忙しない日々。
まず、クラウゼルを発ち魔導船乗り場のある町まで十日ほどの時間をかけた。次に魔導船でほぼ丸一日かけてエレンディルへ向かい、五日間の滞在期間を経て、往路とほとんど同じ時間をかけてクラウゼルに帰った。
レンがクラウゼルにある屋敷に帰るのは、およそひと月ぶりということになる。
旧館に到着したのはその日の昼で、荷解きを終えて間もないレンの元をヴァイスが訪ねた。
旧館のエントランスだった。
「剛剣技はどうだった?」
「エドガーさんは、剛剣技の才があると言ってくださいました。また今度教えていただけることになったので、頃合いを見計らって帝都に行こうと思います」
「やはりか! 少年のことだからそうだとおもったぞ!」
ヴァイスは自分のことのように喜んで、くしゃっと人懐っこい笑みを浮かべた。
そのヴァイスはレンから帝都での話を一頻り聞き終えると、「相談したいことがある」と言ってレンに頼み込む。
「少年は近日中に、また東の森での魔物の調査を再開する予定があると聞く。もしよければ、その際にお嬢様を同行させてくれないか?」
「同行すること自体は問題ないと思いますが……どうされたんですか?」
「うむ……少年も知っての通り、帝国士官学院の特待クラスは、最終試験が魔物と戦うこともある内容だろう? お嬢様にも、本格的にその訓練をしていただこうと思ってな」
「大丈夫でしょうか。その試験が、バルドル山脈の件みたいなことにならないか心配です」
「それならば安心していい。帝国士官学院もそれを危惧しているのか、前回の件からすぐに最終試験の内容が変更されたのだ」
元は貴族と平民の間で差が生まれないよう、公平を期するべく試験会場が秘匿されていた。
それが理由でバルドル山脈のような騒動を引き起こしたとして、今後しばらくの間は、試験会場を告知して行うという。
その裏では、公平性を保つため手間暇を惜しんでいないのだとか。
恐らく、今後はこれまで以上に金も欠けた試験となるのだろう。
「でも今更ながら、東の森程度でいいんですか?」
「む? どういうことだ?」
「東の森に生息する魔物ですと、あまり訓練になりません。最初から強い魔物を相手にするべきとは言いませんが、リシア様だと実力差がありすぎるので意味がない気がします」
何せリシアは、イェルククゥと戦った際も魔物相手に十分戦えた。
東の森に現れる魔物の中で面倒な存在と言えば、硬い甲殻に覆われた身体で地中を這うアースワームくらいだ。
アースワームは狩るのが面倒なため高値で買い取られるが、それだけでしかない。
いくら帝国士官学院が誇る特待クラスであろうと、レンが想定するような強い魔物は現れない。あくまでも、アスヴァルのような特例を抜かせば。
そのため対魔物に慣れるだけであれば、東の森でも構わないと言えば構わない。
レンの指摘は的外れになってしまうのだが、ヴァイスは「確かに」と頷いた。
なぜならば、リシアの今後も見据えてである。
「俺個人としては、それこそエレンディル周辺の方が良いと思います。あの地域は帝都が近いとあって強力な魔物は生息していませんが、クラウゼル東の森よりは強いので」
「なるほどな。しかし少年、随分と詳しいな」
「……色々勉強したもので」
レンの返事に「ふむ」と頷いたヴァイスが腕を組んだ。
実際、レンの意見はもっともだった。魔物と戦うために段階を踏むことは重要だけど、だからと言っても限度がある。
リシアは勉学にも励まねばならないから、時間を有効活用した方がよかった。
(うん? エレンディルに向かうのも微妙なんだっけ)
矛盾を感じたレンが口を開く。
「すみません。エレンディルに行くのにも時間が掛かりますから、もしかすると時間を効率的に使えないかもしれません」
ただでさえリシアは試験勉強のため、先日はレンと一緒に帝都へ行くことを避けている。
これじゃ本末転倒じゃないか。
考えなしに言ってしまったことをレンが謝罪したのだが、
「時間なら大丈夫だとも。どうせなら、試験勉強もエレンディルでしてしまえばいい」
「――――そういうものですか?」
「エレンディルなら、貴族御用達の教師を屋敷に呼ぶこともできるからな。そうと決まれば、私はご当主様に相談してこよう!」
「え、あ――――ヴァイス様!?」
ヴァイスはさっさと本邸へ戻って行ってしまい、残されたレンは「いいのか……」と声に出して笑った。
