騎士の試験が難しいという話など。

 この春から、学院内ではヴェインのことが話に出る機会が多かった。

 ヴェインたちが連休中にウィンデアへ向かったという話から、連休が終わってからヴェインが漂わせる凛々しさ……レンも感じたヴェインの自信。



 連休前とあとで、より一層逞しくなったように見えるヴェインから、生徒たちも勇者ルインの血を引く存在という噂を真実なのでは? と思うようになりつつあった。



 レンはそれを、いいことだと思っていた。

 二年次の特待クラスの面々は一年次の頃と変わっていないが、何人もヴェインやセーラに話しかけて、興奮した様子を見せている。



 放課後になっても変わらなかった。



 そんな賑やかな光景を目の当たりにしたレンは小さく笑い、教室を後にする。

 用事があって席を外したリシアを待つため、少しの間、学院の中で時間をつぶさなくては。



「んー」



 廊下を歩きながら、気の抜けた声を漏らしながら欠伸。

 最近までウィンデアにいたから、こうした日常生活に戻ると落差に気が緩む。



 一階の廊下から通じる中庭への道を進み、背を合わせたベンチに向かった。

 ベンチとベンチの間には生け垣があって、反対側があまり見えないようになっていた。

 レンがそこで暖かな光を浴びながらゆっくりしようとしていたら、



「レンか?」



 後ろのベンチからラディウスの声が聞こえてきた。

 声を聞いたレンは生垣の横に立ち、ベンチに座っていたラディウスを見つける。

 ラディウスは手に本を開いてベンチに座っていた。



「それ、何の本?」


「偉人伝でも読もうと思い、先ほど図書館から借りてきたものだ」



 ラディウスの手元をのぞき込めば、レンも前に借りた本であることがわかった。

 しかしラディウスはこれがはじめてではなく、以前にも何度か同じ本を読んでいたそう。



「グリムドールの苛烈さは、逸話を何度読んでも心が震える」


「あー……確かに」



 以前、レンも図書館から借りてきて屋敷で読んだ。

 きっかけはカイトに勧められたから。

 レンがこの冬に手にした聖・グリムドール剣章の名の由来にもなった騎士、グリムドール。

 獅子王に仕えていた彼の情報が書かれた偉人伝だ。



「獅子王は剣技のみならず、魔法も常人と比較できない強さだったと言う。だが、盲目の騎士グリムドールは剣の技量において、獅子王に勝っていたという説もある」


「実際、どのくらい強かったんだろうね」


「さてな。もういない者たちと力比べはできんから、私にも想像がつかん」



 ラディウスは本を片手に、文字に目を滑らせながら話していた。

 レンを邪魔と思うようなことはなく、むしろ、こんなゆっくりとした放課後だからこそ有意義に思う。

 彼の手元をのぞき込んでいたレンは体勢を変え、反対側のベンチに腰を下ろした。

 それでも二人の声は簡単に届く。



「話は変わるが、ウィンデアでのことは私も聞いた。少し気になるな」


「ああ……ほんとにね」


「魔王教は以前も聖遺物を盗んでいたな。今回も何かの目的があって手に入れようとした可能性がある。それ以外の者が持ち出そうとした可能性もまだあるが、現段階でどちらか判断することは難しい」


「俺もそう思ってた。でも――――」


「でも、どうした?」


「……いや、何でもない」



 七英雄の伝説では違っていた。などと言ってどうするのか。

 説明のしようもないからこれ以上は告げられず、けれど無視できない状況に変わりはないからレンはラディウスと話をつづけた。



 代わりにレンは、いくつかの地名を口にした。

 直近で魔王教が現れそうな場所――――そう表現して。



「安心しろ。冬の騒動から、私たちも以前より多く戦力を派遣するようになっている。レンが言った地方にも派遣しているところだ」



 ラディウスがユリシスと手を組んでいるとこれほど頼もしいのかと実感したレン。

 


