レンらしく。

 自然とヴェインが誰よりも前を歩くようになった。

 泉までの距離はあまりなく、ゆっくり二分も歩けば到着してしまう。

 泉の手前、芝に膝をついたヴェインがゆっくりと手を伸ばすと、



「水が光ってる」



 泉を満たしていた水が、白い輝きを放ちだした。

 勇者ルインの末裔はその光を手で受け止め、彼の後ろに待つ六人はあまりの神々しさに驚いた。



 水が放つ光は徐々にヴェインの身体に吸い込まれていき、数十秒も経てばそれらの光は完全に消え去った。

 遂には、空から一筋の光が降り注いで、彼を包む。

 それまで以上に神々しい光景が、六人の仲間を驚かせていた。



 光が消えてから指先を水から離すも、ヴェインの指先は濡れていない。

 立ち上がったヴェインは左右の手のひらを同時に見て、強く握った。



 そして彼は、仲間たちを振り向いた。



「――――どうやら、そういうことだったみたい」



 まさか、とは何度も思っていた。



 冬にあった巨神の使いワダツミの騒動以後、自分でもあの聖なる力の存在を強く感じることが多く、遂には少しずつだが使えるようになっていた。



 いまこうして、明らかになったということ。

 勇者ルインの血を引く者は、ここに残されていた。



 ――――。

 数十分が過ぎても、彼らは言葉を交わすことなく通じ合った。

 七英雄の末裔全員が思い思いの時を過ごす。泉の前で水が風に揺れる様子を眺めていた。



 いつしか、一人が立ち上がってこの場を離れた。

 その者はカイトに一言告げてから、神殿へ向かっていったのだ。

 それを見てシャーロットが問う。



「カイト? あの子、、、はどうしたの?」


「神殿で祈りを捧げてくるってよ」


「それなら私たちも少ししたら行きましょうか。女神様にお祈りしてから帰りましょう」



 彼らが話して、数秒と経たぬうちだった。



『だ――――誰だ!』



 神殿の方から聞こえてきた少年の声。

 さっきまで、ここで一緒に休憩していた七人目の声である。

 誰よりも早く立ち上がり、駆け出したのはヴェインだった。



「行こう!」



 彼の声に応え、残る五人が一斉に立ち上がった。

 神殿まで疲れを伺わせないほどの勢いで駆け抜けて、石造りの階段をいくつか上った。



 開けた神殿の内部へ向かいながら剣を抜いたヴェインは、仲間に何かあったのかと強く警戒しながらその領域へ足を踏み入れた。

 先ほど声を上げた少年は神殿に入ってすぐのところに立ち、身構えていた。

 ヴェインは彼を守るように前へ出て、腰を落として様子を伺う。



 神殿の奥にある祭壇を前に立つ二人組を見て……特にその一方に立つ者を見て息を呑んだ。背を見ているだけで伝わってくる覇気と、心なしか見覚えのある後ろ姿に「え?」と声を漏らす。



 祭壇の前に立っていた人物が、ヴェインたちに顔を向けた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 古き地の蒼鹿はいまだ興奮状態にあったが、切り抜けられないまでではなかった。

 切り抜けたレンはラグナとともに、神殿があるこの場所を目指して足を進めた。

 上昇気流を用いて上へ向かえる道、あるいは上へまっすぐ伸びた植物の道もあって、いわゆる近道をしながらだ。



 ヴェインたちがやってきたのとは別の道から広場に入ると、泉に寄らず神殿の様子を見に来ていた。



 レンはヴェインを振り向いた。

 連休中、はじめてみた級友の姿は以前にも増して凛々しくなったような気がするし、前より自信に満ちた表情を浮かべるようになっているように見える。



「ヴェイン、強くなったんだね」



 レンはそう言い、穏やかな笑みを向けた。



「ああ……そうだといいんだけど……」



 ヴェインは短く答え、レンに近づく。

 ゆっくりとした足取りだった。



「俺なんかがそんな、って思ってもいるんだ。けど、俺があの勇者ルインの血を引いているのなら、きっと俺にも役目があるんだと思う。だから俺は、俺にできることをしていくよ」


