ある男の名前。

 剣の庭への道を歩くのは二度目だった。

 レンは道中、ルトレーシェがどうしてあんな助言をしてくれたのか気になった。彼女が何をどこまで知っているのかも、やっぱり気になる。

 どうせ教えてくれないと思うが、聞くことはいくらでもできるから。



 だが、アシュトン家のことを調べていると、同時にある時期のことも気になって頭に浮かぶことがあった。



 聖女リシアが何故、レン・アシュトンにより命を奪われたのか。

 レンがずっと考えてきた、彼の物語のはじまりとも言える出来事を意識せずにはいられない。ときには敢えて考えないようにしていたこともあったが、二年次の春にもなると強く考えさせられる。



 忘れるな、と。

 強く言われているかのようだった。



 橋を歩く自分の足音が、レンはおかしなくらい大きく感じた。

 しかし、心のざわつきに気が付いていないふりをしながら歩を進めつづけて、剣の庭へと足を踏み入れた。



 前に来たとき以上に緑が鮮やかな、春らしく美しい平原が広がっている。

 レンは以前と同じく、一本の木が立つ小高い丘を目指した。

 どれだけ待ってもルトレーシェが現れることはなくて、とうとう一時間が過ぎようとしていた。



 そりゃ、いつ来ても会えるわけもない。

 会えたらいいな、くらいの気持ちだったこともあり、レンは仕方なさそうに歩きはじめた。



「……結局、紋章付きエンブレムってラグナさんの依頼のだったのかな」



 レンは諦めて剣の庭を離れた。

 返事をくれる可能性は低い気がしたが、あとでラディウスに伝言を頼んでもいいかもしれない。

 ……数日後に伝言を頼むのだが、答えは予想通りだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇



 

 シャーロットとリズレッドの二人組だった。

 二人は休日の帝都で買い物でもしていたようで、両手にいくつかの紙袋を持っている。

 剣の庭を離れ、大通りを歩いていたレンが彼女たちを見つけると、



「あらら?」



 シャーロットもレンの姿に気が付き、彼に微笑みかけた。

 次にリズレッドも気が付いて手を振ってきたから、軽めのあいさつをしていこうと思い立ったレンが二人に近づく。



「お二人は買い物ですか?」


「ええそう。この子ったらまた春服を買ってなかったから、ちょっと遅いけど買いに来てたのよ」


「……おかしいですね。アシュトン先輩の前で私の瑕疵が明かされるのは、これで二度目な気がします」


「いいよ。それはそれで微笑ましいと思ってるから」


「あぐぁ……」



 妙なうめき声を聞いたレンが笑う姿を見て、シャーロットも呑気に笑っていた。

 彼女たちが持ついくつもの紙袋には、春の服をはじめとして、気になって購入した品がいくつも入っていた。



 当たり前だが、服によっては仕立て直す必要がなくその日のうちに持って帰れた。

 貴族といっても少女たちだ。平民の子と同じように大通りへ遊びに行くような日があれば、いまみたく買い物をするときもあるだろう。



「五月になったら大きなパーティがあるでしょ? リズはそのときに着る衣装も買ってなかったのよ。アーケイのばば様にお願いされたから、私がこうして城下町に連れ出してたのよね」


