二年目の春の締めくくりへ向けて。

 幾日か過ぎて、帝都に大勢の貴族が足を運んでいた。

 帝都にそびえたつ帝城は、世界中に名を轟かす巨大な建物。

 建国以来、一度も敵の侵入を許したことはなく、レオメルの力の象徴として今日も荘厳な姿でそこにあった。



 帝城にある一番大きな会議室は、部屋というには規模が大きすぎた。

 帝国士官学院の大講堂よりも広く、帝都で議会が開かれている議事堂と比べても大差ない。



 連なるようにいくつかの会議室が並んでおり、どれも広い廊下で繋がっていた。どの会議室も、今日は多くの人で賑わっている。

 何日も前から準備された議題について、各会議室に足を運んだ貴族たちが話していた。



 帝城会議。

 数年に一度開かれる、レオメル貴族がほぼすべて集まる場だ。



 帝城会議では各地での運営をはじめとして、各領地同士の交流や、街道の整備についての意見交換など、彼らが話すことはいくつもあった。



 特に今年は、先の冬での騒動、巨神の使いワダツミの一件。

 ウィンデアでの出来事など、目立っていたのは勇者ルインの末裔について。

 これらのことが大きく取り上げられ、英雄派が活気立つ場だった。



 しかし、ユリシスやラディウスは不満に思わず、こうなるだろうとわかり切った状況で席についている。

 それが皇族派に所属する者たちをやきもきさせていたが、二人に不平を述べるものはいなかった。



 皇族派にとってはラディウスが皇太子になるという噂があった。

 彼らにとってはそのことが支えになっていたのだろう。



 会議のみならず、派閥争いにも意気込む貴族たちを前に、



「本当に飽きませんねぇ、彼ら」



 ユリシスが隣に座るラディウスに笑いかけた。

 ほかの会議室と違い、一番大きなその場所で。



「いかがです? 次期皇帝陛下のお立場で見る派閥争いは」


「あまり軽々しいことは言えん。たまに馬鹿なことをする者たちもいるから、目を光らせておかねばならん。そういうユリシスはどうなのだ?」


「私は特に。昔から派閥争いとはあまり縁がありませんので」



 皇族派筆頭と言われることはあっても。



「それこそ馬鹿なことを。ユリシスと事を構えた者は何人もいただろう。特に十年以上前の法務大臣とかな」



 あのギヴェン子爵が補佐を務めていた大臣のことだが、当時の大臣はユリシスと事を構えた際、政争に敗北して失脚。

 当時の戦いは、まだ若き貴族だったユリシスの名を国内外に知らしめた。



「どれも私から手を出したわけではありませんよ」


「ほう、それだけか?」


「しかし私とて、手を出されたら抵抗はいたします。こればかりは、派閥がどうこうという話はございませんので」


「――――ものは言いようだな」



 二人が話しているうちにも、ヴェインたちのことが紹介されていた。

 緊張したヴェインが貴族たちを前に挨拶すれば、割れんばかりの歓声に包まれた。 



 勇者ルインの血を受け継ぐ唯一の存在。

 七人が揃ったいま、皇族派に属する貴族の中にも感動している者は何人もいた。




 この日の帝城会議が終わってから。

 城の廊下に広がる窓から外を見ていたユリシス。

 剛腕。自分から名乗りはじめたわけではなく、いつからか自然と、彼を畏怖する者や敬意を抱く者たちが呼ぶようになった二つ名だった。



 数ある貴族が、軍部の重鎮が。

 多くの人間が窓の前に立つユリシスを見て、必ずと言っていいほど驚き、若干腰が引けた様子で軽く挨拶をして去っていく。たとえ、同じ皇族派の貴族でもそれは変わらなかった。



「おや」

 


 独り言ではない。

 この廊下を、ユリシスがいるほうへ歩いてきた者たちを見かけた彼の声だ。

 帝国士官学院の制服に身を包んだ少年少女たちだ。

 彼らにとって、その制服以上の正装はないだろう。



「あちらの方は――――」



 歩いて来るうちの一人が、ユリシスに気が付いた。

 ユリシスはニコリとほほ笑み、「やぁ」と会釈。

 彼の姿に気が付いたのはヴェインだった。彼につづいて、英爵家の子たちが歩いてくる。

 遠巻きに、他の貴族たちが様子を見ていた。

 


