例のドワーフ。

 レンが学園区画を見ていることに気が付いて、ユリシスが夏の出会いを思い返して尋ねる。



「どうだい? あの学院に行く気になったかい?」



 あの夜を境に、レンは度々考えることがあった。

 ユリシスの言葉を受けて改めたこともあったし、今後どうするべきか、ということについていくつかの答えを見出していた。



「大分前向きに、ってとこです」


「ほぉ……先日と違い、割と明確に答えてくれるようになったじゃないか」


「俺が考える欠点と利点を比べたとき、得られる利点は確かに多いですから」


「たとえば、私が与える利点かな?」


「え? ユリシス様も俺に何かお与えくださるんですか?」



 ぽかんとした顔で言ったレンを見て、ユリシスも倣った。



「君がいてくれたら、私もフィオナのことで安心できる。それで私が便宜を図るとは考えなかったのかい?」



 これまでもレンに多くの恩があるユリシスにとって、娘のフィオナの存在は以前と変わらず彼にとって何よりも重要である。

 即ち、レンが帝国士官学院に行くことでユリシスは安心を得られる。

 レンほどの少年がフィオナの傍に居れば、安全性がさらに高まると知っていたから。



 しかしレンはそれを考えていなかった。バルドル山脈でも恩を売りたくてフィオナを守ったわけではなく、今回も同じだった。



「あの学院で得られるものは多いです。でもそこに、フィオナ様に関連した打算は特になかったんです。もちろん、便宜を図っていただけるのは嬉しいです」


「……なるほど。二人が惚れるわけだ」



 呟きのような声はエドガーにしか届かなかった。

 聞き直そうとしたレンは「我々にとって、レン様と知り合えたことは貴重な財産です」とエドガーに言われ、急な称賛に戸惑いを覚える。



「私が君の味方でいたくなる理由を聞けた気がするね。――――さて、話を戻そう」



 上機嫌なユリシスが言った。



「君は優しい。以前、あの学院が自分には分不相応と言った君は、何らかの事情があって自分を守ろうとしていたも同然だ。だけど君は、あの夜からその目にある感情を浮かべていた」



 レンは何も言わず、むしろその答えをユリシスが口にしてくれるのを待った。



「――――それは献身さ」


「完全にバレていたんですね」


「もっとも、君があの学院を避けていた理由はわからない。ただ、以前まで自分を守ることで必死だった君は、自分よりも守りたい存在を優先した。そうだろう?」


「……本当に、どこまで俺のことを見透かしているんですか」


 

 見えるところまでさ、とユリシスは微笑む。

 彼が敵じゃなくてよかった。レンはそれを再確認した。



「私はそんな君の献身を尊く思う。それは君の根底にあった考えを変えるための勇気と一緒で、君の優しさの結晶だ。そんな君を知ればこそ、これまでの考えを覆してあの学院を目指しても不思議ではない――――私はそう思ったんだよ」



 もはや反論する余地はない。

 隅から隅まで、一つも間違いなくユリシスの言う通りだ。

 守るべき存在が多くなったレンは、心の中での優先順位にて自分は既に頂点にいない。両親や村のこと、リシアとフィオナたちの方が上にいた。

 


 仮にレンが自分を守ることにだけ執心すれば、赤子の頃と同じ考えでいただろう。

 だが、ユリシスの人物評通りのレンがそんなことをするはずがなかった。むしろいまの状況こそ、正しいとすら感じられる。



(予想外に動きが早かった魔王教のこともあるし)



 レンがフィオナの命を救ったことによる、新たな運命。

 今日まで幾度も考えた通り、何もせずに黙っていることこそ暗愚を極め、何事も後手に回ることになる。

 後手に回ることによる弊害は、幾度も経験している。それは二度とごめんだと思った。



 だからレンは、覚悟と決心をした。

 レンの決断が献身や自己犠牲に限らず、不測の事態を警戒していることの証明でもあった。



 だが極論を言えば、文官的な力を身に着けるなら他の学び舎でもいい。

 しかし、守るべき存在を思えば、帝国士官学院の他にはない。自分を磨くこと以外にも、近くで守るためにそれ以上の答えはなかった。



「通うならどうするんだい? 一般? 特待?」


「最初は一般でいいと思っていたんですが、確か特待の方が時間の自由がありますから、行くなら特待と考えていました」


「正解だ。一般も十分な教育を受けられるが、特待に比べると格が落ちる。君が多くを学びたいというのなら、中途半端なことはせずに特待クラスの方が良い」



 二人は雑踏の声を聞きながら、目的の工房を目指しながらつづける。



(それに少しでも違う道をって意味なら、ゲームのレン・アシュトンは一般クラスだったし)



 そうした意味でも、特待クラスを狙った方が良い。

 ユリシスが言う中途半端を避けるためにも、間違いなく。



「まぁ、君なら間違いなく受かるだろう」


「確信したようなお言葉ですけど、俺が試験に落ちるとは思わないんですか?」


「思わないさ。これは勘だけど、君は間違いなく好成績で入学するだろうね」


「か、勘ですか」


「おっと、馬鹿にしないでおくれよ? 私の勘は当たるんだ。過去、某国との貿易戦争もその勘で圧勝してね。結局、最後は勘ってのも悪くないもんだよ」


(――――嘘つけ)