「そうでなくとも、魔王教のことは気になってるだろう。今度、私がどのように動いているかまとめた資料も送ろうか?」


「ん、ありがと」



 レンにはもう一つ、気になることがあった。

 七英雄の伝説Ⅱ、一章で動いていた敵の存在……魔王教の司祭、、

 一つ、いまのうちに動いておきたい。



「あのさ」


「うん? どうした?」


「たとえば俺がすごく気になることがあって、ラディウスに協力してほしいって言ったらどうなる?」


「協力する」



 まったく間をおかない、一瞬の返事だった。



「おお……話を聞いてからとは言わないんだ」


「言わん。それで、私は何をすればいいのだ?」



 彼ら二人がつづけて話をしていると、一階の廊下を歩いてきた二人組が、中庭にいたレンを見つけた。

 二人は遠慮がちに歩を進めてくる。

 レンとラディウスの相談事は一度ここで終わってしまう。ベンチに座るレンがやってきた二人へ顔を向けた。



「こんにちは、アシュトン先輩」



 はじめに挨拶してきたのはリズレッドで、彼女はぺこりと小さく頭を下げる。



「アシュトン先輩、先日は失礼しました」



 そう挨拶をつづけたのはスコールである。

 一年次の二人も授業が終わって放課後の時間を過ごそうとしていたのか、偶然、レンがいた場所を通り過ぎようとしていた。

 先輩と呼ばれることは若干背中がこそばゆいが、事実なのだから慣れるしかない。



「二人とも。もう授業には慣れた?」


「うぐっ……」


「アーケイさん?」


「……そ、それはそれです! どうせすぐに慣れますからねっ!」



 ちなみにラディウスは、いまもレンの後ろの席に静かに座っていた。彼らの邪魔をしないように。



 そしていまのリズレッドは何やらはっきりとしない言い方をしていたのだが、そこをスコールが補う。

 補うも、リズレッドにとっては不名誉な話なのだが、



「リズは最初の小テストで思いのほか点が取れなかったので、先代のアーケイ英爵にものすごく叱られたようです」



 先代ということは、リズレッドから見て祖母に当たる人物だ。

 彼女がばば様と呼ぶ女性のことで、魔法に限らず勉学に対しても厳しい。現当主をはじめ、アーケイの人間は誰も頭が上がらないのだとか。



 しかし、厳しいだけでなく人格者である。

 一族からとても慕われていた。



「スコール!? どうして言っちゃうんです!?」


「最初に言い淀んだのはリズだろうに」



 はぁ、と短くため息をついた、偉大なる聖者の末裔。

 話を聞くレンは二人の掛け合いに笑っていた。



「あーほら! 笑われたのはスコールのせいなんですからね! まったく……シャロといい、どうして英爵家は気遣いのできない人ばっかりなんですか!」


「シャロと僕を一緒にするな。少なくとも僕は間違ったことは言ってないぞ」


「く、くぅ~……正論がすべてに勝ると思っていそうな返事をして……そ、そうです! アシュトン先輩はどう思いますか!?」


「え? 俺?」



 たとえばここが七英雄の伝説なら……。

 レンは困ったように笑いながら後輩二人を見て、



 ・『メルデーグさんが言ったことも一理あるよ』

 ・『大丈夫。アーケイさんも次は頑張ればいいから』

 


 この二つを考えた。

 リズレッド・アーケイに寄った答えを口にするか、スコール・メルデーグに寄った答えを口にするかのどちらかだ。

 しかし、



(どっちも違う気がする)