「お初にお目にかかります。ユリシス・イグナート侯爵」


「これはご丁寧に。勇者ルインの末裔に声をかけていただけたなんて、亡き父上に自慢しなければならないね」



 そう言い、剛腕が恭しく腰を折る。



「非才の身ですが、侯爵を預かっております。以後、お見知りおきを」



 彼の笑みの底に宿る強さを、ヴェインは仲間たちより強く窺い知れた。



 互いに、決してはじめて相手を見たわけではなかった。

 同じ会場で開かれるパーティに足を運んでいたことも少なくない。だが、どの機会でも二人は言葉を交わすことはなかった。

 はじめて直接言葉を交わしたことによるヴェインの感想は、



 ……この人が、あのユリシス・イグナート。



 諸国に名を轟かす剛腕の笑み。

 その奥に潜んだ強さに、無意識のうちに握り拳の内側に汗を浮かべていた。

 ユリシスはそんな様子を可愛らしく思って、



「緊張しなくてもいい。私は所詮ただの貴族。君のように勇者の末裔というわけではないからね」


「な、何をおっしゃるのかと思えば……」


「変かな? だけど、間違ったことを言ったとは思わないよ」



 この問答に意味があるのか、どうか。

 ヴェインはそれを考えていたが、彼の答えは“意味はない”だった。

 遊ばれているとまでは言わなくとも、このユリシス・イグナートという男は自分の反応を見て、自分がどういう人間かを測っているに過ぎない。



 こと腹芸を含めたやり取りの中で、ユリシスはいるだけで強大すぎる存在感を放っていた。

 どの派閥の貴族も警戒する理由をひしひしと感じる。

  


「どうかしたのかい?」



 優し気な問いかけすら、油断すればすべての見込まれてしまいそうに思えてくる。



「……いえ。何でもありません」


「そうかい? ならいいんだが」



 話は途中だったが、



「おや、もうこんな時間か。すまないが私は用事があってね」



 腕時計を見たユリシスが言い、ヴェインたちの傍を離れていく。

 そんな彼の後姿を眺めながら話すヴェインたち。



「くっはー! 俺、イグナート侯爵の声をあんな近くで聞いたのはじめてだぜ!」



 緊張がほぐれてきたところでカイトが笑いながら。

 彼もパーティ会場でユリシスを見たことはあったが、それだけだ。

 さっきのような距離で声を聞いたのだってはじめてだった。



「すげーな、ヴェイン。怖くなかったのか?」


「どうでしょう……」



 怖い、という表現が相応しいか定かではない。

 しかし極度の緊張状態にあったことは紛れもない事実で、ヴェインはここでようやく、自分が握りこぶしに汗を浮かべていたことを知った。

 彼の顔に苦笑いが浮かんだ。

  


「表に見せない凄みがある方ですよね」


「だな。近くにいるだけで手汗が浮かんじまったぜ」


「俺もですよ。……そういえば、セーラは何度か話したことがあったんだっけ?」


「あるけど、あたしだって慣れてないし毎回緊張してるわ。リシアはもう慣れたって言ってたけど、それこそ意味わかんないって思ってるくらい」



 イグナート侯爵と事を構えるべきではない、そう語る貴族は多い。

 そしてセーラのように剣の道を究めんとする者たちの間では、剛剣使いと対峙することは避けるべきだと言う者もいた。



 それらすべてが、皇族派の勢いを象徴するものと言い切れるわけではないが……。



 政治の世界でも、そして剣の世界でも。

 下手に触れるべきではない相手は必ずと言っていいほど存在していた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 学生のうちは制服を正装として使えるので勝手がいい。

 帝国士官学院の制服ならなおさらだ。



 だが、パーティではもう少し華やかな服に身を包んだっていいはず。

 レンは春になる前にレザードと二人で帝都へ行き、よくリシアの服を仕立てている服屋で数着のスーツを用意した。

 ついでに夏服も買い、エレンディルの屋敷に届くよう頼んでいた。



 スーツが届いたのは、帝城会議の最終日前日。

 屋敷で最終調整を行えば、あとはそれを着て会場入りするだけ。

 