 勘とは言うが、言葉が足りていない。

 ユリシスの場合、ああ、こういう状況なら最後はこうなるだろう、、、――――という勘もどきのそれだ。

 徹底した情報と知略の上で、勝利を確信してのだろう、なのだ。



「ついでと言ってはなんですが、ユリシス様に聞きたいことがあったんです」


「何でも聞いてくれたまえ。何が聞きたい? フィオナのことならなんでも教えてあげよう。なに、娘は恥ずかしがるだろうが心配はいらない! 君になら是非とも聞いて欲しいからね」


「ええ。確かにフィオナ様が関係していますが――――」



 それを聞いたユリシスが足を止めた。

 エドガーも足を止め、二人は閉口してしまう。ユリシスはその後に半歩ほど、レンとの距離を詰め、



「何でも答えよう。何でもだ」



 再び歩きはじめたところでの声は、妙に気持ちが入っていた。

 しかし、残念なことにレンが聞きたいことではユリシスの期待に応えられない。もっとも、ユリシスが何を期待していたかは彼の心の中に留められたが。



「フィオナ様を愛して止まないユリシス様が、なぜ帝国士官学院に通うことをご許可なさったのか気になっていたんです」


「……あー、そういう感じかい」



 やや落胆したユリシスに申し訳なさを覚えたレン。 

 それでもユリシスは答えを口にする。



「できる限りの護衛は付けているし、安全性は保てるよう私が確認してある。だが、それを抜きにしても私の元を離れていることが不思議なのだろう?」


「はい」


「答えは単純さ。フィオナに自分を守る力を身につけてもらうためだよ。人はいずれ死ぬ。私もそうなるから、ずっと私が守ってあげられるわけではない」



 親が子を守るのは当然だ。同じくらい、子が自分を守れるように育てることも重要だ。

 ユリシスは真摯な面持ちを浮かべて唇を動かす。



「親ばか――――と言っては、世の子を愛す親への侮辱になるね。私は確かにフィオナを溺愛して止まないが、だからといって、成すべきことを成さない親にはなりたくないんだ」


「教えてくださってありがとうございます。勉強になりました」


「そうかい? そう思ってもらえたら私も嬉しいよ。ところで、フィオナはどうだい? 可愛いだろう?」



 話題が唐突に変わった。

 一応、さっきまでフィオナの話をしていたけど、急にフィオナの容姿のことを言われたレンは一瞬目を点にした。



 下手な返事はできないが、そもそも下手な返事になる可能性はない。

 誰がどう見ても、フィオナは可憐で美しい少女だ。



「もちろん、お綺麗で可愛らしい方だと思います」


「いまの話、今度娘に聞かせてもいいかな?」


「えっと――――はい?」


「いや、気にしないでくれたまえ。ただの独り言だよ」



 明らかに独り言ではなかった。わかりきったごまかしをしたユリシスを問い詰めるだけの術を持たないレンは、つづく沈黙の中でじっと足を動かした。



 十数分が過ぎた頃、ユリシスがおもむろに足を止めた。



 三人が訪れたのは鍛冶屋街の片隅に鎮座した古びた石造りの家で、おおよそ、侯爵が足を運ぶような建物ではない。

 外壁に至ってはヒビが散見されるし、無理やり木の板で補強した痕があった。

 一応、ゲーム時代もあった建物だ。しかし、イベントらしいイベントが無かった場所だ。

 ユリシスは、「ここだよ」と言って扉に手を伸ばす。



「エドガー、裏口を抑えて来てくれるかい?」


「かしこまりました」


「中のドワーフが逃げるとでも言ってるような感じですね」


「そうとも。油断してると、私が目の前に居ても逃げ出すからとんでもない男なんだよ、彼は」



 このユリシスを相手に逃げようと思えるとは、大した胆力だ。

 レンはそのドワーフの人となりが気になってたまらず、その感情を急かすように胸が早鐘を打つ。

 やがて、古びた木の扉を開けた瞬間――――


「開けんじゃねぇッ! 誰も居ねぇぞッ!」


(居るじゃん)



 心の中で冷静につっこんだレンは、いまの声に覚えがあった。



「はっはっはっ! 居るじゃないかヴェルリッヒ、、、、、、! 私だよ! ユリシスさ!」



 色々なものでごった返して汚い家の奥から、「なっ――――か、帰れ! お前みたいなクソガキと話すことはねぇぞッ!」という挑発的な声が届く。

 ユリシスは笑いながら家の中に足を踏み入れて、そこから更に高笑い。



「くくくっ……はっはっはっ! 今日は逃がさないとも! もう裏口は抑えてあるからね!」



 部屋の奥から、こちらに向けて仰々しい音が響き渡る。

 何か食器が割れる音と、金属と金属がぶつかり合う音だった。

 それらの音が聞こえたと思えば、一般的な人の背を越すほどうずたかく積まれた塵の山の奥から、以前レンが背を貸したドワーフが現れる。



「だったら俺様がてめぇを倒して――――んおっ!? クソガキだけじゃなくて、良いガキもいるじゃねぇか!?」


「おい、良いガキってなんだよ」



 レンは思わずそんな言葉を口にした。

 彼が以前助けたドワーフこと、ヴェルリッヒはそれまでの勢いを抑え、手に持っていた巨大な槌を床に置いた。



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