シーフウルフェン【後】
ロイが付けたであろう傷跡に勇気づけられたレンの心に、僅かながら、呼吸を落ち着かせるための余裕が生じつつあった。
(怪我をしてることを喜ぶべきなのか、怪我をしててもあっさり追い付かれた事実に恐怖するべきなのか)
ただ、傷を負っている方が間違いなくいいはず。
一筋の汗が伝う頬が僅かに緩んだ。
(とりあえず、逃がしてくれる状況じゃないッ!)
安易に背を向けたが最後、命があっさりと刈り取られるはず。
それを理解したレンは木の魔剣を振り、距離を詰めようとしていたシーフウルフェンの足元から木の根を生やす。
つづけて周囲の木々に向けても振り回し、ツタを生み出し複雑に絡ませた。
『ガァアアアアッ!』
レンが攻撃に転じたことでシーフウルフェンが鳴く。
彼我の距離は変わらずとも、不意に現れた木の根やツタが邪魔に思えたようで苛立った様子を見せた。
シーフウルフェンは微かに前足を庇いながらも、目を疑う速度で飛び跳ねる。
そのままレンが生み出したツタを風魔法で断ちながら距離を詰めると、
『グルァッ!』
鋭利な爪を先端に持つ腕を振り上げ、レンへと振り下ろす。
「ああもうッ! 少しくらい次の手を考えさせろよッ!」
苛立った声色で発し、爪が届く寸前で木の根を生み出し盾にした。
ガガッ――――。
木の根は乾いた音を上げ、シーフウルフェンの爪であっさり砕け散る。
こうなることは予想していたけど、首筋に冷たい何かが通り過ぎた。
(俺の武器は木の魔剣だけ……ッ! これでどうやって戦えばいい……ッ!?)
レンはこれまでと同じく木の根とツタを駆使して距離を稼ぐ。
このままでは駄目だ。いつしか魔力の限界がきて気を失ってしまうだろうから、時間稼ぎをする余裕もあまりない。
(――――そうだッ!)
七英雄の伝説Iで戦ったエルフのことを思い出す。
あの戦いの舞台も森の中だった。プレイしていた当初はその環境と、エルフが用いる自然魔法の妨害を前に苦戦を強いられたではないか。
だったら、自分も同じように戦えばいい。
だがレンの場合、あくまでも自然魔法(
「だからって……諦めるわけにはいかないんだよッ!」
それは、ほんの一瞬のことだった。
『グルゥッ!?』
木の根とツタに一瞬だけ手足を奪われたシーフウルフェンに対し、レンは雄々しく近づいた。これしかないというタイミングで木の魔剣を振り上げて、そのままシーフウルフェンの脳天目掛けて勢いよく振り下ろす。
「ッ~~どんだけ硬いんだよ!?」
レンの手元に痺れが奔る。
木の魔剣を脳天にくらったシーフウルフェンは『ギィイイッ!』と痛々しい声を上げたが、六つの瞳を見れば、決して闘気が収まっていないことがわかる。むしろ怒りに身が震えていた。
だが、もう一度なら追撃できそうだった。
そう思ったレンが今一度、木の魔剣を振り上げようとすると、木の魔剣の持ち手から先が砕けて地面に落ちた。
「なっ……!?」
周囲にあったはずの木の根やツタも、ほぼ同時に消えてしまう。
魔剣と言えど所詮木製だからなのか、先ほどの衝撃に負けて砕けてしまったようだ。
(落ち着け! 召喚し直せるはずだッ!)