 帝城会議最終日、パーティが開催される日の夕方。

 真新しいスーツに身を包んだレンが向かうのは、帝都大通り沿いにある巨大な高級宿。正面入り口には何台もの馬車が留まっていた。



 馬車を降りたレンがリシアとともに会場入り。

 ユリシスとフィオナが待っていた。



「私は子爵と挨拶をしてくるから、三人はゆっくりしていてくれるかい?」



 ユリシスが言い、応じた三人が残される。

 大人たちはやはり忙しいようで、立食パーティを楽しみながら何か話している貴族の姿がいくつもあった。



 ドレスに身を包んだ、煌めいてすら見える少女が二人。真新しいスーツ姿のレン。

 三人はグラスを片手に乾杯を交わした。



 三人が会場での食事を楽しみはじめて、しばらく経った頃だ。

 会場を警備していた騎士服姿の男がレンに近寄り、



「お三方にご伝言がございます」



 パーティ会場では時折、こうしたことがある。

 大体が立場のある者同士が逢瀬のために目立ちたくなくて伝言を頼む場合や、縁のある貴族と静かな場所で話をしたくて、注目を集めたくない場合に。

 レンはそのどちらとも思わず、誰からの伝言だろうと気にしていた。



「俺たちに? 誰からですか?」


「アークハイセ様から、会場を出てすぐのバルコニーでお待ちしていると」



 ミレイの生家の家名で、伯爵家。

 伝言がアークハイセの当主からなのかミレイからなのかでだいぶ話が違ってくるのだが、いまの伝言はミレイからだった。

 間違いなく、逢瀬の誘いではない。



 レンは二人を連れてバルコニーへ向かう。

 バルコニーは帝都の夜景を楽しめる特等席だった。



 貴族が会場の熱を冷ますために、あるいは意中の女性を誘って夜景を楽しみに来ていた若い貴族の姿もある。



 薄く白い、カーテンのような布で各席が仕切られていた。

 そのうちの一つの前に、ミレイが一人で立っていた。

 これまでレンたちが見たことのないドレス姿で、化粧や髪のセットも、いままでになく気品に満ち溢れた淑女のそれに着飾っている。

 


「待ってたのニャ」



 口を開けばいつもと同じで、レンたちを落ち着かせた。



「それじゃ早速、中に入ってもらおうかニャ」



 布の仕切りの奥へ進むと、そこにはラディウスがいた。

 どうしてあのような伝言を用いたのか、レンにも察しがついた。

 あのパーティ会場でラディウスが話しかけにでも来たら、どう考えても目立っただろう。アークハイセの名を使ったのも、その影響かもしれない。



 仕切りの奥には大きな丸テーブルがあり、レンたちは三人並んで腰を下ろした。

 対面というほど遠くない距離に座るラディウスと視線が交錯。



「急に呼んですまないな」


「いいよ。気にしてない」



 ミレイはラディウスの左斜め後ろに立って控える。

 そんなミレイが笑っていた、



「どうしたんですか?」


「ニャハハ。楽しくてついニャ」



 呼応する第三皇子。



「私もだ。こうして夜に集まると去年の夏を思い出す。あの頃も五人で何日も学院に残って作業をしていたな」



 ここに集まった五人は獅子王大祭の実行委員だ。

 いまでもたまに図書館の奥にある小部屋に集まってはいるが、このような時間に集まると思い出が蘇る。

 同時に、頼もしい仲間が揃ったという感覚にだって浸れた。



「それでラディウス、俺に用事って?」


「頼まれていた情報をまとめておいたぞ」



 第三皇子がテーブルに置いていた書類をレンのほうに押し出した。

 それを見て、リシアとフィオナがこてん、と首を寝かせるように疑問を抱く。

 最近、レンがまた何かしていそうな気配を感じていた二人ではあるが、ラディウスに頼んでいたと聞けば予想はしやすい。



「おおー」


「なんだその、力の抜ける声は」


「ごめん。思ってたより資料が分厚かったからさ」


「友のためだ。それにレオメルのためでもある」


「順番を逆にしたほうが、次期皇太子っぽいけどね」


「かもな」とラディウスは楽しそうに笑って、レンにウィンクをした。

 レンも親友が祖国を軽んじているわけではないことは知っているから、深く問いただしたりはしない。



「前にレンと話した通りだ。現れるならこのあたりだろう……と予測していたいくつかの区域で襲撃があった。昼頃からな」


「どう対処した?」


「派遣していた戦力により、いくつかの作戦行動を行った。しかし敵の本隊と思われる連中の姿はまだ発見されていない。すぐにでも英爵家が主導となり、英雄派でも独自に戦力を派遣すると報告を受けている」



