ユリシスの話と、紹介状。

「君も帝都に来ていると思ってたよ」


 

 ユリシスの確信めいた言葉だった。



「ここに来たのは偶然ですよ。けど、どうして俺が帝都に来ていたことを?」


「クラウゼル男爵と話してわかったのさ。彼の口ぶりでは、君が遠くにいるようには思えなかったんだ。もっとも、ここで出会えたのは偶然だ。君が見ていたあの学院の女子寮にフィオナを送り、その帰りに見かけただけだからね」



 レンが見聞きしていないパーティの中で、レザードは特段、失態らしい口の滑り方はしていなかった。

 強いて言えば、レンを取り合い親同士のちょっとした牽制をしたくらいだ。

 すべては、ユリシスが鋭すぎたに過ぎなかった。 



「なるほど。さすが、イグナート侯爵ですね」


「お褒めに預かり光栄だよ。それと、私のことはユリシスで構わない」



 淡々と進む会話に、ユリシスは密かにほくそ笑んだ。

 彼は隣に立つレンの堂々とした姿に、彼は想像していた以上の力強さを感じていた。



「人の世というものは面白い。君のような存在が、何かの拍子に表舞台へ引きずり出されてしまうんだからね」


「俺は村に引きこもっていたかっただけなんですが」


「ははっ、君らしいな! だけど考えてもごらんよ。派閥争いをしていた者たち以外にも、魔王教の連中にとって君の存在は誤算だった。わかるかい? 奴らは手を出してならない領域に手を出し、本来、生まれるはずのなかった英雄レン・アシュトンを生み出したんだ」


「買いかぶり過ぎです。俺はただの……田舎騎士の倅です」


「しかし、それは過去のことになってしまった。頭のいい君のことだ。もう自覚しているはずだよ」



 言われなくとも、レンはそれを強く自覚している。

 そして自覚する以前と比べて更に強く、成長に関する欲が芽生えていた。

 膂力に限らず、知力も磨くべきという思いは以前の比じゃなかった。



「たとえば君が見ていた帝国士官学院さ。私から見ても、君に見合う学び舎はあの他に存在しない。ギヴェン子爵に誘われた頃よりは、君自身もそう思っているんじゃないかい?」


「……どうでしょうね。あまり、意識はしていませんが」


「やれやれ――――本当に君はどこまでも興味深いな」



 レンは目の前のユリシスを見上げ、端正な顔立ちをこんなにも近くで臨んだ。

 どこかフィオナに似た顔つきの美丈夫が、不敵に笑っていた。



「教えてくれたまえ。君は何故あの学院を避けるような口ぶりを? ギヴェン子爵の件で忌避感がある、という感じではないだろう?」



 七英雄の伝説I、そのラスボスことユリシス・イグナートの問い。

 問いかけた剛腕は答えないレンから目をそらさず、また、レンも彼から目を反らすことなく互いを見る。

 いくら待てど届かぬ答えに、ユリシスが更なる言葉を発する。



「世界に名を馳せる名門を前に、君はその価値を見出していながらもそれを避けているのが明らかだ。だが何故だい? ギヴェン子爵を恐れず、そしてアスヴァルも恐れなかった君が――――このユリシスを前にしても堂々としている君が、いったい何を避けている?」



 ユリシスの言葉がレンの心を揺らした。

 問いかけられるたびに、自分でも答えがわからない気がしてきた。



(俺は……)



