寒くなってから【後】

 フィオナは自室に居なかった。

 その代わり、クロノアとエドガーの二人が屋敷を歩いていると、廊下の先からその姿を見せる。



「クロノア様っ!」



 小走りになったフィオナの胸元で、銀色のチェーンに漆黒の宝石があしらわれたネックレスが揺らぐ。

 彼女はクロノアの前で足を止め、「お久しぶりです」と淑やかに言った。



「急に来ちゃってごめんね」


「いいえ、またお会いできて嬉しいです。それで……今日はどうされたのですか?」


「もっちろん、フィオナちゃんの調子を診に来たんだよっ!」


「もう……ほんとに調子が良いんですから。私、クロノア様はお父様たちと楽しくお話なさっていたって聞いておりますよ」


「……お話も大事ってことかな」



 言い終えたクロノアが苦笑して、その様子にフィオナが笑った。

 するとクロノアは、フィオナの首元に手を添える。そのまま目を閉じると、手元の感覚を研ぎ澄ます。



 その手から伝わる、人肌とは違う仄かな暖かさがフィオナには心地よかった。

 彼女はその暖かさに身を任せ、穏やかな呼吸を何度も繰り返した。



「うん。もういいよ」


「大丈夫……でしたか?」


「もう薬が無くても大丈夫。フィオナちゃんの身体も成長してるし、前みたいなことにはならないはずだから、安心して」



 クロノアはそう言ってフィオナの頭を撫でた。

 すると、人差し指を立てて「でも、」とつづける。



「人の悪意には気を付けるようにっ! 誰かが人為的に、フィオナちゃんの特別な力、、、、を暴走させることをできるかもしれないからね」


「そ、そんなことができるのですか!?」


「んー……多分」



 慌てたフィオナの前でクロノアは緩い笑みを浮かべる。

 いまのは別に、確信をもって述べられた言葉ではなくて、あくまでも注意喚起の言葉だった。

 フィオナもそれを知ってか、仕方なそうに微笑んだ。



「もうっ! 驚かさないでくださいっ!」


「あ、油断しちゃダメだよー? 魔王が討伐されて久しいけど、その魔王のような存在が現れるかもしれないもん。そうなったら、ボクたちに想像できない方法で悪いことができちゃうかも!」


「それですと、私だけの問題ではないような……」


「たははっ……うん。実はその通りなんだ」



 やはり、注意喚起をしたかっただけ。

 だが、フィオナにとってクロノアの言葉は福音が如く力がある。

 フィオナは半ば冗談の言葉を交わし合いながらも、いまの忠告を心に刻み、今後もそうするという意思を込めて、 



「今度の最終試験、、、、も、気を抜くことなく取り組んできます」


「あっ! もうすぐうちの最終試験だもんね!」


「はい。長かった特待クラスの入試も、やっと終わると思えば少し気が楽になります」



 一般的な学び舎の入試と比べ、帝国士官学院の特待クラスはそれが何段階にも分けられる。

 それは、夏から年明けの冬までつづく長丁場だ。



 また、フィオナが侯爵令嬢の立場でありながら士官学院を受験するのは、帝国士官学院を卒業したことで付く箔に加え、学院長クロノアの方針により、高度な授業を受けられるからである。



「ボクがあげたそのネックレスは外しちゃダメだよ? もうフィオナちゃんの身体は大丈夫だと思うけど、万が一に備えなきゃね」


「ふふっ。魔王のような存在が現れるかもしれないから、ですか?」



 二人が交わす言葉の節々に不穏さが見え隠れするが、その言葉と裏腹に、二人の顔には依然として笑みが浮かぶ。

 警戒はしているし、油断もない。

 だが、スケールが大きく突飛な話が笑いを誘って止まなかった。



「あ……ボクはもう行かないと」



 腕時計を見たクロノアが少し慌てた。

 歓談に意外と時間を要していたことに気が付き、最後に人差し指を立てて自分の唇に当てる。

 