 ラディウスの話を聞きつつ報告書を読みながら、レンが心の中でいくつものことを考えていると、リシアがレンに話しかける。



「ねぇレン、いつの間にそんなことを話してたの?」


「春になってからですよ。水の女神の指輪を誰かが取り出そうとしてたこともそうですけど、巨神の使いワダツミのことがありましたしね。警戒するに越したことはありませんから」



 なので、レンにとっては予定調和。

 七英雄の伝説と違いストーリーに左右されないため、行き当たりばったりではなくこちらでも動けているから、魔王教の動きを調べやすい。



(――――これか)



 資料の中から一枚、特に気になる情報を。



 それは、七英雄の伝説Ⅱ、一章『勇者の血脈』のクライマックス。

 ヴェインたちが再び足を運ぶことになるはずだったウィンデア、そこから程近くにある町で魔王教の影が見つかったというもの。



 英爵家が主導となり、現れた魔王教を追う。勇者ルインの末裔と明らかになったヴェインが魔王教の実力者を追い詰める。

 戦いは、間もなく。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 レンがいたバルコニーを離れ、パーティ会場ではヴェインたちが集まっていた。

 全員を集めたセーラが、いままさに報告を受けたばかりの情報を皆に聞かせようとしている。

 報告の内容は、レンがラディウスから聞いたのと同じことだ。



「魔王教よ」



 一言、簡潔に。

 耳を傾ける六人の顔に緊張が走った。

 それは七英雄の伝説でもあった光景でもある。



『いくつかの町が襲われたって。犠牲になった人もいるみたい』


『またいきなり襲ってきやがって。俺たちも急いで行かねーと!』



 カイトの盾は守りの象徴だ。

 レオメルに牙をむく魔王教の脅威に対して、彼は使命感に駆られた。



 先祖のように、自分も人々を守らなければならないのだ、と。

 ここで英雄装備と呼ばれるレオナール家の秘宝をすでに手に入れていた場合、彼は『先祖の盾に誓って、俺は戦う』というセリフも追加で口にした。



 だが、いまはいくつか状況が違っていた。



「いくつかの町が襲われたって。でも、犠牲者はいないみたい」


「本当かよ!? いきなり襲われたってのに、どうして無事なんだ!?」


「第三皇子殿下とイグナート侯爵よ。襲撃が予想される地域に秘密裏に戦力を派遣してたんですって。あたしも聞いたときは驚いたけど……さすがよね」



 驚く六人。



「だから、第三皇子殿下が動いてなければあたしたちは後手に回ってたってことよ」



 皆が頷いていた。

 すぐにヴェインが「だけど」と。



「戦いはまだ終わってない。俺たちも黙っていられないよ」


「そうね。もうお父様たちは動いてるみたいだけど、あたしたちも無視していられないわ」



 ヴェインとセーラが仲間の顔を見渡した。



「私も賛成」


「ネムも! そうと決まれば、急いでいかなくちゃ!」



 シャーロットとネムが同意して、



「聞くまでもないことですが、アーケイの魔法も必要でしょう?」



 そしてカイトが、



「なら俺が、皆を守る盾になるぜ」



 英爵家は昔から、レオメルの危機において必ず戦地に馳せ参じた。彼らは普通の貴族が持ちえない勇敢さで、多くの人々を勇気づけてきた過去がある。



 故に彼らは、そのほかの貴族たちと違い特殊だった。

 高貴な身分であればこそ安全な場所にいるというような考えはない。それが、英爵家の使命なのだから。



 ここにいる七人はただの学生ではなく、七英雄の末裔だ。

 なすべきことは、レオメルのためにその力を振るうこと。彼らが戦いの場に足を運べば、戦う者たちも、民も強く勇気づけられるはず。 



 だがそれだけではない。



 決して感情だけの理由ではなく、彼らが足を運ぶべき確かな理由があった。

 その理由は、スコールが生まれたメルデーグ家にあって――――。



 

