここでそれについて触れる必要はなかった。



 リシアとの帰り、少し寄り道でもと帝都を巡っていた。

 大通りを外れた路地――――特に治安が悪いわけではなく、時折、掘り出し物が見つかることもある露店街で、



「第三皇子殿下とどこに行ってきたの?」


「お茶を飲んだり、帝都をぶらついてただけですよ」


「ふぅん……お帰りになられるときは、エステル様がいらしたってところかしら」


「さすがリシア。わかりまし――――あっ」



 レンが濃い茶髪を揺らして呟いた。

 母に似た優しげな顔立ちに、珍しいものを見たと言わんばかりの表情を浮かべる。



「どうしたの?」



 隣からレンの顔を覗き込んだ聖女。

 何かに気が付いたレンの視線が向く先を見て、彼女も気になった。

 二人の視線の先には、巨大な鞄を担ぐ者が歩いていた。背丈は十歳のときの二人くらいで、おおよそ背負った鞄と体格が見合っていない。



 鞄は巨大も巨大、横幅2メイルもありそう。

 その人物は路肩に鞄を下ろし、その上に座り膝の上で頬杖をつく。

 薄汚れたローブと仮面のせいで、顔立ちは窺い知れなかった。



「すごいわね。ドワーフかしら」


「どうでしょうね。鞄の旅人、、、、は情報がまったくありませんから」


「? 鞄の旅人って?」


「そう呼ばれてるようですよ。すごく大きな鞄を背負った小柄な人がいるって、結構噂されていますから」


「へぇー……そうだったのね……確かにあの姿は目立ちそう」



 七英雄の伝説でも、そしてその世界がレンの現実となったいまも学生の間や巷でも噂の存在だ。



「リシアは聞いたことありませんか?」


「言われてみれば誰かが話してたような気もするけど……」



 鞄の旅人は期間限定でレオメル各地に現れる。いまは帝都に現れる時期だった。

 声から察するに恐らく男性。彼は大金を払えば特別なアイテム売ってくれる謎の人物である。どれほどの大金かというと、レンの手持ちでは足りないくらいだ。

 その人物の前に数人の冒険者が立った。



「鞄の旅人の店が気になるようだな」



 その呼び方は彼が自称するがゆえだ。

 鞄の旅人に話しかけられ、冒険者たちが言う。



「そのなりで、随分と大きな鞄を担いできたじゃないか」


「何か売ってるようだな。見せてくれよ」


「いいとも。俺の鞄には叡智と希望、それにロマンが詰まっているのさ。坊や、、たちが何か欲しいなら、対価と引き換えに手にすることができるぞ」



 どうだ、と鞄の旅人が問いかけていた。

 すると冒険者たちの様子が変わる。



「叡智と希望?」


「それにロマンって……こいつ、やばい薬でも売ってるんじゃないか?」


「話しかけておいてやばいとは人聞きが悪いな」



 途中から冒険者たちは商品を見る気が失せたのか、微妙な表情を浮かべて背を向けた。

 鞄の旅人はまったく意に介しておらず、やれやれと手を振った。



「レン、私たちも行きましょうか」



 気を取り直して露店街を歩き、雰囲気を楽しむ二人。

 二人が屋敷への帰路に就いたのは、もう一時間も帝都での時間を楽しんだあと。

 制服姿のリシアはその上に羽織ったコートの裾を揺らしながら歩く。この時間が終わることへの名残り惜しさが、可憐な顔立ちに見え隠れしていた。




――――――――――



 昨日、原作2巻が発売となりました!

 各所でランクインさせていただきまして、お手に取ってくださった皆様へ心より感謝申し上げます!

 1巻(電子版)は各所でセール中なので、引き続き併せてご検討ください!

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