二章のエピローグ:ただいま帰りました。
今日までの出来事が別世界で起きたような……そしてその別世界に、知らぬ間に巻き込まれていたような、そんな感覚だった。
久方ぶりのクラウゼルが見えてきたことで、レンは自然と気が抜けた。
どっと押し寄せた疲れにため息を漏らし、クラウゼルの中央部を見上げて思う。
(……やっと、
ところで、この長旅は馬車に乗ってである。
疲れ切ったレンに馬の旅は難しかったためだ。
――――フィオナと別れてから、今日でちょうど三週間が経つ。
どうしてこれほどの時間が経ったのかと言うと、バルドル山脈に訪れた魔導船が関係している。
その魔導船には帝都の騎士が大勢いたが、その騎士たちに尋問されたり、事情聴取されたというわけではない。
レンの場合、吊り橋が落ちてのことはフィオナにその説明を任せていた。
だが、クラウゼル家の騎士たちが事後処理に追われていたことで、レンも念のために残ったのだ。
……受験生を護衛した冒険者たちについては、残念なことに騎士たちに事情聴取されることが決まり帝都へ任意で同行した。
けれど、心配することはないだろう。
無事に下山していた受験生らが、意外にも冒険者たちを庇ったからである。
予想外に庇われたことに困惑していた冒険者たちだったけど、それにより仕方なく、帝都へ向かっていったという話だ。
中には貴族令息に懐かれて、うちに来いと言われている者もいるようだ。
だがその一方で、クラウゼル家の騎士たちはレンから話を聞いている。
吊り橋が落ちてから何があったのかを。あの騒動はカイとメイダスが大きくかかわっていたことも、魔王教の存在についても。
だが、それらはフィオナが代わりに報告している。
代わりに、彼女を護衛した冒険者は途中で姿を晦ましたと説明してあるはずだ。
またクラウゼル家の騎士たちも、それに口裏を合わせている。
恐らく彼らも、フィオナからそうしてくれと頼まれてのことだろう、とレンは密かに考えていた。
「レン殿。ようやくですね」
城門を潜り抜けてから、馬車に同乗していた騎士が言う。
「……ですね。人生で一、二を争う濃密な時間がやっと終わりそうです」
「ちなみにもう一つはどのような時間だったのですか?」
「もちろん、リシア様を連れてクラウゼルを目指してたときです」
言うまでもなく、聞くまでもないが単なる軽口だ。
するとレンは、窓の外に目を向けた。
やはり、郷愁を覚えて止まない光景だ。前にも思ったことだけど、気が付かない間にクラウゼルでの暮らしが自分の日常になっていたらしい。
こうして街並みを見ていたら、心と身体が落ち着いてきた。
まるで魂が洗われるような、表現できない心地良さがすべてを満たす。
(やー……)
頑張った。
我ながら色々な面で頑張った気がする。
というよりは、よく生きて帰ったと自分を褒め称えたいくらいだし、いまでもこうして生きていることが奇跡に思えてならない。
腕にはまだ火傷の痛みが残されているため、あの日々は現実だと常に知らせてくる。
馬車の車輪が石畳の残雪を踏みしめていくたびに……その音に耳を傾けつづけているだけで、それまでの喧騒がどこかへ飛び去っていく。
……ふと、目を閉じてみる。
これまでは心から休めていなかったのか、不思議と瞼が重くなっていく。
騎士はそれを察して口を閉じた。
窓枠に頬杖をつき、外の寒い空気を浴びながら気持ちよさそうに頬を緩めたレンを見て、屋敷に到着次第、まずはゆっくり休んでもらおうと思って。
――――やがて、レンを乗せた馬車は坂を上り終え、クラウゼル男爵邸の前に停まる。
「レン殿、到着しましたよ」
「え……も、もうですか」
「やはりお疲れのご様子です。いかがでしょう? 今日くらいゆっくりとお休みになられては。ご当主様へのご報告などは、我々からしておきますので」
レンにしては珍しく、その提案に頷きかけた。
だが、此度の騒動で心配をかけている。
詳細な報告は明日以降に持ち越せたとして、顔を見せて無事を知らせ、帰還した旨を告げるくらいはしておくべきだろう。
レンは頬をぱんっ! と強く叩いて目を覚ますと、自分の足で馬車を下りた。
すると、そのときである。
「っ……レン!」
馬車に駆け寄ってくる、一人の聖女。
彼女の表情からは、様々な感情が見て取れた。
レンが帰ったことへの喜び、話に聞いていた騒動への心配、バルドル山脈で何があったのかという驚き、それと、疲れ切った彼を早く休ませてあげたいという想いだ。
「バルドル山脈の異変がこちらに伝わった際、お嬢様はお一人ででもバルドル山脈へ向かうと仰っていたのですよ」
屋敷にいて、馬車を迎えた騎士がレンに耳打ち。
レンは「リシア様らしいです」と苦笑しながらも、嬉しさを覚えた。
「ヴァイス様がお止めにならなければ、間違いなく屋敷を飛び出していたでしょう」
馬車を出迎えた騎士はそう言って身を引いた。
すると、リシアが遂にレンの傍へやってきた。
屋敷の扉からは、レザードとヴァイスも姿を見せて足を進めている。その二人に先んじて、リシアはレンの手を取って呼吸を整える。
「……おかえりなさ――――」
が、彼女はすぐに口を閉じた。