 ◇ ◇ ◇ ◇



 パーティの夜、魔導船デウスがヴェインたちを乗せて帝都を発った。

 英爵家が主導となって動く流れもそう。人々に傷をつけようと猛威を振るう魔王教を掃討すべく、戦いの場へ向かう。

 それだけではなく、七人にしかできないあ、、、、、、、、、、る使命があったから、、、、、、、、、

 


 そればかりはレンも協力することのできない、特別なもの。



 対して皇族派が何もしていないわけではなく、元をたどれば誰よりも早く動いていたのは第三皇子ラディウスで、彼と情報共有をしていたレンとユリシスである。

 帝国の戦力も動き、現れた魔王教徒を掃討しつづけていた。



 この日は学院が休みになっていたが、レンは学院に来ていた。

 昨晩はパーティの後、帝都に泊まっていたのだ。



「クロノアさん、俺です」



 ノックして話しかけると、いつものように『入って入って!』と返事が届いた。

 実はレンは少し前、というのもラディウスと魔王教の襲撃を気にして話をするようになった頃、同じようにクロノアへ相談を持ち掛けていた。

 学院長室へ足を踏み入れると、そこにはエステルの姿もあった。



「エステル様、もういらしてたんですね」


「うむ。私である。呼ばれたから来てやったぞ」



 彼女が「まぁ座れ」といい、自分が座るソファをぼん、ぼんと叩いた。彼女の部屋ではないのに何の遠慮もない。

 クロノアは窓の前にある机に向かい、椅子に座っていた。



「うわー……ほんとにレン君がエステルを呼んでたんだ」


「すみません。ラディウスと考えてたことがあって、どうしてもエステル様の力を借りたかったんです」


「私の剣を頼りたいと聞いているぞ」


「だから、その話をボクにも話してって何度も言ったじゃんか!」


「私はそれに、レンがもうすぐ来るから待っていろと何度も言ったな」


「……どう思うレン君、エステルのこの返事」


「一枚噛んでる身として、俺も申し訳なく……」



 レンが申し訳なさそうに言えば、隣ではエステルが豪快に笑っていた。



「それで? エステルはどうして学院に来たの?」


「これから戦いに行くからな。レンがその前に話しておきたいと言っていたから、この部屋ならちょうどいいと思ってお邪魔している」


「……だったら、最初から言ってくれてよかったんじゃないかなー?」


「かもしれんが、レンにここで話したいと言われたのだ」



 クロノアがつづきを促せば、エステルがレンを見た。



「妙な力を使う男が魔王教徒たちを率いている。他国にて、エルフェン教の聖宮騎士が数多く派遣された神殿を狙った男のことだ」


「聞いてるよ。町ごと瓦礫になって、聖遺物が一つ残らず盗まれてたんだってね」


「そう。妙な力を使う男以外にも魔王教徒が現れた痕跡があるそうだが、基本はその男だけで町を破壊しつくしたようだ」



 話題の中心になるのは、その妙な力。



「再生の力と一言にいっても、数多く存在している。中でも男の再生能力は、自らの身体を覆う服すら再生したそうだ」



 聖宮騎士に何度全身を貫かれても、魔法で灼かれても再生してしまう。

 クロノアもいくつかの情報を軍部から聞いていた。

 そして彼女は、男が用いる再生能力が何なのか調べていた。



 ……あいつの再生能力は異常だ。



 所詮、ゲーム知識と言ってしまえばそうなのかもしれない。

 しかし、戦いになると知っていればその前に調べるし、レンが戦うときに限らず、対魔王教との戦いで優位になるよう動きたかった。

 だからクロノアも調べていた、その経緯。



「調べてみたところ、どうだった?」



 しかし、クロノアは思いつく能力がなかったと言った。



「着ている服を直すことは魔法でできるよ。でも、身体と一緒に……しかも、聞いてる限りだと普通の再生能力と格が違うから」


「やはり、情報が少なすぎたか」


「……ごめんね。全然力になれなくて」


「気にするな。魔王教のことだ。未知の力を使う者がいても不思議じゃない。だが、こうなると面倒な力だな」


「……もう、神性を帯びた特別な力を使ってるとしか思えないかも」



 一つ間違いないのは、ヴェインの力。勇者の力があれば敵の再生速度を遅らせることができるため、それがいまわかる唯一の特効。



(じゃあ、他にはアレしか有効な戦い方はないのかな)



