剣聖が再び。

 少年は祠の前でいつの間にか眠っていた。

 戦っていた最中はなんてことなかったのに、終わってみれば、自分が力を使いすぎていたことに気が付かされる。



 目を開ける前、彼はどうしてこうなったのか思い返した。



 戦いの後、祠に足を運んでここでの戦いを謝罪して……それから疲れが限界にきて……魔力の使い過ぎで気を失うように眠って……。

 剣魔の技を披露したことも、剣聖になってからできることもした影響だろう。



 ……けど。



 わからなかったことが、一つだけ。

 後頭部が柔らかく、温かい感触に包まれていた。

 目を開けると、どうしてだったのかわかる。



「おはようございます。レン君」



 フィオナの太ももの上で目を覚ましたレンが、なるほど……と冷静に。

 彼女の絹のような髪が、海風に揺れて頬を掠めた。



「すみません。俺、とんでもないことをしていただいていませんか?」


「き、緊張しちゃうので、改まって言葉にするのは勘弁してください……っ!」



 はにかみながら言ったフィオナに笑みを返し、レンが身体を起こした。



「どうやってここに?」


「それなら、あちらにある戦艦で来たんです」



 孤島の周りには何隻かの戦艦があり、孤島と周辺の様子を確認していた。



 つい十数分前からである。

 フィオナはレンを探してここにたどり着き、祠の周りに敷かれた石畳の上で眠っていたから、せめてこうしてあげたいと思い、膝を貸していた。

 レンは本当に、膝枕と縁がある。

 それを本人が自覚しているかどうかはさておいて、だ。



「……あ」



 石畳に突き立てて置いてある炎の魔剣を見て、フィオナが問いかける。



「それって前にバルドル山脈で見たのと……ううん。少し違いますか?」


「違いますよ。あっちの方が立派というかなんというか、すごい魔剣です。あっちの出し方はわからないんですけどね」


「魔剣……?」



 夏にはリシアにも話したし、なんだったらクロノアとラディウスにも、レンが不思議な力を持っているということは看破されている。

 これはいい機会だから、フィオナにも話しておきたいと思った。



「魔剣です。バルドル山脈でも何度か披露した、俺の特別な力ですよ」


「レン君、それってバルドル山脈を降りるときに内緒にしてって言ってた……」


「その力のことです。魔剣召喚っていうんですよ」



 リシアに話したことと同じように、魔剣召喚のことを告げた。

 フィオナもまた、リシアと同じように魔剣を何度も目の当たりにしている。

 だから、それがレンの特別な力であることは想像していた。

 その秘密の先を聞けたことに、フィオナは嬉しそうに頬を緩め、



「教えてくれて、ありがとうございます」



 と、嬉しさを極めて声を弾ませた。

 レンは秘密の共有をしてから、すっきりとした晴れやかな気持ちに浸れた。

 夏にはクロノアも言っていた。近しい者にも秘密を抱えつづけることは、きっとすごく大変で心に重くのしかかるだろう、と。



 彼女の言うことは正しかったようである。

 話をしていたら、ここにエステルがやってきた。



「目覚めたか、レン」



 勝気に笑う女傑。

 レンは少し考えて、



「どっちの意味ですか?」


「無論、どちらの意味でもだ」


「でしたら、どちらも無事に目覚めることができましたよ」



 剣聖としても、そして疲れていた自分も。



「それは何よりだ。なかなかの音色だったぞ」


「音色?」


「身体から音が鳴っていただろう? あれは纏いと魔力の共振だ。身体が順応したらならなくなるのだが、あの音が鳴っている状況のことを、『剣聖が謳う』と表現する」


「おおー……かっこいい……」



 呑気に言ったレンを見て、フィオナとエステルが笑う。

 レンはようやく立ち上がり、先ほどまで膝を貸してくれていたフィオナに手を貸した。