これがスキルで召喚された剣であるから、きっとそのはず。
だからいつも召喚するように意識してみると、それはあっさりと再召喚される。けれど、レンの頭に一瞬だけ頭痛が奔った。
(壊れた魔剣を召喚したから……なのか……ッ)
魔力の消費が普段の比じゃない。
せっかくの学びだがこんな時とあって素直に喜べない。
しかも、木の魔剣が壊れた隙にシーフウルフェンが反撃に移ろうとしていたのだから、息をつく暇もなかった。
『グォォオオオオオオオオッ!』
幸い、脳天への一撃の余波が残っていたようだ。
風魔法で拘束を解いたシーフウルフェンは大口を開けてレンに近づくも、動きが僅かに鈍くなっていた。
「くっ……」
避けるも必死のレンが真横に飛ぶ。
地面を転がると、湿り気のある土が口の中に入って気持ちが悪い。
乱暴に唾を吐き捨て立ち上がり、呼吸を整えながら木の魔剣を構えた。
(さっきのを何度も繰り返したら……)
シーフウルフェンに隙が生じるまで待ち、そこを狙って脳天を叩く。
奴にとって無視できないダメージがあるのなら、これで討伐……あるいは逃げ切ることだってできる、こう思った。
しかし、懸念がある。
(駄目だ。俺が先に倒れる)
木の根とツタを生み出しつづけるのも魔力をかなり消耗するのに、そこへ木の魔剣を使い捨てにするなんてとんでもない。
考えてるうちにもシーフウルフェンの風魔法が迫り、やはり無理だと結論付けた。
『ガァッ! ガァァアウッ!』
「くそ……ッ!」
『グルゥ――――ガァアアアッ!』
憤怒に身を駆られたシーフウルフェンが迫る。
当然、レンは幾度となく木の魔剣を駆使して防戦した。
それが何分つづいた頃だろう?
消耗したレンの身体がふらっ、と揺らいでしまう。
彼は自分で召喚した木の根やツタの残骸に足を取られ、踏ん張ろうと試みるも筋肉が言うことを聞かず、
『グルォォオオオッ!』
疾風が如く突進を見せたシーフウルフェンが、無防備になったレンの横っ腹に牙を立てた。
「ぐぁっ……ぁ……っ!?」
革の防具では太刀打ちできない鋭利な牙がその防具をあっさり貫き、少年の柔肌へと牙を食い込ませる。
身体能力UP(小)でなんとか身体を旋転させ、食いちぎられることは避けられた。
だが、決して浅くない傷が残された。
レンは先ほどの勢いのまま背後の木まで突進したシーフウルフェンに振り向き、横っ腹を手で押さえながら考える。
(薬草を使って――――いや、駄目だ……ッ!)
痛みで脂汗が浮かんできたけど、薬草の量に余裕があるか分からないからロイを優先した。
このままじゃまずい。何か決め手さえあれば。
こう考えている間にも、痛みで視界が薄らいでいく。
『グルゥ……ガァ……ッ!』
それでもレンは歯をくいしばって耐えながら、こちらに振り向くシーフウルフェンから目を離さずに考えた。
その際、腕輪を見て何かないかと思いつつ必死に考えた。
――――そうしていたら、とある文字列に目が留まる。
・木の魔剣 (レベル1:97/100)
夕方になる頃、屋敷に戻りながら確認したこの数字を。
そして、つづく文字列を見てハッとする。
・鉄の魔剣 (開放条件・魔剣召喚術レベル2、木の魔剣レベル2)
この開放条件が整うまでもう少し。
あと三匹分のリトルボアを倒し、魔石の力を腕輪に吸わせればいい。
(この辺りにリトルボアが居れば――――そ、そうだッ!)