「五月……ああ、そういえばありましたっけ」


「この子、そのときに着る服がなかったのよ」


「ありますけど! ちゃんと何着か持ってますけど!」



 リズレッドが食い気味に異を唱えるが、シャーロットが冷静に、



「昔のでしょ。毎年ちゃんと買いなさいって言ってるのに、出不精なのか買い物に行きたがらないのよね、この子」


「はぁ……シャロは何を馬鹿なことを言ってるんですか? 毎年ちゃんと新調してますが?」


「魔法の訓練用の衣装の話だったら、どうしてあげようかしら」


「……それはさておき、あまりサイズが変わってないのに、新しいドレスを買う必要なんてありません。お金の無駄です」



 図星を突かれたリズレッドが話を逸らす。

 そちらもそちらで、シャーロットが言うように古くなっているだろうに。

 着飾ることが義務とは言わないが、貴族として年齢相応のドレスくらいはあるはずだ。



「ですよね、アシュトン先輩?」


「男の俺にそういう話を振らないで」


「無視しちゃっていいわよ」


「あっ! それは冷たいと思うのです! ただの小粋なジョークじゃないですか!」



 リズレッドは不満げながら、ふんす! と鼻息荒く腰に手を当てていた。



「いいじゃないですか別に……着慣れた服が一番ですよ。たくさん洗った布は柔らかくて気持ちいいんですからね。タオルとかその典型じゃないですか」


「部屋着もタオルも好きにしていいの。外で着る服のことよ。身だしなみの話」


「う、うぐっ……」



 リズレッドは手から力が抜けてしまったのか、買い物が入った紙袋が落としてしまう。

 彼女の手を離れる紙袋から、ばさばさと音がした。



「ああああああああ~っ!」



 見ているとやはりこの妹枠感というか、小動物感に和んだレンが苦笑を浮かべながら紙袋を拾うのを手伝った。



「ありがとうございます!」


「ううん。お気になさらず」



 そう言い優しく笑ったレンが会話を戻す。



「さっきのパーティの話ですが、その前に帝城会議がありますね」



 帝城会議。

 数年に一度だけ城で開かれる貴族の会合で、数多くの貴族が帝都を訪れる機会だ。

 先ほど話題に出た大きなパーティというのは、帝城会議の後で開かれるもののこと。

 重要な社交の場で、子爵のレザードも忙しいはずだ。



「パーティは皆さんで?」


「一応そのつもり。アシュトン君たちも参加するでしょ?」


「俺はまだ聞いてないんですが、恐らくそうなると思います」



 帝城会議ではヴェインのことが大きく取り上げられるだろう。英雄派が大いに賑わうことはいまから想像できる。

 ……想像できるどころか、確定的なわけなのだが。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 エルフェン大陸、某国。



