他の道を目指して。
自然魔法で吊り橋にしがみ付けなければ……峡谷の下を満たす溶岩流に身を焦がされていただろう。
だから、フィオナを助けるにはこうするしかなかった。
砦にとんぼ返りになるとわかっていても、命には代えられなかった。
「……すみません。私のせいです」
砦に戻ったレンとフィオナはその屋上にいた。
周囲の様子を確認して、これからのことを考えるために。
「いえ、あれはイグナート嬢が悪かったわけじゃありません」
レンがフィオナを気遣うも、彼女は悔しそうに肩を震わせていた。
彼女が悪いわけではないのに、彼女は自分のせいでレンを巻き込んで、彼を危険にさらしたのだと自責の念を抱いていた。
レンはその高潔さに尊さを覚えながら、これからのことにも気を配る。
(さっきはどうにかなったけど、問題はここからだ)
吊り橋を脱した直後、レンはどうにかしてその近くから下山できないかと道を探ったのだけど、周囲の溶岩流がそれは無理だと知らせていた。
そのため、諦めて砦へ戻ったのだ。
(吊り橋を渡った人たちは無事なはず。……吊り橋に掴まった皆も、無事でいてくれるといいけど)
別れた騎士や冒険者、それに受験生たちが進む道は無事だと思った。
レンが知る地形通りに溶岩が流れるのなら、登山に用いる道は無事である。
一方で、レンとフィオナが下山に用いることができる道は少なくなった。
更に、当初より遠回りを要する経路だけが残された状況だ。
そもそも二人にとって一番の選択が、ここで救助を待つべきなのか? という話でもあるのだが……。
(黙ってたら、ここも溶岩流に飲み込まれそうだ)
散見される溶岩流は勢いが収まる気配が微塵も感じられない。
それどころか、溶岩が溢れ出る場所が増えている気すらしてしまう。
「冒険者さん。私たちは……」
フィオナもそれに気が付いていた。
ここでじっとしていても、救助は望めないことを。
やがて溶岩流が砦の周囲にも押し寄せて、二人が飲み込まれてしまっても不思議ではないことを。
「……俺たちが選べる選択肢は、あの吊り橋とは別の道から下山を目指すことです」
一応、バルドル山脈を下りる道はいくつかある。
レンはある方角に指を向けた。
「一番近いのは、ギヴェン子爵領へ向かう道です」
「そうですね……あちらからも下りられるんでした」
ただ、クラウゼル領側に下山するのと比べ、更に多くの時間を要する。
いくら一日でも早い下山を目指そうと、他に道がないのならえり好みしている余裕はなかった。
だからフィオナも、そのことを気にした様子は見せない。
(これでうまくいってくれないと、かなり面倒になる)
一応、その他の道がないわけではない。
フィオナをはじめとした受験生が進んできた道からも下山することはできる。
だがそれは避けたい。それでは下山するのに時間が掛かりすぎるため、この異変に包まれたバルドル山脈に長居することになってしまう。
「それにしても――――やっぱり、英雄派なのかな」
レンがぼそっと呟いた。
一連の騒動があまりにも不可解すぎて、ギヴェン子爵のときのように、影で暗躍する存在を疑って止まなかった。
だが、レンの呟きを聞いたフィオナが「いいえ」と首を横に振る。
「受験生の中には、英爵家に連なる家系の嫡男もいました。吊り橋を渡る前、大人の方から気を遣われていた男の子を覚えていませんか?」
「あー……確かに一人いた気がします」
「あの子がそうなんですよ。だから英雄派も、その命を危険にさらすようなことはしない気がします」
「なるほど。言われてみれば確かに」
英雄派にとって、英爵家の人間はかけがえのない存在だ。
あのギヴェン子爵のような男もいるだろうが、それにしても、英雄派だって一定のラインは守るはず。
そのためフィオナが言うように、英雄派の犯行とは思えない。
では誰だ、という話になってくる。
(学院長が不在だから起きた事故? ……いやいやいや、どっちかって言うと、学院長の不在を狙っての騒動だろ)
更に疑問となるのはイグナート侯爵だ。
あの男が居るのなら、誰もが容易にこんな騒動を引き起こせるはずがない。何故なら彼は政敵が多くとも、その一方で、彼と事を構えることを簡単に思う者は居ない気がする。
つまりイグナート侯爵と同等か、それ以上の権力を持つ存在の手出しを疑う。
あるいは――――
