帝立図書館にて。
※こちらは本日2本目の更新です。
1本目がまだの方は、1つ前のお話からご覧いただけますと幸いです。
――――――――――
レンはつづけて耳を傾けた。
「当家も一枚噛んでいる事業に、国外の商会から更に投資できないかって相談を受けている。その事業ってのが、クラウゼル子爵が中心のものでね」
「そういうことで――――ん? それなら俺ではなく、先にレザード様にお声がけした方が良かったんじゃ……」
「その考えも普段なら間違いないんだが、今回は相手方が君と会いたいって言ってるんだ。もちろん、君の返事がどうなろうとクラウゼル子爵にも話すつもりさ」
「……はい?」
「うちと取引のある国外の商会の会長と、先日、エウペハイムで話す機会があったんだ。その会長が君のことを知っていてね」
「ど……どうしてですか?」
レンのきょとんとした表情と、その表情に負けじと唖然とした声音。
だが、話を聞けば納得できる内容があった。
「話はクラウゼル子爵が主導となってる事業に戻る。実はその商会が事業に関係していてね。一度、会長自らクラウゼルに行って町を見たそうなんだ」
「……何となく予想できました。クラウゼルで俺のことを聞いたんですね?」
「そうらしい。あいにく、クラウゼル子爵はいまエレンディルにいるから会えてないけど、その代わりに君の話を聞いて興味を抱いたと言っていた。だけど、それだけじゃないよ」
ユリシスはレンが入学する前、冬場に頼んだ商人の護衛依頼のことに触れる。
受験生だったころのレンの下に、ある仕事が舞い込んだのだ。
「クラウゼル領に向かうということで、魔導船も経由して俺が途中までお送りした際のことですよね」
「そのことだ。その際、件の会長の部下を君が護衛したってわけだね」
「それも関係してたんですね。……その商会の会長さんが俺の話を聞いたことはわかりましたが、俺のどこに興味を抱かれたんですか?」
「それはもう、ギヴェン子爵の騒動の際にあった逃避行がきっかけさ」
あのときはリシアとレンがクラウゼルに帰った姿を多くの民草が見て、事情を聞いた過去がある。
その英雄譚を聞いた会長は、その際に胸を打たれる思いだったのだとか。
「彼、珍しく騎士上がりの商人なのさ。君の活躍を聞いて是非会いたいって言っていてね。近いうちにクラウゼル子爵にも話すつもりだよ」
「念のためにお伺いしたいんですが、ユリシス様も同席してくださるんですよね?」
「もちろんだとも。バルドル山脈でフィオナを守ってくれた話も聞きたいらしいからね。当然、クラウゼル子爵も時間が合えば同席してもらおうと思ってる」
もっとも、相手の会長はバルドル山脈でアスヴァルが復活したことは知らない。アスヴァルの復活は知る者が相当限られているから、外部に漏れだす可能性は限りなく低かった。でも、フィオナがレンに助けられて下山した事実を知る者はゼロじゃない。こればかりは、隠しようのない事実なのだから。
「今日まで出し惜しむように黙っていてすまなかったね。こちらでも調整があったんだ」
だが、急に予定を入れることは彼も避けたかった。
なのでユリシスは獅子王大祭期間中に少し時間を貰いたいという連絡を、レンにするのとは別でレザードにしていた。
「ははっ! レン、随分と気に入られたらしいな! せっかくだ! 英雄譚の一つでも語ってこい!」
「いやいやいや、俺がそういうことを楽しく話すような人に見える?」
「くくくっ、見えんとも。遠慮がちに隠すような性格をしてると思うぞ」
「わかってるのに語ってこいとか、親友って思ってた人の価値観を見誤ってたのかな、俺」
「親友と思えるからこそ言ってるのだ。私だって、レンの活躍が広まることは自分のことのように嬉しく思う。――――それに」
ラディウスが確信めいた声音でユリシスに話しかける。
「ユリシス、その商会とやらもかなりの大商会なのだろう?」
「ご賢察の通りです。天空大陸でも著名な商会の一つで、魔物の素材をはじめとした商材が自慢だったかと」