 考えるレンが別の問いを。



「仮の話ですが、ヴェインの力が通用した場合も再生能力の詳細はわからないんですよね?」



 あくまでも仮定の話として。

 これもクロノアは以前から考えていた。



「……うん。勇者の力は主神エルフェンのご加護だから、残されていた魔王の力を使う人たちには、必ず効くってわかりきってて」


「まぁいい。奴らの対処は英雄派が中心になって行うという。場合によっては私も参戦するが、とりあえずはな」



 はじめに言っていたように、エステルも剣を振りに行く。



「エステルは英爵家の人たちとか、騎士たちに協力するの?」


「いいや、私は先に別件で大樹海、、、へ行く」



 ロフェリア英爵領にある秘境。

 相手がクロノアだから包み隠さず話せることだが、その周辺で騎士団が不穏な魔力を察知したと報告があった。



「大樹海って、奥地に黒帝角こくおうかくのベヒーモスの縄張りがある?」



 以前、レンが紋章付きエンブレムの中に見つけた魔物の名前。

 一般的に、最高位とされているSランクに属する個体である。



「不穏な魔力の正体が魔王教によるものだったら面倒だ。魔王教があの魔物を使役しようものなら…………そうでなくとも、あの魔物を刺激して暴走させたら目も当てられん。だから私が緊急で確認に行き、状況によってはその場で討伐する予定だ」



 七英雄の伝説では、エステルはあまり帝都にいなかった。

 第三皇子ラディウスが攫われ命を落としたIの後から、常に魔王教を探してレオメル国内を駆け回っていたからだ。



 だが、いまはそうじゃない。

 エステルはラディウスの命を受け、別の仕事を任されていた。



「あんなに気高い魔物を使役するのは現実的じゃないと思うけど……平気? ボクも一緒に行こうか?」


「くくっ、私を舐めてるのか、クロノア」


「はいはい、ボクが心配してるだけなのがわからないのかな?」


「わかっているが案ずるな。それにクロノアがこの辺りを離れるほうが問題だ。どうかクロノアの力で民を安心させてやってほしい」



 レンはラディウスと話したように、エレンディルや帝都で守るべき存在の近くにいて、警戒するつもりだった。リシアとフィオナの傍にいようと思っていたのだ。



 はじめは自分がヴェインたちと一緒に戦いに行くべきか迷っていたけれど、彼らのほうも英爵家の戦力が多く周りにいるし、秘密裏に剛剣使いも派遣される。

 英爵家の人間にしかできない特別な仕事、、、、、もあるから、レンが口を挟もうにも挟みにくい状況もあった。

 


 それに、オルフィデのことはヴェインたちに任せられると思っていたからこそ、ならば自分がするべきは万が一に備えてリシアたちの傍にいることだと考えて。

 このまま時間が経って夜になれば、すべての騒動が終わっているはず。



 間もなくエステルは学院長室を後にして、レンも同じように学院長室を出た。



(……ヴェインには、ちゃんと教えてある)



 昨晩、パーティが終わる前に。

 ヴェインたちがパーティ会場の宿を出る前に、レンはヴェインを掴まえてあることを伝えていた。

 どう伝えるべきか迷ったのだが、ギルドで聞いた噂話など茶を濁して。



『……本当なのか?』

 

『わからない。でも試してみる価値はあると思う』


『わかった。万が一戦いになったら、試してみるよ!』



 このように戦えば、優位に立てるかもしれない。

 いわゆる、攻略情報のようなもの。

 七英雄の伝説の知識がここでも活きるか確信できていないこともあり、噂程度に、もしよかったら試してくれという風に告げた。



 レンは廊下の曲がり角でラディウスと落ち合う。

 学院は休みでも、話をする約束をしていた。 



「奴らは予想通りに動いている。基本的にはな」



 ラディウスが一つずつ、新たな報告を口にしていく。



「民の避難も敵が現れる前に終わり、騎士や英爵家の戦力が町中でも交戦中だ。魔導兵器などの対軍戦力も用意しているが、敵の数が多く白兵戦も止む無しだそうだ」


「戦況は?」


「特筆すべき点はない。すべて滞りなく進められている」



 だが、と。



「言ったように基本的にはだ。この様子では、奴らは私たちが想定していた以上の戦力を派遣している可能性が高い」


「増援とか?」


「兆候でしかないがな。そして放つなら、帝都やエレンディル近郊の可能性がある。恐らく、こちらの動きが早かったことを警戒しているのだ。まるで本命を悟らせまいと動いているようにすら見える」


