雨の日に。

 二次試験の申し込みを終えて間もないレンの元を訪ねた、夏の制服に身を包んだフィオナ。

 彼女にはある用事により、レンと会う予定があった。



「レン君。お疲れさまでした」



 彼女はそう言って微笑む。 

 今日の帝都は雨に見舞われているとあって、眩い陽光なんて届かない。その代わりというわけではなかったが、夏服姿のフィオナは煌めいてすらいた。



 半袖姿の彼女が羽織る学院指定のジレを、その下の胸元が押し上げている。

 清楚さに孕ませた艶を、二の腕に付着した雨水が際立たせているかのようであった。



「お父様から預かった手紙です。すみません……今日はエドガーも忙しいみたいで、私が代わりにお持ちしました」



 彼女が申し訳なさそうに言ったのを聞き、レンが笑みを浮かべる。



「気にしないでください。……これはレザード様宛でしたっけ」


「ええ。そう聞いてます」


「わかりました。ちゃんとレザード様にお渡ししますので……この後はよければ、フィオナ様を寮までお送りします」


「もう……レン君が二度手間ですよ?」


「いえいえ。それこそお気になさらずに」



 二人は歩きながら話をした。

 最初は手紙のことに触れようとしたのに、ここ最近話す機会が少なかったこともあり、まずはレンの一次試験について。

 フィオナはレンが一次試験に合格したことを知っていた。

 というか、二次試験の申し込みをしている時点で当然なのだが。



「一次試験の調子はどうでした?」


「なんだかんだ、俺もリシア様も満点でした」


「すごいです! お二人とも絶対に合格するだろうって思ってましたけど、まさか満点だったなんて……っ! それなら、二次試験も――――ううん! 最終試験だって大丈夫ですね!」


「だといいんですが……ちなみに、フィオナ様の一次試験はどうでしたか?」



 尋ねるのは不躾だったかと思ったレンは、それを口にしてから後悔した。

 何でもありません! 慌ててそう告げようとしたレンに、フィオナは照れくさそうにしながら自分も満点だったと言った。



「あはは……私は身体が弱かったので、勉強くらいしかすることがなかったんです……」



 自嘲した声にはなんとも答え辛い。

 レンはそれに対し、「フィオナ様の努力の賜物ですよ」と言った。

 褒められたことに素直に喜んだフィオナが嬉しそうにはにかんで、絹を思わせる黒髪を揺らす。



「クロノア様も、レン君みたいな男の子を見れば驚くと思います」


「――――学院長ですね」



 レンにとっては多くの思いがある相手だ。



(はじめて会うときは絶対緊張するだろうな)



 しかし、ゲームと同じ未来にならないよう引きつづき努めるのみだ。  

 これまでも多くの運命を変えてきた。そう思えば以前ほど恐れはない。



「確かクロノア様は十月にお帰りになりますから、来年の入学式のときにはお会いできますね」


「お仕事があってレオメルを離れてるんでしたっけ」


「ええ。銀聖宮ノディアスでお勤めがあって、ずっと帝都を離れてます。けどバルドル山脈の騒動の後、一度お帰りになろうとされたみたいです」



 だがクロノアが携わる仕事はレオメルに限らず、他国も関係したものだ。

 そう簡単に戻ることはできず、また、ユリシスからも自分に任せてほしい、という旨の手紙が届いたため、仕方なく帰国を断念したのである。



「そういえば」



 とレンが、



「最近ユリシス様って、お忙しいみたいですね」


「お父様ですか? 言われてみれば、確かにお忙しそうにしてました。エドガーに仕事をたくさん任せているみたいで、その関係みたいです」



 レンは次に、歩きながら黙りこくった。

 隣を歩くフィオナがレンの横顔を覗き込み、また大人っぽくなった彼に対し密かに頬を赤く染め上げる。

 するとレンは黙りこくってしまったことに気が付き、すぐに、



「すみません。黙ってしまいました」



 そう口にしてフィオナを見ると、彼女と目が合った。




「っ――――み、見てませんよ!」


「え?」


「い、いえ! 何でもありませんっ! 勝手に勘違いしちゃいました……っ!」



 大目標として、まずユリシスとラディウスが静かすぎる理由を知りたい。

 レンは言い繕ったフィオナに「うん?」とやや首を捻りつつ、それはそれとして考えた。



(前に手紙を送ってもはぐらかされたしなぁ……)