「ふむ、ではレンにとってもいい機会となろう」
「どういうこと?」
普段のレンなら考え付いただろうその理由も、いまは普段ほど落ち着きがないと言うか急な話すぎる。
レンはいつもの冷静さを少しだけ欠いていた。
「クラウゼル家にとって、国外の大商会と良縁を結べれば良いことだ。それが天空大陸の大商会ならば最高だろうに」
「あ、そっか。言われてみれば確かに」
それを聞いたレンはもう迷うことが無かった。
「――――ユリシス様、お相手がどういう方なのかもう詳しく教えてください」
「もちろん。そのつもりさ」
レザードも間違いなく了承するだろう。
それがクラウゼルのためになることは確定的だったから。
◇ ◇ ◇ ◇
大通りを抜けて城下町の中心部に向かえば、帝都が誇る帝立図書館がある。
内部には吹き抜けの壁沿いに数えきれない本棚が並び、何層にも重なった内装は荘厳だ。歴史ある帝都の中でも特に古い建造物で、国内外からどの時期もひっきりなしに観光客が足を運ぶ。
帝立図書館は重要な蔵書もあるため、一般人が足を踏み入れることができる場所はかなり限られる。中でも地下に存在する禁書庫は別格だ。帝都でも稀有と言わざるを得ない高度な警備体制にあり、数多の魔道具や剛剣を用いる騎士に守られたその場所は、何人たりとも侵入を許したことのない聖域でもあった。
――――この時間になると、帝立図書館の中には職員や騎士しかいなかった。
暗い図書館の奥にある館長室にいた若い男性の館長も、帰り支度をはじめていた。
しかし、彼がその支度を中断せざるを得ない状況が訪れる。
「か、館長!」
館長室の扉をノックすることなく開けたのは、帝立図書館を警備する騎士だ。
経験豊富で腕利きの騎士がこれほど慌ててやってくることが気になって、館長は眉をひそめて騎士に言う。
「落ち着きなさい。どうしたんですか」
「は――――はっ! たったいま、お客様がいらっしゃいまして……ッ!」
「お客様? こんな時間に約束はありませんよ?」
「存じ上げております! ただそのお方は、通常業務が終了したいまからでないと、ゆっくり確認できないからと――――ッ!」
騎士の言うことがよくわからなくて、館長はため息交じりに首を傾げた。
「もう一度落ち着いて」
再び騎士を窘めて、落ち着かせることを試みた。
だが、騎士はそれでも落ち着かず、乱れた呼吸と額に浮かべた汗。両目も普段見せている姿と違って緊張で見開いているように見えた。
やはり普通じゃない。館長は硬い表情で騎士を見た。
そうしていると、ようやく落ち着きはじめた騎士が生唾を飲み込んだ。いつの間にか喉がからからに乾いていたせいで気持ちが悪かったけど、彼は懸命に言葉を発した。
「誰がいらっしゃったのか、ちゃんと説明を」
言い切るより先に、館長室へ向かってくる足音が聞こえてきた。
どうやら来客がこちらにやってきているらしい。騎士の様子から来客の身分が高いことは容易に想像できたのだが、いったいどれほどなのか……。
薄暗闇に見えたシルエットに目を細めた館長。
誰がやって来たのか、騎士の声は想像していなかったそれだ。
「け、剣王が――――ッ!」
館長の双眸に映し出されるのは、一人の佳人の姿だ。
濃紺の布に金糸をあしらった法衣を着た女性が、絹より滑らかな銀髪を靡かせながらこちらにやってくる。法衣の蒼に劣らぬ碧眼を目の当たりにした館長は、剣王をこんなにも近くで目の当たりにしたのがはじめてだったこともあり、その圧と美しさに息を呑んだ。
剣王序列第五位、白龍姫・ルトレーシェ。
レオメル最強の存在が、靴音を響かせながら二人の下へ近づいていた。
「急な訪問で申し訳ありません」
その容姿に劣らぬ鈴を転がしたような声だった。
「本を探させていただきたいのです」
館長の喉は騎士と同じでからからに乾いていていたが、ルトレーシェを前に失礼は許されない。
あるいは生存本能に従うかのように口を開き、