「だからこその増援か」


「ああ」



 帝城会議が終わってまだ間もない。

 帝都のような大都市の周りで騒動を引き起こせば、こちらにレオメルの戦力をおびき寄せられる。

 レオメルにしてみれば、必然的に移動させざるを得なかった。



 たとえば、剣王やクロノア。

 彼女たちを別の場所へ派遣することはできなくなる。



(……そりゃ、魔王教あいつらも考えるか)



 魔王教は七英雄の伝説の中と違って、バルドル山脈での大事件をはじめとした騒動を引き起こすことができていない。

 裏ではしばしばレンの活躍があったからこそだが、その弊害とも言えようか。



 ときとしてレンが知らない展開がやってくるのも当然で、魔王教徒たちもレオメルを貶めようとしているのがわかる。



「気になるのは、例の男だ」



 例の男、以前ラディウスがレンに報告した存在。名をオルフィデ。



「間違いなく此度の騒動の黒幕なのだが、いったい何が目的なのか」



 それは、レンも同じことを思っていた。

 世界中で猛威を振るいはじめている魔王教だが、どの国よりも被害を受けているのがレオメルだ。

 魔王教がレオメルを狙う理由が、いまだに不明なまま。

 オルフィデが動いている理由も同じだった。



 だが、ラディウスは言う。



「奴らがレオメルを狙うことで、魔王復活に近づく何かがあるはずだ。詳細はわからんが、奴らを止めるという目的は揺るがない」


「後はほら、レオメルを嫌いな国が魔王教を率いて襲わせてるとか」



 冗談で言ったのだが、



「それも考えた。だがそれにしては他国も大きな被害を受けているから、魔王教を手先にしているともあまり思えなくてな。……もっとも」



 と、ラディウスがため息をついて、



「シェルガド皇国はわからん。常に空を飛んでいる影響からか、天空大陸で魔王教徒が現れたという情報はごく僅かなのだ」



 彼が言ったのも、さっきのレンと同じで冗談のつもりだ。



「それで、レンはこれからどうする?」


「俺がどうするって、何が?」


「いつものレンだったら、そろそろ、自分も戦いに行くと言い出す気がしてな」


「それは……まぁ」



 そのことなら、レンも考えた。

 ヴェインたちが戦いに行くのだから、自分も協力するべきだろうとも。

 しかしレンはいま、リシアとフィオナのことを考えていた。一番近くで、彼女たちを守るためにこの地に残るべきと考えたからだ。



 代わりに、七英雄の伝説を知る者としての責任とまでは言わないが、できる限りのことをしていた。

 春になる前から入念にやり取りを重ね、敵より先に動いていた。

 


 ……だが、それでも自分がここでじっとしていていいのかという迷いがある。これまで積極的に魔王教と戦ってきたから、思うことも。

 これだけでは、自分がするべきことが足りない気もしてしまう。

 考えるレンを見た彼の親友が、



「私はレンの考えを尊重すると言っておこう。だが、一つ約束してくれよ」



 約束? と首を捻ったレン。



「無茶だけはするな。あの二人が悲しむぞ」



 ここでラディウスがこつん、とレンのわき腹を小突いて笑った。

 


「仮に俺が無茶だと思わないで動いた場合は?」


「そんなの、自己責任に決まってる」


「……言われると思った」


「だから気をつけろよ、親友」


「まだ、俺も戦いに行くとは言ってないんだけど」


「ふむ、そういえばそうだったか」



 ラディウスはレンの背に笑いかけ、心の中で――――

 大時計台のあのときと同じ顔をしているぞ、レン。

 声に出すことなく、呟いた。



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