 迷った挙句、レンは咳ばらいを一度挟んで、



「入学してすぐは誰だって忙しいから、アーケイさんもすぐに本来の力を発揮できると思うよ。心配しなくても大丈夫」



 どちらにも角が立たないように言う。

 するとリズレッドもスコールも納得した様子で頷いていた。



 これまで口を閉じ、邪魔をしないようにしていたラディウスがレンの背後で本を閉じる音を立てた。

 ベンチから立ち上がった彼が、レンの隣を歩き出す。

 生垣に隠されていた第三皇子が、リズレッドとスコールの視界に入った。



「レン、私はそろそろ行く」


「わかった。それじゃ、また今度」



 先日もレンの隣にいたラディウスを見て驚いていたが、リズレッドはまた同じように驚いて見せる。



「はふぁ!?」



 驚くリズレッドを楽しそうに眺めていたレンが、彼女が手元に数枚の紙を持っているのを見た。

 入学してすぐは各授業の説明をはじめ、敷地内の施設の説明をする催しなどが何度かあったはず。それが今日の放課後に行われているのだろう。



「二人とも、時間は平気?」



 レンがそう尋ねると、リズレッドが「わわっ!?」と令嬢らしからぬ声を上げ、スコールと慌ててこの場を立ち去った。

 見送ったレンが十数秒後に見たのは、入れ替わりでやってきたリシアだ。



「待たせちゃってごめんなさい!」



 リシアはそれからレンの元にやってくる。

 ベンチに座るレンが楽しそうに見え、それが気になり彼の隣に座った。

 月日が経つにつれて、二人が座ったときの隙間が狭まっている。その距離感が、どうにもじれったい。



 左右から軽く押してしまえば、肘と肘が簡単にくっついただろう。

 そうした善行いたずらをたくらむ女生徒が、ちらほらいるそうだが。



「どうしたの?」



 レンを見上げたリシアの吐息が、彼の肩にぶつかった。



「アーケイさんとメルデーグさんが来て、なんか賑やかでした」


「ふふっ、なーに、それ?」


「話によると、アーケイさんは小テストの点数が微妙だったみたいですよ」


「でも入学してすぐだし、落ち着いたらよくなるんじゃないかしら」



 他にも世間話をした。

 いつでも話せるような……それこそ、ここで話さなくてもいいことを、放課後の学院の雰囲気をひやかすようにつづけた。

 数十分ほどゆっくりして、立ち上がったところ、



「今日は獅子聖庁に行く予定ですし、そろそろ行きますか」


「ええ」



 レンが一足先に立ち上がり、遅れたリシアに手を差し伸べた。

 するとリシアは、その手を嬉しそうに取ったのだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 夕方、獅子聖庁で訓練をしていたレンが休憩中にリシアを見た。



「ほう! いまのを防ぐとはやるじゃないか!」


「いいえ! まだまだいけますから!」



 リシアは最近、エステルと一対一で訓練をすることが多い。

 きっかけはエステルの提案だった。

 レンに追いつこうとレンに負けじと訓練する姿に胸を打たれたようで、時間があれば必ずといっていいほど稽古をつけている。



『若いころの私も、夫を落とすために剣を磨いたものだ』


『エステル様の旦那様も、剣を学んでおられたのですか?』


『いや、夫は線が細くてな。剣を持たせようとすると嫌がられてしまう』



 ……とかいうやりとりが交わされたが、レンには秘密だ。



 一緒に休憩でもどうかと提案しようとしたレンだが、リシアが一生懸命に剣を振っていたから邪魔をしたくなくて、一人で訓練場を離れ回廊を歩く。

 すれ違う文官たちとも顔見知りで、挨拶をするのも慣れたものだ。

 


 外の空気を吸いに行く途中で、



「おや、レン殿」



 獅子聖庁の騎士が話しかけてきた。

 数人の騎士だった。彼らは全員、いつも身を包む漆黒の甲冑ではなく、黒く凛々しい騎士服に袖を通している。

 一つ二つの差はあっても、一人残らず胸元に勲章らしきものを多く添えていた。



「こんばんは。珍しいお姿ですね」


「先ほどまで騎士の会合があってね。獅子聖庁から私たちが参加してきたのさ」


「へぇー……だからだったんですね……。ついでにお伺いしたいんですが、皆さんの胸元にあるのって勲章ですか?」



 昨夏、獅子王大祭の実行委員を務めたレンは闘技場にて、獅子聖庁の騎士は将校級の試験を突破しないという話を聞いたことがある。

 それらの試験に関連した品が並んでいるのかと思った。



「いえ。これらはすべて章です」



 気になって聞けば、一人の騎士が胸元のそれを一つずつ指さして、



「これは正騎士となるための課程を修了した証で、こちらは帝国剣術の剣豪級に到達したことを示すもので――――」



 他には弓術の専門課程を終えた証や、皇族が遠出する際に馬車に同乗することが可能となる証。また、近衛騎士になるための訓練を終えたことを示すものに、将校になるための試験を突破したことの証もあった。

