書類を貰うために。
レンが手元に限って纏いを使えるようになった日の翌朝だ。
エレンディルに来ることが決まった理由の一つ、リシアの対魔物訓練。その最初の訓練をすべく、レンはリシアとヴァイスの二人と共にエレンディルを発っていた。
向かった先は、バーサークフィッシュを狩った湖のすぐ傍。
深く降り積もった雪に覆われた獣道を、三人は白い息を吐きながら歩いていた。
道中、何度か獣型の魔物と出会うことがあった。
冬場とあって現れる数は暖かい季節よりだいぶ少ないが、それでもないわけじゃない。
対魔物訓練についてだが、リシアは労せず戦えた。
彼女の実力ならわかりきっていたことだが、決して油断せずレンとヴァイスの助言を聞きながら戦う姿は、努力家な彼女らしい。
しかしそれでも、良き訓練となることは間違いなかった。
「ねぇねぇ」
コートに身を包んだリシアが歩きながらレンに尋ねる。
雪に覆われた獣道を歩く度、キュッ、キュッ、という音が足元から鳴った。
「纏いって、どういう感覚なの?」
昨夜、エレンディルの屋敷に帰ったレンから既に聞いていた。
レンが獅子聖庁で纏いを部分的に扱えるようなったことについて、リシアにレザード、ヴァイスが彼の成長を祝って間もない。
年末から昨日までの十日間だけを見れば短いが、レンは昨年の夏以降、例の小瓶を用いた訓練のほか、基本的な剣術を学びながら諸々に尽くしてきた。
彼の頑張りを常に傍で見てきた三人にとって、それは喜ばしい報告だったのだ。
「うーん……見えない鎧に包まれるような、見えない筋肉を得たような、説明するのが難しい感じです」
「魔力はどう? たくさん消耗しちゃうの?」
「思っていたほどではなかったです。俺より魔力量が多いと思われるリシア様だったら、もっと余裕があるかもしれません」
興味津々に耳を傾けるリシアにつづき、ヴァイスが、
「本当に喜ばしい話だ。少年ならすぐに結果を出すだろうと思っていたが、実際にその成果が出るとひとしおだ」
「エドガーさんは、ヴァイス様のおかげでもあると仰っていましたよ」
「うん? 私だと?」
「はい。ヴァイス様の指南によって、俺は実戦の中で成長するための強さを身に着けていたのだろう、とエドガーさんが言っていました」
纏を一部分ながら扱えるようになった日、その感覚を身体に教え込んだ後にエドガーが言っていた。
彼は兼ねてからヴァイスの教え方を讃えており、今回改めてそれを讃えた。
「……やれやれ、おだてても何も出んぞ」
ヴァイスは謙遜しているが、レンもヴァイスに強く感謝している。
リシアと共に教わった帝国剣術はレンの剣技を磨き、彼に戦いの中で考えるための力を身に付けさせた。
ヴァイスへの感謝の念は尽きることがない。
今後も、ヴァイスに時間があれば帝国剣術を学びたかった。
その気持ちをヴァイスに告げると、彼は「私で良ければいくらでも」と照れくさそうにしていた。
◇ ◇ ◇ ◇
エレンディルに帰ったのは夜になってからだ。
連日の疲れがたまっていたのか、翌朝のレンはいつもより長い睡眠を経て目を覚ます。
ベッドの上で身体を起こし、うんと身体を伸ばすと気持ちがいい。
窓の外を見れば、今日は天気が良かった。
「――――どうしよ」
今日の予定は一つもない。
獅子聖庁に出向いて剣を振るもよし。リシアが望めば昨日のように町の外に出てもよしなのだが、前者に至っては休もうと思った。
まだ疲れが抜けきっていないから、無理は禁物だ。
一方、後者のリシアが町の外に出ることを望んだ場合だが、こちらの線も薄そうだ。
身支度を終えたレンが部屋を出て、給仕に聞く。
やはり、リシアはまだ目を覚ましていないそうだ。
昨日は朝から夜まで歩きつづけたから、疲れが溜まっているだろう。
(さて)
レンはこの日を、どう過ごすか決めかねていた。
クラウゼルに居たときは旧館の掃除でもして過ごしたものだが、エレンディルの屋敷ではすることがない。
手持ち無沙汰だったレンは、何かしておくべきことはないかと考える。
せっかくの休日にするのなら、休むこともそうだが実りある一日にしたいものだ。
「あ……そっか」
一つだけ、しておかなければいけないことがあった。
その存在を思い出したレンが廊下で窓の外を見ていると、偶然通りかかったレザードに声を掛けられる。
「おはよう。昨日はリシアが世話になったな」
「おはようございます。いえ、昨日は俺もいい経験になりましたから」