「うん。俺もそれがいいと思う」


「だけどレン、どうしてそのことを? レンもここの泉のことを知ってたのか?」


「伝承のことなら、本で読んだことがあるからさ」



 ヴェインは他にもレンに問いかけた。

 どうしてここにいるのかという問いには、レンの隣にいる者に依頼されて仕事をしているとだけ。

 先ほど少年が驚いた声を上げたことについて問うと、



「ごめん。驚かせちゃっただけだと思う」



 苦笑したレンの申し訳なさそうな声。

 彼は先ほど声を上げた少年に顔を向けた。



「はじめまして。俺はレン・アシュトン。ヴェインの同級生だよ」



 相手は英爵家の人間なのだから、敬語を使うべきだっただろうか。

 いや、生徒同士は平等であるべきというクロノアの言葉もあるからこそ、それはあまりにも気にしすぎかもしれない。



 たとえここが校舎の外でも、先輩と後輩に違いはない。

 すぐにラグナも鞄の旅人として自己紹介し、彼がどんな仕事でレンと一緒に? と何人か驚いていたが、鞄の旅人が語ろうとしなかったから、レンも笑みを繕って茶を濁した。



「すみませんでした」



 先ほど驚きの声を上げた少年がレンに頭を下げる。



「僕はスコール・メルデーグです。つい驚いて声を荒げてしまいました」


「知ってるよ。あのメルデーグ家の嫡男だって。それとこっちも驚かせちゃったから、気にしないで」



 七英雄の一人に、シシル・メルデーグという神官がいた。

 偉大なる白魔法使いで、魔王討伐の旅の際には仲間たちの傷を癒したという。また魔王と戦う際にも聖なる力で存在感を示したとも。

 歴史に名を刻んだ聖者として、いまでは各地の神殿に彼の肖像画が飾られている。



 ここにいるスコールも力ある白魔法使い。背丈は彼の年代の平均くらいで細身。くすんだ茶髪。顔立ちの整った少年だった。



「アシュトンさん、貴方のことも聞いたことがあります」


「俺を?」


「父が言っておりました。白の聖女を守る素晴らしい騎士がいると」



 メルデーグ家の当主にしてみれば、白の聖女リシアを守る存在ということで気にしていた、といったところだった。



 だがリシアは現在、密かにエルフェン教と距離を置いている状況のため、そうした話を聞かされてもレンは少し複雑な気持ちにさせられてしまう。

 また自分も、ローゼス・カイタスの件がよぎって乾いた笑みしか浮かべられない。



「メルデーグ英爵にそう言っていただけて光栄だよ」



 レンはそれだけ伝えて、



「ヴェイン、用事が済んだのなら早く帰ったほうがいい」


「そろそろそうするつもりだったけど、何かあったのか?」



 指輪のことを気にしていたレンが告げる。



「魔物たちが興奮してる」


「それってもしかして、さっきの大きな音が?」


「そう。それも関係してるんだ」



 恐らく帰るときの戦いの音や鳴き声のことだろうとレンは思った。

 間髪入れることなく告げ、次に、



「ヴェインたちが来た道は安全だから、気をつけて帰れば大丈夫。落ち着いて下山して、魔導船に乗って帝都へ帰るんだ」



 事実として、ヴェインはリズレッドとすごい音がしたと話していた。

 理由を聞き道理で、と納得したヴェインは仲間たちと顔を合わせて頷き合う。



「レンもよかったら、俺たちと一緒に帰らないか?」


「俺は大丈夫。心配しないでいいよ」


「――――だけど」



 心配した表情を浮かべていたヴェインへと、



「一年次の子たちもいるんだ。俺のことは気にしないで」


「アシュトン先輩! リズたちの力を侮っているのですか!」


「侮ってないよ。だけど、ここに長居する必要がないことも事実だ」


「それは……そうなんですけど」


「それにヴェインだって、新しい力を得て間もない。ここで落ち着くより、魔導船の中で落ち着くほうがずっといいよ。きっと、帰りは楽だから」



 蔓などを伝って簡単に下りられる道がいくつもある。

 剛剣を扱う剣聖に言われ、ヴェインがとうとう首を縦に振った。



 すぐに仲間たちと踵を返すようにレンに背を向け、神殿の外へ向かって歩く。

 最後に彼はもう一度レンを振り向いて、レンと、その隣にいる鞄の旅人がこちらを見送っている姿を視界に収めた。



 ヴェインたちが完全に立ち去ってから、レンはラグナと泉へ歩を進めていた。



「洞窟では興味深いって仰ってましたけど、あんまりヴェインに興味があるようには見えなかったですね」


「近くで見れたからいい。特段、縁を持ちたいという気持ちはないからな」



 一度、間近で見てみたかっただけなのだろう。

 それにしても、途絶えたとされていた勇者ルインの末裔を目の当たりにして、話しかけもせずに様子を見るなどドライすぎる気もしたが。



巨神の使いワダツミの頃から噂は耳に入っていた。取り立てて話しかける必要もない」



 そのことも影響していたようだ。

 泉の前までやってきたレンは、水面を眺めながら密かに笑った。



(やってること、完全にレン・アシュトンだったな)



