雪がすごいという話。

 しかしカイは諦めなかった。

 彼はレンの腕を借りるべく、慌てた声で譲歩する。

 両手を目の前で合わせ、頭も下げる徹底ぶりだ。



「な、なら行きだけでいい! 往復と言わず、片道だけでも参加してくれりゃ助かるんだが……ッ!」



 必死な引き留めには申し訳なく思うし、腕を買われていること自体は光栄に思う自分もいたけど、やはりレンは首を縦に振らない。



 仮に片道の同行だろうと、単純計算で二週間と数日は要する。

 どう考えても、旧館の管理を任されたレンには向いていない仕事だ。

 だからレンはもう一度断ろうとしたのだが、



「そんな説明じゃ、英雄殿も承諾してくれるわけないだろう? もっと詳しく説明するべきだ」



 今度は狼男が口を開き、至極まっとうな言葉を述べてカイを後押しした。

 白い犬歯を見せて笑った狼男の横で、カイは短くため息を吐いた。



メイダス、、、、の言う通りだな」


(メイダス?)



 突然聞かされた名前に首をひねれば、狼男が笑う。



「私の名前さ。まさか、こんな流れで二人とも自己紹介をすることになるとはね」



 狼男ことメイダスは自嘲気味に笑い、「よろしく」と言ってレンと握手を交わした。

 そしてカイの脇腹を肘で小突く。



「この男はいつもこうなんだ。言葉足らずと言うか、説明不足と言うか……大雑把すぎるぞ、と常日頃から注意してるんだよ」


「なっ、おい! わざわざ言わなくてもいいだろ!」



 仏頂面を浮かべたカイがテーブルの上に頬杖を突いた。

 カイがつまらなそうに「ったく」と愚痴を漏らせば、それを見たメイダスが仕方なそうに笑った。

 


「茶々を入れるコイツのことは忘れてくれ。で、内容についてだが、こんな感じの経路で進む予定になってる」



 用意した地図の上にカイが指を滑らせる。

 その経路は、レンにも覚えるのある経路だった。以前、リシアやヴァイスをはじめとした騎士と村々を巡った際、まったく同じ経路で進んだばかりだ。



 違う点は、一つだけ。

 カイの指先は地図上で止まることなく北へ向かい、バルドル山脈を横切った。

 ふと、レンの眉が一瞬だけ吊り上がる。

 


「バルドル山脈までなら戦力はそういらねぇ。だが、バルドル山脈に入ってからは道も悪ぃし、冬だし、魔物の数も増える。ってわけで英雄殿には、このバルドル山脈での戦力になってほしいんだ」



 レンは安請け合いしなくて正解だったと強く実感した。

 ここに来てバルドル山脈とは、思いもよらぬ依頼である。

 


(余計に駄目だなー……)



 当然、答えは変わらない。

 だが正直なところ、隠しマップにある財宝などはもちろんのこと、確定で一匹現れる鋼食いのガーゴイルを思えば足を運びたい。

 とはいえ、やはり首を縦に振ることはなかったのだが。



「今年は寒さがすごいと聞きますけど、大丈夫なんですか? ――――というか、こんなときにわざわざバルドル山脈を通るって、どうなんでしょう」



 自殺行為にすら思える。

 レンは自分が御用商人なら絶対にバルドル山脈は避けると思いながらも、カイの返事を聞き、少し納得できるところもあった。



「そりゃ、俺だってどうかと思うぜ。だが商人曰く、品物を貴族に届けるってんでどうしてもって言われてよ。金も随分と弾んでくれてるから、悪くない話だ。無事に送り終えたらボーナスもあるぜ」



 御用商人も貴族との関係を保つべく必死なのだろう。そこへ金の臭いを嗅ぎつけた冒険者がかかわるなら、別に不思議ではない。

 するとカイは手元の紙に数字を書いた。

 見れば、随分と羽振りのいい話である。



「どうだ? 英雄殿にとっても悪い話じゃないだろ?」


「そう……だと思うんですが」


「やっぱ、難しいか?」


「はい。バルドル山脈内での護衛もあるのなら、やはり相応の日数がかかると思います。天候も考えれば殊更です。……俺はクラウゼル家に世話になってる身なので、今回は辞退させてください」