そう言うと、レンはつづけて「今日はちょっと、帝都に行ってこようと思います」と告げた。
するとレザードが苦笑い。
「獅子聖庁か? あまり無理をしては――――」
「ああいえ! そうじゃないんです! 貰いにいかないといけない物があったことを、今更ながら思いだしたんです。年も明けたことですから、そろそろ貰っておこうかなーと……」
「貰いに行く物だって?」
首をひねったレザードは、意外にもすぐ理解に至った。
最近のレンが口にした言葉や行動を思い返せば、わからないほうが嘘だろう。
「なるほど。帝国士官学院か」
目的は入学試験を受けるための願書である。
特待クラスを受験することに決めたレンにとって、何が何でも提出が遅れてはならない書類のことだ。
「提出期限までまだ二か月ちょっとありますけど、早めにしておくに越したことはありませんから。確かリシア様は、もう手続きを終えられてましたよね」
「ああ……終わっているが、それにしてもレンは本当に詳しいな」
「間違えないように勉強しておきました」
例によって七英雄の伝説における知識だが、それも例によって口にしない。
レンはレザードに改めて帝都へ行ってくる旨を告げ、自室に戻り財布を手にして屋敷を出た。
銀雪に反射する朝の光が、少しだけ眩しかった。
◇ ◇ ◇ ◇
帝都の駅に着いてすぐ。
朝から賑わう駅の中を歩いていたレンは、魔導列車を乗り換えるため人混みの中に居た。
すると、彼を呼ぶ声がした。
「おん? おお! いいガキ――――じゃなくて、レンじゃねぇか!」
男の豪快な声。
鍛冶師兼魔導船技師のヴェルリッヒが、両手に紙袋を抱えながら歩いていた。どうやら買い物帰りのようだ。
レンは人混みの合間を縫うようにヴェルリッヒの傍へ行き、紙袋を一つ預かった。
「鍛冶屋街に帰るんですか?」
「おうとも! 悪いな手を借りちまって」
「いえいえ。ヴェルリッヒさんなら重くなんかないでしょうけど、歩くのに邪魔でしょうし」
ここで会ったのも何かの縁と思い、帝国士官学院へ行く前に手伝うことにした。
レンはヴェルリッヒと肩を並べて駅構内を歩き、鍛冶屋街近くへ向かう魔導列車へ乗り込む。
二人は魔導列車に少し揺られて到着した鍛冶屋街の駅で降りて、ヴェルリッヒの工房へ向けて歩きはじめた。
「もちっとしたら例の素材が届くんだったな」
「らしいです。ただ雪のせいで若干遅れるてるって聞きましたよ」
「ま、しょうがないってもんだ。代わりに良い準備期間とでも思えばいい」
「……前も思いましたけど、ヴェルリッヒさんって仕事嫌いなのに、仕事に対してすごい真摯ですよね」
「がっはっはっ! 勘違いするなよ! 俺様は自分がやりたい仕事だけをしたいだけだ!」
ヴェルリッヒらしさに溢れた言葉にレンは笑う。
やがて、二人の目に目的の工房が見えた。
「助かったぜ、レン」
「お気になさらず。こちらも防具や魔導船の件でお世話になりますから、こんなのお礼のうちにも入りませんよ」
「水臭いこと言うんじゃねぇって。そうだ。せっかくだし一杯飲んでけよ」
もちろん茶のことだ。酒ではない。
「……えっと」
レンは早く帝国士官学院へ行き、入学のための書類諸々を貰うつもりだった。
そのため、一瞬返事に迷ってしまう。
「興味があったら、俺様が作った武器やら防具も見せてやるぜ」
「是非」
そんなことを言うのはずるいではないか。
即答したレンはヴェルリッヒの言葉に甘え、彼の工房に足を踏み入れる。
――――レンがヴェルリッヒの工房を出たのは、午後の三時を過ぎた頃だった。
予定外に時間を使ってしまうも、予定外の楽しみがあったと思えばそれも悪くない。
外に出たレンは、ふぅ、という短い息を吐く。
その息は冬の寒さで真っ白に染まった。
空を見上げると、微かに雪が降り出しつつある。
冬の影響で日の入りが早く、空の端は徐々に瑠璃色が侵食しつつあった。
帝国士官学院に到着し、書類を受け取って帰る頃にはもう真っ暗になっているだろう。
(まぁ、悪くない休日だ)
ヴェルリッヒの工房では興味深い品々を拝見できたし、その帰りに必要な書類を貰えって帰るのは都合がいい。
思いのほか気分転換になっていたと考えながら、レンはこの区画に隣接した学院区画への道に就いた。
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