 というのはユリシスに対し、盗賊団の騒動がどうなったのかと手紙で尋ねた。彼の返事は「心配要らないよ!」と、要約すればこのようなものだ。

 他には世間話やフィオナを愛でる言葉が綴られていたのみ。



「でもレン君、どうしてお父様のことが気になってるんですか?」


「――――フィオナ様って、盗賊団の件で魔王教が隠れていそう、って話は聞いておられますか?」


「はい。聞いてますけど……」


「俺はそのことが気になってたんです。ユリシス様はラディウスと協力して色々動いてるって話だったんですが、まったく音沙汰がなくて」


「――――すみません。いまのお名前って、第三皇子殿下ですよね?」


「ですね」


「っ……どうして呼び捨てなんですか!?」


「ラディウスがそう呼べって言ったので、もう遠慮しないで呼ぼうかと思いまして」



 フィオナが驚くのも当然だ。

 彼女、イグナート侯爵家と言えば皇族派筆頭であるため、皇族を敬う気持ちは他の派閥の貴族と比べて強い。

 その第三皇子をレンが呼び捨てにして、なおかつその第三皇子が許したという。

 これには考えが追い付かなかった。



「レ、レン君だから、そういうものなんでしょうか……?」



 そのため、フィオナは彼女は考えることを諦めた。



「……だったら、私だって呼び捨てでいいのに。あと、口調だって……」



 ぼそっ、と呟いた彼女はバルドル山脈でのレンとのやり取りを思い返す。

 彼女は第三皇子に対し、ある種の悔しさを覚えていた。



「ユリシス様からどうして連絡がないんだろうなーって、最近は常に考えてました。こちらから連絡してもはぐらかされましたしね」



 フィオナはレンの考えに寄り添うことを優先した。



「お父様が何も調べてないことはないと思います」


「ですよね。ユリシス様のことですから、俺が知らないところで動いていて当然でしょうし」


「……そうだ。レン君」



 ふとした瞬間に思いだしたことをフィオナが言う。

 盗賊騒動から間もなくわかったことだ。



「何かの参考になれば良いんですが――――以前盗まれたのは、各工房に保管されていた資料だそうです」



 フィオナが口にするのは、以前、ユリシスとラディウスがエウペハイムで顔を合わせ、そこで話した内容である。

 各商会や、魔道具職人が請け負った魔道具の情報が載った書類ばかりが盗まれた。

 まるで町中に設置された魔道具の情報ばかり狙われたような、そんな事実が浮き彫りになっていたという。



「警備の隙を探しているんでしょうか」



 レンはすぐに、当時、ラディウスが口にしたのと同じ言葉を発した。

 それをフィオナが「私はそれだけじゃないと思います」と即座に否定する。



「だって、あの魔王教です。……バルドル山脈でのようなことをする者たちが、警備の隙を探るだけで終わるとは思えません」


「だとすれば、別の狙いが――――」



 二人はそれから、しばらくの間考えた。



 一応、警備の隙を探っていることも事実だろうから、盗まれた品の情報の多くが秘匿されている。ユリシスがエドガーに命じて捕縛した解呪使いから得られた情報なんかも特にそうである。

 知るのは一握りの人物だけなのだ。



(何が目的なんだろ)