「フィオナが言うには、この祠は獅子王に縁のある地のようだ」


「え? そうなんですか?」



 つづきはフィオナの口から語られる。



「獅子王がご存命だった当時、船が難破して流れ着いたのがこの孤島だったそうです。獅子王はこれを水の神の加護と信じ、ここに祠を立てるよう指示されたんですよ」


「剣聖としてこれ以上ない目覚め方だな。獅子王もきっと祝福していよう」



 思いがけず興味深い話を聞かされて、レンは祠を見ながらうんうんと頷いた。



「結局、どうしてアイツはここに現れたんでしょうか」


「その理由も確かめられるかもしれない、私はそう思ってここに来た。奥へ行くぞ」



 エステルに促され、レンは彼女につづいて祠の奥へ。

 疲れからか、身体が一瞬だけふらついてしまう。

 黒の巫女が隣から手を差し出し、彼を支えて微笑んだ。



「ありがとうございます」


「ふふっ、気になさらないでください」



 少し照れてみせたレン。

 ふらついたのは最初の数歩だけだったから、後は自分だけで歩く。



 祠は石造りの、飾りっけのない武骨な造りである。

 最奥には祭壇があるというが、その祭壇は破壊され、その下に隠されていた階段がしばらく下へつづいていた。

 エステルは臆することなく進む。

 レンも、そしてフィオナも。



「見事なものだ。これほど古代の術式が敷かれているのは滅多にない」



 数多の魔法による罠と守護の痕があった。

 壁や床、天井に多くの文様が刻まれていたのだが、そのどれも効力を失っていた。

 エステル曰く、それらも無理やり効力を失うよう破壊されており、ただの文様になっている。



 階段を進んだ先、小さな地下室。

 いくつかの宝物が散乱している。中央には台座があり、台座には彫刻が施されている。

 エステルが彫刻を見て、



「この孤島に流れ着いた獅子王はそれを水の女神の加護と信じ、ウンディーネの魔石、、、、、、、、を捧げたのかもしれん」



 水の精霊だ。彫刻はウンディーネを模していた。

 昔は現代と違い、精霊と呼ばれる存在が姿を見せることが多かったという。

 何らかの原因で死した精霊は魔石を落とす。それを当時のレオメルは宝としていた。



「水の神への捧げものだ。これ以上はない」



 希少な品だが、魔石は魔石。

 それ自体に聖遺物のような効力はなく、たとえば魔導兵器などで用いる以上の利点は探すほうが難しい。

 エステルはそうつづけ、



「何者かがここに忍び込んだことは明らかだ」


「ですよね。俺が戦った巨神の使いワダツミは通常の個体より強かったですし」


「通常個体のこともちゃんと学んでいたか。うむ、相変わらず勤勉でよろしい」



 口が滑ったことには触れず、レンが咳払い。



「強力な魔石を餌に強くなった、ってことですよね」



「うむ。レオメルがウンディーネの魔石を魔導兵器に用いるくらいなら、配下の魔物の餌にしたほうがよっぽどまし。忍び込んだ者の考えだろう」



 時間が経てば、巨神の使いワダツミはさらに強くなっていたかもしれない。



「さて、事情はわかった」


「あらエステル様、もういいのですか?」



 フィオナが問いかけた。



「ここに忍び込んでいた時点で、敵が何か探していたことは明らかだ。恐らく七英雄の装備だろう。エウペハイムにほど近い場所でアイリアが見つかったから、他にも眠っているかもしれないと考えた――――私はこう予想している」



 魔王教が七英雄の装備を脅威に感じているのなら、排除したいはず。

 こちらでも襲撃が発生した理由だろう。



(……そういや)



 七英雄の伝説では、アイリア関連でこの辺りに襲撃はない。

 よくよく考えてみれば、七英雄の伝説Iのこの段階におけるユリシスは、すでに魔王教と行動をともにしていた。



 やろうと思えば襲撃を仕掛けずとも調べられる。

 ついでに、



(アスヴァルの復活に必要な供物にされてたのかも)