つい十数分前、倒したばかりじゃないか。
レンがツルギ岩を下りてすぐ、シーフウルフェンに恐れをなし、気が動転したリトルボアたちに襲われたことをいまになって思い出す。
あのときは魔石を吸収する余裕なんてなかったから、この思い付きを実行する気にもなれなかったのだ。
「ここからツルギ岩に戻るなんて――――ッ」
『ガァアアアアアッ!』
「ッ――――迷ってる場合じゃないッ!」
浅くない傷を負い、魔力も普段と比べて潤沢ではない。
だからレンは迷いを捨て、残る力を振り絞って木の魔剣を振る。
脳天への一撃のダメージが残るシーフウルフェンの周りを数多くのツタで囲い、自分はツルギ岩に向かって足を動かす。
額に浮かんだ汗が瞳に垂れてくる。
じんじんと痛みを訴え、熱を持つわき腹を抑えながら必死に走った。
一直前にツルギ岩へつづく道にだけ目を向けて、背後から聞こえてくるシーフウルフェンが動く音を聞きながら、決して足を止めなかった。
「はぁっ……はぁっ……止まってろ……ッ!」
途中、何度も同じようにシーフウルフェンを妨害した。
徐々に身体が気だるくなってくる。これが血を流し過ぎたせいなのか、魔力を消費しすぎたからなのかはわからないが、いずれにせよ芳しくないことには変わりない。
だが、見えてきた。
湖が見えてきて、その中央に鎮座するツルギ岩を視界に収めた。
「アレだ……ッ!」
そして、横たわる三頭のリトルボアを確認する。
『ガァウッ! グルゥァアアアアッ!』
レンが生み出せるツタの数は徐々に減り、足止めも粗末になっていた。
一方で、シーフウルフェンもロイに付けられた傷に加え、レンが脳天に見舞った攻撃のせいで、足取りに鈍さが目立つようになっていた。
だが、迫ってくる。
背後から憤怒に駆られたシーフウルフェンが勢いよく迫ってくる。
「くっ……」
頬を強風が撫でていく。つづけて頬に奔った痛みに頬を歪めた。
もう、本当に近くに居る。
振り向きでもすればあの鋭利な牙に噛みつかれ、あっという間に食いちぎられよう。
「負けるか――――ッ」
森を抜け、草が生えた大地を踏みしめる。
レンは振り向かずに背後に向けて振った木の魔剣で地面から多くのツタを生む。
微かな力を振り絞り、より強くシーフウルフェンを妨害した。
そして……届く。
食いちぎられるより先に、レンがリトルボアの下へたどり着いた。
腕輪を装備した方の手を伸ばし、
「届ぇええええええええッ!」
咆哮。
一つ、そして二つ。最後に三つ目の魔石の力を腕輪に吸わせると、腕輪にはめ込まれた水晶玉が仄かに光った。
必死に目を向けたレンはそこに浮かんだ文字を読む。
・鉄の魔剣 (レベル1:0/1000)
レベルの上昇に応じて切れ味が増す。
特別な力はないのかと焦ったが、レンは鉄の魔剣がただの剣より切れ味があることを祈った。
『グォォオ……ッ』
近い。もう振り向けばそこに居そうなほどに。
レンは振り向きざまに木の魔剣を放り投げると――――。
「シーフウルフェンッ!」
それはシーフウルフェンの額に衝突する直前で躱され、四本の尾の真後ろに落ちた。
『ガァァアアアアアアアアアアアアアアッ!』
猛るシーフウルフェンが牙を剥きだし、低く構えたレンの首筋を狙いすます。
振り上げられた両腕の先に生えた爪が星明りに照らされた。
そのシーフウルフェンの背後に落ちた木の魔剣から、幾本ものツタが現れ、シーフウルフェンの上半身を縛る。
それでも強引に迫る殺意に満ちた牙を目掛け、レンは――――。
「これが俺の――――ッ」
負けじと闘気に満ちた双眸を向けた。
すると木の魔剣が消え、レンの傍の何もない宙がヒビわれた。そこから現れたのは、持ち手から剣先まで黒鉄一色の魔剣だ。
『ッ!?』
間もなくツタも消え、上半身を縛られていたシーフウルフェンは不意に訪れた自由に困惑する。
レンはその隙を狙い澄まし鉄の魔剣を下段に構えると、切っ先を上に向け、
「最後の力――――だぁあああッ!」
臆することなく、牙の先へ刃を突き立てた。
その切っ先はシーフウルフェンの強固な頭蓋を中から貫通して、鮮血を滴らせながら夜風を浴びる。
『ガ……ァ……ッ……』
弱々しく鳴く白狼。
その魔物は六つの瞳から光を失い、静かに瞼を閉じて横たわった。
