七月に入る少し前に。


 七月に近づくにつれて各競技の代表選考が終わった。

 迫る獅子王大祭本番に向けて、生徒たちが以前にも増してそわそわしだす。



 授業中も私語が目立ちはじめてしまうのは、この名門でもそうだ。

 年頃の少年少女たちが集まれば貴族が多かろうと致し方のないことで、教員たちも仕方なさそうにある程度は見逃していた。



(楽しそうだなー)



 昼休み、レンもその様子を傍目に廊下を歩く。

 どこを見ても獅子王大祭のことを話す生徒たちばかりだ。競技に参加しない生徒たちも当日はどの競技を見て回るか、はたまた出店を見て回ろうと約束を交わしていた。



 ふと――――脳裏をよぎる光景。

 その光景は、レンがいま見る学院の廊下と重なった。



『ヴェインは頑張ってよ。俺は負けちゃったからさ』


『……けど、次は一緒に出よう。今回の予選だってレンは最後まで残れたんだし、次は絶対に代表になれるからさ』


『ありがと。そのためにまた頑張ろうかな』



 いまと同じ昼休みに、廊下を歩きながら言葉を交わすレン・アシュトンとヴェイン。

 七英雄の伝説で親友と言えるほど友誼を深めた二人は度々言葉を交わすことがあって、イベントの一つにそうしたやりとりがあった。



『おーい、ヴェイン!』


『あれ、カイト先輩』


『探したんだぜ。ったく、一緒に飯でもって思ってたのに――――お? そっちにいるのは確か、代表選考でも戦った……アシュトンだったか?』


『はじめまして。レン・アシュトンと申します』


『おう! よろしくな!』



 カイトは豪快に言うと、レン・アシュトンと豪快に肩を組んだ。

 急に肩を組まれたレン・アシュトンはいまのレンと違い、気弱とまではいかなくとも、大人しい印象があった。

 


『お前すごく強かったぜ! また会いたいって思ってたんだ! どうだ? よかったら二人とも一緒に飯でもよ!』


『レン、どうだ?』


『俺もいいよ。レオナール様、よければ是非』


『んなぁーっはっはっは! 堅苦しいぜ! 先輩でいいって!』


『で、ではレオナール先輩と』


『そうしてくれ! そんじゃ行こうぜ、二人とも!』



 思い出す光景がレン・アシュトンのそれではなく、レン、、の現実に戻る。

 いま、レンはヴェインとも友人と言えるくらいには話はするが、七英雄の伝説ほど仲は深まっていない。レンは獅子王大祭の代表選考に参加しておらず、多くの面で違いがあった。



 その違いがいずれ、当初回避しようとしていた謎の未来へも繋がらぬことを切に願う。

 既に未来が変わりつつある現状に、そう願わずにはいられなかった。

 レンの肩を、誰かが唐突に後ろから叩いた。



「レン」



 声を掛けたのは、ちょうどレンが考えていたヴェインだった。



「ヴェイン、どうしたの?」


「偶然見つけたから声を掛けてみた。昼ご飯がまだだったら一緒にって思って」



 二人は歩を進め出してから獅子王大祭のことを話しはじめた。周りの生徒たちの賑わいも楽しみながら、当日の話に花を咲かせた。

 すると、



「おーい!」



 二人が歩く先から声が届いた。

 そこには二年次のカイト・レオナールがいた。



「探したんだぜ。ったく、せっかく二人と、、、飯でもって思ったのによ!」


「俺とヴェインもちょうど学食にいくところだったので、三人で行きますか?」


「おう! そんじゃ行こうぜ、二人とも!』



 違うようで同じような景色が現れることもある。

 レンはそれが面白くて、密かに笑みを浮かべた。



 学食に着いてから、カイトはレンとヴェイン二人分は優に超す量を腹に入れた。豪快に食べる姿は見ていても気持ちがいい。

 しかし、そんなカイトが唐突に食後、ぴたっと思いだしたように動きを止める。

 どうしたのかと思った二人の前で、彼は椅子に座ったまま脱力して高い天井を見上げた。

 学食にしては豪奢すぎる広いその空間の中で、情けない姿をさらしたのだ。



「どうしたんですか?」



 ヴェインが尋ねると、



「……午後の授業のこと忘れてた。課題をやり忘れてたんだったぜ」


「あ、ああ……大変ですね……」


「薬草学とかわからねぇよ……何がこのくらいの量必要で、どうして減ると駄目なのか~とか……意味がわからない数式だらけで頭の中が蒸発しちまうぜ……」



 苦笑するヴェインの隣で、レンは二年次の薬草学の授業のことを思い返す。

 確かにこの学院の授業は高度なそれだが、カイトの場合は元から勉強が苦手だったこともあるだろう。

 