レンの手元に見えた火傷の様子に、彼女はその手の先――――腕周りもそうなっているだろうと瞬時に理解して、火傷が目立たない方の手を強引にとって、歩き出す。
「お父様っ! レンは私が連れて行きますっ!」
彼女はレザードの返事を待つことなく、レンのことを本邸の中へ連れて行く。
すれ違ったレザードとヴァイスに、レンは「すみません」と小さな声で言ったけど、二人は気にするな、と、レンを労うように微笑んだ。
その二人も、レンが疲れ切った姿を見て話をしている場合じゃないと思ったのだ。
(……とんでもなく眠い)
ぴんと張られていた緊張の糸があっさりと切れて、身体中から力が抜けてしまいそう。
いまや、リシアと重なった手元から感じる暖かさ以外の感覚がひどく鈍い。
そのせいか、本邸に足を踏み入れてすぐ……。
玄関ホールに置かれたソファの傍を通り過ぎようとしたところで、レンの身体がふらっ――――と揺らいで、それにリシアが巻き込まれ、二人はソファに倒れこんだ。
「レ、レン……?」
倒れこんだと言っても、主にレンだけが。
リシアはそのレンを受け止めるようにソファに腰を下ろして、レンの頭を膝の上に迎えた。
そのレンはソファの上に身体を倒し、聖女の膝の上で意識を半分手放してしまう。
すみません。
反射的に身体を起こそうとしたら、
「お疲れ様、レン」
その肩にリシアの手が添えられた。
神聖魔法だろうか? 暖かくて、落ち着いてくる。
抗える気はまったくしなかった。
だからなのだろう。
レンはつい、心の中に宿っていた言葉を口にしてしまう。
「……我ながら、色々と頑張りました」
「うん。知ってる」
「……それと、だいぶ疲れました」
「うん。それもちゃんと知ってるから」
リシアの手がレンの火傷に添えられて、白い光が包み込む。
この暖かさに、また一段と目がトロンとしてしまう。
「レンはどんなことをしてきたの?」
「う-ん……嘘みたいな話になりますが……」
自身の膝の上で目を伏せて、いまにも寝てしまいそうなレンにくすっと微笑む。もうちょっとだけ、少しだけでいいから彼の声が聞きたくて、つい我がままにも話しかけてしまう。
それに、自分の膝の上で素直にしている彼が可愛らしくて、この時間を手放したくなかった。
「魔王復活を企む者たちと戦ったり……急に復活したアスヴァルと戦ったりしました」
「あら、すごいのね。でもレンは勝っちゃったんだ」
「疑わないんですか?」
「逆にどうして疑うのよ。もう」
一応平静を装ってみてはいたものの、リシアの内心は驚きでいっぱいだ。だけど、いまはレンを癒すことに気持ちの多くが割かれていて、驚きを表面に出すには至らなかった。
この後すぐにレンが穏やかな顔で、いまにも寝てしまいそうな姿を見せた。
「……このまま寝ちゃう?」
リシアの問いにレンは「はい」と頷いた。
もう、しっかり考えられるだけの余裕が無くて、彼女が示唆したこのまま膝の上で寝るか、という答えに至ることなく、そのままリシアに自分を委ねる。
「それじゃ、おやすみなさい」
優し気に微笑んだリシア。
もうレンは口を開かず、しばらく寝入ってしまうだろうと思ったのだが、ふと、そのレンが思い出したように目を開けて、リシアを見上げた。
僅かに驚いたリシアが「どうしたの?」と尋ねれば、彼は――――
「……ただいま、帰りました」
今さらになってからリシアの「おかえりなさい」に返事をして、その返事を待つことなく瞼を閉じた。やがて聞こえてきた穏やかな寝息を聞いて、きょとんとしたリシアはまた微笑みを浮かべ、レンの頬に掛かった髪を指先で避ける。
「ええ。おかえりなさい――――私の英雄さん」
英雄は聖女の膝の上に眠り、聖女は英雄を癒した。
たとえるなら、それは聖画に描かれる一場面。
白の聖女を幼い頃から見守ってきた者たちの目にも、その様子は神秘的に見えたのだった。
――――――――――
【 二章のあとがき 】
二章も最後までお付き合いいただきありがとうございました!
web版だからと文字数を考えずに書きつづけた結果、一章に比べて色々と長くなってしまった二章でした。冗長な部分が多かったり、表現しきれない部分があったりと、未熟さも目立つ箇所が散見されましたが、その反省を生かし、三章も頑張って執筆して参りたいと思います。
では、三章の更新再開予定などについてです。
◆次回更新予定
また書き貯めてからの毎日更新となるので、春頃からの再開予定です。
(突発的にSSを投稿する可能性はあるので、もしよければ、Twitterなどもチェックしてみてください)
◆書籍版について
こちらも頑張って改稿中です。いずれ何らかの情報をお伝え出来るようになると思いますので、是非、お待ち良いただけますと幸いです。
といったところで、今回はこの辺で失礼します。
三章ではようやく英爵家の嫡子らも物語に加わり、これまで以上に展開が動く予定となっております。引き続き楽しんでいただけるよう努めて参りますので、またお付き合いいただけますと幸いです……!
結城 涼
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