「……どのような本を探しておいでなのですか?」
「申し訳ありません。それがわからないので、探す場所だけ開放していただきたいのです」
「……え?」
禅問答のようなそれではないはずだ。
ルトレーシェは明らかに何らかの目的があり、またその目的を達成するための本がこの帝立図書館にあると確信して足を運んでいるように見える。
当惑した館長はいま一度、緊張したまま問いかける。
「貴重な蔵書がある場所――――ですか?」
「はい。陛下には許可をいただいておりますので、こちらを」
館長室にやってきたルトレーシェの顔が部屋の明かりに照らされた。
彼女が取り出した羊皮紙には、禁書庫を除いて、彼女が望むように本を探させるようにという旨が皇帝の直筆で記されていた。
そこには皇帝の印字もされており、館長が眼鏡型の魔道具で確かめればインクも専用のそれであるとわかる。間違いなく本物だ。
「か、かしこまりました……! それで……どちらの蔵書からご覧になりましょうか……」
「いくつか気になる箇所があるので、案内していただきたいのです」
ルトレーシェは館長室を出て歩きはじめた。
その後姿を見ていた館長は、傍で呆然と佇む騎士を見る。騎士にはここで待つように言うと、自分一人でルトレーシェの案内に向かう。
慌てて駆けだした館長は何も言わずルトレーシェの後につづいた。
いくつかの階段を降りて下の階層へ向かった。いくつもの長い回廊を進んでいくうちに、二人はこの帝立図書館の中でも最奥に近づきつつあった。
ここまで来ると、貴重な本が保管された部屋が並んでいる。いずれも入室に特別な許可が必要な場所なのだが、ルトレーシェにはそれが許されていた。
「陛下の許しが記されたこれがあれば、私だけでも入室が可能になるのですよね?」
「は、はいっ! その印字は特別なインクを用いておりまして、恐らく数日は鍵としての効力を発揮するかとっ!」
「わかりました。ではしばらく探させていただきます。急な来訪にもかかわらずご対応いただき、ありがとうございました」
ぺこり、とそんな音が聞こえてきそうな礼だった。
思いがけず剣王に頭を下げられた館長はくらりと倒れこみそうになるの耐え、慌てて「頭を上げてください!」と頼み込む。
ルトレーシェはその声を聞いて頭を上げ、「では」と言って鍵を開けて部屋に入ってしまった。
「な……何が起こってるのですか……?」
館長の呟きに答えは届かず、彼はしばらくの間呆然としていた。
一方、貴重な本が並ぶ部屋に足を踏み入れたルトレーシェ。
窓から差し込む僅かな月灯りで目的の本を探しはじめた彼女は、それから数時間にわたって部屋を巡った。ときに別の部屋にも向かい、目当ての本がないか探しつづけた。
いつしか夜が明けていた。
窓から差し込む朝日で時間の経過に気が付いたルトレーシェは、ふぅ、とため息を漏らして何冊目かわからない本を閉じた。
「徹底的に消し去っているようですね」
一人呟き、窓の近くに向かう。
「ギヴェンという男は法務大臣補佐を務めていた。その男がアシュトンに興味を抱くなら、
唇に指先を当てて考え込む。窓辺で物思いにふける彼女の姿はまるで深窓の令嬢、本を愛する淑女のそれだった。
「……やはり禁書庫でしょうか」
皇帝が彼女に許したのはこうした貴重な本が保管された部屋のみで、禁書庫はまた別だった。レオメル人でも騎士でもなく、文官でもない彼女には入室が許可されていなかったのである。
求めていた情報は最後まで見つからなかったが、ルトレーシェは自分が探す本や情報は禁書庫に眠っていると確信した。それがわかっただけでも彼女にとっては収穫だ。
彼女が何を目的にこの行動をとるのか定かではなかったが……。
窓に指先を当てた彼女は、
「――――お母様。私はどうしたらいいのですか」
そう口にしてからというもの黙りこくってしまい、じっと窓の外を見つづけた。
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