 街道を進む乗り合い馬車に、その男は乗っていた。

 彼は窓の外から入り込む春の風を浴びながら、片膝を立てその膝の上に腕を置く。本を読んでいた。

 ページをめくるとき、心地のいい風に唇の端が緩んだ。



「お兄さん!」



 たった一人の乗客だった彼に、御者が外から話しかけた。



「もうすぐ――――の町だよ!」


「ありがとうございます。私はそこで」


「おう! もうちょっと待っててな!」



 馬車はもう三十分も進んだ先、男が目的としていた町の手前で停まる。

 御者が馬車の前方の窓から顔を見せれば、男はすぐに何枚かの紙幣を手渡した。



「ありがとな。また使ってくれ」


「ええ。素敵な旅をありがとうございました」



 外に出た男は暖かな陽光と心地のいい風を浴び、町へ向かう道を歩く。

 町の規模は大きく、たとえるならクラウゼルの倍以上。とはいえここはレオメルの町ではないから、単純な比較もまた難しかったのだが……。



 町の入り口には、巨大な灰色の城門があった。

 国を巡る冒険者のほかにも、旅行者などの来訪者の素性を確かめるための場所だ。

 男は門を見て、ゆっくりとした足取りのまま進んでいく。



 灰色のスラックスにシャツを着こなし、ジレを羽織った貴族のようにも見える姿だ。

 ジャケットを片手に、空いていた手には旅に使う革の鞄を持っている。



 歩く彼にそっと近づいた旅人がいた。

 旅人は男が持っていた鞄を預かってから言う。



オルフィデ、、、、、



 男の名だった。



「どうかしましたか?」


「水の女神の指輪についてお話が」



 悠々と。

 隣を歩く見知らぬ旅人と世間話でもしているように見えた二人組。

 オルフィデと呼ばれた男の眉が一瞬、揺れた。

 癖とも言える、眼鏡に手を添える仕草でその位置を整えた。



「つづけなさい」


「はっ」



 旅人は懐から折りたたまれた紙を取り出して、オルフィデに渡す。

 オルフィデは歩きながら紙を広げた。次にメガネのブリッジに手を当てて位置を整えた。もう一度そうしたのは、やはり癖のようなものだったから。



 彼は失望した様子で、

「面倒な」と、吐き捨てるように言った。

 旅人は――――いいや、魔王教徒はその声だけで極度の緊張状態に陥るも、歩きながら見た目だけは平静を保った。



「申し訳ありません。オルフィデ様のお手を煩わせるつもりはなかったのです」


「そうでしょうね。君たちは私の指示に従ってウィンデアへ行き、あの指輪を探してきたのですから。君たちの忠誠は疑っていませんよ」


「……はっ」


「私は君たちの働きぶりを称賛しておりますし、貶すつもりもありません」



 ですが、と。

 眼鏡越しに向けられた、鋭く冷たい眼光。



「この計画に失敗は許されない。そうですね?」


「――――はっ」



 魔王教徒の声を聞き、オルフィデが人のよさそうな笑みを零した。



「冬の間、私がレオメルに滞在していたことを覚えておりますか?」


「もちろんでございます」


「そのとき、私はあのお方とお会いしました。彼女は以前と変わらず、我らと行動をする気はなさそうでしたが、いつか気が変わってくださるかもしれません。そのためにも、この計画を失敗することは決して許されないのです」



 あのお方、彼女。

 この二つの言葉から、ここにいるオルフィデに近い魔王教徒は誰のことを指しているのかすぐに理解した。完全に雑兵のような教徒であれば、誰を指しているかわからなかったかもしれないが。



 魔王教徒はもう一度「はっ」と声を発し、



「偉大なる魔の王のために、身命を賭して」


「わかっているようでしたら結構です。では、準備をしなさい。追って私から連絡します。私もここでの仕事が終わり次第、すぐにもう一度レオメルへ向かいます」


「かしこまりました。では」


「ええ。またすぐにでも」



 魔王教徒は最初からいなかったかのように姿を消した。

 オルフィデは一人、門の前で行われている身分照会の場に臨む。

 やがて彼の番が訪れると、



「ギルドカードでもいい。身分を証明できる品を提示してほしい」


「申し訳ないのですが、手持ちにそのような品はございません」


「では立ち去れ。この町に入れることはできん」



 町を守る騎士に止められても、オルフィデは平然とした様子で歩いた。

 騎士たちにとって、無理やり町に入ろうとする者はただの犯罪者。たとえ整った身なりで一見すれば貴族に見えようとも、それは変わらない。強いて言えば、暴力に頼りきった手段は避けてしまうことくらいだった。