(
魔王復活を企む者たちが、ここで何らかの動きをしてみせたか、である。
とはいえ、ここで犯人探しをしても埒が明かない。
まずは身を守るため、このバルドル山脈を脱するべく行動を起こすことが先決だった。
「早いうちにバルドル山脈を離れましょう。準備をして、すぐに出発しないと」
「はいっ! すぐに荷物を確認してきますっ!」
まだ昼を過ぎて間もないから、明るいうちに動ける。
それにいまなら、溶岩流が至るところを流れていることもあり、夜でもそれなりに明るいことも想像できた。
だから少しでも進んでおかなければ、と二人がその目的を共有する。
同時に砦の中へ戻りはじめた二人だったが、不意にフィオナが立ち止まる。
「――――」
彼女は、自分の胸に手を押し当てた。
胸が一瞬、不可解に強く脈動してみせたから。
「イグナート嬢?」
「い……いえっ! なんでもありませんっ!」
でも一瞬だった。身体が薬を飲む以前に戻ったのかと不安になったけど、その様子はまったくない。
フィオナはすぐに頬をぱんっ! と叩き、可憐な微笑みを浮かべてみせた。
美玉のそれはまさに、天使を想起させる傾国の笑みだった。
◇ ◇ ◇ ◇
――――地表に流れ出た溶岩流が鋭利な山肌を下り、一体を真っ赤に染め上げている。恐らく、バルドル山脈周辺の地形も侵食されているだろう。
とはいえ、侵食されていない地形も残されている。
レンはフィオナを連れ、そうした場所を進むことで下山を目指した。
砦を発ってから二日が過ぎていた。
この日も夜の帳が下りている。
天空を仰ぎ見れば満天の星を臨める、そんな頃だ。
「……やば」
焚き火の傍に一人腰を下ろしていたレンが、ハッと目を覚ます。
つづけて、寝る前のことを思い返す。
今日はこの辺りで野営することに決め、地面の雪を踏み固めたり、二人分のテントを張ったりと忙しない時間を過ごした。
夕食の後、レンはフィオナに休むよう言った。彼女は疲れていたからだ。
代わりにレンが夜の番をしていたのだが、彼もまた疲れでうとうとしてしまったらしい。
「大丈夫ですよ。冒険者さん」
寝ていたはずのフィオナの声が傍から聞こえてきた。
声がした方を見れば、彼女は焚き火の前に座っていた。
「冒険者さんが寝ちゃってる間、特に魔物が襲ってくることもありませんでした」
「……すみません。護衛する身でありながら眠ってしまうなんて」
レンが謝れば、フィオナはすぐに首を横に振った。
「謝るのは私です。きっと冒険者さんは、昨晩も火の番をされていたんですよね? だから今日は少し眠そうにしていたんだ……と思って」
「それはお気になさらず。俺の仕事ですから」
「ううん。こんなときなんだから、私にも協力させてください」
フィオナは健気に笑う。
彼女は防寒具に身体を包みながらも、やはり寒いのか膝を抱いていた。
手元には温かそうな湯気を立てる木のカップがあり、微かに茶の香りが漂ってくる。
彼女は思い立ったように木のカップをレンに渡すと、焚き火から小さな片手鍋を取って茶を淹れた。
「イグナート家の給仕って、帝城で奉公していた人もいるんですよ」
「おぉー……さすがイグナート家ですね」
「――――でも、そんな給仕たちが、私が淹れるお茶を飲んで苦笑したんです」
また、何と気遣えばいいかわからない言葉だった。
しかしレンには、茶に手を付けないという選択肢はない。
フィオナは「美味しくなかったら捨ててください」と恥ずかしそうに言ったけど、レンは涼し気な笑みを浮かべてカップを口元に運ぶ。
(……ふむ)
目が覚めた。
紅茶は何と言うか、とても渋い。
「美味しいですよ」
「うそですね。冒険者さんの眉がピクッって揺れてました」
「ただの癖なので、あまり気にしないでください。美味しいのは本音です」
「その……そう言っていただけるのは嬉しいんですが、本当に無理はしないでくださいね? お腹を壊したら大変ですから……っ!」
実際、美味しくないという感想は抱かなかった。
渋いことは渋いけど、レンとしては自分より上手に淹れられている気がしたし、香り立つ湯気には癒される。
レンがもう一口、そして二口と嚥下していくごとに、フィオナは密かに頬を緩めた。
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