 すると、カイは諦めた様子で項垂れる。

 テーブルの上に突っ伏した彼は何度もため息を漏らし、脱力しきった身体から情けなさを醸し出した。



「……だよなぁー」


「仕方ないさ。ダメ元って決めてただろ?」


「す、すみません……」


「ああいや、気にしないでくれや。――――実はそこのメイダスも別の仕事で参加できないってんで、信用できる奴を連れて行きたかったんだ。他の知り合いも当たってみるさ」



 カイが言うには、常にメイダスと活動しているわけではないそうだ。

 互いに別の依頼を受けることもあって、別行動になるのも珍しくないそう。



「本当にすみません。せっかくお声がけいただいたのに」


「いいっていいって! 仕事がはじまるまで二週間近くあるし、一人くらいすぐに見つかるだろうしな!」


「おー、意外と時間が開くんですね」


「ま、護衛される商人たちの予定次第だしな。こっちとしてはさっさと行って、さっさと帰りたいとこだが、文句を言っても仕方ねぇ」



 それにしても、冬場のバルドル山脈は過酷な環境になりそうだ。

 特に今年は寒さが厳しく、雪だって当然のように猛威を振るうと予想されている。



 でも、そんなことはカイも知っているはずだ。

 夏には相棒のメイダスがクラウゼル領の村々を巡り、冬の備えに魔道具などを運んだそうだし、今冬の厳しさはいくらでも話を聞いているだろう。



「せっかくギルドまで来てくれたんだ。俺が奢るから、酒でも飲んでいってくれよな!」


「……まだ子供なので、ジュースでお願いします」



 そういえば、レオメルにおける成人は十四歳だったっけ。

 届いたジュースを飲みながら、レンは「俺も成長したもんだ」と呟いた。




 ◇ ◇ ◇ ◇



 

 冬場の狩りはどうしようかと思ったけど、レンには旧館を出て狩りに出られるほどの余裕がなかった。

 旧館の管理人として、冬には冬の仕事で忙しなかったからだ。

 そのため、偶に町を出ても魔物の調査しかできなかった。



 ――――そんな、指名依頼を断ってから数週間後のある日のことだ。



 旧館の屋根が雪の重みに負け、一部崩落してしまうという事件が発生した。

 玄関ホールから見上げれば、空を仰ぎ見れるほどの大穴が開いたのだ。



「少年が住むようになったことで、旧館内の熱が屋根に伝わったのだろう。溶けた雪が凍り、更に降り積もった雪で重みを増したと言ったところか」



 この日の朝、騒ぎを聞きつけて足を運んだヴァイスが言った。

 彼は旧館の外から屋根を見上げて笑い、隣にいたレンは僅かに頬を引き攣らせている。



「普段から雪を降ろすようにはしてたんですが……」


「こんな日もあろう。昨晩は特に冷え込んだからな。一日でこうなってしまっても不思議ではない。――――それにしてもありゃすごい。また立派な穴が開いたもんだ」


「笑い事じゃないですけどね」


「まぁな。ともあれ、直さねばなるまい」


「職人さんを呼ぶんですか?」


「ん? ああ、呼ぶには呼ぶのだが、当家の大工仕事を担当している職人はクラウゼルに住んでおらんのだ。クラウゼル領には居るが、その村まで呼びに行かねばならん」



 それまで穴が開きっぱなしかと思うと、レンの頬が更に引きつってしまう。

 しかしヴァイスの心の中には、旧館の屋根を放置しておく気持ちはない。



「私たちで応急処置をせねばな」


「あ、そっか。そうすればいいんですね」


「うむ。職人ほどうまく直せなくとも、旧館内に雪が降ってはたまらんだろ? 雪が内部に降り積もっても困るし、住んでいる少年も寒いだろう」



 というわけで、ちょっとした大工仕事だ。

 ヴァイスは事情をレザードに説明してくる旨と、必要な資材を倉庫から取ってくると言ってレンの傍を離れた。



 すると入れ替わりにリシアがやってきて、レンの前で白い息を吐きながら言う。



「屋根を直すって、ほんと?」


「ですね。じゃないと、今度は旧館内部が雪でやられるかもしれませんし」



 リシアはくすっと笑い、軽い足取りで着ていた白いコートの裾を揺らした。

 また、夏の誕生日パーティ以来、毎日欠かさず身に着けている髪飾りも静かに揺れる。

 それは少しずつ大人びてきたリシアの髪で、確かな存在感を放っていた。 



「もちろん、屋根の上に行くのよね?」


「ええ。じゃないと直せませんし」


「じゃあ――――」



 白金の羽に劣らず煌めかせた笑みを見れば、彼女がつづけて何を口にするつもりなのかわかってしまう。

 レンは食い気味に口を挟み、つづく言葉を制した。

 


「駄目ですからね」


「――――まだ何も言ってないわ」



 聞かなくてもわかってる。

 リシアのことだし、興味を持たれた時点で想像できた。



「屋根の上に上るのは駄目ですよ。見学程度なら大丈夫ですけど、それだって雪や資材が落ちる可能性があるので、レザード様かヴァイス様に了承を取ってください」


「……ケチ」


「……ははっ」



 何と言われても折れる気はないぞ。

 レンは乾いた笑みを漏らして目を反らした。

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