「レオナール先輩」


「んおー? どうしたアシュトン、俺の情けない姿を見て笑いたくなったか?」 


「いえ、昼休みはまだ三十分くらいあるので、できるところまでやるのはどうかと思ったんですが」


「ははっ!」



 そこでカイトが開き直る。



「自慢じゃねぇけどよ、レンは俺の成績の悪さを舐めてやがんな?」


「いえ、それは重々承知の――――じゃなくて、大丈夫ですよ」


「お? 言いかけたことはとりあえずおいとくとして、何が大丈夫だって?」


「俺が手伝いますよ」


「……マジか?」



 カイトがテーブルの上で静かに身体を乗り出した。

 レンに顔を近づけ、目を見開いて瞬きを繰り返しながら、



「……マジか!?」



 大口を開けて言った。

 近くでその声を聞いたレンはあくまでも冷静に「なので急ぎましょう」と告げ、席を立つ。

 食器などを返しに行こうとしたのだが、



「図書館の前で集合な! 二人の分も俺が片付けておくからよ!」



 カイトが自慢の筋肉を生かすほどでもないのだが、彼は三人分の食器を返事も聞かずにまとめて駆けだしてしまう。

 レンとヴェインはそれを見ながら肩をすくめた。



「ごめん、俺はセーラと約束があるから行けないんだ。――――というか、行ったところで薬草学は俺もよくわからないから、手を貸せないんだけどさ」




 レンは気にしなくていいとヴェインに言い、図書館へ向かった。

 歩きはじめてすぐに、レンの隣をカイトが「すぐ行くぜ!」と風のように駆けていった。途中で教員に「廊下を走らない!」と怒られていたのは、どうしようないとしか言いようがなかった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 昼休みが終わる直前、無事に課題を終えたカイトは図書館を後にした。

 その際、廊下を走るのと違って「ありがとな」と小さな声でこの場にあわせた小声で礼を口にして。



「意外とどうにかなるもんだな」



 レンは自分の知識で二年次の薬草学の課題をこなせたことに驚き、喜んだ。

 午後からは実行委員の仕事をする予定なのだが、数十分とはいえ座りつづけた弊害で身体が強張っていたので、図書館を出て学院の庭園へ向かう。軽く散歩をしたかった。

 学院の庭園に向かうと、その一角にあるテラス席にラディウスが座っていた。



「あれ? ラディウス?」


「ん? ――――ああ、レンか」



 レンが声を掛ける直前まで、ラディウスは何か考え込む様子を見せていた。



「考え事?」


「ああ。少し気になることがあってな」



 その気になることについてラディウスは説明する気がなさそうだった。

 一瞬、レンを見て「……ふむ」と何か言いかけたものの、それ以上は口を閉じてしまう。

 


「私はミレイと合流してからそっちに向かう。悪いが二人には少し待っててくれと伝えてくれるか?」


「ん、りょーかい」


「すまない。なるべく急がせてもらう」



 レンがラディウスの傍を離れ、実行委員の部屋へ向かうため背を向けた。

 ラディウスはと言えば引きつづき何か考えながらそこにいたが、数十秒後に歩きはじめた。

 庭園の一角、生垣に囲まれた場所へ向かいはじめてすぐ、



「私ですニャ」



 ある生垣の影から聞こえた声に対し、ラディウスは「待っていた」と言いミレイと合流した。

 ミレイは一枚、自分が調べた情報が記された紙を彼に手渡した。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 レンが実行委員の部屋に到着すると、そこにはすでに二人の令嬢がいた。



「レン、珍しい方と勉強してたわね」


「私たち、ここにくるときに見かけたんです。レン君が英爵家の方と勉強してて驚いちゃいました」


「あー……レオナール先輩、色々と大変そうでしたから」



 カイトの話はこの辺りにして、レンは先日の夜のことを語る。

 もうレザードには共有済みながら、リシアとフィオナにはまだ細かな話まではできていなかったのだ。



「前に獅子王大祭本番中、俺がユリシス様に呼ばれるかもって話してたことは覚えてますか?」



 二人が頷いたのを見てレンがつづける。

 先日、アーネアの最上階で話したことの中でも、特に後半部分のことを。



「――――という状況らしく、恐らくレザード様も交えて天空大陸の商人と会ってきます」



 話を聞いていたリシアとフィオナが顔を見合わせた。

 二人はくすっと、レンらしいなと思いながら笑っていた。



「ねね、お客様と話すときって、クラウゼルでのことも話すのよね?」


「そうみたいです。うちの村の話とかも聞きたいらしく」


「じゃあ、じゃあ、ギヴェン子爵のときのことも話題に出るのかしら」


「かもしれませんねー……少し気恥しいですが」


「ふふっ、いいじゃない。せっかくレンが活躍した話なんだもの」



 彼らがそんな話をしていると、部屋の扉が開いてラディウスとミレイが姿を見せた。

 少し遅れてやってくると言ったラディウスがミレイに頼み、皆が仕事に使うテーブルに分厚い紙の束を置く。



「ほいニャ」


「ええと……ミレイさん? これって確か……」


「本来、今日みんなで仕上げるはずだった仕事じゃ……」



 リシアにつづいてフィオナが疑問を述べれば、ミレイはちらっとラディウスを見た。



「皆気が付いているように、これは今日するはずだった仕事だ」



 今度はリシアとフィオナの二人がレンに視線を送り、尋ねるよう頼む。



「見たところ、もう終わってるような気がするけど」


「私が城で終わらせてきたのだから当然だ。とりあえず、こちらに注目してくれ」



 ラディウスはこの部屋にある黒板に向かい、そこに今後のスケジュールを書いていく。メモを片手にすることもないため、どうやらすべて暗記しているようだ。



「もうすぐ獅子王大祭がはじまる。我々実行委員の仕事は今後このようになっているのだが、ご覧の通り、当日まで面倒な仕事が詰め込まれている。これについては以後、私から学院に教員側の作業体制の改善案を提出させてもらうつもりだが、それはさておき――――」



 スケジュールにバツ印が記されていく。

 それらの印はラディウスが考えた絶対に忙しくなる日だ。今日以降、獅子王大祭の本番まで余裕がないことが窺えた。

 しかし、今日は違うらしく不思議と丸い印が書き加えられた。





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