「受験、応援してる――――っていうのは、ここだけの話だよ? ボク、これでも学院長だからさ」



 頬を掻き、ばつの悪そうな顔を浮かべながらクロノアが背を向ける。

 フィオナは深々と頭を下げ、何度もお礼の言葉を口にした。

 これでクロノアにも思い残すことはない。

 彼女はフィオナに別れの言葉を口にしてから、屋敷の外へ向かうべくエドガーと歩いた。



 屋敷を出れば、扉の外にはイグナート侯爵が待っていた。

 彼はクロノアを見送るべく、ここにいたのだ。



「ボクさ、」



 ふと、彼女が歩きながら口を開く。



「実はバルドル山脈に行ってきたんだ」


「ほう……それは興味深いのですが、いったい何のために?」


「用意してた受験会場が一つ使えなくなっちゃって。その代替地にバルドル山脈が候補に挙がったから、他の候補地と一緒に確認してきた感じかな」



 クロノアはつづけて、「けど、バルドル山脈は会場に向いてなかったみたい」と口にする。



「興味本位でお尋ねするのですが、なぜです?」


「切り立った崖が多すぎたし、それに今年はひどく冷えそうって話も聞くしねー……。ほら、受験生には危なすぎる気がするし」



 それを受けてイグナート侯爵は「ですね」と頷いた。



「では、理事会にもそう連絡を?」


「うんうん。この冬まで色々見てきたから、後は選定だね」


「もういっそのこと、選定もすべて理事会に任せては?」


「あははっ、理事会の面々も派閥争いで忙しいのに?」


「……何とも、耳の痛い話で」



 何故このような話になるのかと言うと、理事会に所属する貴族たちは当たり前のようにどこかしらの派閥に属しているからだ。

 理事会はそれでも、特待クラスの公平性を保つために機能している。

 だからクロノアは文句らしい文句を言わず、誰かの味方をすることもなかった。



「受験会場の情報は機密な分、神経を使いそうですね」



 帝国士官学院の特待クラスは、卒業と同時に輝かしい将来が約束されるも同然だ。

 そのため、公平性を保つために最終試験の会場は一部の者しか聞かされない。

 理事会に所属する者はもちろん、移動に要する魔導船の乗組員の他には、受験会場に選ばれた地の領主しか情報は得られない。

 受験生の親はおろか、その他の貴族や皇族にすら情報は伝えられないのだ。



「ところで、いまの話を私に教えて問題なかったのですか?」


「心配しないで。声高らかに話すことではないけど、それでも、使わなくなった候補地の話だしね」



 ――――やがて。

 クロノアは正門を出る直前、足を止めてユリシスに振り向いた。



「ボクは今年中にレオメルを離れるから、最後にフィオナちゃんを診ておけてよかった」


「おや? どちらへ行かれるのですか?」


「お仕事で聖地、、にね。それも一年以上だよ! 一年以上! 頼まれたときは断ってやろうと思ったんだけど、内容が内容だったからさー……」



 聖地はエルフェン大陸のほぼ中央に位置している。

 その地は主神エルフェンを祀る総本山にして、祈りを捧げる者が世界中から集まる中立地帯だ。



銀聖宮ノディアスの一部を立て直すんだってさ」


「ああ、銀聖宮と言えば、世界中の神殿の本拠地とも言える建物ですね。確か随分と老朽化しておりましたし、納得です」



 しかし、クロノアは大工ではないし、彫刻職人でもない。

 どうして彼女が駆り出されるのかと言うと、銀聖宮にある数多くの聖遺物が関係している。銀聖宮にはそれらを守る封印や結界が数多く施されており、それらは安易に手を出せない。

