新たな防具。
四月も中旬だった。
クラウゼル家の屋敷に、レンとリシアの入試に関する連絡が届いた。最初の試験は五月も終わりに、帝国士官学院が校舎にて行われるとある。
より一層、勉強に身が入った二人。
あと数週間もすれば最初の試験なのだ、と気が引き締まる思いだった。
「……レン、私……すっごく眠いの……」
「……俺もです」
屋敷の食堂で朝食を取りながら口にした寝起きのリシアと、寝起きのレン。
最近の二人は夜更かしをすることが多かった。試験勉強のための夜更かしだった。二人は試験勉強が遅れているわけじゃない。むしろ過去問を解けば九割以上は確実に正答で、試験に落ちる可能性は皆無と言ってもよかった。
それでも失敗する可能性を少しでも減らすため、試験勉強に余念がなかった。
「二人とも、今日くらい休んだらどうだ? 無理をして体調を崩しては元も子もあるまい」
レザードが二人に言う。
二人の頑張りは認めるところだが、休むことも重要であると説いた。二人は今日くらいなら……と休むことに決める。
リシアは限界だったようだ。彼女は朝食を終えてすぐ自室に戻ってしまった。二度寝するのだろう。
つづけてレンも自室に帰ろうとしたのだが、
「レン、ヴェルリッヒ殿から手紙が届いているぞ」
彼はそれを止め、レザードから手紙を受け取った。
何だろう? 首を捻りながら中に目を通すと、そこには完成したから取りに来い! と書いてある。他に文言はない。まさしく殴り書きのそれだった。
「頼んでいた防具ができたのかもしれません」
「それは朗報だ。では、今日は休んで明日にでも取りに行ってくるといい」
「いえ、せっかくなのでこの後すぐ行ってこようと思います。休むのは帰ってからでも大丈夫ですから」
「そうか? なら構わないが、無理はしないように」
レザードの気遣いを受けた後に、レンは礼を述べてその場を離れる。
食堂を出て、大きく欠伸を漏らした。眠気を払うべくぱんっ! と勢いよく頬を叩き、帝都へ向かう支度に取り掛かる。
屋敷を出てからも、レンはもう一度大きな欠伸をした。
外の涼しさで、僅かに目が冴えた気がした。
◇ ◇ ◇ ◇
――――それは灰色の籠手だった。
風化した、あるいは風化したように見えるアスヴァルの角の色がそのまま残された。長さが肘くらいまでの、弓兵が用いるような軽装向けの籠手である。親指の部分だけ、指輪が如く装飾とともに深紅の宝玉が小さくも存在を主張している。
その全体像は、甲冑に身を包んだ騎士の手甲を、軽装向けに調整したそれといったところ。
ヴェルリッヒの工房でそれを見たレンが、思わず息を呑んだ。
見た目の出来に限った話ではない。その籠手を見ていると、漂ってくる力強さからアスヴァルを想起していたから。
「名付けて『炎王ノ籠手』だ」
レンも試験勉強で疲れ切っていたが、ヴェルリッヒはそれ以上に疲れていた。されど彼は誇らしげに、ニヤリと勝気に笑っていた。
「それが左手用で、こっちが右手用な」
レンは右手に魔剣召喚術の腕輪を装備していることもあり、なるべく感覚が変わらないようにしたかった。といっても、騎士は手甲や籠手を装備して剣を振るから特別感覚に違いが現れるものではない。あくまでも、一般的には。
ただこれは、レンがこれまでの感覚を最優先したかったからである。
右手には手袋ほどの面積の籠手が作られている。ヴェルリッヒがアスヴァルの角を加工したものを特殊な糸に混ぜ、そして造られた特別な品だ。
基本的な色合いや意匠は左腕と変わらず、甲や指周りが加工された角に覆われていた。
これなら腕輪を左腕に付け変える必要もない。
「ありがとうございます。これならいままで通りの感覚で使えると思います」
左腕側の籠手が大きめなのはもう一つ理由があった。
盾の魔剣を使う際、腕周りも強化されていると諸々都合がいいためだ。
「それで、この左手用の親指のは……」
「ああ、角の中にあったもんだ。アスヴァルの角にとって、最も重要な器官……? 器官でいいのかわからねぇが、ま、重要なもんだろうな」
そう言われ、レンはまじまじとそれを見た。
冬のあの日に、アスヴァルと戦った時を思い返す。奴の角を折り、弱体化させたことを。
「そいつも最初はもっとでかかった。俺様の頭くらいはあったか」
「でも、かなり小さくなりましたね」
「寝て起きて、毎日のように削って磨いたからな。籠手に使うためってのもあるが、どうせなら他の部分にも使ってみたかった」