 残念なことに寮の前にたどり着いてしまったから、フィオナが共に考えられる時間は終わりを迎えた。



 フィオナは「時間なんて平気です!」と言うも、あまり彼女を付き合わせすぎるのも、と気を遣ったレンが彼女と別れる。

 その帰り、レンは魔導列車に乗られながら考えごとに耽った。




◇ ◇ ◇ ◇




 屋敷に帰った夜のことだ。

 雨が上がり、ややじめじめして熱い夜だった。

 レンはリシアに誘われたことで、彼女と共にバルコニーで冷たい果実水を飲みながら、夜の風を浴びていた。



「レン? 何か考え事?」



 リシアにわからないはずがなかった。

 少しでもレンが考えごとに耽っていると、すぐに敏く気が付いてしまう。



「実は――――」



 レンは最近の考え事をリシアにも告げた。

 今日、フィオナから手紙を預かってくることはリシアも最初から知っていた。リシアはその際にフィオナが言っていた言葉を聞き、同じく頭を悩ませた。



「私も、警備の隙を探るだけとは思えない」



 すると、リシアもレンとフィオナと同じ考えを口にする。



「得られた足がかりにして、何かするつもりなのかも」


「ですよねー……問題はその何かがよくわからないってことです」


「イグナート侯爵は教えてくださらなかった?」


「前に手紙でお尋ねしたところ、はぐらかされました。多分なんですが、俺たちを巻き込まないように気遣ってくださってるんだと思います」


「ええ。イグナート侯爵はお優しい方だから、そうだと思う。あと、レンが一人で頑張り過ぎちゃうからよ」


「そ、それは反論できませんが……」



 だがあくまでも、剛腕の優しさが向けられる相手は限定的だ。

 限定なことはさておき、二人はユリシスが気を遣っていることを悟り、その優しさに感謝した。

 けれど、話はつづく。

 無理に首を突っ込みたいが故ではなく、隠された理由への興味からだった。



「それで、フィオナ様は他に何か仰ってなかった?」


「帝国士官学院の学院長が十月に帰国されるらしい、と聞きました。あと、盗まれた品々についてでですが」



 次にレンは盗まれた品の共通点などにも触れた。



「……ふぅん」



 リシアが意味深に呟き口元に手を当てる。

 次に冷たい果実水で喉を潤わせ、口を開いた。



「魔王教が何かするつもりなら、クロノア学院長が帰る前だと思わない?」



 レンは「確かに」と呟きリシアと同じように考える。

 なぜならクロノアは、世界最高の魔法使いの一人と言われている存在であるからだ。

 間違いなく、いれば邪魔で驚異的な存在だろう。



(魔王教が動くなら、十月より前か)



 結局、そこで何をするのかと言う話もある。

 だが今回は、つい数十秒までと違いレンがあることを予想することを可能とした。

 なぜなら、限定された時間さえわかればこそである。



(――――そうか)



 盗まれた品々のことから、もしやという考えが脳裏を掠めた。

  


「リシア様。夏に入れ替えるっていう、あの場所の魔石について教えてください」



 もう、答えを言ったも同然だった。

 盗まれた品々のことからも、ある結論にたどり着けたから。

 リシアはコクリと頷き、すぐに「お父様にも話さなきゃ」と言う。だがレンは、そうして立ち上がったリシアの手を掴んで彼女を止めた。



「待ってください。今日の手紙のことを思い出してほしいんです」


「……もしかして、お父様はイグナート侯爵から話を聞いてるってこと?」


「そう思われます。でないと整合性が取れない。さすがにレザード様には話しておかなくちゃ、ユリシス様とラディウスの計画に支障が出るかも」



 レンに見つめられながら言われ、リシアは「そうね」と頷く。彼に手を掴まれたままに。でも彼女の顔は神妙だった。



「でもそれなら、私たちが口出ししていいのかしら……」



 リシアが、そしてレンが考えていたのは次のようなことだ。

 ユリシスとラディウスはレンを、そしてクラウゼル家を巻き込むことのないよう何か目的があって動いているが、今回、必要に迫られてレザードに連絡をした。



 しかし、レザードのこともそれ以上巻き込むつもりはないだろう。

 これまでのユリシスの行動を思い返せば、こんなことは容易に想像がつく。

 それなら自分たちが口を出してよいのかという疑問だ。仮にレザードが状況を知り、自分たちに知らせなかったのなら……



「俺たちを巻き込まないよう気遣ってくださってるのに、そこに手を出す真似をしていいのか、ということですね」



 リシアが頷いた。



 敢えて言い方を変えるなら、ユリシスたちはレンが居なくとも大丈夫な戦力を用意し、魔王教と事を構えようとしている。

 そこにレンが加わることの意味が、はっきりいって実利の面ではゼロに等しい。まさしく、無駄な危険に首を突っ込むが如く振る舞いだし、逆に邪魔をする可能性だって高いはず。



「少し様子を見た方がいいのか――――も――――」



 自分の手がレンに掴まれていたままであったことに、リシアが遂に気が付いた。

 彼女が慌てふためいてしまうのも仕方のないことだった。


 

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