 何が何でも帝国士官学院を避けるべき……そう考えたのは、七英雄の伝説と同じ結末を恐れてのことだった。

 だけど、いまもそれに意味があるのかわからない。

 レンは多くを救い、幾人もの運命を大きく変えてきた過去があるからだ。

 しかし、根底に宿る考えはそう簡単に覆せなかった。



「――――俺は、分不相応なことをして辛い思いをするくらいなら、田舎に引きこもった方が幸せだと思っているだけですよ」



 自嘲交えて言ったレンを見て、ユリシスは目を点にした。

 彼は何度も瞬きを繰り返してから高笑い。



「はっはっはっはっ! 分不相応だって!?」



 額に手を当て、天を仰いで心の底からあふれ出た笑いだった。

 それが満足したところで、笑いすぎて浮かんだ涙を拭ったユリシスがレンを見る。



「すまないね、つい笑い飛ばしてしまった」


「ほんとですよ。急に笑われたんで驚きました」


「そう不貞腐れた顔をしないでくれよ。あんな言葉を聞いたら、笑わずにはいられないに決まってるじゃないか!」



 すると、ユリシスはレンを手招いた。

 唐突に歩き出した彼の背を、レンは何となく追いかける。



「故郷の運命を、クラウゼルの運命を大きく変えた。それに留まらず、このユリシスにも変えられなかったフィオナの運命を変えた――――それが君、レン・アシュトンだ」


「……もう一度言いますけど、買いかぶり過ぎですよ」


「そうかい? しかし自分で言うのもなんだが、たかが運などという不確定な要素では、この私以上の働きはできないよ」



 実力に裏付けされた自信に対し、レンは何も言い返せない。



「ところで、私はよく恐ろしいと言われるんだ。どうしてだと思う?」


「その叡智と権力が、他の追随を許さないからです。世界最大の国レオメルを窮地に追い込むことができる個人……それが貴方ですから」


「……ほう」



 恐れずその言葉を述べたレンに、ユリシスは何度目かわからない楽しみを覚えた。



「ならばもう一度言おう。君はそんな私を含んだ、多くの人々の運命を大きく変えたのさ」



 二人が向かう先にある坂の下で、一台の馬車が待っていた。ユリシスの執事を務めるエドガーが御者の席に乗る、漆黒の馬車だった。



「それなのに君は、学び舎一つとって分不相応だって? 笑いがこみ上げてくるに決まってるじゃないか! 君の言葉を借りるなら、君は世界最大の国レオメルの運命ごと変えたと言うのにね」



 そう言ったユリシスが馬車の前に立った。

 彼は自分の手で馬車の扉を開けて、中へ入った。レンにも「送るよ」と言って中に入るように告げ、漆黒の馬車の中へ誘った。



「悪かったね。顔を合わせるのがはじめてなのに、偉そうに話して」


「い、いえいえいえ! そんなことはありません! 表現するのは難しいんですが、参考になりました!」



 いまの言葉は嘘じゃない。

 目の前の席に腰を下ろしたユリシスと話していると、帝国士官学院に覚えていた忌避感がちっぽけに思えてきた――――とまでは思わない。ただ、多くの運命を変えた自分がまるで不確定な自分の運命に恐れを抱く……確かに笑えるだろうと思った。



 どうして自分の運命を変えられるとは思わないのか?

 そう言われているような感覚だった。



 ユリシスは七英雄の伝説Iにおいてはラスボスで、レンが口にしたように、レオメルを個人の力で追い込める実力者。

 その彼の運命を変えたことを鑑みれば、正直レンには返す言葉が思い浮かばない。 



 馬車が動き出し、石畳を進む車輪の音が聞こえてきた。



「努々忘れないことだ。分不相応な振る舞いで痛いしっぺ返しを食らうことはあっても、君はおおよそ、その範疇にないということをね」


「田舎騎士の倅でしかない俺が、ですか?」


「それは所詮、生まれでしかない。いまの君は強い。状況はどうあれ、アスヴァルを相手に勝利した君は間違いなく強者だ。その膂力を以て、ある程度の面倒や理不尽をねじ伏せられる強者なのさ」



 ユリシスの声が、レンの心に沁みわたっていく。



「その強さは、君に稀有な自由をもたらした。大切な存在を背負う責任があろうと、有り余るだけの自由をね」


「…………」


「無論、君の強さは既に膂力に限られたものではない。クラウゼル男爵も君の影響を受けて力を付けつつあるし、中々表立ってというのは難しくとも、イグナート家の存在も忘れないでほしいわけだ」