 ウンディーネの魔石の使い道を予想して、レンはふぅ、と息を吐いた。



 三人は階段を上り、外に出る。

 冬の夕方は、もう日が傾きつつあった。



「氷河渡りで大陸北方はもちろん、その他の海域の魔物も活気だっていた。餌は十分。巨神の使いワダツミをより強くさせる条件は揃っていたな」


「ってことはエステル様、氷河渡りも利用してこの襲撃を?」



 水路の異変も巨神の使いワダツミの影響である。

 水源が豊富で、海にも大きく面したエウペハイムとその近郊は影響を受けやすかった。



 海で襲撃のときを待つ巨神の使いワダツミの力が、水の流れにも影響をもたらしていた。



「魔道具を使う調査でもわからないくらい、極僅かな影響がつづいたのだ」



 それが今日、巨神の使いワダツミがエウペハイムに近づいていたことで高まった。

 町の中で波が生じたのも、水の中を漂う魔力の流れに違和が生じたから。



「ですがエステル様、エウペハイムで水の異常が確認されたのは秋からです。アイリアが見つかったのはその後ですから、前後の整合性が取れていないような……」


「フィオナの言うことも間違えてないが、魔王教も準備だけはしていたのだろう」



 アイリアが見つかったからそのための襲撃が企てられただけで、そうでなければ、別の場所で襲撃していただろう。

 また詳しい調査はされるとしても、だいたいこんなものだとエステルが言い切る。

 そんなものか、レンが空を見上げていたら、



「しかしレン、何がきっかけで剣聖になった?」


「逆に俺が教えていただきたいくらいなんですが」


「うぅむ……わからん。聞けばレンは命を賭した戦いを何度も経験している。リシアとも、詳しくはわからないが、バルドル山脈ではフィオナともなのだろう?」


「えっと、それは……」



 フィオナが言いづらそうにしていたから、レンがはっきりしない言葉を口にした。



「答えずともよい。その事実を私が勝手に予想しただけだ」



 するとエステルが、



「となれば、レンは命がけの経験は何度もしている。それではきっかけにならず、何らかの経験を必要としていたのかもしれん」



 祠の前から海岸線へつづく道を進みながら、



「うむ!」



 意外にも早く十数秒後、エステルが足を止めて頷いた。



「レン、これまで一人で強敵と戦った経験はあるか?」


「え?」



 思いがけぬ問いかけにレンはきょとんとした。

 いくつもの死闘を経験したレンの傍には、これまで必ずリシアとフィオナがいた。

 イェルククゥもアスヴァルも、剣魔のときも必ずだ。



(……)



 たった一人で、強敵と言える存在と戦い切った経験はなかったかもしれない。

 言われてみれば確かにと頷けた。



「もしもなければ、心の中では自分の強さを認められていなかったんじゃないか?」


「認められていなかったって、どういうことです?」


「一人で強敵を倒したことのない自分はまだまだなんだ、そんな固定観念に駆られていたということだ。自らを卑下するわけではないが、本来披露できる苛烈さが鳴りを潜め、相手に敬意を抱きすぎていたということさ」