ヴェルリッヒがつづける。
「角の中にあった器官を削って出た粉を溶かし、シーフウルフェンの体毛と掛け合わせて糸に加工した。それで編み込んで、角を手の甲や指のためにもう一段加工して完成だ」
「シ、シーフウルフェンですか!?」
「おう。知ってるか? ランクこそDだが、あいつの体毛はうまく使うと都合がいい。腕のいい職人なら、他の素材と掛け合わせるために使えばぴったりなのさ」
「へぇー……なるほど……」
「後でクソガキに礼を言っとけ。シーフウルフェンの体毛はアイツがくれたもんだ。近年は市場に出回ってなかったはずだが、以前、運が良いことに手に入ってたんだとさ」
色々と覚えのある話だったけど、レンはあまり表情に出さないよう気を遣った。
彼はそれから、ヴェルリッヒに言われるがまま炎王ノ籠手を両腕に装備する。
(……すごいな)
一度測ったとはいえ、ぴったりだ。
身に着けていて一切の違和感がなく、腕を動かすとまるで自分の身体のようについてくる。
「付け心地はどうだ」
「……これまでも何度か別の装備を見に付けたことはあるんですが、こんなに違和感がないのははじめてです」
「んなの、測ったんだから当たり前だろうが」
だとしても、である。
レンは指先を何度も握ったり開いたりと繰り返し、これならいままでと変わらず剣を振れるだろうと確信した。
「軽すぎる感覚があったとしても、安心しろ。前にも言ったがそいつは硬い。希少な金属だろうと歯が立たねぇ」
ふと、レンの目が左手親指に向いた。
「……」
今日まで言わなかったが、少し怖かった気もしていた。
あのアスヴァルが弱きアシュトンと言っていたこともあり、妙な衝動に駆られたりしないかと気にしていた。
だけどいまは、その不安が微塵もない。
右手で左手親指の深紅の宝玉に触れてみれば穏やかな熱を感じた気がした。
「――――よぉおおおし! これで最初の仕事はおわったな!」
どしん、とヴェルリッヒが床の上に大の字に倒れこむ。
うとうとしだして、目を伏せた。
「俺は寝る。起きたら酒を呷って、一週間は休ませてもらうからな」
「あ、ありがとうございます! それじゃ俺は――――この辺で失礼しますね!」
「おう。んじゃまたな~」
本当なもっとお礼を口にしてから立ち去りたかったが、ヴェルリッヒがそれはもう眠そうで、いまにも寝てしまいそうだったから場を改めることにした。
レンは炎王ノ籠手を木箱にしまい、その木箱を抱いて工房を出る。
扉を閉めてから、工房の中に向けて一度深く頭を下げた。
◇ ◇ ◇ ◇
その帰りに、レンは炎王ノ籠手を装備して魔剣を使ってみようと思った。
これまでと違いはあるかどうかについて、それこそ自然魔法なども少し使ってみて確かめたい。
となれば、駅に向かう必要がある。
早いうちにエレンディルへ行き、町の外に出る。眠気が復活する前に試しておきたいと考えて足を動かすと、
「レン君?」
すぐ傍から声がした。
振り向けば、フィオナがエドガーと共に歩いていた。
この辺りは鍛冶屋街から間もないとあって、フィオナが歩いていても不思議じゃない。彼女はレンを見かけてすぐ、とととっ――――と経過な足取りでレンの傍にやってきた。
「鍛冶屋街に行ってたんですか?」
「ええ。ちょっと用事がありまして」
いつからかエドガーも傍に来て、レンに会釈して数歩後ろを歩く。
「おや? それはもしや――――」
彼はレンが手にした箱と、その中身をすぐに看破した。
嬉しそうに笑みを浮かべた彼は、レンはこれから調子を確かめに行くのだろうと思った。
レンもまた、エドガーがそのことに気がついたことを悟っていた。
「ユリシス様にもお礼をしないといけません。あの魔物の体毛を提供なさったと聞きました」
「レン様ならそう仰るだろうと主も申しておりました。主からは、礼には及ばない、とお答えするよう仰せつかっておりますよ」
さすがユリシス。レンが考えることはすでに看破しており、その返事までエドガーに伝えていた。
苦笑いを浮かべたレンは、次にフィオナを見た。
彼女に最近の生活ぶりを尋ねられ、試験勉強で忙しかったことや、今日も眠いけど頑張って帝都にきたということ……それらの話を歩きながら告げる。
フィオナはレンと話せることが嬉しくてたまらないと言わんばかりに笑みを浮かべ、何度も相槌を打ちながらその話を聞いていた。