 特にユリシスとの友誼というのは、彼の力をよく知るレンにとっては頼もしい限りである。

 相手がゲーム時代のラスボスであろうと、その力を暴走させなければ特に。

 またいまのレンは、ユリシスが暴走しないための防波堤――――とまではいかなくても、ある種関係した重要な人物に違いない。

 


「故に、自由は力の証明でもある。だいたい、君で分不相応なら、帝国士官学院生の全員が分不相応だろうに」


「……一つ聞いてもいいですか?」


「ああ、何かな?」


「ユリシス様が仰ったことの意味は理解していますし、俺も考えを改めるべき――――と思う箇所がありました。ですが、腑に落ちない点が一つだけあります」



 レンはそれまでの静けさから打って変わって、どこか仕方なそうな声で。

 それも、ユリシスに対し遠慮なく告げる。



「我々が眺めていたのが、帝国士官学院だったからちょうどよかったのかもしれません。ただ、それにしても、ユリシス様はあの学院を勧める気持ちばかり強いように思えます。それって、あの学院がレオメル一の名門だから、ということだけではありませんよね?」


「あ、バレてたのかい?」


「……ということは、やはりでしたか」



 ばつの悪そうな顔を浮かべたユリシスと、その対面で訳知り顔のレン。



「私の娘が通ってるからね。君のような存在がいれば頼もしいと思ってしまうんだ」


「ええ、だと思ってましたよ」


「だが勘違いしないでくれよ? 娘のことはあっても、帝国士官学院が君のためになるという考えも事実だ。また、君の考えに疑問を抱いたのもね」



 彼の言葉に嘘はなかった。

 それはレンもわかっていたし、ユリシスが素直に言葉にしてくれたことに感謝していた。



 またユリシスは娘を大切に思っているが、何かを強いるべく腹芸をしたわけでもない。およそ一時間まえにはリシアに対しても帝国士官学院を勧めたが、それは派閥の今後を鑑みての注意喚起であり、たとえばここでレンも先導し、彼が入学を決めやすくなるようにした意図は微塵もない。

 あくまでも別々のことで、打算的なものは一つもないと断言できた。



 ユリシスはその証拠に、それ以上帝国士官学院の話をしなかった。

 その代わりに、



「君が学院に通う年齢になるまで、まだ時間がある。もう少し考えてみるのもいいだろうさ」



 彼はそう言い、ジャケットの懐に手を入れた。

 すぐに一通の封筒を取り出して、レンに渡す。



「聞いたよ。聖剣技が向いてなかったんだってね」


「な、なんでそれを知ってるんですか?」


「以前、クラウゼル男爵から手紙でね。もしよければクラウゼル嬢にも同じ紹介をと考えているが、まずは先に、君へこの紹介状を贈ろうと思う」



 レンが受け取った封筒には、達筆でユリシス・イグナートと記載がある。

 誰々に宛てたものとは書いていなかった。



「お礼の一つとして受け取ってくれたまえ」


「ありがとうございます。……中を拝見しても?」



 ユリシスが頷いたのを見て、レンは封筒を開けた。

 急だけど、思わず心が躍ってしまう。

 剣の腕を磨くことは大切な目標の一つだから、素直に喜んでいたのだ。

 しかしレンは、封筒の中にあった羊皮紙を広げて目を点にした。



「これ、本気ですか?」


「本気だよ。世界には多くの流派が存際しているが、聖剣技が向いていないのなら、紹介すべき流派はこれだろう?」


「い、いや……理屈はわかりますが……」



 紹介状にはこう記されている。



『ユリシス・イグナートの名によって、レン・アシュトンが獅子聖庁、、、、へ足を踏み入れることを許可する』

  


 獅子聖庁というのは、獅子王に関連した資料や遺物を管理する機関にして、レンにとっては、ゲーム時代に幾度も辛酸を嘗めさせられた機関でもある。

 その機関は帝都でも稀有な存在にして、他にもある特徴があった。



 ――――獅子聖庁はレオメルにおいて、剛剣技の総本山とされているのである。


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