思えば、そうしてしまえばいいだけのことだった。
リシアの活動拠点をいまからエレンディルに移せば、諸々都合がいい。
数十秒後のことだ。
立ち去ったヴァイスの代わりに、リシアが旧館に足を運んだ。
「レン? ヴァイスが慌てて出て行ったんだけど……何かあった?」
「リシア様の訓練について、思うところがあったようです」
「私の?」
レンはさっきまでの会話を事細かに語った。
話を聞いたリシアは心を躍らせた。
「ふふっ、最近のレンは忙しいわね。何度もクラウゼルと都会を往復してたら、疲れちゃうでしょ?」
「平気ですよ。リシア様を一人で送り出すのも何かこう……その……」
「なーに?」
(……危なっかしいので、とは言えない)
しかし、リシアは何となくレンの考えを悟った。
天使のように可憐な微笑みを浮かべた彼女はずいっと一歩前に出て、レンはつい目をそらし明後日の方角を見る。
リシアはそのレンの顔に手を伸ばし、自分の方に顔を向けさせた。
「なーに?」
さっきと同じ言葉は、さっきと違い詰問と化していた。
「いえ、あのー……」
「そうだわ。お茶を淹れてあげる。レンは帰ってきてあまりゆっくりできてないでしょ?」
「実はすぐにでも旧館の仕事を……」
「リシア・クラウゼルが休むことを許可するわ」
世話になる主君の娘にそう言われては、さすがのレンも言い返せない。
諦めたレンが「ごちそうになります」と観念して言えば、リシアは満足した様子で「そうしてちょうだい」と声を弾ませた。
彼女は旧館のキッチンに向かおうとしてレンに背を向けたのだが、歩き出してすぐに振り向いた。
「……い、嫌な気持ちになってない?」
「え? 何でですか?」
「だっていま私、冗談でも権力を振りかざすようなことを言っちゃったから……」
今更ながら気になったようで、少し不安そうにレンの表情を伺った。
それもリシアらしい。レンは優しく微笑んだ。
「全然気にしていませんよ。こちらこそ、変な冗談を言いかけてすみません」
「う、ううん! レンだったら私も嬉し――――こほんっ! 気にしないから! ……って、やっぱり変なことを言おうとしてたのね!?」
自爆したのは珍しくレンだった。
しかし二人の間に剣呑さは微塵もなく、互いに朗笑を漏らした。
その後のリシアはレンが帝都で経験したことに、興味津々な様子で耳を傾けた。
茶を一頻り楽しんだのちに、レンがリシアに小瓶を手渡す。
獅子聖庁からの帰る前、エドガーからリシアにと預かっていたものだ。
「これに傷を付けるのね」
「らしいです。ですが剣聖のエドガーさんですら時間が掛かって、ようやく薄っすら傷がついたくらいだったみたいですよ」
リシアは自分にもできるかどうか、剛剣技の才があるかを気にした様子で、小瓶の中にある水晶玉を興味津々な様子で転がしていた。
◇ ◇ ◇ ◇
レザードはレンの提案に耳を傾け、エレンディルに向かうことを許可した。
その一行には、レザードとヴァイスの二人もいる。レザードもエレンディルで行えば都合のいい仕事があり、ならば……とヴァイスの同行も決まった。
出発は十二月で、レンがクラウゼルに戻ってひと月と少し後のことだった。
最近はその往復をすることが増えて来たな、とレンはエレンディルが誇る巨大な駅、空中庭園に降り立ったところで思った。
「前回のような予定はないし、こちらの屋敷でゆっくりしよう。とはいえ、リシアとは明日にでも帝都へ行こうと思う」
「お父様? 特に予定はなかったと思いますが」
「服屋だ。そろそろあの服も小さくなってきてるから、新しい生地で仕立て直さねば」
あの服というのは、リシアが亡き母から受け継いだ服のことだ。白い軍服を思わせるあの服は、リシアの可憐さや凛とした美しさを際立たせる。
「わかりました。それでしたら、是非」
「ヴァイスも用事があるそうだから、ついでに途中でその用事も済ませてしまおう」
「良いのですか? 私なら、後程一人で行って参りますが……」
「構わん。確か
「ねぇヴァイス! 鍛冶屋街に行くのなら私も行きたいわ!」
「う、うぅむ………お二人にそう言っていただけるのであれば、お言葉に甘えて……」
話が落ち着き、一行は魔導船が並ぶ道を離れる。空中庭園の中に足を踏み入れて、地上階へ向かった。
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