「それじゃ……もう帰っちゃうんですね」
「そのつもりです。なので駅に行って、一度乗り換えてエレンディルへ――――って思ってました」
すると、フィオナが黙りこくった。
どうしたのかと首を捻ったレンのことを、彼女がハッとした様子で見上げた。
宝石と見紛うような双眸が、一直線にレンを射抜く。
以前、彼女も頑張ることに決めたことの一端だ。少しでも積極的に動いてみようとあることを思い付く。
「私は仕事帰りで次の仕事に向かう最中なんですが、もしよければ、途中までご一緒しても構いませんか……?」
「お仕事って、もしかしてイグナート家のですか?」
「はい。父の仕事を定期的に手伝っているんです。それでエドガーと一緒にいたんですよ」
レンが一応エドガーを見る。
エドガーは「相違ありません」と言い、頷いた。
「馬車で移動なさってると思ってたんですが、そうではないんですね」
「フィオナ様は歩かれることがお好きなもので」
「だって、しょうがないじゃないですか……せっかく元気になれたんだから、自分で歩いた方が嬉しくて……」
レンのおかげで健康を手に入れてからしばらく経つが、フィオナはそれまでの辛さを決して忘れていない。
いまではこうして、自分の足で歩くことに喜びを覚えていた。
侯爵令嬢にもかかわらず、馬車での移動より歩くことが多い理由がそれだ。
「でしたら――――」
途中まで一緒にというのが何処までかわからず、レンはエドガーが何も言わないのならとフィオナに頷く。
フィオナが密かに「やった」と呟いて微笑んだ。
魔導列車に乗ってからだった。
乗り込んだ魔導列車は込んでいて、三人が座る席はない。
人混みの中、幸いにも入り口地近くの壁際に立つことができた。魔導列車の揺れと温かさが、レンの眠気を誘う。
「そっか――――レン君はもうすぐ最初の試験なんですね」
「ですねー……何事もなく受かりたいです」
「ふふっ、大丈夫ですよ。レン君が頑張ってるってことは、私も聞いてますから」
「もしかして、ユリシス様からですか?」
「はいっ! 落ちることは考えられない――――って仰ってました!」
実際そうなのだから間違いではないが、レンとしては油断せずいたいところである。
「クロノア様も今年中に帰ってくるでしょうから、来年の入学式では、レン君もクロノア様と会えるかもしれませんね」
「……確かに、お会いできるかもですね」
二人の会話を、傍に控えるエドガーは内心であることを思いながら聞いていた。
実際、レンは既にクロノアと会って話をしている。それどころか、彼女に気に入られているということを、レンはまだ知らない。
鋼食いのガーゴイルを討伐する直前と、リシアと巡った村の川をせき止める倒木を処理しに行ったとき、彼がそこで二回もクロノアと会っていたことは、まだ秘密にされていた。
――――また、魔導列車が僅かに揺れていた。
重かったレンの瞼が、何度も上下する。それを見たフィオナが慈愛に満ちた優しい笑みを浮かべて言う。
本心からの、優しい言葉だった。
「ちょっとだけ、目を閉じてお休みになりますか?」
「い、いえいえいえ! 別に大丈夫なのでお気になさらず!」
そうはいうものの、レンは眠気を誘われつづけた。
少しの揺れと、暖かさががもたらすそれだ。
傍にエドガーが居るとあって、護衛の面にも少し油断が生じたのか、こく、こく、と頭が上下に揺れる。
一瞬、目を伏せたレン。
魔導列車が止まり、外に出る乗客が背を押す。
すると、寝かけていたレンの身体が前に押し出された。
重い瞼に抗っていたが、隣にいたフィオナにのしかかりかけた刹那、彼は瞬時にそれに気が付く。荷物を持っていない手を上げた。
その手を壁につき、フィオナを壁に押し付けてしてしまわないよう抗った。
「…………っ!?」
ぼんっ! そんな音が聞こえてきそうだった。
フィオナは面前に迫るレンを見て、首筋と頬を一瞬で真っ赤に染め上げて、かぁっと照れくさそうに瞬きを繰り返した。
「す、すみません! 気が抜けてました!」
「う、ううん! いいんです! いいんですけど……けど……うぅ~……っ!」
それからすぐ、数分のうちにレンが降りる駅にたどり着く。
別れ際の挨拶はちゃんとできたが、フィオナの胸は早鐘を打ちつづけていた。
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