「……あー、まるで自分を押さえつけるような感じですかね……」


「似たようなものだな。あとはまぁ、頃合いがよかったこともあろう」



 夏の経験を経て、剣聖になるために必要な力が備わった。

 それとレンの意識に変化をもたらす戦いがあって、なるべくして剣聖になった。



『まぎれもない強敵を自分の力だけで、自分の剣でねじ伏せる』



 この経験がまた、レンを強くさせたのである。




◇ ◇ ◇ ◇




 やがて戦艦に乗ってエウペハイムへ帰り、港でまた小休憩。

 騒々しい町の中にて、エステルとフィオナの三人で。



 ユリシスは忙しそうにしていたのだが、ようやくレンたちの傍へ戻った。

 戦艦の中でも礼を告げたが、ここでも改めて礼をした。



「しかし、まさか剣聖になるとはね」



 ユリシスが嬉しそうに。



「前代未聞だよ。学生でありながら剛剣技における剣聖になるとは」


「このエドガーも驚きました。あれほど美しい音色を聞けて、なんと感謝すればよいか」


「い、いえいえいえ……皆さんにお世話になって、ようやくなので……!」



 話をしていたら、エステルの元に騎士がやってくる。

 騎士は緊急の報告だと言って、エステルの前で跪いた。

 彼の顔には緊張が見えた。



「レオナール英爵らが、巨神の使いワダツミと戦ったそうです」


「つづけよ」


「はっ。レオナール英爵らは巨神の使いワダツミを撃退したとのこと。犠牲者はおらず、無事とのことです」



 それは七英雄の伝説と同じであると知り、レンが苦笑。

 ヴェインたちが無事と聞いて喜ぶも、まだつづきがあった。



「逃げた先の海域ですが、エウペハイムより魔導船で一時間から二時間ほどでございます。これについて各所より連絡があり、どうか長官殿に対処を頼みたい……と」


「悪いが私は休暇中だ。うちの魔導船でここにきた時点で察してくれ」


「え、あ、あの……」


「殿下のお墨付きでな。半ばご命令だから背くことは避けたい」



 本気で言ったはずもない。彼女はニヤニヤ笑っていた。

 フィオナとレンは互いを見て、くすりと笑う。

 するとレンが、



「エステル様」



 騎士と長官の会話に口を挟むなど言語道断だが、挟まずにいられなかった。



「稽古をつけていただく約束ってまだ有効ですか?」


「当然だ。この休暇はすべてレンの面倒を見るつもりだったのだぞ」


「でしたら、だいぶ休めたのでちょっと行きましょうか」



 まだどうしたものか迷っていた騎士と、理解できたほかの面々。



「都合よく強い魔物がいるようだ。狩りにいっても構わんぞ」


「では、お願いします」



 レンとエステルが肩を並べて歩きはじめた。

 逃げた一匹を倒すことも、このエウペハイムのためになる。だったら、迷うこともない。

 騎士もようやくいまのは演技であったことを知り、ほっと胸を撫で下ろしていた。



「レン君、少し待ってください」



 フィオナがレンの手を取って、彼の足を止めた。

 彼の頬に残されていた煤か何かの残りを、彼女が手にしたハンカチで拭く。

 本当は彼女もレンと一緒に行きたかったが、彼女は自分がエウペハイムでするべきことをよく知っていた。



「お気をつけて。何かあったら、私もすぐに飛んで行っちゃいますからね」


「平気ですよ。エステル様がいますから、俺が無茶する必要もなく終わりそうですし」


「もう、レン君ったら」



 別れ際にフィオナとそう言葉を交わし、



「レン・アシュトン! 本当にいいのかい!?」


「大丈夫です。せっかくの感覚を忘れないうちに再確認したいですし。……あ、でもよければなんですが」



 魔導船乗り場へ向かって歩くレンが足を止め、振り向く。

 エウペハイムに帰るまでかなり疲れているように見えたはずが、もうそれを窺わせない。



「すぐに帰ってきますので、そのときは美味しいものが食べたいです」


「――――」



 そんなささやかな願いを言い残し、彼は再び背を向けた。



「はーっはっはっは! ああ! いくらでも用意させてくれたまえ!」



 こうしてまた、戦場へ向かう。

 エウペハイムを歩きながら、



「でもエステル様、さっきの言い方は少し意地悪でしたよ」


「知ってる。だが殿下がご命令のように言ったことは事実だ。私はそれに背きたくないから、言い訳が欲しかったのだ」


「はぁ……そんなことだろうと思ってましたけど」



 雑踏の中に紛れるように。

 二人がしばらく進むと、街灯を背に立っていたヴェルリッヒと合流した。



「よぉ、レン」


「ヴェルリッヒさん、なんか久しぶりな感じですね」


「だな。しっかし、すげぇことをしたらしいじゃねぇか」


「そうかもしれません。詳しくは、魔導船の中で」


「おう! 楽しみにしてるぜ!」



 魔導船乗り場まで、このあたりからはそう遠くない。

 また一段と、夜が近づいている。



「ところでレン、冬休みに国を襲う魔物を討伐するのはどんな気分だ?」


「逆にエステル様は、休暇中にそんな魔物を討伐することをどう思ってるんです?」



 一瞬、呆気にとられたエステル。

 彼女がつづきを言う前に、レンが先に口を開く。

 白い吐息が、海風にさらわれていく。



「前にラディウスの前で言ったことがあるんです」



 あれは大時計台の騒動のときだ。



「すべてをねじ伏せる、そんな獅子になるって」



 その言葉通りに自分は強くなれているだろうか。

 今日という日の成長を思って、



「ああ、レンならなれるだろうさ」



 剣聖は再び、戦場へ向かった。



――――――――――



 五章はあと二話くらいで終わりとなりますが、引き続き、最後までお付き合いいただけますと幸いです!


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