 クロノアはそれらの撤去や再設置に手を貸すため、足を運ぶという話だ。



「他の国も人を派遣するから、レオメルもしないわけにはいかないしね」



 中立を謳う聖地に対し、各国が人員を送り込む。

 政治的な香りが何処かしこに漂う話だが、主神エルフェンに祈りを捧げる者はレオメルにも数多くいるため、宗教的な面から言っても無視はできなかった。



「だからボクがいない間は、理事会が学院の最高責任者になるのかな」


「それはいい話です。派閥争いに余念のない理事会が忙しくなるのは、傍から見ればいい気分ですよ。クロノア様はこの機会に、羽を伸ばしてくればよろしいかと」


「うーん……そうなのかなー……」



 クロノアはイグナート侯爵の言葉に少し迷いながらも、手元の時計を見て「あっ!」と言う。

 意外と時間が過ぎていたことを知り、彼女は慌てて別れのあいさつを交わす。



「レオメルにお帰りになった際には、是非またいらしてください」


「うん! それじゃ、今日はありがとうっ!」



 クロノアはこうして、イグナート侯爵邸を後にした。

 当然、目立たぬよう法衣を着てローブを深く被りながら。



 それから、一時間以上に渡って町を歩いた。

 途中で馬車を拾っていくことも考えたけど、せっかくだからと風光明媚な町並みを楽しみながらある場所に向かった。



 向かった先は、エウペハイムの魔導船乗り場である。

 彼女はそこで魔道具の発券機に金を入れて切符を買い、あと一時間後に帝都へ向かう予定になっている魔導船に乗り込む。

 奮発して個室の切符を買った彼女は、その個室の窓際からエウペハイムを見た。



 飛行船に乗れば、客室からはそれなりの高さから町を見下ろせる。

 帝都貴族にも評判の街並みを目に焼き付けながら、此度の出張で思ったことを考える。



 レン君、可愛かったな。バルドル山脈を試験会場にできたら楽だったのに。

 最後には「う~ん」と唸りながら身体を伸ばし、大きなソファに身体を倒す。

 人目がないのをいいことに、彼女はソファのクッションを抱いて足をばたつかせてみた。



「あーもう無理っ! 寝るっ!」



 そして、誰に言うでもなく宣言する。

 トロンと重くなった瞼を擦り、力を振り絞ってベッドへ向かう。



 服を脱ぎ捨てて下着姿になりながら、予定が書かれた手帳に目を通す。

 手帳には帝都に帰ってからの予定が書き綴られており、レオメルを発つ日の朝まで隙間がない。

 つまるところ、休日がないということだ。

 クロノアにとって、この帝都に帰るまでの時間だけが休日とも言い換えられる。

 


「がおーっ! ――――って、なにしてんだろ、ボク」



 意味をなさぬ抵抗だが、クロノアは予定で埋まった手帳を威嚇した。

 が、すぐにばかばかしく思い、ベッドに横たわり目を閉じる。たまりにたまった疲れのせいか、彼女はすぐに寝息を立てはじめた。




 ◇ ◇ ◇ ◇



 同じ頃、レンは冒険者ギルドに足を運んでいた。

 足を運んで早々、もう顔なじみとなった受付嬢がレンに尋ねる。



「手紙を確認いただけたのですね」



 頷いて返したレンが言う。



「ギルドの使いが屋敷にいらっしゃった際は驚きましたが、いただいた手紙はすぐに拝見しました。俺に指名依頼とのことですが、どういった内容でしょうか?」


「それについては、カイ殿、、、より、商人たちの護衛任務と伺っております」


「……カイ?」


「おや? レン殿が度々歓談なさっていた方ですが、ご存じありませんか?」



 残念ながら記憶にない。

 というか、この冒険者ギルドで誰かに名前を聞いた記憶だってないのだ。

 レンは人名を忘れていないことを再確認して、肩をすくめる。



「俺のことだぜ、英雄殿」



 すると、レンの背後で誰かが言った。

 振り向いたレンは、すぐ後ろに粗暴な口調の男が立っているのに気が付く。

 この男は、冒険者ギルドに足を運んだレンにはじめて声を掛けた男だ。



「カイさんって、貴方のことだったんですね」


「おうよ。ま、知らなくて当然だろ。自己紹介をしたわけでもねえしな。ってなわけだ、ねーちゃん! 後は俺から直接話させてもらうぜ!」



 受付嬢が頷いたところで、レンは飲食ができる席に案内されていく。

 その先の席には、カイの相棒である狼男が待っていた。



「聞こえたよ。悪かったね、英雄殿。こちらからするべきだった自己紹介を、すっかり失念してしまっていた」


「いえ、こちらこそすみません」



 謝ったレンが席に着く。

 同じようにカイも席に着き、彼はおもむろに地図を取り出した。



「英雄殿に頼みたい仕事ってのは、聞いての通り護衛任務だ。依頼対象だが、どこだかの貴族様お気に入りの商人だぜ」


「いわゆる、御用商人ってやつですか」


「かもな。なんでもクラウゼルには、色々と買い付けに来たんだとよ。ちなみに英雄派の貴族様と懇意だって話だぜ」



 うわぁ、とレンの表情が一瞬で歪んだ。

 事情を知るカイはニカッと笑う。



「気持ちはわかるんだが、俺としては英雄殿を頼りたい。日数は往復で一か月を予定してるんだが、どうだ?」



 一か月とはまた長い。レンが難しそうに言う。



「……長いですね」



 と。

 正直、あまり気が進まなかったのだ。

 クラウゼル家の旧館に住まわせてもらってる状況も鑑みて、管理人の立場から言っても一か月は長すぎる。

 金銭面の条件は悪くなさそうだが、レンの心は少しも動かなかった。

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