 一人の騎士が剣を抜いてオルフィデの前に立ちはだかる

 オルフィデは指をパチンと鳴らして「失礼」と涼しげに告げた。



「――――」



 地中から生じた黒い魔力の塊が腕のような形状に代わり、騎士の足元に纏わりつく。

 騎士はそのまま漆黒に飲み込まれ、姿を消してしまう。

 あまりの事態に周りの騎士も、旅人や住民も唖然としていたが、すぐに各所で悲鳴が上がり、騎士たちが一斉に武器を構えた。



「誰か増援をッ! 早くッ!」



 すると、彼らが増援を呼びに行くまでもなく駆けてくる者たち。

 その者たちを見て笑ったオルフィデが、



「素晴らしい。私は彼らを探していたのですよ」



 迫るのはこの町の騎士ではなかった。



 聖宮せいぐう騎士。エルフェン教が誇る精強なる者たち。

 銀聖宮で特別な剣の技、、、、、、を学び、魔法の術も磨き上げられた戦力で、一人一人が大国の近衛騎士にも勝る実力を誇った。

 いずれも主神エルフェンに仕える、純白の衣に身を包んだ騎士だ。



 ここにはいないが、レンも以前見たことのある騎士たちだ。

 獅子王大祭のとき、聖歌隊がローゼス・カイタスを訪れた際にいた騎士たちのことである。



 オルフィデは彼らが近づいてきても気にせずに歩を進めた。

 自然の風ではない刹那の揺らぎが、不意に。



「お会いしたかったのですよ、聖宮騎士の皆様」



 オルフィデの前後左右、上からも迫る影。

 聖なる魔法が、銀聖宮で打たれた聖なる武器が。

 魔王に与する存在への特効に満ちた攻撃の数々がたった一人に、優雅に歩くオルフィデの身体を貫いた。



「……挨拶もなしとは、悲しいものです」


「不要だ」


「穢れにする挨拶など、あるものか」



 光の槍が、美しい剣身が、聖水が塗られた矢じりが。

 首を、肩を、腹部を、足を、オルフィデの眉間を貫いていたというのにも関わらず、聖宮騎士たちの攻撃は止まなかった。

 


 不思議なことに、オルフィデはいくら身体を傷つけられようと一滴も血を流すことがない。

 それが、聖宮騎士たちを不気味に思わせた。



 聖宮騎士の攻撃はどれも勢いを増しつづけ、城門も圧でヒビが入ってしまう。

 周りの人々は町の騎士の声に従って、すぐさま避難していた。

 数ある魔法の威力と武器による圧で石畳が敷かれた地面も沈み、沈んだ窪みに光が落ちた。

 真夏の陽光よりも眩い光の塊が、オルフィデを包む檻だった。



 聖紋術式。

 以前、エレンディルの大時計台を襲ったエルフェン教の元司教、レニダスが用いたもの。いま使われたのはその一種。

 聖宮騎士たちはそれを、レニダスと比にならない練度が生む破壊力と浄化の力で用いた。およそ、三十人という人数で。



 光は止まなかった。



 超高熱。磨き上げられた浄化の力。

 光が落ちた窪みの下で、オルフィデは――――



「素晴らしい。この私を二度も殺すとは驚きました」



 光に全身を包まれながら、苦しむ様子もなく声を上げた。

 一人の聖宮騎士が、光から漏れ出した漆黒の魔力に飲み込まれる。

 別の聖宮騎士がオルフィデを仕留めようと剣を構えたところで、漆黒の棘が光の中から生じて胸を貫かれた。



 まだ、多くの聖宮騎士がいた。

 光は遂に闇に飲み込まれ、オルフィデの姿が戻った。

 上半身を覆っていたシャツは灼き尽くされ、彼の細く引き締まった身体つきを衆目にさらす。



 しかし、彼の服が瞬時に治っていく、、、、、

 まるで皮膚が再生するように、直るではなく治っていた。



司祭、、め」



 ある聖宮騎士が忌々しく言えば、「おや」と微笑んだオルフィデ。



「私をご存じだったとは光栄です」


「そんなの当たりま――――」


「ですが、あまり意味はなかったのかもしれませんね」



 聖宮騎士が何かを言い終えるより先に。

 司祭、そう呼ばれたオルフィデの姿が一瞬消えたと思えば、彼の腕が聖宮騎士の胸を背後から貫く。

 硬い鎧を着ていたはずが、まるで意味を成さなかった。



 オルフィデはすぐに腕を抜くと、空いていた手でメガネの位置を整えながら歩く。



「エルフェンが生み出したすべてを殺しましょう」



 この町の奥に見えた神殿に目を向けて、



エルフェンを信じる者、君を信じない者もすべて殺します。何も知らない無垢な子だって手にかけて差し上げます。すぐに君の下に召されるだろう老人たちも、私が代わりに手を下したって構わない。そうでない人々も、やはり私の手で殺めて差し上げましょう」



 オルフィデのシャツを濡らす赤い血は一滴もない。彼のシャツは常に純白で、おろしたてのようだった。

 残る聖宮騎士たちを前にオルフィデは、



「私は本日、聖遺物をいただきに参ったのですよ――――エルフェン教の皆様」



 この日、エルフェン大陸のとある国で、大きな町が一つ消えた。

 神殿に保管されていた聖遺物は、一つも残されていなかった。



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