同時にレンは、腕輪へ魔石の力が吸われていくのを感じた。
「やった……」
すると、レンもまた自然と横たわる。
視界が霞む。見えるすべてが夜の帳に負けじと黒に染まりつつあった。
「ぐっ……父さんに……薬草を……ッ」
レンはそれでも鉄の魔剣を杖に立ち上がろうとしたのだが、身体が言うことを聞かず、再度力なく横たわってしまう。
すると鉄の魔剣は姿を消し、腕輪もまた姿を消した。
うつぶせに倒れたレンの瞼が静かに閉じられていく。
そんなレンは最後に呟くのだ。
――――父さん、母さん、ごめんなさい、と。
◇ ◇ ◇ ◇
数分と経たぬうちに、ツルギ岩の周囲に蹄鉄の音が鳴り響きだした。
「先ほどの咆哮はこちらから――――た、隊長ッ!」
「どうした!」
「あちらの湖のほとりを! 標的と思しき魔物の姿と……しょ、少年……でしょうか……?」
現れたのはクラウゼル男爵家の騎士たちだった。
彼らは倒れたレンと、その横に斃れたシーフウルフェンの傍に駆け寄ると、一斉に馬を降りる。
隊長と呼ばれた男は地面に膝を付き、レンの身体を抱きあげ驚きの声を漏らす。
「まさか……君がシーフウルフェンを……?」
「な、なんてことだ……」
「これほど幼い子にできることではない! しかしこの様子では……ッ」
感嘆、驚愕、仰天。
似たような言葉がいくつも浮かぶ中、隊長の男はハッとした。倒れたレンの腹部から流れる鮮血に気が付き、一刻の猶予もないと思ったのだ。
「……死ぬんじゃないぞ」
彼は懐から取り出した小瓶に入った液体をレンの横っ腹に振りかけ、その身体を担ぎ上げて馬に乗った。
すると、担ぎ上げたレンの懐から薬草が零れ落ちた。
「ん? これはロンド草か?」
「隊長……それですと」
「ああ。この子は恐らく、アシュトン家の一人息子だ。ともあれば、彼の父に何かあったのかもしれん。ロンド草を求め、たった一人で森に入ったのだろう」
「でしたら、
「そのようだな。――――誰かシーフウルフェンの亡骸を運んでくれ! 我々はこれより、この子を連れてアシュトン家の屋敷へ急行する!」
蹄鉄の音が再度鳴り響く。
普段は静かな村に木霊したその音色は、徐々に徐々にアシュトン家の屋敷へ近づいていく。森を抜けて橋を進み、畑道を過ぎてその屋敷が見えてくる。
「君、もうすぐだぞ」
やがて、レンを乗せた馬が屋敷の前で止まった。
「我らはクラウゼルの者であるッ! 誰ぞ居らんかッ!」
隊長は馬を降り、レンの身体を慎重に抱き下ろしながらこう叫んだ。
するとその声を聞き付けて、屋敷から鬼気迫る様子でミレイユが外に出てくる。
「貴方たちは――――レ、レンッ!?」
「時間がないゆえ挨拶はお許し願いたい! この子の部屋へ案内を!」
「え、ええ……っ! こちらです!」
レンは自身の部屋に運ばれると、すぐに騎士たちが治療をはじめる。
騎士たちは戦いで生じた傷を治療すべく、その術を学んでいるのだとか。ミレイユは治療の邪魔になるため部屋を追い出され、廊下で呆然と佇んだ。
そこへ隊長が足を運ぶ。
「……どうしてレンが……いつのまに屋敷を出て……」
「ぶしつけな質問だが、アシュトン殿に何かあったのでは?」
「……ええ。夫の様態が急変して……」
隊長はやはり、と思った。
彼は懐に手を差し込み、ロンド草を取り出す。
「これを。ご子息が命懸けで手に入れた薬草です」
「ッ――――ど、どうしてロンド草が!?」
「予定より早く到着した我々は、森で倒れていたご子息を発見しました。そして彼は、大事そうにロンド草を持っていたのです。……傍にはシーフウルフェンが斃れておりました」
ミレイユはすべてを悟り泣き崩れた。
腰から力が抜けてしまいそうになったけど、隊長の言葉でそれは止まる。
「奥方。ご子息の想いを無駄にしないでやってほしい」
ハッとしたミレイユは扉の奥で治療されているレンのことを想い、ぎゅっと唇をかみしめた。彼女はその扉に背を向けると、
「お母さん、すぐに戻ってくるからね」
こう言い残し、ロンド草を必要とするロイの下へ向かって行ったのだった。
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