 いきなり現れては、核心を突くような言葉を告げて意味深に立ち去る。

 あるときは強敵を前に、、、、、、、、、、その場限りの味方とし、、、、、、、、、、て参戦することも、、、、、、、、

 先ほどの自分の振る舞いを思い返すと、すごく似ている気がした。



 二人もようやく休憩だ。

 泉の手前、さっきはヴェインたちが座っていた芝に腰を下ろした。

 穏やかな風に、泉の水面が揺れていた。



「せっかくだから水質を確かめたい。レンはゆっくりしてていいぞ」


「りょーかいです。じゃあ、遠慮なく」



 鞄からいくつかの魔道具を取り出したラグナが泉に近づき、水を試験管に入れたと思えば、何か数値を測り始めた。

 数分の休憩を経て、レンは何の気なしに立ち上がって泉の周りを見て回る。

 その際に彼は、物陰で水の魔剣を召喚してみた。



「勘違いじゃなかったのかな」



 見た目は変わらないが、手にしているだけでも以前より扱いやすい感覚だった。

 水の女神の指輪から少し魔力を吸収した、これが現実味を帯びている。

 それにはレンも、



「……勝手に吸うな」



 腕輪の水晶に向けて一言告げておく。

 まぁ、すべて駄目というわけではなかったのだが、自分が知らない間にされると驚いてしまうので、考えもの。

 とはいえ悪い変化ではないから、いまのは半分以上冗談なのだが。



 泉に戻ったレンは、まだ試験管を片手にしているラグナを見た。

 鞄の旅人はずいぶんと楽しそうに調査をしていた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




「え? レン君たちより先に行ってた人たちがいたんですか?」



 連休明けの昼休み。

 学院の屋上でそう口にしたのはフィオナ・イグナートだ。彼女はベンチに座るレンの近くの壁に背を預けて驚いていた。



 頷いたレンが昼食のパンを飲み込む。

 野菜や肉が挟まったもので、生徒に人気のパンだった。



 そうしてから彼はフィオナを見て「そうなんですよね」と答えた。

 フィオナの隣に立つリシアが後ろ手を組みながら言う。



「すごく貴重な品みたいだから、やっぱり売るつもりだったのかしら」


「どうするんですかね。売却する以外の使い道だと、俺がラグナさんと指輪を探しにいったことくらいしか思いつきませんが」


「ふふっ。同じ目的だったとしたら、とんでもない偶然ですね」


「俺もそう思います。伝承の品をほぼ同じときに探しに行ってたわけですしね」


「……だから同じ目的というよりは、別の目的があるんじゃないかしら? それこそ換金か、別の何かがあったのかも?」



 思いつくのは水の女神の力を用いるということなので、何らかの儀式に使うとか。

 七英雄の伝説にないイベント……もとい出来事はもう慣れっこでも、そうした場合は大抵、何か特別な意味がある場合が基本だった。

 ただの偶然で、別の冒険者たちが取りに行ったとはあまり思えない。



「レン君、レン君」



 フィオナがレンを呼んだ。



「魔王教が取ろうとした可能性はありませんか?」


「俺も考えたんですが、あいつらが聖遺物を集める理由がわからないんですよね」



 水の女神の指輪は自身が魔力で満たされない限り、あのクリスタルの中に姿を見せることもない。同時に神殿の前にある泉が水で満たされることはなく、それは数百年に一度のはず。



 だから、それ以前にはあの指輪が取られていなかった。

 原理と理由はわかるのだが、どうしてこの頃合いなのかはわからなかった。



「他には……英爵家に力を与えたくなかったから、とかかしら」


「ええ……集めるっていうよりは、リシア様が仰ることのほうがしっくりきますものね……」



 レンも確かにと思いつつ、



「後は、魔王教だけが知ってる使い方があるとかですね」



 レンの活躍で変わりつつある運命の中、魔王教があの指輪を欲する理由があるとすれば――――



(重要な使い道があるからか)



 それまで以上の力を蓄えるべく、水の女神の指輪を何らかの触媒にする、とか。考えられるとしたらその線だが、やはり情報が少なすぎてよくわからない。

 使い道があるとすれば、七英雄の伝説でも魔王教が取っていたはずなのだ。



(いや、もしかしたらユリシス様のことも関係してるのかも)



 七英雄の伝説ではユリシスが敵に回り、暗躍していた。

 たとえばそれが関係して、魔王教の行動方針にも違いがあり、七英雄の伝説では水の女神の指輪を取ることがなかったのかもしれない。

 また、魔王教が水の女神の指輪を調べ切れてなくて、探せていなかった可能性も。



 考えれば考えるほどわからない。

 レンがフィオナに顔をむけたまま言う。



「魔王教は以前も、エルフェンの涙とかいう聖遺物を盗んでましたよね」


「はい。だけど、あれも強い神性を持った液体だったそうですから、魔王教が何に使うのかよくわかってないみたいです」


「エルフェン教の力を殺ぐためだけに盗んだ可能性もあるので、さっぱりですよね」



 誰もが答えを見出せないまま、春の昼下がりが過ぎていく。



「誰が取ろうとしたのかわからないけど、調べるのは大変そうね」



 リシアの声に、レンとフィオナが苦笑する。



(とりあえず、できるところからか)



 まずはラディウスにも相談しておいたほうがよさそうだ。

 春の気持ちいい風が、三人の間を吹き抜けていった。

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