 どれも獅子聖庁の騎士になるために必要なものだ。



「獅子聖庁の騎士になるのって、そんなに段階を踏むんですか?」


「はは……そうなのですよ……」


「いまでも思い返せます。正騎士となるための試験ですら厳しかったのに、さらに上級の資格を得るときはどれほど血反吐を吐いたか……」


「近衛騎士課程もそうでしたが、獅子聖庁の試験は別格でしたなー……」


「ちなみに、どんな試験があったんです?」



 レンが興味本位で聞けば、目の前の騎士たちが引きつった笑みを浮かべて言う。



「内容は毎年違いますが、必ずと言っていいほど諸国の言語や各地の民族の文化、歴史が含まれた教養の試験がありますね」



 彼らが言うには学ぶべき範囲が広すぎて、試験勉強中に常識を破壊されることが常であるとか。

 教養と言えば許されるから、便利な言葉なのですよ……と一人の騎士が言った。



「座学といえば、軍略に関しても多いですが」


「しかし座学は些細なものです。机に向かって必死になればいつかは覚えられますし、近衛騎士課程と似通ってましたので。しばらくの間、目を血走らせて本の虫となればよいだけですしな」


「うむ……やはり、体力試験という名の理不尽な試験でしょう……」


「数か月にわたる最終試験では、世界各地の険しい自然や紛争地域での実地訓練を含め、我々を殺すつもりとしか思えない審査が行われますよ」


「自分は死んだと思えたところから本番です。幾分か気が楽になりますので」



 獅子聖庁の騎士は世界最大の軍事大国レオメルの中でも、さらに限られたエリートのみで構成されている。彼らは試験の内容を詳細に語ることは伏せていたが、試験の過酷さはレンにも伝わった。



 故に、胸元を飾る獅子聖庁に所属する証は命と同じくらい大切なもので、彼らにとって一番の誇り。

 レンがそんな珍しい話を聞いてから、



「そう言えばレン殿、イグナート侯爵とお約束が?」


「特にありませんけど、どうしてです?」


「外にイグナート家の馬車が停まっていたので、もしかしたらと思いまして」



 気になったレンは様子を見に行くことに決め、騎士たちと別れた。

 話に聞いていた通り、外には見慣れた馬車が停まっている。御者を務める老紳士エドガーがレンを見て、馬車の前に立って頭を下げた。

 すぐに馬車からユリシスが現れ、にこりと笑ってレンに近づく。



「急に来てすまないね。ウィンデアのことを君から直接聞いておきたくてさ」


「そういうことでしたか」



 水の女神の指輪のこともあり、直接聞きに来たかったのだろう。

 レンはウィンデアでの出来事を隠すことなく告げた。

 ユリシスは時々、深く考える様子を見せながら何度も頷いて、レンが話し終えるのを待った。

 聞き終えたユリシスの口から一言。



「まだ魔王教が関係しているとは断定できないが、何事も多くのことを考えておくに越したことはない。何かあったら、すぐに連絡させてもらうよ」


「わかりました。俺も何かわかったらすぐにお伝えします」


「ああ。それじゃ、来て早々だが私は失礼するよ。また近いうちに会おう」



 馬車に戻ろうとしていたユリシスが不意にレンを振り向き、



「言い忘れていた! レムリアが無事に飛べるようになったと聞いて安心したよ!」



 彼は祝いの言葉を残し、今度こそ獅子聖庁を後にした。

 彼と別れてから、レンはリシアもそろそろ休憩するだろうかと思い中へ戻っていく。



 歩きながら、あることを考えて。

 ラグナの紋章付きエンブレムもひとまず落ち着いたからこそ。



「……また、会いに行ってみようかな」



 紋章付きエンブレムを探せと勧めてくれたルトレーシェに。

 話したいことはいくつかあるが、まずは探すべき紋章付きエンブレムがあれでよかったのか、答え合わせを。



――――――――――



 3巻が好評発売中&このラノにて、2巻と3巻が投票対象となっております!

 引き続き、どうぞよろしくお願いいたします……!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る